どれだけ泣いただろう。

どれだけ憎んだだろう。

 

 

 

どれだけ――――自分を責めただろう。

 

 

 

どれだけ嘆いたところで

彼女はもういなかった。

 

自分の目の前でその儚い命を終えた。

冷たくなった唇からは死の味しかしなかった。

 

舞い散った羽がまるで雪のように見えた。

そんな暑い夏の夜。

 

空に輝いている月が輝く。

蒼く、蒼く、蒼く。

月は彼の悲しみと慟哭を映し出すように

涙色に染まっていた。

 

 

 

 

 

Eternal Snow

5/パーティ

 

 

 

 

 「僕は何も聞いてない」

 

 

 「聞こえないったら聞こえない」

 

 

 「兄さんの悲鳴なんて全然聞こえないっ」

 

 

 

一弥は青い顔で耳を塞ぎながら念仏のようにそう唱えていた。

 

リビングで繰り広げられているであろう地獄絵図を見る勇気は一弥には無く

今の彼に出来たのは兄の無事を祈ることと

台所にいる皆がリビングへ行かないようにすることだけだった。

彼の健闘を誰も称えはしなかったが

その功績は評価すべきものであることをここに記す。

 

悲鳴が止んでしばらく経ち、彼がリビングへ戻ると

目立った外傷は全く無いのに『何故か』その場に倒れ伏している祐一がいた。

外からは見えないように服の上だけを徹底的に狙われたことをもう少し後に知る。

 

 

 

 「あの兄さんをあそこまでボロボロにするなんて。信じられない」

 

 

 

のちに一弥は語る。

 

のちに祐一は語る。

 

 

 

 「虐待ってやつを受けた子供の気持ちがほんの少しだけわかった気がする」

 

 

 

あの祐一と一弥をしてそこまで言わしめた栞と美汐。

彼女達の力は『神器』に恐怖を与えるほどのものであった。

 

知らないということは幸せである。本当に、いやマジで。

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

 

 

 「あらあら」

 

 

 

“今まで何かあったんですか?”

とでも言いたげにリビングにやって来た一人の女性。

名雪の髪よりもより水色に近いソレを、編みこんでおさげにしている。

再会した少女達にはない完成された美しさを所有していた。

 

女性の名前は水瀬 秋子。

名雪と真琴の母親である。

祐一の母――夏子の妹でもある。

とても年頃の娘が二人もいるとは思えない。

どこから見ても二人の姉だ。

 

 

 

 「秋子さん、どうもお久しぶりです」

 

 

 「祐一さんもお元気そうでなによりです」

 

 

 

少なくとも服の下は凄いことになっているのだが。

おそらく秋子もそれはわかっているのかもしれない。

何故なら彼女はそういう人だから。

……深く追求しないで頂きたい。

 

 

 

 「三年振りですね、こうして会うのも」

 

 

 「あれ? もうそんなになります?」

 

 

 「ええ」

 

 

 

三年前――それは祐一が『彼女』を失った年だった。

確かに二年間、この人と会っていないといえば嘘になる。

だが、こんなに穏やかな気持ちでいただろうか? と問われれば

絶対に否……どれだけ心労をかけさせただろう。

 

 

 

 「……あの時は本当にご迷惑をおかけしました」

 

 

 

祐一は深く頭を下げた。

 

 

 

 「いえ。辛かったのは祐一さんですから」

 

 

 

秋子はそれ以上何も言わない。

それ以上彼の傷を抉ることはしなかった。

それが彼女の精一杯の愛情。

『もう一人の母親』として。

 

 

 

 「ありがとうございます」

 

 

 

秋子のその言葉に勝る言葉があっただろうか? 

