彼は悲しみを知った。

彼は苦しみを知った。

彼は心が壊れていくのを感じ取っていた。

彼女がいなくなったという現実から逃れようとした。

それは目の前の――化け物が望むことだった。

 

 

 

 『永遠』

 

 

 

帰還者は言った。

空虚な声で彼を引き込もうとした。

 

 

 

 『永遠に来れば彼女に逢える』

 

 

 

帰還者が言った。

それはとても魅力的な提案だった。

今目の前で倒れている――死んでいる少女に逢える。

それは自分にとって何よりも素敵なことだと思えた。

 

彼は立ち上がった。

導かれるままに帰還者に近づいて行く。

帰還者の異形の手が彼の頬に触れようとしたその瞬間。

彼の唇に血の味が広がった。

 

 

 

 

その味は今さっき味わった彼女の血。

暖かく、冷たい、涙と鉄の混じり合った――――――彼女の血だった。

 

 

 

 

自分の中の何かが告げる。

 

 

 

 『現実を認めろ』

 

 

 

血の味が高速で体中に広がっていくのが知覚できた。

 

 

 

 『永遠なんて無くなればよいのじゃ!』

 

 

 

彼女の言葉が脳に響く。

 

 

 

 

 

 

 

彼女は強かった。

いつも自分を助けてくれていた。

弱音を吐く自分。

力に驕る自分。

強い、女の子だった。

 

 

彼は刀を取った。

彼女の護り刀を。

刀は彼を主と認めた。

 

 

彼は絶望に負けなかった。

悲しみに崩れゆく自分の心を叱咤して。

愛する少女のためにも。

 

蒼く輝く銀の光が疾る。

 

後に残ったのは

少女を抱きしめ声無き声で泣く

一人の剣士。

 

 

 

 

 

 

Eternal Snow

4/歓迎

 

 

 

 

祐一は扉を開けた。

 

 

 

響き渡るのは、クラッカー音。

 

 

 

突然の大音響に目を丸くする。

クラッカーの紙ふぶきが祐一の身体に降り注ぐ。

 

 

 

 「おっかえり〜〜〜〜!!!」

 

 

 

全身で歓びを表すように、突撃してくる影。

 

 

 

 「ふごっ!?」

 

 

 

祐一の鳩尾に綺麗にきまる何者かの頭。

亜麻色の髪をリボンで結んだ少女だった。

誰かすぐにわかった。

名雪の妹、つまり、もう一人のいとこ。

 

 

 

 「ま、こ、とぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 「あ、あぅ」

 

 

 

彼は荷物を持たない右手で少女――真琴の頭を掴んだ。

グッと力を込める。

 

 

 

 「あう、痛い痛い!」

 

 

 「俺の方がもっと痛いわ〜〜〜」

 

 

 

そのまま10秒くらい続けられる。

その間、部屋にいる他の誰も真琴を助けはしなかった。

自業自得だ、それを皆がわかっていたから。

 

 

 

手が離される。

既に真琴は涙目だ。

姉である名雪が多少なりとも介抱する。

その間に勝手に再会劇は進む。

 

 

 

 「おかえり、祐一っ」

 

 

 

まず初めに挨拶したのは先ほど玄関で祐一にタックルした

長い黒髪を後ろで纏めている美人。

 

祐一は返事しない。

 

 

 

 「祐一、無視するわけ?」

 

 

 

黒髪美人はその顔をぷぅと膨らませている。

むつけているわけだが、美人な顔にギャップがあって可愛さを強調している。

祐一は記憶を辿る。

幼馴染の中でここまで透き通った黒い髪を持っていたのは――

 

 

 

 「舞、か?」

 

 

 

美人――舞の顔に弾けるような笑顔が戻る。

 

 

 

 「なぁに? 祐一ってばあんまりにもわたしが綺麗だから

  誰なのかわからなかったのかなぁ〜〜〜?」

 

 

 

からかうように意地悪く言う舞。

 

 

 

 「あ、ああ」

 

 

 

素直に認める祐一。

特に意識しての発言ではない。

 

 

 

ボンッ!

 

 

 

彼女の顔が真っ赤に染まる。

からかってやるつもりが自滅した。

 

 

 

 「そんな……て、照れちゃうよ。えへへ

 

 

 

何かを小声でぶつぶつ呟く。

そんな舞を押しのけてやってくるこれまた美人。

一弥と同じ髪の色。

その髪を纏める緑のチェックのリボンは祐一が昔プレゼントしたものと同じデザイン。

 

 

 

 「佐祐理さん、ただいま」

 

 

 「おかえりなさい、祐一さん」

 

 

 

何故か敬語だが、これが彼女の祐一へのスタンスだから仕方ない。

親友達や弟にはわりとくだけた話し方をするのだが

祐一だけは特別らしい。

幼い頃からそうだったのだから今更祐一もなにも言わない。

むしろそれで慣れてしまっている。

 

 

 

 「随分背が伸びましたね〜、昔は私の方が高かったのに

  もう祐一さんの方が私より目線が上ですね」

 

 

 「あはは、七年たったからね。そりゃそれくらいは伸びるって」

 

