Eternal Snow

93/暴露に注意

 

 

 

昼休みが終わる少し前、一弥は教室へと戻ってきた。

その顔は午前中のソレよりも晴れ晴れとしている。

多少なりとも憂さを晴らすことが出来たのは実に効果的だったと言えよう。

 

 

 

 「一弥、さん?」

 

 

 「あ、栞さん。どうかしました?」

 

 

 「いえ、あの……朝からずっと元気が無かったから」

 

 

 

一弥は苦笑して栞に微笑み掛けた。

それでも隠し切れない疲れを見せているのだが。

 

 

 

 「心配かけてすみません。チーム表見たら少し疲れちゃって……。

  今まで兄さんに愚痴言いに言ってたんですよ」

 

 

 「祐一さんに?」

 

 

 「ええ、それはもう色々なことを。栞さんに言って

  ご気分を悪くさせる訳にはいかないので割愛しますけど」

 

 

 「くすくす」

 

 

 「お、おかしいですか?」

 

 

 

笑う栞の様子に若干ながらも狼狽する。

 

 

 

 「いいえ、ごめんなさい。一弥さんがそんなに狼狽するなんて珍しいからつい」

 

 

 「って、人が悪いですよ栞さんっ。僕だってちゃんと感情あるんですから」

 

 

 「よ〜く知ってます。だから、ごめんなさい、です」

 

 

 

ちろりと舌を見せて、軽く頭を垂れる栞。

どこか小悪魔的な笑みを浮かべるその姿に、一弥が強く出られるはずがない。

昔から……そう、本当に昔から力関係ははっきりしているのだ。

 

 

 

 「別に怒ってるわけじゃないですけどね。

  それに、僕が栞さんのそういう顔に弱いの判っててやってますよね?」

 

 

 「はい、勿論ですよ」

 

 

 

全く悪びれることなく言う。

こうなっては完全に返しようがない、一弥は彼女に降参の意を示す。

 

 

 

 「……あ、そういえば真琴と美汐さんは?」

 

 

 

いつも三人で行動している彼女達、ざっと教室を見る限り残りの二人はいない。

狼狽している一弥は珍しいと栞は言ったが、彼女しかいないというのも珍しい。

 

 

 

 「えっとですね……名雪さんを……」

 

 

 

その言葉には濁りがあった。

一弥はふと気付き、訊ねる。

 

 

 

 「名雪さん? イチゴってことですか?」

 

 

 「はい。本当は私も残るはずだったんですけど、

  先生に用事があったのでお姉ちゃん達に任せて来たんです。

  まだ戻って来ないってことは苦労してるんだと思うんですけど」

 

 

 「……僕達も学食に行くべきでした。購買で済ませなければよかった……」

 

 

 「お姉ちゃん達が皆揃ってますから、きっと大丈夫だとは思いますけどね」

 

 

 

これだけの会話で互いに言いたいことは伝わった。

名雪にイチゴというのは、猫にマタタビ……もとい鬼に金棒を持たせるのと同じことで、

思考がイチゴに固定された名雪は下手な酔っ払いよりも対処が難しい。

恐らく今頃五人がかりくらいで名雪を教室まで運んでいるのだろう。

つくづく彼らの幼馴染達は何かしら人目を引くらしい。

 

 

 

 「あ、話は変わりますけど。もうすぐ大会前休みになるじゃないですか? 

  その時、皆でお買い物に行きませんか?」

 

 

 「買い物?」

 

 

 

一弥の問いかけに嬉しそうに頷く栞。

 

 

 

 「はい。武術会が終わった後自由行動日がありますよね? 

  その時に着る洋服を新しくしたいな〜と思いまして。

  もう真琴さんと美汐さんには話してあるんですけど、一弥さんも行きましょうよ」

 

 

 「え、僕も? 別に僕は持っている服で適当に着ますからいらないんですけど……」

 

 

 「そんなこと言う人嫌いですっ、折角旅行気分を味わえるんですから

  気分一新しましょうよ〜。それに、男の子が居てくれた方が色々助かりますし」

 

 

 「いや、でもやっぱり女の子の買い物に男が付いていくというのも」

 

 

 

あまり乗り気でない一弥の態度が不服な栞は、ぷくっと頬を膨らませた。

 

 

 

