Eternal Snow

16/騒々しい一日の始まり

 

 

 

 「さん……に…さん!…兄さん!」

 

 

 

朝から響く少女の声。

未だに眠る兄を懸命になって起こそうとしている。

まさに妹の鏡。

 

 

 

『可愛い妹に起こしてもらう』

 

 

 

世の中に多くいるであろう生意気な妹を持った兄からすれば

涎が出るほど羨ましいシチュエーションであると思われる。

 

 

 

 「起きてよ〜。兄さぁん」

 

 

 「zzzzzzz……」

 

 

 

そんな贅沢な行為を味わう兄はウンともスンとも言わない。

兄の名前は朝倉純一。

これでも四人目の神器、『玄武』その人だった。

 

 

 

 「もう! 兄さんってば!」

 

 

 

首に巻かれた鈴付きのチョーカーが印象的な少女。

彼女の名前は朝倉音夢。

風見学園に通う純一の義妹である。

 

義妹という言葉に違和感を覚える人もいるだろう。

読んで字の如く、彼女、朝倉音夢は純一との血の繋がりはない。

二人が幼い頃、音夢の本当の両親は事故で命を落とした。

他に親族がいなかった音夢は、両親の親友であった今の父母に引き取られた。

その生活に音夢が苦痛を感じることはなく、本当の娘として育てられてきた。

偶然にも兄となる純一と誕生日は同じであったため、彼らは双子として暮らす。

 

二人が実の兄妹ではないことを知っているのは

ごく親しい間柄にある一部の人間だけだった。

 

いつまでたっても起きない兄に怒りを覚える音夢。

 

 

 

スゥ――ッ

 

 

 

何故か一瞬、周辺の空気の色が変わった気がした。

体感温度が下がった気がするのはまったくの気のせいだろう。

 

 

 

 「そうですか。起きないんですね? 私がこんなに一生懸命になっているのに」

 

 

 「zzzzzzzz」

 

 

 

それにともなって彼女の口調が至極丁寧なものへと変わる。

純一の様子を確認するように、一言一言噛み締める。

あまりに危険な兆候だった。

この状態の音夢は『裏モード』と呼ばれ、必要以上に他人行儀になる。

 

 

 

『笑顔で爆弾を投下する性格』

 

 

 

そんな状態の彼女を純一はこう評する。

 

音夢は一旦ベッドから離れた。

部屋の本棚をあさり、『何か』を手に再びベッドへ。

 

 

 

 「兄さん、最後のチャンスですよ〜。起きてください♪」

 

 

 

音夢は手に『何か』を持って笑顔を浮かべている。

それはもう本当にいい笑顔だ。

このまま殺人でも犯してしまいそうな位にいい笑顔だった。

 

 

 

 「う……むぅん……zzzzzzz」

 

 

 

彼の反応は薄い。

 

 

 

 「5・4・3」

 

 

 

音夢の小さな唇がカウントを刻む。

数字が進むにつれて笑顔の濃度が増してゆく。

 

 

 

 「2・1」

 

 

 

笑顔が最高点に達し――

 

 

 

 「ゼロ」

 

 

 

カウントが止まる。

 

 

彼女の手の中にあった『何か』=『広辞苑』が

無防備な純一の腹部目掛けて――

 

 

 

 「ふごっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹筋に力を入れていたとしてもその一撃は堪えたはずだ。

眠っていたのなら衝撃を逃がすのは不可能。

神器であろうとなかろうと関係ない。

何よりこの島でその事実を知っているのは支部長官だけである。

 

故に、嫌でも目を覚ます。

 

 

 

 「おはようございます、兄さん」

 

 

 

音夢はのたまった。

犯人に後ろめたさは微塵もない。

清々しい笑顔。

仮に犯罪に手を染めた後だとしても、この笑顔を向けられては誤魔化せるかもしれない。

 

 

 

 「げほっげほっ……。音夢、いき、なり、なに、しやが……る」

 

 

 

目覚めた純一は腹部を押さえながら言った。

正に気息奄々の風体だ。(『息も絶え絶えで今にも死にそうな様子』という意味)

 

 

 

 「何おっしゃってるんですか兄さん? 

  先ほどから私は兄さんを起こそうと何度も声を掛けましたが?」

 

 

 

彼女の目は笑っていなかった。

底冷えする笑顔とはこういう顔を指すのかもしれない。

『笑顔で爆弾を投下する性格』とはよく言ったものだ。

 

 

 

 「くっ……」

 

 

 

純一は押し黙る。

今の彼女が『裏モード』であることを察知したからだ。

勝ち目は……無い。

 

 

 

 「早く着替えて降りてきてくださいね。それでは」

 

 

 

オホホホホと捨て台詞を残し、音夢は純一の部屋から出て行った。

その姿は妙に優雅だった。

 

 

 

 「音夢の奴、毎日毎日やることが荒いんだよ……ったく」

 

 

 

純一はベッドから降りて、クローゼットに掛けられた制服に着替え始める。

黒の学ラン、それが彼の通う風見学園男子生徒の制服だった。

 

 

 

 「はぁ……今日も学校かよ、かったるぃ」

 

 

 

溜息を吐きつつ袖を通す。

鞄を取ってそのまま一階へ降り、洗面所にて顔を洗う。

支度が済んでリビングへ顔を出すと

 

 

 

 「おはよ〜♪ お兄ちゃん!」

 

 

 

『金髪ツインテール幼女が現れた!』

 

 

 

 「てぃ」

 

 

 

『純一は金髪ツインテール幼女のタックル攻撃を避けた』

 