 

 「やっぱり男の人ってたくましいです」

 

 

 「別に俺は大したことないって」

 

 

 「そんなことありませんよ〜」

 

 

 

そう言いながらにこやかに笑う二人。

流石は幼馴染。仲が良い。

七年の間を経て再会を果たしたとは思えないほどに。

 

 

 

 

 

なごやかな時間は突然の終幕を迎える。

 

 

 

 「はえ!?」

 

 

 

さっきの舞と同じく押しのけられる佐祐理。

次に祐一の前に立ったのは栗色の髪に赤色のカチューシャをつけた女の子だった。

そのカチューシャも祐一がこの女の子にプレゼントしたものだ。

使い込まれているのがよくわかる。

ところどころ色が褪せていた。

けれど大切に使っているのが伝わってくる、そんな色あいだった。

 

 

 

 「よっ、あゆあゆ」

 

 

 

祐一は即答した。

笑顔で祐一の前に現れた少女――あゆは怒る。

無理もない、他の皆に比べ扱いがぞんざい過ぎる。

 

 

 

 「それだけ!? あゆあゆってどういうこと! 久しぶりの再会だよ!? 

  佐祐理さんにはちゃんと挨拶したのになんでボクだけ〜〜」

 

 

 

怒りを前面に出して抗議するあゆ。

しかし祐一の方が一枚上手だ。

 

 

 

 「よかったなあゆ、世界初だ」

 

 

 「ぜんぜん嬉しくないよ!」

 

 

 

そんなこと言ったら再会と同時に体当たりをくらった祐一だって

ある意味世界初ではなかろうか。(しかも四人)

だが彼は気にしない。

今は目の前の少女をからかえればそれでいい。

 

だから言う。

 

 

 

 「お前、あんまり変わってないな」

 

 

 

その言葉は褒めているのかけなしているのか。

 

 

 

 「そんなことないよ、ちゃんと背も高くなってるし」

 

 

 

確かにそうだ、彼の記憶にある少女よりは背が高くなってるが……。

彼の視線は、あゆのある一点に固定されている。

やらしい意味合いではなく、純粋な哀れみの目。

 

 

 

 「胸ないな」

 

 

 

祐一は率直な感想を述べた。

先ほど体当たりを受けた時、唯一胸の弾力を感じられなかったのが記憶に新しい。

ダメージを受けながらもやることはやっていた祐一に乾杯。

 

 

 

舞と佐祐理と名雪は素晴らしかった。

特に舞はなんていうか次元が違った。

ボン! キュッ! ボン! って感じだった。

 

 

 

祐一は未だ真っ赤なままの舞に目線を送りながらあゆの胸を見た。

 

……何も言えなかった。

あえて目をそらしたのは、やはり哀れむ気持ちがあったからこそ。

 

 

 

ズガァァァァァンッッッ!!!

 

 

 

あゆの心情を語る擬音はこれが一番相応しかろう。

祐一の視線に気がついたあゆはショックのあまり地に落ちた。

自分のコンプレックスをずばり言われたことに加え

自分達の中でもっとも優れたスタイルを誇る舞と比較され

しかもなおかつ哀れみの視線を送られたことが少女のなけなしのプライドを粉々にした。

(身長とのバランスを考えれば彼女も意外にスタイルは良いのだが……)

 

後ろでそれを見ていた某二人がさりげなく目を逸らす。

誰も気がつかなかった。

 

 

 

 「あんまりあゆちゃんをいじめちゃ駄目よ、祐」

 

 

 

さっき彼を恐怖に陥れた狂気の女神――香里。

先ほどの威圧感が消えている。

逆に怖かった。

 

 

 

 「だって面白いんだから仕方ねーだろ」

 

 

 「まぁね」

 

 

 

二人揃ってフォローすらしない。

哀れなり、あゆ。

 

 

 

 「それじゃあ改めて、お帰りなさい。祐」

 

 

 「ああ、ただいま。香里」

 

 

 

数年来の幼馴染は息が合っていた。

言葉を聞くだけなら夫婦のようだった。

実の所、香里はそう思っている。

なので結構機嫌が良いのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 「次はわたしだよ、お帰り! 祐一っ」

 

 

 

真琴の介抱を終えた名雪が祐一の下へやってくる。

幼い頃の三つ編みは止めたのだろう。

髪をストレートに流している彼女は昔より可愛いかもしれない。

 

 

 

 「おう、帰ってきたぞ。これから宜しくな名雪」

 

 

 「うん!」

 

 

 

嬉しそうに微笑む名雪。

 

 

 

 

 

 

その顔を見て

 

僅かに

 

ほんの一瞬

 

『彼女』の顔を

 

思い出してしまった。

 

 

 

 

 

 

それでも動揺を顔に出しはしない。

 

 

 

 『似ていない』

 

 

 

祐一はそう心の中で言った。

別人なのだから当たり前だ。

でも言わなければボロが出てしまいそうだった。

 

 

 

 「お母さんから聞いたよ、これからうちに住むんだよね?」

 

 

 

