Eternal Snow

34/目覚める朝

 

 

 

 (う……うわぁ、ぐっ! あぁぁぁぁっっっ――っ!)

 

 

 

声にならない悲鳴、流れ落ちる汗。

体中を駆け巡る悪寒。

頭は至極すっきりしているのに、ハンマーで殴られたような痛みがあって。

さっきから鳴り響いている携帯の目覚まし音なんて聞こえない。

 

金縛りにあったかのような緊張感。

休憩を与えないかの如く襲ってくる『何か』の羅列。

呼吸すら怪しくなり始める。

吸っても吸っても酸素は体に宿らない。

吐いても吐いても何も出ない。

 

 

 

 

夢に喰われる恐怖。

夢に襲われる恐怖。

夢にキボウなんて残ってなくて。

夢に安息なんてないかのように。

 

 

 

 

ただ、最後に彼は呟いた。

それは目覚ましの音で誰にも聞こえなかったけれど。

それはあまりにも小さくて自分自身にすら聞こえなかったけれど。

それはあまりにも突然で、記憶にすら残らなかったけれど。

 

 

 

 「あ、さ、ひ――」

 

 

 

と。

彼は確かに呟いた。

 

それからどれほどの時間が経ったのか。

部屋に響いていた目覚ましの音は既に聞こえない。

 

 

 

 「――様、―いさま、――兄様、朝ですよ、起きてください」

 

 

 

誰かが彼を起こす声がする。

夢うつつで彼――桜井舞人は、その声が妹――『桜井 桜香』のものであると気付いた。

本年10歳を迎える実の妹。

『桜の香』と書く美しい名前の持ち主。

名付け親はなんと舞人、彼曰く「直感」だそうだ。

色々物議を醸しだしそうな話だが両親も賛同し、意外にすんなり決まった。

 

黒曜石のような髪とアクアマリンのように蒼く澄んだ瞳。

ふわっ、と広がる肩まで伸びた髪は彼女の優しさを表すかのように。

美しい名を持つ少女は、名前の通り純粋で優しい少女に育った。

それが兄である舞人の密かな自慢。

 

可愛い妹に起こされては起きるしかない。

体に力を入れ、目を開けようとした。

が、動かない。

 

またか、舞人は心で溜息をついた。

これはよくあることだった。

悪夢を見た日の朝は必ずこうなってしまう。

桜香には悪いが、あとしばらくは動けないだろう。

 

 

 

 (すまん、桜香よ。兄様はもう……駄目だ)

 

 

 

とかなんとか思ってるところを見ると、結構元気そうな気がするが。

 

 

 

 「……仕方ないです……お母様〜」

 

 

 

桜香は諦めた。

舞人にとっての死刑宣告はこの時に下された。

 

 

 

 (待たれよマイシスター! よりにもよって『奴』を呼ぶなぁ〜っ。

  頼む桜香! お願いだから兄ちゃんを見捨てないでくれ〜〜〜〜!!!)

 

 

 

動かない体と出ない声でいくら暴れてもどうしようもない。

うむ、久々にこのフレーズを使おう……合掌。

 

 

 

 「何だい、桜香?」

 

 

 

桜香の声に返ってくる女性の声。

年の頃は――言わないでおこう、命が惜しい。

とりあえず言えるのはとてもとても17歳と10歳の

息子、娘がいるとは思えないほど若いということだけ。

 

桜香を成長させたかのような外見を持つ彼女の名前は『桜井 舞子』。

舞人・桜香の実の母である。

舞人が世界で恐れるたった二人のうちの一人。

彼自身の性格の原点は舞子から来ている。

要するに唯我独尊タイプとでも言おうか。

 

 

 

 「どうしたの?」

 

 

 「兄様が起きて下さらなくて」

 

 

 「あの馬鹿息子。桜香がせっかく起こしてやってんのに……許さん」

 

 

 

……彼女、息子には厳しいが娘には甘かった。

 

舞人は動かない体を恨んだ。

ドスドスと聞こえてくるのは死刑を告げる断頭台の死神の足音。

 

 

 

 (あ〜! あのクソアマ! 桜香に甘いのもたいがいにしやがれ!)

 

 

 

その声が舞子に聞こえていたら彼の命は無かっただろう、比喩抜きで。

ついでに舞人も桜香に甘いのを忘れている。

似たもの親子だった。

 

 

 

 「おいこら舞人! いい加減起きな!」

 

 

 

元ヤン? と勘違いされそうなドスのきいた声を張り上げる舞子。

一応注釈すると元ヤンではなくDDEだ。

しかもG.Aの二つ名持ちで、名を【将軍(ジェネラル)】。

桜井舞子、実はエリートだったり。

そんな訳だから彼女は自分の息子が神器であることを知っている。

というより、息子=弟子だったりする。

 

 

 

 (とっくに起きとるわ! 体が全くいうこと聞かん!)

