いつの頃からだろう。

刀を振ると感情が消えていった。

哀しみも悲しみも。

『彼女』を失ったことを一瞬忘れられる。

 

 

 

斬。斬。斬。斬斬斬斬斬!!!!!

 

 

 

それはただの現実逃避。

純然たる怒りと、虚しさがカラッポのココロを埋めていった。

 

彼のココロは壊れていた。

 

 

 

 

Eternal Snow

9/転入

 

 

 

 「な、何で普通に起きたのに走らなきゃならんのだ……?」

 

 

 「おかしいね」

 

 

 

祐一と名雪は名雪を先頭にして通学路を走っていた。

現在時刻は8時23分。

七星学園の朝のHRは8時半。

残り7分のデッドヒート。

 

 

 

 「あんたが変なことするからでしょう!」

 

 

 

二人の後ろをぴったり追走する香里が名雪に言う。

 

 

 

 「わたし何もしてないよ〜」

 

 

 『嘘(つけ・よぉ・です)!!』

 

 

 

必死の形相で三人を追いかける真琴・栞、そして香里が言った。

 

あの後、彼女たちが復活したのがほんの13分前。

すなわち8時10分だった。

皆揃って慌てて食事をして5分後に水瀬家を出発。

水瀬家から学園までは歩いて20分。

走ったら15分弱。

あえて多くは言うまい……ただ、厳しかった。

 

 

 

 

 

この五人の中で最も体力の劣る栞は息が上がっていた。

 

 

 

 「も、もう私……駄目です」

 

 

 「栞〜、しっかりしてぇ」

 

 

 

併走する真琴が栞を励ます。

 

 

 

 「祐! 残り時間は!?」

 

 

 

切羽詰まった顔で香里が問い掛けた。

ここで冗談でも言おうものなら明日の陽の目は拝めないな。

と察知した祐一であった。

 

『君子危うきに近寄らず』である。

 

 

 

 「後5分ってとこか?」

 

 

 「くっ……仕方ないっ」

 

 

 

香里は奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 「栞、真琴ちゃん! あたしに掴まんなさい!!」

 

 

 

ひしっ という感じで栞が左側、真琴が右側についた。

 

 

 

 「香里、どうするの?」

 

 

 「決まってんでしょう、『加速』するのよ!」

 

 

 

……そんなことで能力使うのはやめて欲しい。

 

 

 

 「行くわよ二人とも! 息止めてなさい!!」

 

 

 「ちょっと待て! 俺達は!?」

 

 

 「おとなしく遅刻しなさい」

 

 

 「俺は無罪だろ!?」

 

 

 「名雪姉を起こした時点で有罪よぉ」

 

 

 

かなり酷い言い草である。

真琴の声を最後に三人はその場から消えた。

 

 

 

 「行っちゃった……」

 

 

 「……だな」

 

 

 

現在8時26分、もはや絶望的だった。

自然と二人のスピードも遅くなる。

 

 

 

 「なあ名雪」

 

 

 「何? 祐一」

 

 

 

会話する二人の覇気も薄れ始めている。

 

 

 

 「明日からは早く起きような」

 

 

 「ごめんね……努力はしてるんだけど、いつも皆に迷惑かけちゃって」

 

 

 「俺が起こしてやるから。皆を見返すぞ」

 

 

 

名雪は目をパチパチと大きく見開いた。

 

 

 

 「ほんと?」

 

 

 「このままじゃ悔しいだろが。第一、毎朝こんな目に遭うのは嫌だ」

 

 

 

名雪は嬉しそうに頷く。

 

 

 

 「うんっ!!」

 

 

 

それは見ている者が本当に嬉しくなるような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……つ、着いた?」

 

 

 「う、うん……」

 

 

 

あれから3分後、奇跡的に1分の差で校門を抜けた二人。

『奇跡』としか表現できない。

人間やればできるものである。

 