 

 

 「む〜!避けないでよ〜」

 

 

 

『金髪ツインテール幼女は威嚇した!』

 

 

 

 「いきなり飛び込んでくるさくらが悪い」

 

 

 

『純一は反撃の口撃をした』

 

 

 

 「もう、二人とも。朝からうるさい」

 

 

 

『悪の女王音夢が現れた!』

 

 

 

 「……………………」

 

 

 

『悪の女王音夢は沈黙している』

 

 

 

 「お兄様? いったい何時までおふざけになっていらっしゃるおつもりですか?」

 

 

 

『悪の女王音夢は裏モー』

 

 

 

 

 「死にたいんですか?」

 

 

 

音夢が右手をボキボキと鳴らす。

 

 

 

 「すいませんでした!」

 

 

 「お兄ちゃん。RPGのモノローグを気取るのは止めたほうがいいよ」

 

 

 

この金髪ツインテール幼女……もとい、彼女の名前は芳乃 さくら。

純一の従姉にあたる少女である。

そう、『従姉』である。

外見年齢はどう贔屓目でみてもせいぜい12歳が関の山だろう。

 

だがしかし、彼女はれっきとした16歳……純一や音夢と同い年だった。

彼女は朝倉家の隣の家に住んでおり、こうして朝はよく朝食を一緒に摂っているのだ。

 

 

 

 「大体悪の女王ってどういう意味ですか」

 

 

 「幼女っていうのもボクとしてはアングリーだね」

 

 

 

音夢とさくらの怒りがリビングを覆い尽くす。

露骨なまでの殺気に縮み上がる純一。

 

 

 

 「だって当たってるじゃん……

 

 

 

純一は二人に聞こえない程度の声でそっと言った。

無駄な抵抗である。

 

 

 

 『何か言った(仰いました)?』

 

 

 「地獄耳」

 

 

 

その一言が余計だった。

 

 

 

 

音夢はいい笑顔を浮かべながら

 

 

 

カチャ

 

 

 

愛用の二挺の拳銃『チェリー』&『ロンドベル』を構える。

既に威嚇射撃をする気はないらしい。

 

 

 

クルッ

 

 

 

さくらは自らの名前と同じ鮮やかな桜色のロッド『ブロッサム』を一回転させる。

こちらも臨戦態勢を整える。

 

念のため言っておくと。

二人には『可憐なる狙撃手』・『無垢なる魔法使い』という二つ名があった。

前者が音夢、後者がさくら。

 

事実はどうであれ、校内屈指の雑魚とまで噂される純一に未来などなく。

 

 

 

 『兄さん・お兄ちゃん……覚悟はいい?』

 

 

 

微笑む二人。

目はちっとも笑っていない。

 

 

 

 「ないって言ったら……?」

 

 

 

僅かな希望に縋る純一。

例えそれが無駄だとわかっていても。

 

 

 

 『問答無用!』

 

 

 

彼はその後約5分、二人の攻撃に見舞われることになった。

合掌。

 

……自業自得とも言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「痛っう……」

 

 

 

体の各節々を押さえながら純一が呟いた。

何気に服の下を狙ったらしい。

顔に傷はついていなかった。

 

 

 

 「兄さんが悪いんです」

 

 

 「お兄ちゃんが悪い」

 

 

 『ねー』

 

 

 

二人は純一の両隣を歩きながら言った。

その顔に邪気は欠片もない。

 

右に音夢、左にさくら。

ちなみに今は登校中。

あの後、どうにかこうにか復活した純一は慌てて食事を済ませ

なんとか登校できたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

桜が舞い落ちる並木道を歩き学校へと到着。

 

 

 

『風見学園』

 

 

 

七星学園・桜坂学園と並ぶ日本三大DDE養成校。

純一と音夢はそこの生徒である。

 

ならさくらは? という疑問もあるだろう。

 

 

 

 「それじゃあ叉後でね、お兄ちゃん、音夢ちゃん」

 

 

 「転ぶなよ〜」

 

 

 「兄さん、さくらはあれでも先生なんだよ」

 

 

 

なんと驚くことに音夢の言う通りである。

芳野さくら、外見はどこから見ても小学生だが

その実IQ180オーバーの才媛なのだ。

高い知能を買われ、ここ風見学園の講師の立場にある。

彼女は正に「人は見かけによらない」を実践していた。

 

 

 

 「まぁな」

 

 

 

適当に相槌を打つ純一。

もう、と軽く頬を膨らませつつ純一と共に校舎に入る音夢。

 

 

 

 

 

 

さぁ、戦いも何もない平和で騒々しい一日の始まりだ。

それは平凡だけど、掛け替えの無いものなのだから。

 

 

もう手に入らないあの穏やかな安らぎとは違うけれど、

平和であることに変わりは無いから。

 

 

得がたい何かが其処にあるから、彼は日々を生きる。

充分に苦しんでいるから、楽になりたいと思わなくもないけれど。

 

 

 

 

 

彼の何かは安らぎを享受する。

 

彼の何かは狂気を忘れない。

 

 

 

心は、『真実』と『偽り』という二つの仮面を彼に与える。

 

 

 

 

 

漫然とした日々は、今この瞬間も流れていく。

二つの仮面は、純一の心を覆い尽くす。

流れ逝く時間の奔流に、流されないように。

 

 

 

 

 

――――――世界は。

 

 

 

――――――気が狂いそうになるほどの平穏と。

 

 

 

――――――極限の絶望に覆われたまま。

 

 

 

――――――有限にして、永劫なる『時』を奏で続ける。

 

 

 


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