 

 

 

沈黙をどう受け取ったのか、舞子は首を回した。

 

 

 

 「おいこのボケ。動けないのはあんたの気合不足だ、修行が足らん」

 

 

 

気が付いていたらしい、流石は母親。

 

 

 

 「よって気合を入れてやろう」

 

 

 

彼女はそのおみ足を上げ、舞人の『みぞおち』に落とした。

人体の急所、鳩尾に。

 

……酷い母親だ。

 

 

 

 「ぐぼおぁっっ!! おえ……か、はっ」

 

 

 

それがいいショックになったのか、舞人は腹を押さえて必死に呼吸を開始した。

思考なんて既に死んでいる。

 

 

 

 「よ、おはよ舞人。朝飯出来てるからとっとと降りてきな」

 

 

 

何事もなかったかのように振舞う舞子。

相手は神器なのだから確かにこの程度で死にはしないだろうが、それでも痛いことは痛い。

よって逆ギレした。

 

 

 

 「おいこのくそばばあ! てめえ息子を殺す気かああっっ!!!」

 

 

 

それも無理ない、個人的には激しく同意したいのだが……相手が悪かった。

舞子はそのこめかみに青筋を立てる。

 

 

 

 「………………元気有り余ってんなら……少しくらい無くなっても構わんな?」

 

 

 

それからのことを語るのは気の毒すぎる。

ひたすらに蹴りまくられた。

食事を取ったころには、既に15分以上経っていた。

その間ひたすら蹴られたのだ。

原因は一応彼にあるが、これは虐待だろう。

息があるのはひとえに彼の強さ故か。

 

 

満身創痍で学園へと向かう舞人と、横を歩く元気な桜香。

彼は帰りにご機嫌取りの酒を買って帰ることを約束させられた。

当然、舞人の金で。

 

桜香はそんな兄の苦労など知らず、近所に住む彼女の幼馴染にして

舞人の弟分――『佐伯 和人』の家へと向かう。

 

 

 

 「それでは兄様、いってらっしゃいませです」

 

 

 「おう、桜香も気をつけろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、桜香と別れた直後

 

 

 

 「やっほー、さくっち」

 

 

 「せんぱい、おはようございます。本日はお日柄もよく、素晴らしい朝ですね」

 

 

 

二人の少女が舞人に声をかけてきた。

 

 

 

 「よう。雪村、星崎」

 

 

 「わあ、いつも最低一度は雪村のことを無視するせんぱいが

  今日は物凄く珍しく真っ先に声を掛けてくれました! 

  素晴らしい一日が確約されました、そして遂に雪村の愛が通じたんですねっ」

 

 

 「朝からテンション高い奴め……こちとら朝からハードラックで辛いっつーの」

 

 

 

舞人に声を掛けた少女二人、前者の小町は説明いらずとして、

もう一人の少女――『星崎 希望』。

希望と書いて『のぞみ』と読む。

 

細身の体に乗った小さな頭、チェックのリボンで纏められた長い黒髪。

整った容姿はどこぞの芸能人ともひけをとらない。

本人の預かり知らぬところでは『桜坂学園のプリンセス』とさえ呼ばれている。

舞人のもう一人の幼馴染。

 

ちなみに彼ら三人、揃って桜坂学園の制服を着ている。

男子の制服は蒼と白の縦ストライプ、女子は赤と白の縦ストライプで

一年生である小町は緑色のネクタイ、

二年生である舞人と希望は黄色のネクタイを着けている。

 

 

 

 「ハードラック? 不運って言いたいの? 何かあったの、さくっち?」

 

 

 

さくっちとは舞人のあだ名である。

今のところ彼をこの名で呼ぶのは希望を含め二人。

 

 

 

 「まさかせんぱい、まだ体調が優れないんですか? 昨日よく眠れなかったとか……。

  そ、それとも雪村の料理が不味かったですか?」

 

 

 

少し焦った小町の声。

二人の横を歩きながら、ヒラヒラと手を振る舞人。

 

 

 

 「違う違う。そんなことはなかった、昨日の件は素直に感謝してやろう。

  あの飯は美味かった。以後精進するように。またいずれ頼むことがあるやもしれん。

  ……不運というのは今朝おふくろにボコられたことだ」

 

 

 「お任せください! お望みなら毎日でもっ! 

  まぁそれはともかく、お母様に? 何やらかしたんですかせんぱい」

 

 

 「人聞きの悪いことを言うな。今朝は俺の目覚めが最悪でな、

  金縛りにかかっているというにあの女……いきなり俺の鳩尾に蹴りかましやがった。

  その後文句言ったら延々15分蹴たぐられた」

 

 

 

要点を述べるとそういうことになる。

その内容に戦慄した希望と小町は舞人に同情の視線を向けた。

 

 

 

 

だが希望はそれで終わらない。

 

 

 

 「ねえさくっち、昨日の件って何?」

 

 

 

最初は明るい声、『何?』のフレーズでは妙に低く聞こえた。

得体の知れない恐怖が訪れる。

 

 

 

 (なにゆえにこちらのお姫様はご機嫌悪いとですか? 

  ……今の流れで星崎が怒る場面なんてあったのか?)