さっきの一弥も、そして秋子も。

自分の矮小さを痛感する祐一。

けれどそれ以上に二人の優しさが嬉しかった。

 

 

しばらくして少女達が祐一を呼びにやってくる。

台所から香る料理の匂いが堪らない。

 

 

さぁ、パーティの始まりだ。

皆がパーティ会場と化したリビングに集まる。

 

 

 

『祐一お帰りなさいパーティ』

 

 

 

リビングに掛けられた垂れ幕にも気合が入っている。

そしてテーブルに並べられた豪勢な料理の数々。

この場にいる女性陣が尽力した結果だ。

特に某四人が。

 

 

 

 「美味そうだな〜」

 

 

 

祐一は素直に感想を述べた。

というより隠す必要すらない。

 

 

 

 「あはは〜、頑張りました〜」

 

 

 「にゃはにゃは、舞ちゃんの努力の結果だよ♪」

 

 

 「まぁ、不味いってことはないはずよ」

 

 

 「わたしの自信作だよっ」

 

 

 

佐祐理・舞・香里・名雪は誇らしげに祐一の賛辞を受け入れる。

料理の腕に自信があるというのがよくわかる。

 

 

 

 「そりゃ楽しみだ」

 

 

 

そんな五人を尻目に一人輪に入れないのはあゆだった。

 

 

 

 「うぐぅ」

 

 

 

彼女は料理が出来なかった。

 

 

 

 「ん、どしたあゆ?」

 

 

 

祐一は邪気なくあゆに問う。

無邪気な笑み。

彼には何の悪気もなかった。

 

 

 

 「ボク……作ってないから」

 

 

 

心苦しそうに言うあゆ。

それを見て名雪達も同情の目を向ける。

 

 

 

 「そっか、それは残念。苦手なのか?」

 

 

 

答え辛いことを平気で聞く祐一。

しかしその声色に他意はない。

それが判るのか、あゆも非難をしない。

 

 

 

 「……ぅん」

 

 

 「それなら練習しとけよ。俺だって少しは作れるし、あゆだってやれば出来るからな」

 

 

 「ボクが作ったら……祐一君食べてくれる?」

 

 

 「おう。楽しみにしとく。但し食える物にしてくれよ?」

 

 

 「うん! ボク頑張るよ!」

 

 

 

あゆは笑顔を浮かべる。

再会して二度目の清々しい笑み。

祐一の無自覚な励ましはかなりの効果をもたらしたらしい。

名雪達もほっとしている。

 

 

 

 「流石は祐一さんと言ったところでしょうか」

 

 

 「やっぱりお姉ちゃんの旦那様に相応しい人ですねっ」

 

 

 「栞、それは気が早すぎると思う」

 

 

 「栞さん、勝手なことばっかり。全く」

 

 

 

離れた所で美汐・栞・真琴・一弥がそんなことを言っていた。

 

 

 

 「さ、皆さん。乾杯しましょうか」

 

 

 

子供達の戯れる姿を眺めていた秋子が音頭をとる。

その言葉を受けて各々がグラスを持つ。

 

 

 

 「それじゃ私が言うよ〜。祐一、お帰りなさいっ!!」

 

 

 

名雪が掛け声をかけ

 

 

 

 『乾杯っ!!』

 

 

 

カチンッ♪

 

ガラス同士が当たって軽やかなメロディーを紡ぐ。

皆の顔に笑顔が浮かぶ。

祐一との七年ぶりの再会を祝って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「美味い!」

 

 

 

祐一は早速料理に手を伸ばす。

皿にたくさんの料理を載せて。

まるで子供みたいに。

 

 

 

 「祐一さん、そんなに慌てなくてもいっぱいありますよ」

 

 

 「何を言う佐祐理さん! こんなに美味いものを前に落ち着いてなど居られるか? 

  いや居られるわけがない!」

 

 

 「そう言って貰えると作った甲斐がありますね〜」

 

 

 「特にこのから揚げが絶品っすよ」

 

 

 

祐一はから揚げを一個つまみながら言った。

佐祐理はとても嬉しそうな顔をする。

 

 

 

 「えへ、実はそれ私が作ったんですよ」

 

 

 

祐一の手が止まる。

 

 

 

 「はぇ?」

 

 

 

祐一は皿をテーブルに置き、佐祐理の手を握った。

真剣な瞳でじっと佐祐理を見つめる。

ただそれだけで佐祐理の鼓動が早まっているのを祐一は知らない。

 

 

 

 「合格」

 

 

 「な、なにがですか?」

 

 

 「俺の嫁に」

 

 

 

ボンッ!!