 「私や真琴さん、美汐さん……『美少女』の名前に相応しい女の子が

  三人も町に出るんですよ? きっと沢山の男の人に声を掛けられてしまって、

  嫌がる私達は無理やりどこかへ連れて行かれてしまうんです。

  きっと人には言えないあんな事やこんな事をされるに決まってます。

  キスだってまだ一回しかしていないのに……その先を軽く越えていって。

  そして最後には一緒に来てくれなかった一弥さんを恨んで死んでいくんです。

  ああ、なんて可哀想な私達……」

 

 

 

悦に入った様子で役になりきるそぶりを見せる栞。

演技内容はともかく、わざわざ目薬までさして泣き顔を演出するのはやり過ぎだ。

何気に爆弾発言が混じっているのだが、注釈すると三人揃って相手は一弥である。

小さい頃に遊び半分で済ませてしまっていた。

 

 

 

 「栞さん、変なドラマの見過ぎですよ……それに三人とも強いじゃないですか」

 

 

 「ふんっだ! お願いを聞いてくれない一弥さんなんか大っ嫌いですぅっ」

 

 

 

拗ね始めた栞は何と言うか、その、可愛かった。

昔から一弥は彼女のそんな態度に辟易しつつ、逆らえないことをよく知っていた。

系統は異なるとはいえ、真琴や美汐相手にも同様のことがいえる。

一弥といい祐一といい、幼馴染の中でたった二人の男性陣は圧倒的に弱いのだった。

 

 

 

 「わかりましたわかりました。荷物持ちでもボディーガードでも何でもしますよ。

  だから拗ねないでください。ただでさえさっきから目立ってるみたいなんですから」

 

 

 「本当ですか?」

 

 

 「ふぅ……僕が皆に嘘ついたことありましたっけ?」

 

 

 「う〜んと、あんまり無いと思います」

 

 

 

正直に答えた栞に苦笑いを浮かべる一弥。

 

 

 

 「全く無い、とは言ってくれないんですね。栞さん」

 

 

 「それはそうですよ。私達が気付いていないだけで嘘ついてることはあると思いますし。

  私だって一弥さんに内緒にしてることあるかもしれないでしょう?」

 

 

 

はっきりとした物言いにむしろ感心さえしてしまう一弥であった。

彼の場合(兄もだが)、『神器』だという事実を隠しているのだから。

 

 

 

 「はは、確かに。僕の完敗です、栞さん。ご同行させて頂きます」

 

 

 「うふふ。その代わり、お洋服は一弥さんが気に入って下さるのを選びますねっ」

 

 

 「はぁ……。それは嬉しくないと言えば嘘になりますけど。

  それじゃあデートと変わりないですよね」

 

 

 

そう言った一弥に対して栞はとても意外そうに首を傾げた。

 

 

 

 「何言ってるんですか一弥さん? 立派なデートに決まってるじゃないですか。

  私と真琴さんと美汐さんと一弥さん、こんな可愛い女の子が三人もいるなんて。

  ドラマみたいで素敵じゃないですかっ」

 

 

 「普通そういうドラマの場合、三角関係とかいう修羅場ってヤツになると思うので

  あんまり歓迎できないと思いますけど……」

 

 

 

全く以って一弥の言葉通り。

 

 

 

 「そんなことありませんっ、私達はとっても仲良しですから。

  一弥さんの奪い合いは絶対しないことになってるんです」

 

 

 

自信満々に答える栞。

年頃の女の子の割には随分なことを言う。

 

 

 

 「すいません栞さん。何と言うか、随分返答に困る発言です……ね」

 

 

 「そうですか? 私達は皆一弥さんのことが好きですから、おかしくはないですよ?」

 

 

 

臆面も無く普通に喋る栞。

根本的に彼女達は『一弥に関して』独占欲というものが無いらしい。

かと言って彼女達以外の誰かがアプローチを掛けて来た場合、激昂するのは確定事項。

一弥は周りのクラスメートが聞き耳を立てていることに

とっくに気付いているので、恥ずかしくて堪らなかった。

特に男子が自分に向かって放ってくる殺気というか嫉妬の視線が痛かった。

 

これでも栞やら真琴やら美汐はクラスでも人気があるのだ。

同時に誰一人勝ち目がない、という意味合いでも有名である。

一弥が預かり知らぬだけで、クラス内では彼女達三人を一弥LOVERSとも呼ぶらしいし。

 

