Eternal Snow

56/時間の渦

 

 

サバイバーは終了した。

無事に……とは言い難い。幾人ものDDEが正体不明の帰還者に殺されたのだから。

その帰還者は突然現れた神器によって殲滅されたとなすのが報告した。

とにもかくにも、サバイバーは終了したのである。

 

希望は舞人と小町が見つかるまでの間、全く休息を取らなかった。

つばさや山彦が逆に心配してしまうほどに。

彼女は二人の言葉に耳を貸さなかった。

ひたすら舞人と小町の無事を祈り続けていたのだった。

 

二人が無事戻ってきた。

恥も外聞もなく希望は舞人に抱きついた。

周りで囃し立てているような気がしたが気にすることはなかった。

 

人死騒ぎまで出ているのだ、生きていてくれたなら満足だ。

好きな人を失うくらいなら囃し立てられて噂になるくらい何でもない。

寧ろ噂になってくれた方が好都合だ。

舞人も少しは希望の心情が理解出来たので成すがままにされていた。

小町にはアイコンタクトで

 

 

 (そのままにしておいてあげてください)

 

 

とまで言われれば文句を言うわけにもいかない。

だが現状は正に恋人のソレ。

過去の記憶を僅かに取り戻し、小町を愛していると自覚する舞人にとっては

素直に喜べない。口で軽く言うわりには割と古風なところが彼の美点である。

そして彼は気付いていない。

当然ながら抱きつく少女も気付いていない。

彼らには互いを抱き締める資格があるのだと……。

 

時間の渦に崩されていく遠き日の記憶。

夢と罰、償いの唄は未だ届かない。

 

 

 (ったく……まぁ小町が文句言わないからいいけどな。

  ……にしても、何だ? こうしているのが妙に懐かしい感じがする……)

 

 

運命の神は悪戯が好きらしい。

少しずつ解け始める記憶のカケラ。

 

 

 (まるで小町のことを思い出した時みたいに……。まさかこいつも? 

  ……って馬鹿な、んなわけねえだろうに。もしそうだとしたら

  俺は小町と星崎を同時に二股かけてたってことになるんだぜ? 

  俺はあの尻軽超絶軟派男サガラではないですよっ。

  そもそもそんな覚えは全くねぇって。

  第一、俺が小町を裏切るような真似するはずがない……多分)

 

 

どことなく不安になりつつも生じた違和感を拭い去れない自分がいる。

そのことを舞人は自覚していた。

どこか冷静に現状を理解しようとする。

何故かあの帰還者の言葉を思い出した。

 

 

 『貴殿の記憶を覗かせてもらっていた……しかし、何故か途中で弾き返されてしまった』

 

 

『永遠の使徒』と名乗ったあの猫の言葉は真実だろう。

あの時の自分の言葉

 

 

 『知りませんっ。ま、俺様は特別だからな。お前さん如きに記憶を覗かれはしねぇよ』

 

 

あれはただの強がりだ。

永遠に属する人を超越した存在が記憶を覗くと言ったのだ、万に一つも失敗はないはず。

それが例え神器だとしても、人であることに変わりないのだから。

 

自分の記憶にかけられた謎のプロテクト。

永遠の存在すら弾き返すほど強力なもの、その中に封じられていたのは小町の記憶。

 

 

 『それだけか?』

 

 

腕の中に希望を閉じ込めたまま、彼の脳裏にはその言葉が浮かぶ。

 

 

 「悪い……その、心配かけた」

 

 「謝らないでよ!」

 

 

希望の本心の言葉、ただ待つしかなかった自分への言い訳。

彼は何も悪くないのだ。

 

 

 「生きててくれたんだからそれでいいの! 

  さくっちは……舞人君は何も悪くないんだから謝らなくてもいいのっ! 

