Eternal Snow

147/物語と幻想

 

 

 

 『始めよう――――俺達の物語を』

 

 

 『終わらせよう――――俺達の幻想を』

 

 

 

形ある“物語”と、形無き“幻想”。

失った何かを信じた者は幻想だと言い放ち、失った何かを惜しむ者は物語だと叫ぶ。

信じた想いは前を走る強さとなり、惜しむ想いは後ろを突き進む強さに変わる。

同じ“強さ”を有しながら、向いたベクトルは異なった。

神器という道筋を選んだのも、永遠という道程を進んだのも、理は同じ。

同じ“過去”を抱えた二人。それはつまり根底にあるものでさえ同じ。

だからこそ――――理解し得ないものもある。

 

 

 


 

 

 

下らないと一笑に伏すのは簡単だった。

神奈は永遠を望まないし、観鈴はきっと泣いているから。

翼人と共に生き、その想いを勝ち得た自分達にとって、永遠は紛れもなく敵。

誰に言われなくても、そんなことは理解している筈だ。

おそらく、この場に居る他の誰よりも自分達はそれを知っている。

知っていなければいけない義務がある。だと言うのに、彼は永遠に堕ちた。

 

下らなくて、頭に来た。認められなくて、殴り飛ばしたかった。……ただ、それでも。

 

――――お前なら、解るだろう?

 

解らないさ。解りたくもない。でも、解ってしまう。解っちまう。

往人がどれだけ観鈴を大切に想っていたかが解るから、心に躊躇いが浮かぶ。

“己れ”は、神奈の想いに従った。従ったからこそ永遠を選ぶ愚は冒さなかった。

自分の道が間違っているなんて欠片程も思わないが、

往人の選んだ道は、自分には選べなかった道。選びたかった道。

それを、心の何処かでは羨ましいと思っている。思ってしまっている。

大好きな人のために、自分の全てを投げ出せる強さ。

往人の在り方は、そんな強さ。その強さが欲しかった。

それだけの力があれば――――喪わずに済んだかもしれないから。

 

 

 

 「北斗を渡せ」

 

 

 

彼は声を発する。祐一を見つめる瞳は、冷たかった。

歯噛んだのは祐一だけ。往人は眉一つ動かさずそう告げる。

 

 

 

 「お前が永遠を選ばないのなら、それでいい。それが、お前の強さなんだろう?」

 

 

 

喩えるならば、祐一の姿は『折れ曲がることの無かった剣』に他ならない。

己は曲がってしまった。歪んでしまった。その所為で真っ直ぐに斬り裂く強さを失った。

穢れ磨耗し削れて錆びた一振りの刀……それが自分。

迷い苦しんで、それでも目を背けない強さ。現実と戦い、諦めない心。

そんな強さが欲しかった。前を向き続ける勇気が欲しかった。

欲しかったけれど、手にすることは出来なかった。

もしその勇気と強さがあったのなら、忌むべき永遠を否定できたかもしれない。

だからこそ……祐一が羨ましかった。その全てを手に入れた彼は、強いから。

目の前に存在する親友は、永遠を否定した。それは、至れなかった己の姿。

弱き自分を嘲笑うかのように、真っ直ぐな刃を。その蒼銀を握っている。

 

 

 

 「俺は永遠に堕ちて……お前は神器に昇り詰めた。

  同じ道を歩いてきた筈なのに、変われば変わるな?……お互いさ」

 

 

 

“己れ”は……後悔も、枷になる倫理も、己を縛る何もかもを失った。

失って得た強さだった。死法剣の名は、正しくその象徴。

だから、後悔はしていない。後悔するという想いすら棄てたのだから。

けれど、祐一は違う。何もかも棄てずに、約束すらも棄てずに。想いも棄てずに。

真っ直ぐなままに、此処にいる。神器という力を手にして、自分に牙を剥いている。

その力在る瞳を見ていると、思う。

 

――――俺は、本当に必要な何かまで失ったのかもしれない。

 

 

だとしても、失ったからこそ言える言葉もある。

一片の羽根を握る。愛した少女の形見を、解き放つ。

蒼銀と対になりし、もう一つの刃。

 

 

 

 「顕現せよ――――翼王」

 

 

 

朱紅の鞘に眠るのは、朱金の刀。

神尾観鈴に与えられた翼人の秘宝。護り刀。

仮初の主となった往人は、その悲しみを運ぶ担い手となる。

 

 

 