安堵半分、疲労半分となりつつも下駄箱へと向かうその足取りは軽い。

 

 

 

 「職員室はここ曲がった先にあるよ」

 

 

 「OK。わざわざ悪いな」

 

 

 「そんなことないよ〜。あ、でも」

 

 

 「ん?」

 

 

 「一緒のクラスになれるといいねっ」

 

 

 

期待を持ちつつ、外れたら嫌だとその目が語っていた。

 

 

 

 「なれるだろ、多分」

 

 

 「え?」

 

 

 「俺をここに入れたのは秋子さんだぞ、それくらいの裏工作は済んでるって」

 

 

 「それもそうだね。それじゃ待ってるよ、祐一」

 

 

 「おう」

 

 

 

名雪は笑顔でその場を去った。

にしても『裏工作』に疑問を抱かない娘と甥というのもどうかと思う。

 

 

 

職員室に祐一が向かい、ドアを空けたその頃。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

ここは祐一が転入することになる2年A組。

 

 

 

 「相変わらず心臓に悪い登校するわね〜」

 

 

 「お……は……」

 

 

 「ああ、別に挨拶しなくてもいいわよ、香里」

 

 

 

息絶え絶えになっている自分の席にやって来た友人――七瀬留美。

 

 

 

 「また名雪さんが寝坊したのですか?」

 

 

 「わざわざ確認する必要もないと思うんだけど、茜」

 

 

 

呆れ顔で会話する二人の少女――里村茜と柚木詩子。

 

 

 

 「うぐぅ、でも今日は随分疲れてるね香里ちゃん」

 

 

 

そして月宮あゆの四人。

ようやく息を整えた香里が口を開く。

 

 

 

 「はぁ、はぁ……今朝は『加速』して栞と真琴ちゃん連れてきたから……」

 

 

 「そ、それは随分とまぁ……その、ご苦労様」

 

 

 「ええ……ありがとう留美」

 

 

 

その様子を眺めていた茜が口を開いた。

 

 

 

 「まぁ、名雪さんもそうですけど……瑞佳さんと浩平もまだですね」

 

 

 「ほんと、瑞佳ちゃんも災難だよね〜」

 

 

 

カラカラと笑う詩子。

 

 

 

 「うぐ、でも瑞佳ちゃんも嫌じゃないみたいだし……」

 

 

 「世話女房って感じだものね」

 

 

 

二人の友人の姿を思い浮かべて苦笑するあゆと香里。

 

 

 

 『女房…………』

 

 

 

二人の真横で留美・茜・詩子が『どよ〜ん』というオーラを放つ。

余計なこと言ってしまった、という顔をする香里とあゆ。

この場にいる留美・茜・詩子の三人は揃って『浩平』という男の子に

惚れているのだった。

 

『浩平』自身はそんなこと露も思っていない様子ではあるが。

そんな彼には世話焼きの幼馴染『長森 瑞佳』がいる。

無論、瑞佳も浩平に明らかな好意を寄せているのだが……。

まるでその部分にフィルターがかかったように彼は気付かないのだった。

女の子側からすれば気の毒な話である。

 

 

 

ガラガラッ

 

 

 

その暗い空気を変えた音。

 

 

 

 「お、おはよう〜」

 

 

 「あ、なゆちゃん」

 

 

 

名雪が教室へと入ってくる。

 

 

 

 「酷いよ〜、香里。わたし達置いて行くなんて」

 

 

 「何回も言わせないでよ。原因はあなた達でしょ」

 

 

 「う〜、わたし何もしてないもん」

 

 

 

珍しいものを見たような顔で詩子が問うた。

 

 

 

 「なになに、どうしたの? 喧嘩?」

 

 

 

2−Aでも親友として有名な名雪と香里とあゆ。

名雪と香里が言い争いをするという光景は実に珍しかった。

 

 

 

 「もう! 二人ともやめてよ。なゆちゃん、一体何があったの?」

 