名雪が話題を提示してくれたおかげで祐一は意識を保てた。

 

 

 

 「ああ、いつまでかはわからないが厄介になるぞ」

 

 

 「いつまでって……祐一の生まれた所なんだからずっと居ていいに決まってるよ」

 

 

 「そうだな」

 

 

 

祐一と名雪はそう言って笑う。

内心に秘めた想いは、お互いに異なったまま。

 

 

 

 

 

 

 『いつまでここにいられるのだろう?』

 

 

 

祐一の心のどこかにそんな言葉が浮かんだ。

自分はいつか死ぬかもしれない。

任務が終わればここから去ることになるのかもしれない。

自分を大切にしてくれている少女達を置いて。

 

 

 

 「祐一?」

 

 

 

一瞬だけ記憶が飛んでいた。

 

 

 

 「ああ、何でもない」

 

 

 「ほんと?」

 

 

 「実はあんまりにも名雪が可愛いもんだから見惚れてた」

 

 

 

ボンッ!

 

 

 

さっきの舞の様に真っ赤になる名雪。

とりあえず誤魔化せたらしい。

祐一は安堵した。

 

 

 

 『私は!?』

 

 

 

まだ祐一に可愛いと言ってもらっていない佐祐理と香里が祐一に迫る。

あゆはショックが大きすぎて復活まではまだ遠い。

 

 

 

哀れなり、あゆ。(part2)

 

 

 

 「も、勿論佐祐理さんも香里も綺麗だぞ」

 

 

 『本当(ですか)!?』

 

 

 「イ、イエス」

 

 

 

何故か英語で答える祐一。

何故かは自分でもわかっていない。

 

とりあえず二人の剣幕が落ち着いたので良かったのだろう。

四人は嬉々としてその場を離れ……あゆは無視された。

 

 

哀れなり、あゆ。(part3)

 

 

 

まぁ、彼女は放っておいて正解だろう。

あの傷は時間しか解決しないだろうし。

 

 

 

 「ご無沙汰しています。お元気そうでなによりです、祐一さん」

 

 

 

年に見合わない程に丁寧な挨拶をする少女。

淡いローズカラーの髪。

こういう反応を返す人物といえば――

 

 

 

 「美汐」

 

 

 

彼女しかいない。

 

 

 

 「何ですか?」

 

 

 「そこまでいくと物腰が上品と言うより……おばさんくさい」

 

 

 

言いえて妙である。

当たっている気もするがそうではない気もする。

要は受け取り方の差だけだと思うのだが――

 

 

 

 「失礼ですね! いきなり会って言うことがそれですか!?」

 

 

 

かなり怒っていらっしゃるようだ。

年頃の女の子に向かって言う言葉ではない、誰が見ても祐一が悪い。

 

 

 

 「あ、いや、その……すいません」

 

 

 「他に言うことはないのですか?」

 

 

 「……相沢祐一、ただいま帰りました」

 

 

 

気を取り直した美汐は、笑顔を浮かべて

 

 

 

 「おかえりなさい」

 

 

 

と言ってくれる、その姿はおばさんくさくなかった。

一弥はそれを見ながら苦笑している。

 

 

 

 「一弥さん、何か?」

 

 

 「いいえ。何でもありませんよ」

 

 

 

それでも一弥の苦笑は止まらない。

美汐はばつが悪そうに口を尖らせていた。

祐一に見せた笑顔も、一弥の言葉に拗ねるその姿も、年頃の女の子に相違なかった。

本人に自覚は無いようだけれど。

 

 

 

 「最後になっちゃいましたね、お帰りなさい祐一さん」

 

 

 

彼女の言葉通り、最後に祐一の前に立った少女――栞。

 

 

 

 「ん、ただいま栞……かなり調子良さそうじゃんか」

 

 

 

栞は口を尖らせた。

別に病気にかかったことなどこれまででちょっとしかないというのに。

酷くてもインフルエンザがいいところだ。

 

 

 

 「何ですか、まるで人を病人みたいに」

 

 

 「充分病気だろ、その胸」

 

 

 

祐一はからかうことを止めない。

 

 

 

ぺたぺたぺったん、ぺったんこ

 

 

 

15歳の成長期にいるわりには栞の胸は小さかった。

 

 

 

 『あゆと大して変わらんな』

 

 

 

祐一はそう思った。

美汐にも言えることだったので視線がそっちにも向いた。

先ほどあゆから視線を逸らした二人、実は祐一、しっかり気付いていた。

実際、祐一の属性を考えれば同じ室内の出来事なんて余すことなく理解出来る。

 

 

 

 「に、兄さん」

 

 

 

一弥の怯えた声。

 

 

 

 「どした? 一弥」

 

 

 「僕は知りませんよ」

 

 

 

一弥は青い顔で言い残し、同様の顔色をした真琴と共に

未だ消沈中のあゆを引っ張って姉達の消えた方へ入っていく。

 

 

 

その場に残されたのは祐一と美汐と栞だった。

味方はいない。

生贄の羊を取り囲む二人の闇の魔術師が降臨した。

後は語るまい。合掌。

 

 

 


inserted by FC2 system