 

―――で、視線が集まるということは声も聴こえているからで。

 

 

 

 「栞〜〜!!」

 

 

 「栞さんっ!!」

 

 

 「真琴に美汐さん……た、助かったぁ」

 

 

 「あ、ご苦労様でしたお二人とも。でも何で怒っているんですか?」

 

 

 

明らかに怒った顔で教室に飛び込んできた真琴と美汐。

理由は考える必要もないだろうが、栞はきょとんとしたまま訊ねる。

 

 

 

 「デモもヘチマもないわよぉっ! 何勝手なこと言ってるの!」

 

 

 「そうですよ栞さんっ、よりにもよって……か、一弥さんに直接っ!」

 

 

 「だって本当のことじゃないですか。私変なこと言ってませんよ?」

 

 

 

栞、君は天然策士キャラだったのか? 

その発言を聞いた瞬間

 

 

 

 (はは……事態が好転したわけじゃないんだね)

 

 

 

と心の中で涙を流したのは一弥だけの秘密である。

流石にこういった話題で兄にも相談は出来ないし。

 

 

 

 「お願いです三人とも。話なら後でゆっくり聞きますから……場所を考えて下さいぃ」

 

 

 

神器の中でも常識人にして良識派を自負する一弥としては、この空間があまりにも

いたたまれない環境になっていくのをどこか他人事のように傍観したかった。

祐一が同じ目にあったとしても、

兄ならば同様の反応をするだろうなぁと頭の片隅で思考しながら。

血は繋がっていないというのに、本当に彼ら二人の考え方はよく似ていた。

 

 

 

――――当然、それが叶うはずもなく。

 

 

 

彼は帰りのHRが終わり、誰よりも早く教室を逃げ出すその瞬間まで

クラスメートの好奇の視線に晒され続けるのであった。

 

これが全く自分とは無関係の人物によって引き起こされたなら無視も出来たかもしれない。

しかし原因は幼馴染の悪意無い発言。

彼にとって彼女は、彼女達は失いたくない存在。

故に邪険にすることも出来ず、ただただ精神的な苦痛を享受し続けていた。

 

人から見れば幸せであっても、当人からすれば不幸ということは珍しくもない。

今はただ、人災という災害に見舞われた彼に同情したいと思う。

 

合掌。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 「…………で。質問いいですか?」

 

 

 「えぅ?」

 

 

 「あう?」

 

 

 「どうかなさいました?」

 

 

 

揃って首を傾げる少女達。

その姿が絶妙に可愛いと思ってしまった時点で一弥の負けである。

 

 

 

 「腕、疲れませんか?」

 

 

 「大丈夫ですっ」

 

 

 「いえ全く」

 

 

 「えへへ〜〜〜〜」

 

 

 

現在下校中である。

これまたいつもの如く四人揃っているのでそれにはもう突っ込まない。

問題は、その体勢にある。

 

腕を組んでいるのは予想がつくだろう。

両腕……右側に栞、左側に美汐。

普段は冷静沈着をモットーとする美汐でも、相手が一弥では話が異なる。

僅かに照れがあるのかもしれないが、とりあえず今の状態に文句はないらしい。

学校内では恥ずかしくとも、校内を出るとなれば問題無い……そういう認識らしい。

ついでに今日しっかり一弥に伝わったのなら誤魔化してもしかたがない、と。

実に謎の思考なのだが。栞は言わずもがな。

 

で、残った真琴とはというと…………。

 

 

 

 「………………あ、あのですね真琴? とりあえず文句は言わないつもりですよ? 