 「往……人っ」

 

 

 「お前が北斗を渡さないとしても、関係無い。

  腕の一つも斬り飛ばせば、同じことだろう?」

 

 

 

感情を削ぎ落とし、心を凍らせて、目的を果たす。

分かり合えぬ『同士』は、所詮敵に過ぎない。

 

 

 

 「構えろ祐一。俺は、お前を殺せる」

 

 

 「……らしいな。だったら俺は、お前を停める」

 

 

 「停まらないさ。そういう葛藤も忘れちまった」

 

 

 

浮かべた微笑は、昔と何も変わらなかった。

何もかもが変わってしまったというのはただの錯覚だと思わせる程に。

やれるものなら、やってみろ……そんな挑発をするように。

 

 

 

 「……俺を停めるつもりがあるなら、殺せ。

  そうでもしなきゃ、俺は停まらない――――!」

 

 

 

表裏一体。正道なる力と、邪道なる力が激突する。

選択した道の違いが力の違いとなり、今あるべき姿の違いとなる。

“違い”……即ち“異なり”とは、互いを理解し得なくする一つの鍵。

鍵穴が一つしか存在しない錠前に、二つの鍵は在り得ない。

 

 

 

 「祖の型――――――空刃!」

 

 

 

蒼銀の刀、北斗の空刃。

 

 

 

 「祖の型――――――空刃!」

 

 

 

朱金の刀、翼王の空刃。

 

全く同じ構えから、全く同じタイミングで全く同じ剣閃が煌く。

唯一の差異は生じる色に他ならない。即ち、蒼銀と朱金。

喉が声を発すると同時、中空で剣気が激突する。

それは、互いにとって言葉にならぬ会話なのかもしれない。

迷いも戸惑いも悩みも苦しみも、その全てを代弁する。

 

空刃は互いの想いを描く。

心に澱み消えぬ過去の傷と、何より『彼女』らへの想いを顕在化させる。

想いの名は“愛情”。悲恋に終わった二人だからこそ。言葉では、停まらない。

今の一撃は、一つのことを祐一に教えてくれた。

言葉なぞただの飾り。歩んできた互いの道は、その程度の事では揺るがない、と。

なれば、やはり手段は残らない。

どれだけ語っても無駄ならば、どれだけ訴えても無益ならば、

己の力で相手を屈服させる以外に、戦いを終える手段は無いのだから。

 

祐一は、往人を停めるために。

往人は、祐一を倒し、北斗を奪うために。

今この瞬間だけは、神器であるという題目も、使徒であるという定義も関係なかった。

己は相沢祐一という剣士であり、己は国崎往人という剣士以外の何物でもない。

神奈と共に歩んだ一人の男として。観鈴を傍に置いた一人の男として。

――――ただ、剣を振るうのみ。

 

 

 

 「雄オォォォォォォォォッッッッッッ!!」

 

 

 

祐一が唸りを挙げる。剣撃が舞う。

 

 

 

 「覇アァァァァァッァァッッッッッッ!!」

 

 

 

往人が轟きを挙げる。剣閃が轟く。

 

 

 

 「祖の型――――空刃!」

 

 

 「祖の型――――空刃!」

 

 

 

斬り結ぶ剣撃と剣閃に想いを乗せて。蒼銀に祈りを込めて。朱金に願いを込めて。

代わり映えの無い一刀を。しかし絶対なる一閃を……叩き込む。

その中で生まれた祐一と往人の雄叫びは、『闘う』という覚悟の顕れ。

 

互いの刃はやはり中空で衝突し、剣気が霧散し余波が生まれる。

“待ち”に徹し合った二人は、その場に腰を据えて一刀を放つ。

鞘に納刀し、抜く。その動作は単純であるからこそ速く、速さ以外に追及するモノもなく。

祐一が放った剣気を往人は打ち払い、往人が撃ち抜いた斬撃を祐一は薙ぎ消す。

先の先を読み合い、先の先の先へと至り、後の先を取り合って剣が舞う。

鍔がキィン、と鳴り出す時には一閃が走り、既に刃は眠りに付く。

眠りと目覚めを繰り返す剣の舞。斬って、斬って、斬って、斬り刻む。

フェイントを織り交ぜてタイミングをずらしても、速度に勝る抜刀術には意味は無い。

抜刀術とは、刃を放つと同時に刃を納めるという“速度”にこそ核がある。

互いの斬撃は互いの速度が帳消しし、互いの速度が互いの斬撃を食い止める。

同じ剣閃を描く空刃は、幾度も衝突する内に混ざり合って「朱銀」と「蒼金」に輝き出す。

振り続けることによって生まれる汗はこめかみを伝って頬へと至る。そう、涙の如く。

 

