Eternal Snow

52/Escape

 

 

 「ぐ……ぁっ」

 

 「せんぱい……」

 

 

舞人と小町は森林の奥に隠れていた。

彼らの周囲にはポタポタと血の跡が残っている。

怪我をしているのは舞人だけだ。

彼は木に体を預け、脇腹に包帯を巻きつけていた。

白い包帯は血で滲み、止血したであろう右手は赤く染まっている。

薄く脂汗が額に走る。息が荒い。

 

 

 「んな顔すんな……お前に怪我がないなら、まぁ……それでいい」

 

 

傍で泣いている小町の頭を汚れていない左手で撫でる。

 

 

 「で、でも……ゆ、雪村の所為でせん、ぱいが……ううっ、ひっく」

 

 「だからぁ……泣くなっつーの。ハードボイルド系の俺様にはピンチも似合う」

 

 

いつもの皮肉気な笑みを浮かべる、脂汗を流している今、説得力は全くないが。

それでも小町を心配させまいとする気遣いが見受けられた。

 

 

 (とは言ったものの……結構やばいな。とっくに血は止まったが失血量が多い。

  まぁ、痛みのおかげで気絶はしなくて済むけどな。

  ……本当なら改変で治してやるのが一番なんだが血が減って集中力が続かないし、

  そもそもこいつがいる以上下手な真似も出来ん)

 

 

口では軽く言っているが、実際の所は楽観視すら出来ていない。

 

 

 (第一……いつあのヤローが現れるか判らないときたもんだ。我ながら逆境が似合うねぇ……)

 

 

小町のしゃくり声を聞きながら、彼は少しだけ眠った。

 

 

 

事は数刻前。

舞人たちが牧島・雪村チームに出くわした時に起こった。

希望・つばさ・山彦には悟らせなかったが、舞人の体には異変が起きていた。

左手の甲が疼く。

紛れもなく闇の宝珠がざわついていた。

 

 

 (なんだ……? さっきからずっとおかしい)

 

 

山彦たちが戦っていた時、舞人が戦闘に参加しなかった理由はそれだった。

何の皮肉か、彼の異変に気がついたのはチームの仲間ではなく、

牧島のサポートについていた彼の幼馴染、小町。

 

 

 「せんぱい」

 

 「雪村……来るか?」

 

 

近寄ってきた小町に対して、身構える舞人。

すると小町は慌てたように首を横に振って

 

 

 「ち、違いますよ。せんぱいの様子が少しおかしかったから、それで」

 

 「な、何故判った」

 

 「なんとなくです」

 

 

山彦と牧島が相対し空気が静まる中、二人はいつもと変わらない会話をしていた。

本当に戦闘中なのかと疑いたくなるほどに。

 

だが、確かに異変は起きていたのだ。

 

 

Uooooooo…………

 

 

舞人は『何か』を聴いた。

遠くから響く異質な声。

 

 

 (やばい!!!!!)

 

 

反射的に舞人は小町を押し倒す。

 

 

 「えっ!?」

 

 

暗がりでいきなり想い人に押し倒されて嬉しいやら悲しいやら。

顔を真っ赤に染めている小町とは裏腹に、

舞人は痛みを伴い出した左手の疼きに耐えている。

 

 

――――――殺気。

 

 

舞人は咄嗟に小町を押し倒したまま地面を転がる。

 

 

ドシュドシュドシュ!!!

 

 

地面を貫く鋭い音、それは二人を狙う攻撃。

舞人は攻撃が飛んで来た方向をじっと睨みつける。

彼は見た。

己を狙う『もの』の存在。

己の敵となり得るもの。

 

 

 「帰還者……そうか、これを知らせてたのか」

 

 

それを認識したとき、左手の疼きは消えた。

 

 

 「え? せ、せんぱい」

 

 「雪村、逃げるぞ」

 

 

舞人は小町を抱きかかえると、仲間達の元を離れた。

帰還者が狙っていたのは間違い無く自分達……この場から離れなければ

被害が広がる可能性があまりにも高い。

 

 

ドシュドシュドシュ!!!

 

 

二人の足元に落ちる光の塊。

舞人は人一人抱きかかえていることを苦とさせない動きでそれらを回避していく。

一度も上空を見上げることなく、ただ殺気と勘だけで全てを避けきる。

 

 

 (え……嘘、せんぱいが……?)

 

 

彼にお姫様抱っこという状態でしがみ付いている小町は状況の異常さよりも

舞人の動きに静かな衝撃を受けた。

 

特AクラスにいながらC3ランクという変わり者。

仮にも幼馴染にして思慕している分、彼を贔屓していたことは事実だが

実力自体は自分よりも少し劣ると侮っていたのだ、多少なりとも。

 

しかし今の彼は違う。

自分と彼の立ち位置が変わったとして、自分に彼と同じことが出来るか? 