 

 

 

佐祐理の顔が真っ赤に染まる。

無理も無い。

 

 

 「はえぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!????」

 

 

 

熱に浮かされた様に真っ赤になって絶叫する佐祐理。

期待しなかったと言えば嘘。

けれどここまでストレートに言われるとも思っていなかった。

傍から見ればプロポーズとも取れなくもない。

 

 

 

 「やっぱり料理が上手な女性ってのは魅力的だよな、うんうん。

  佐祐理さんは美人だし、優しいし、気立てもいいし、料理も出来る……完璧だ」

 

 

 

佐祐理の手を取りながらしみじみと言う祐一。

冗談なのか本気なのかもよくわからない。

 

 

 

 「はえ〜〜〜〜」

 

 

 

トリップしまくっている佐祐理。

割と、いや、かなり嬉しそうだ。

 

 

 

 「姉さんもあれがなければいいのに……」

 

 

 

一弥は一人グラスを傾けて姉の錯乱を眺めていた。

その視線に諦めが入っているのは致し方ないことか。

 

 

 

 「仕方ないのではありませんか?」

 

 

 「美汐さん」

 

 

 

美汐が一弥の隣に立った。

 

 

 

 「佐祐理さんが祐一さんに弱いのは周知のことでしょう?」

 

 

 「……確かにそうですけどね。何と言うか、その……。

  もう少し余裕があってもいいんじゃないかな? って思うんですよ」

 

 

 「それは言えますね。舞姉さんもそうですし……」

 

 

 「結局のところ、全部兄さんが原因なわけですけど」

 

 

 「祐一さんを恨んでいるとでも?」

 

 

 

ブッ!

 

一弥は美汐のその言葉に飲んでいたレモンスカッシュを噴き出しそうになった。

美汐はそんな一弥を見て笑っている。

 

 

 

 「美汐さん、いくらなんでも冗談が過ぎますよ。

  僕が兄さんを恨むなんてことあるはずがないのに……」

 

 

 「すみません。ちょっとからかってみたくなりました」

 

 

 「全く……。今の僕達があるのも兄さんのおかげなんですから。

  あんまり変なこと言わないでくださいね」

 

 

 「以後気をつけます」

 

 

 

美汐は涼しい顔で一弥の忠告を受け流す。

一弥は溜息をついて残りのレモンスカッシュを飲み干した。

祐一もそうだが、自分達はどうにも幼馴染の少女達には勝てないらしい。

幾ら強くなったと言っても、所詮はこんなものだな。

一弥はそれを痛感しつつ、彼にそう思わせるに至った美汐は既に彼から離れていた。

 

笑う皆を見て一弥は思う。

 

 

 

 『本当に今の自分があるのは兄さんのおかげだ』

 

 

 『出来ることなら姉さんのことを任せたいくらいだけど……』

 

 

 

でもそれを言うわけにはいかない。

人様の恋愛沙汰に口を出すということを自分は好まないし

それになにより。

 

 

 

 

 

 

 

 『今はそんなことを考えていられる余裕はない』

 

 

 

自分も兄も。

抱えた悲しみはあまりに大きい。

でもいつかは自分もそういうことに興味が行くようになるのかもしれない。

 

 

 

誰かを好きになること。

 

『全て』が終わったのなら。

 

それもいいかもしれない。

 

『彼女』はもうこの世にはいないのだから―――――。

 

 

 

 

 

一弥は自分の左手首に巻き付けられた青色のリボンを見つめていた。

夕焼けに映えるプラム色の髪をした『彼女』の形見を。

代えがたい宝石を、慈しむかのように。

 

 

 

片羽根の少女。

満月を冠したその名がよく似合う、愛おしい君を想う。

 

 

 


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