  だけど! せめて、もう少し首を締めないで貰えると助かるんですけど」

 

 

 「あぅ? あ、ごめん。……これくらいでいい?」

 

 

 「本当は降りて欲しいんですが……はいごめんなさい、このまま帰ります」

 

 

 

本音を言った瞬間に首と両サイドから掛かった圧力に、心の中で涙した。

残る真琴は一弥の背中におぶさる形でくっついているわけで。

真琴は用意周到にカバンを背中にかけている。

とりあえず彼らにとっての帰宅場所とは水瀬家を指すので、そこまではこのままらしい。

 

なお、何故水瀬家に帰宅するか、という疑問はあまり意味が無い。

何故なら相手は秋子と賢悟だからである。

 

……というのは多少冗談で、水瀬家にはちゃんと彼女達の部屋が用意されている。

いつでも皆が集まれるように、と増改築した時に彼女達の分の部屋も製作した。

なので大抵の場合、彼らは一番に水瀬家に帰宅する……おおよそ週の半分は。

他の親達も昔から気心が知れている相手でもあるため、それで文句は出ない。

 

人から見れば羨ましいだろうが、本人からすれば不条理である。

日々の安息を求め、無用な諍いを嫌う一弥であるからその思いもひとしお。

もうさっきから周囲の視線が辛いし痛い。

彼女達と幼馴染である時点で諦めろ、と誰かに言われそうで嫌だったりする。

 

しつこい様だが、だからといって栞、真琴、美汐を嫌いだなんて言うつもりは欠片もない。

彼女達は自分にとって救いの女神も同じなのだから。

祐一が名雪達によって少なからず癒されたように、浩平にとっての瑞佳達がそうであるように。

その無邪気な笑顔、交えられた冗談……それは錆び付いた鉄を溶かすように。

幾千にも輝いた少女達の表情に安らぎを得た。

幼馴染という存在のおかげで彼の想いは……過去の苦しみは僅かなりとも癒された。

 

 

 

 「だからといって何でもOKってわけではないんだけど……」

 

 

 「何か言いました?」

 

 

 「……いえ。何でもないです」

 

 

 

そのツケがこれである。

左手首のリボンが妙に重い。

…………怒られているような気がしなくもないところがまた悲しい。

 

 

 

 「一応確認しますけど、もしかして今日は泊まりですか?」

 

 

 『勿論』

 

 

 

と三人揃って斉唱されては、もはや言葉をぶつけようもない。

水瀬家の部屋にもちゃんと生活用品は用意されている。もはや別荘状態? 

秋子が来客を拒むことなぞ有り得ず……つまりいつでも泊まれるのだ。

 

 

 

 「更に確認しますけど、勉強道具は?」

 

 

 「明日の分も持ってきています」

 

 

 

と美汐。

 

 

 

 「…………僕、持って来てませんよ?」

 

 

 「心配ないですよ? 今日はお泊り会です、って佐祐理さんに伝えてありますから。

  一弥さんの明日の分を持って来て貰えるようにお願いしました」

 

 

 

もう涙も出ない。

姉にまで網を張られていてはどこに逃げろと。

つまりこの瞬間に彼の命運は尽きた。

こうして家(水瀬家)に帰ったとしても、その家の中でも同じ状態は続くだろう。

懐かれているのは素直に嬉しいけれど、人並みに羞恥心があるから手におえない。

 

しかも更なる問題は、だ。

 

 

 

 

――――もやもやもやもや、やもやもやもやも…………(一弥の想像音)

 

 

 

 

 

 

 

 『あはは〜、義妹が三人も出来ちゃいますね〜。

  佐祐理……今度は子供が欲しいです、祐一さんっ』

 

 

 『祐一〜っ! あたしも可愛がって〜〜〜。ううん、むしろ三人がGOOD』

 

 

 『……うぐぅ。は、恥ずかしくてお願いできないよ』

 

 

 『うにゅ……ねむいお』

 

 

 『…………ていうか寝てるじゃない、アンタは』

 

 

 『あらあら、若いっていいですね。そう思いません、あなた?』

 

 

 『うんうん、いいことだよね』

 

 

 『てかちょっと待って下さい! 普通止めるでしょ!? 秋子さん賢悟さん! 

  俺も助けて! このままじゃマジで襲われるっ!? 

  おいこら舞! 服に手を掛けるなぁっ』

 

 

 

 

 

 

――――――もやもやもやもや、やもやもやもやも…………(想像終了)

 

 

 

そうした光景を皆が認めることである。(一部例外あるが)

例外は兄――――相沢祐一のみ。

むしろ兄以外は自分の気持ちを解ってくれない。

 

 

 

 「…………明日、僕の命は無いかもしれない」

 

 

 

主に嫉妬で。

そんな彼の不幸な一日がようやく終局に向かう。

人様からすれば充分幸福なのかもしれない、が。

 

 

 

 


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