考えるまでもない、答えは否だ。

 

どれくらい走っただろう、舞人はほとんど息を乱さず足場の悪い森の中を駆け抜ける。

この時にはサバイバーは中止となっていたのだが、逃げる二人にはそれを知る術はない。

 

何者かに襲われているのは小町にも判った。

けれどそれにも増して安心感が心にあるのも自覚していた。

彼女を抱きかかえる舞人は疲れた様子を見せない。

周囲……特に上空にのみ気を張っている。

 

既に小町の中にはランクC3のオチコボレなどという言葉は存在していない。

元々なかったが、より一層無くなったといえば理解できるだろうか。

 

そんな彼が突然止まった。

素早く小町を下ろし、庇うように自身の後ろに隠す。

舞人は眼前に鋭い視線を向ける。

 

 

 「追いかけっこは終わりか?……そこの女を守ろうとするのは中々だけどよぉ」

 

 

右腕が通常よりも長く、爪はライオンのように鋭い。

髪はパンク系・ギラギラ光った瞳は血に飢えている。

帰還者特有の気配を全身から発していた。

 

 

 「自我持ちか」

 

 「あ、う……あ……」

 

 

怯える小町を左手で制し、舞人は帰還者から視線を外さない。

そんな舞人を見る帰還者の顔は、次第に気分を害しているかのようだ。

 

 

 「……気に食わねぇな。怯えろよ、そこの雌豚みてぇによ!」

 

 

重く響く声に小さく悲鳴を上げる小町。

 

 

 「ざけんな! この女をメスブタ呼ばわりしていいのは俺だけだ!」

 

 

舞人は怒鳴り返すと同時に硬く握った拳で帰還者の頬を殴り飛ばした。

 

 

 「げぇっ!」

 

 

仰け反って地面に倒れ伏す帰還者。

追撃に無防備な腹部を踏みつける。

しかし封印をかけていることが災いし、内臓を傷つけるには至らない。

いくら今の状態で全力を出そうと、精々A3程度の力しか発揮出来ない。

自我持ちのスペックには到底及ばず。

 

 

ギリッ

 

 

帰還者は倒れ伏したまま片手で舞人の足首を掴み、力任せに投げる!

 

 

ブオンッ! バキィッ!!

 

 

舞人の体が風を切る音、聞こえてきた次の瞬間には木を薙ぎ倒す音へと変わる。

 

 

 「せんぱいっ!」

 

 

響く小町の悲鳴、帰還者は起き上がると声の方向――即ち彼女へと目をやる。

『にまぁ』と嫌な笑みを浮かべていた。

 

 

 「お前を守ってくれる先輩さんはもういねえよ、へへっ。んじゃ……死ね」

 

 

小町の恐怖心を一層煽るため、ゆっくりとした動作で己の右腕を高く上げる。

 

 

 「逃げ場なんてねえぞ? まぁ……逃げたっていいけどなァ!」

 

 

小町が背を預けていた木がスパッと地に落ちた。

断面は鋼糸で斬られたかのように滑らか。

 

 

ズシュズシュズシュズシュ!!!!

 

 

小町の体を全く傷つけず、彼女の周辺の地面だけをその爪で切り裂く。

その場にへたり込み、誰が見てもガタガタと震えている。

彼女は初めて、自分が死ぬと実感した。

瞳から涙が頬を伝う。最後に舞人に好きだと伝えられなかったことを後悔して。

自分の死よりも、その方が辛かった。

帰還者が再び右腕を持ち上げる。

 

 

 「そんじゃあ……な!」

 

 

ズドォォン!

 

 

帰還者がその腕を振り下ろそうとした瞬間、爆音が辺りを包んだ。

 

 

 「何!?」

 

 

驚愕の声と共に爆炎が舞い散る。

 

 

 「雪村!」

 

 

舞人が離れた場所から改変によって爆炎を巻き起こしたのだ。

隙を見計らって小町の元へ走り寄ると、彼女の手を取り走り出す。

 

 

 「この野郎っ! 死ねっつってんだろうがぁぁ!!!」

 

 

帰還者は怒りにかまけて舞人目掛けて光の塊をぶつける。

殺気を背中に浴び、小町を庇うように光の塊を自ら受ける舞人。

彼が肩に掛けていたナップザックの紐は切れ、無造作に地面に落ちる。

 

小町は再び舞人の腕に抱きかかえられていた。

偶然、彼の脇腹に触れてしまう。

 

 

 「!」

 

 

ぬるっとした生暖かいもの……舞人の血。

 

 

 「け、怪我!」

 

 

してるじゃないですか! という言葉は続かなかった。

舞人の瞳を見てしまったから。

今まで一度も見たことのない真剣な眼差し。

不謹慎かもしれないが、小町は舞人の顔に見惚れていた。

 

 

 「このまま逃げ切る、舌噛みたくなかったら閉じてろ……っ」

 

 

舞人は一度も小町の顔を見ることなく、ただ前だけを見つめていた。

その姿を誰が侮辱出来ただろう……いや、出来るはずがない。

 

帰還者の気配を遠くに感じながら、二人は命からがらに森の奥へと消えて行く。

山彦達が戦いの残骸を見つけたのはそれから少し後のことだった。

 

 

 

 


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