 

 「聞いてよ〜あゆちゃん。香里ってばわたしと祐一置いて先行っちゃったんだよ〜」

 

 

 「うぐぅ!? か、香里ちゃん! それは酷いよ、祐一君に!!」

 

 

 

名雪に対してはどうでもよいのだろうかこの娘は。

いや、実際どうでもよいのだろう、たぶん。

 

 

 

 「仕方ないじゃない。祐が名雪のこと『起こした』んだから」

 

 

 『……………………』

 

 

 

しばしの沈黙、そして。

 

 

 

 『ええええええええぇぇぇぇっっっっっ!!!!!?????』

 

 

 

響き渡る少女達の絶叫。

彼女達の会話を知らないクラスの生徒達が

そのあまりの大きさに驚くほどであった。

 

 

 

 「うぐう!? それってどういうこと!?」

 

 

 「言葉通りよ」

 

 

 「名雪さんを起こした……? 一体何者ですか!?」

 

 

 「『祐一』ってのは確か、香里ちゃん達の幼馴染の名前だったっけ?」

 

 

 「お、乙女にも成し遂げられないことをやり遂げるなんて……す、凄い」

 

 

 「皆して酷いこと言ってる?」

 

 

 

その通りだったが、名雪の疑問符に答える者は誰一人いなかった。

 

 

ガラガラッ

 

 

再び聞こえるドアの音。

 

 

 

 「おはよ〜皆」

 

 

 

先ほど少女達の話題の中にでてきた少女――長森瑞佳であった。

 

 

 

 「どうしたの? 教室から皆の大声が聞こえたからびっくりしたんだけど」

 

 

 

何かあったの? と続ける瑞佳。

少女達の中で誰よりも素早く現実に戻ってきた茜が、原因を瑞佳に語った。

 

 

 

まもなく――――。

 

 

 

 「えええええええっっ!?」

 

 

 

彼女も同じ反応を返した。

 

 

 

 「う〜、やっぱり酷いこと言ってる……」

 

 

 

重ね重ねその通りだった。

 

 

 

 「あれ? 瑞佳、折原はどうしたの?」

 

 

 

必ず瑞佳と共に現れるはずの想い人がいないことに疑問を持つ留美。

瑞佳は大きく溜息をついた。

 

 

 

 「今日もいつもみたいにみさおちゃんと起こして普通に学校来たんだけど」

 

 

 

果たして遅刻寸前で登校することが『普通の登校』と言えるのだろうか? 

……あえて深く追求すまい。

 

 

 

 「下駄箱までは一緒だったんだけど、いつの間にかいなくなってたんだよ」

 

 

 「あの馬鹿」

 

 

 「浩平が馬鹿なのはわかっていることですが、どうしようもない馬鹿ですね」

 

 

 「うんうん、馬鹿の極みだねぇ」

 

 

 

仮にも想い人に対して結構な評価である。

流石に汗ジトするかと思われた名雪達であったが、彼女達も

似たような顔をしていたのであった。

所詮、彼女達の浩平への評価なぞこんなものである。

 

 

 

ガラガラッ

 

 

 

三度空けられるドアと共に響く男性の声。

 

 

 

 「席に着けー、HR始めるぞ」

 

 

 

2−Aの担任、石橋教諭の登場であった。

 

石橋の言葉に一斉に自分の席へ座る生徒達。

その様子を見ながら出席確認を始める石橋。

 

 

 

 「あ〜、いないのは折原一人のようだな。折原遅刻と」

 

 

 

いつものことだ、とばかりに名簿に書き込む。

一年の頃から彼の担任を務めている手前、既に諦めているらしい。

 

 

 

 「知っているやつもいると思うが、今日は転校生がいる。

  男か女かは見てからのお楽しみとしておけ」

 

 

 

石橋の顔には、何か面白いものを見つけたという興味の色が色濃く出ていた。

 

 

 


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