 

 

 

物心つく前からと考えて、幼馴染になってかれこれ15年近く経った気がするが

未だに彼女や小町の考えはよく分からない。

『女心と秋の空』――ポエマー舞人でもこればっかりは理解しえない。

 

 

それが女の子特有の『嫉妬』という感情だとは気付きもしない。

 

 

 

 (おい雪村、何で星崎のやつは機嫌が悪いんだ)

 

 

 (ゆ、雪村に訊かれましても……ここはせんぱいが悪いということで)

 

 

 (こら! どうしてこの俺が悪いんだ、

  下々の者達に慕われ続ける崇高な舞人様の責任だと? メスブタが、恥を知れ!)

 

 

 (うわぁ〜相変わらず訳のわからない独善的な考えかっこいー。

  でもでも、雪村はどこまでもせんぱいに付いていきますから。

  まぁそれはともかくですね、薄幸の美少女雪村の命は

  せんぱいに懸かっておりますので。愛しい愛しい小町さんを

  助けると思って、犠牲になってください)

 

 

 (つっこむべきところは大いにあるが待てい我が相方! 

  貴様一人生き延びるつもりか!?)

 

 

 (希望先輩を敵に回すのは得策ではありませんので。せんぱい、ご武運を)

 

 

 

アイコンタクトで意思疎通を図る舞人と小町。

長年の付き合いが可能にさせるのか、それとも小町の愛が可能にさせるのか。

定かではないが、二人とも揃って忘れていることがある。

 

希望は今、ひじょ〜に機嫌が悪いということ。

完璧なアイコンタクトは舞人と小町。

そして……それは『希望』を含めた『三人の間』において発生するものだということ。

 

 

 

 

 

 

 

ピキーーン

 

 

 

 

 

 

嫉妬が殺気に変化した。

 

 

 

 (さくっちと小町ちゃん二人ともとっても仲がいいんだね〜。

  あんまり仲がよさそうで妬けちゃうな〜。うんうん、妬けちゃう妬けちゃう)

 

 

 

アイコンタクトに乱入する希望。

三人(傍目には)仲良く歩きながら視線を交差させ続ける。

 

 

 

 (や、やばいですよせんぱい! こちらの考えは全て漏れてます!)

 

 

 (おちつけ雪村三等兵、下手なことを考えては我らの共倒れとなりかねん)

 

 

 (は、はいっ。……ところで三等兵って、なにげに雪村の扱い酷くありません?)

 

 

 (何を言うか。雪村如き下賎の犬に称号を与えてるだけでもありがたいと思え)

 

 

 (は〜、そうですよね。雪村なんてそんなもんですよね。でも出来れば……

  雪村的にはその……せんぱい限定のお妾さんとか肉奴隷とかの方がマシなのですが。

  も、勿論せんぱいが、そ、そういったことをお望みでしたらいつでも……)

 

 

 (ぬ……。はっ!? ばばば馬鹿を言うなメスブタぁっ!! 無意味に育った

  貴様の胸なぞに欲情するわけがありません! プッシィップッシィッ!)

 

 

 (…………さくっちは変態。さくっちは淫逸。今一瞬小町ちゃんの裸考えたー! 

  くきぃー! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!!!!!!!)

 

 

 

手に持ったカバンで舞人を何度も叩く希望。

かなり怒っている様子なのだが、さっきから一言も喋っていない。

それなのに会話がきっちり成立しているのが実に不可解だ。

 

念の為注釈すると、小町のスリーサイズは88/60/89、

希望は86/57/86、である。

どちらも目劣りするようなものではない。

更に追記。

最近雪村嬢、ブラのサイズをDからEにあげるべきだと店員に言われたらしい。

 

 

通り過ぎる通行人たちがさっきから彼らに振り返っている。

目立って目立って仕方が無い。

三角関係のもつれとも見て取れる。

……あながち否定できないところが痛いのだが。

 

 

 

 「いて、痛いって! 星崎っ、何怒ってるのか説明くらいしやが……いえ、して下さい」

 

 

 

ようやく声を出した舞人は威勢良く怒鳴り返そうとしたが、希望の剣幕に負けた。

桜坂学園に存在する『星崎希望親衛隊』が今の彼女を見たらどう思うだろうか。

まぁそんなことはともかく、

 

 

 

 「……昨日の料理ってどういうことか説明しなさい」

 

 

 「そんなことか? いや、別に大したことじゃないぞ。要するに――」

 

 

 

昨日の事情を説明する、当然DDにいたことは伏せる。

 

 

 

 「……なんだぁ。うん、そっかそっか。小町ちゃんが原因を作ったんだから

  それは義務みたいなもんだよね。どうして私を呼んでくれなかったのーとか

  ちょっとだけ悔しいけどそういうことなら仕方ないよね。

  うん、しょうがないしょうがない」

 

 

 

小町と視線を合わせ、お互いに舌を出して何らかのサインを交わす。

 

 

 

 「悔しい? 何が?」

 

 

 「なんでもない! さ、早く行こうよさくっち、小町ちゃん! 遅刻しちゃうよっ」

 

 

 「おい、どういうことだよ?」

 

 

 「せんぱい、気にしていてはいけません、早く参りましょう」

 

 

 

一人だけが何もわからないまま、それでも平和な朝が始まる――。

 

 

 


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