  私が……私が……安心したいだけ、だ……から」

 

 

数年ぶりに聞いた『舞人君』という言葉。

それをきっかけにして辺りの音が急に聞こえなくなる。

自分の周りには小町がいて、つばさがいて、山彦がいるはずなのに。

まるで自分と希望しか世界に存在しないかの様な孤独感と一体感。

 

 

 『謝らないでよ!』

 

 

頭にリフレインする希望の泣き顔。

雪崩れ込む記憶。

小町の記憶を思い出してしまったことがプロテクトに歪みを与えている。

 

 

 『謝ってる暇があったらもっと好きになってよ!』

 

 『私がどこかに行っちゃわないぐらい……』

 

 『いっぱい、いっぱい抱きしめてよ……』

 

 

見たことの無い映像。

冬の丘。チェックの帽子。涙。桜の樹。

 

 

 『もしも舞人君が私のことを好きじゃなくなったとしても……』

 

 『ただほんの少しでいいから……私っていうおかしい女の子がいたってこと……』

 

 『胸の隅っこにでも置いといてくれればいいよ。それが私のささやかな希望』

 

 

愛する少女の言葉。

 

 

 『……分かった。約束します』

 

 『それも駄目なの?』

 

 『な……ばか、約束するって言ったじゃないか……』

 

 『うそつき』

 

 『……え?』

 

 『敬語になってた……』

 

 『………………』

 

 

ささやかな望み、守れなかった約束。

忘却の罪に溺れていく自分と彼女。

今愛している少女とは違う別の少女との記憶。

 

 

封印されていたもう一つの記憶。

忘れて当然であり、忘れてはいけない……大切な記憶。

 

 

 

――まもりたいひとのえがおがある。

――うしないたくないひとのすがたがある。

――てばなしたくないひとがここにいる。

 

 

 

 (……の、ぞ、み?)

 

 

その思考を最後に彼の意識は闇へと呑まれていった。

それはあたかも小町を思い出したときと同じ様に……。

 

心が灼ける。小町を思い出してから一日も経過していない。

舞人の精神は癒されつつも、その多大な負担に軋みをあげていた。

 

悪夢は心地よい麻薬。

姿の見えない少女達は確かにいる。

けれど小町だけは判る。

 

 

 

いや……違う、もう一人……そう、あれは……彼女は――『星崎希望』。

 

 

 

――さくらいまいとはほしざきのぞみをあいしている――

 

 

夢の中の葛藤。もう一つの可能性。分岐された世界。

その世界での自分は小町ではなく希望を選んでいた。

しかし起こりうる結末は同じ。

忘却の罪……消えた記憶。

 

 

 (――俺は……同じ時を繰り返していた?)

 

 

舞人が辿り付いた答え。

 

事実がどうであれ、今の自分の心には小町と希望がいる。

雪村小町を愛している桜井舞人と星崎希望を愛している桜井舞人が

自分の中で融合している……そんな感覚がする。

二人を等しく愛している。

改変を使ってもいないのに何故それを思い出してしまったのか? 

自分では全く理解出来ない。

 

 

いや……どうでもいいことだ、今の自分にとって必要なのはそれではない。

 

 

現実への扉が目の前に並ぶ、迷いなくその一つを開いた。

彼はその閉じられていた瞳をゆっくり開く。

 

 

 「う……うん……っつ」

 

 「せんぱい!」

 

 「舞人君!」

 

 

愛する少女達が自分を呼ぶ。

彼は頭が朦朧としているのを自覚しながらも、横になっていたベッドから上体だけ起こす。

雰囲気から察するにどこかの病院の一室といったところだろう。

 

頭を軽く振り、素早く体調を測る。

 

 

 (疲労だけは抜けてないな。改変は既に2回……この疲れは3回か? 

  使った覚えがないが…………希望の記憶を無理やり引き出した所為か?)

 

 

前言撤回、きっと改変を自分の記憶にかけてしまったのだろう。

現在の自分の状態を考慮に入れた結論だ、実際のところは判らない。

宝珠を吸収したときよりも危険な行為。

そこである可能性に気付く。夢にプロテクトが掛かっているのなら、改変でその全てを

解凍してやることも不可能ではないだろう、と。

だが、きっかけがない。プロテクトを解く相手が誰なのかも、その鍵となる事柄さえも。

もし今回のように無理に記憶を引き出せば脳神経が灼き切れることは必至。

愛する少女達のためにも、何より自分がそんな可能性如きに

命を賭けるほど殊勝な男ではないことを舞人は自覚していた。

 

 

 「小町、希望……」

 

 

不安げな表情の二人を呼ぶ、まずは安心させなければならない。

はた、と気付く。小町はともかくとして希望を名前で呼ぶのは拙い。

何しろ今まで『星崎』だったのだ、本人からすれば違和感があり過ぎるだろう。

 

 

 「あ、いや……小町に星崎、とりあえず俺は無事だぞ? ヒールの似合う

  桜井舞人はそう簡単にはくたばったりはせんからな、カッカッカッカッカ」

 

 

パチンッ!

 

 

頬を叩く音がよく響いた。

呆気にとられる小町。そう、この音の原因は希望だ。

希望が目の端に涙を溜めて、舞人の頬を平手打ちしたのだった。

 

 

 「……ほ、星崎しゃん?」

 

 

理不尽な暴力に怒ってもおかしくない状況なのだが、

舞人は傍らの小町のように呆気に取られる。

当の本人は溢れる涙を堪えきれなくなったのか、一筋の涙を流し、しゃくりあげる。

 

 

 「わ、私……だって、思い出したもん……舞人君のこと覚えてるよっ!」

 

 「な!……に?」

 

 「私と舞人君が初めて出会ったのは……桜の丘。

  最後にお話したのもあそこだったよ? 私はあの時舞人君に抱きしめて貰って……。

  『私のこと忘れないで』ってお願いしたのに、舞人君は約束守ってくれなくて……っ

  で、でも私が言えたことじゃないよね。私が先に……忘れちゃったんだもん。

  ごめんね、ごめんね、舞人君……っ」

 

 

顔を赤く染めるべきシーンなのだが、当の舞人はそれどころではない。

自分は確かに記憶を取り戻した。彼女の言っていることも覚えている。

 

 

 (何故希望がそれを思い出した?)

 

 

数時間前の小町の様に彼女に改変を使ったわけではない。

 

 

 「……希望、お前何で……?」

 

 「わからないよ。舞人君が気を失ってるときに突然思い出したから……。

  舞人君は私のこと……覚えてるんだよね? 思い出してくれたんだよね?」

 

 

涙を流しながら舞人に微笑もうとする希望の姿に心が揺れる。

 

驚愕、謎……いや、深く考えるのは止そう。

今ある現実を受け入れよう。

それは望むべくしても得られぬものだったのだから。

 

 

 「ああ……つっても夢から覚めてからな。気を失う前になんとなく

  違和感があったくらいで、夢見てお前のこと思い出した」

 

 

そう言ってベッドから立ち上がり、希望の唇を奪っていく。

 

 「……っ!?」

 

 「これが証拠ってことで。ついでに今まで忘れてた詫びだ」

 

 

いつものシニカルな顔で彼は笑う。

 

 

 「愛してる……希望、小町」

 

 

次の瞬間、二人の幼馴染をその腕に引き入れて、少女達の耳元で囁き

二人の顔が真っ赤になるのを確認すると、彼は満足そうに微笑み幸せを味わうのだった。

それが自分のエゴだと解っているけど、失いたくないから。

 

 

 

少女達は逆らうことを忘れた。

過去に埋もれた幸せが現実のものとなったことに幸せの涙を流していた。

 

 

 

――届かないなら、愛しい願い、忘却のこの海に沈めて

――儚き時よ、切なき明日よ、零れゆく悲しみを包んで

――誰より強く、傷より深く、永久の中眠らせて、私を……。

 

 

 

そう願ったのは遠い過去のこと。

もう、悲しむことはない。

傍に彼がいてくれるなら。

もう、泣くことはない。

 

 

 

 


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