抜刀術の真髄が発揮されるためには“待ち”の状態であることが要求される。

だが、幾度振り合っても何も変わらない。そのことは祐一も往人も解っている。

待ちを捨てて“動かなければ”互いの目的は果たせない。

判断と結論を同時に出した祐一は、納刀した直後に牽制の風刃を放つ。

剣気とは違う鎌鼬を目晦ましに使い、爪先で地面を蹴り飛ばす。

地面と平行になるほど真正面に特攻し、抜刀。

抜刀術は確かに待ちの体勢からこそその本領を発揮するが、

常に一切動かない戦闘がある筈もない。だからこそ空閻式という業において、

“動かない”等と云う限定された条件下でしか放てぬ空刃なぞ下の下である。

あらゆる状態に持ち込まれても、刀がある限り抜く……それこそが空閻式の技法なのだ。

 

 

ちなみに。

『地面が無いなら空を踏みぃ。海しかないんやったら水の上に立たんかい!』

……そう教えられて『無茶だっ!?』と喚き、『気合やっ!』と返された過去がある。

 

 

加速という条件を付随させて放たれた祐一の空刃は、狙い違わず往人に迫る。

秒単位で反応が遅れれば、彼の身体は間違いなく剣気によって切り刻まれる。

そんな刹那の世界の中で――――往人は迷わなかった。

納刀していた翼王を垂直に構え、刃を半分程度引き抜く。

キィン、という甲高い音の先、鞘の中より振り抜かれることなく

溜まってしまった剣気が余波となって、一本の細長い盾となる。

祐一の風刃と空刃はその盾によって両断され、

往人はそのままの体勢より素早く納刀し抜刀。

位置関係の都合上、突撃してくる祐一はそのままいけば一瞬で“なます”と化す。

しかし放った往人自身が、そんな簡単に終わる訳もないと知っていた。

 

――――どう避ける?

 

そんな挑発する瞳を向けられて、祐一が応えない筈もない。

自分の体そのもので螺旋を描くように身体を捻り込む。

直進する勢いに乗じて回転を掛けることで己の軸をずらす、ただそれだけ。

剣気は所詮「線」の攻撃。如何に速く如何に強くとも、触れなければ意味がない。

“当たる”筈だった空間から飛び退けばそれで回避が成立するのである。

尤も、回避方法が解った所で「速度」に秀でるその技を見切ることは困難なのだが。

結果として回避に成功した祐一は、そのまま肩先から往人へと突貫する。

所謂「ショルダータックル」を叩きつけて、その拳を頬へと送り込んだ。

音だけで鈍痛だと解る強い音を響かせて、祐一は怒鳴りつけた。

 

 

 

 「馬鹿野郎!」

 

 

 

何を言っても無駄だろうと理解していたから、飾った言葉なんて思いつかなくて。

もっと云えば、殺す気でいる往人に通じる言葉なんて無かったのかもしれない。

だけど。それでも。いや、だからこそ。単純な憤りが言葉に変わった。

 

 

 

 「……知ってる」

 

 

 

殴られた行為に怒る訳でもなく、彼は寂しそうな目でそんな言葉を吐いた。

泣かずに泣いているような……そんな瞳だった。

その瞳を浮かべたまま、往人は刀を振るう。己の目的を果たすために。

 

 

 

 「っ! こ、のぉっ!」

 

 

 

殴り飛ばせる程の至近距離で、二振りの刀が鍔を競う。

距離が近い所為なのか、互いに納刀することさえせずに刃を交わす。

銀と金の火花が散り、朱と蒼の波紋が煌き続ける。

力任せに振り払うこともあれば、技巧によっていなし、反撃することもある。

祐一が右胴への斬撃を放てば、往人が左胴への一撃を放つ。

得物の尺は全く同じ。双対として誂えた刀故、その間合いは熟知している。

だからこそ防げないと解れば一歩引く。皮一枚というスレスレの範囲で刃を躱す。

避けられる斬撃を避け、防げる斬撃を防ぎ、合間を縫い込んで斬り合う。

しかし斬り合っても斬り合っても明確な傷にはならず、与えられるのはかすり傷だけ。

それは祐一に限らず、往人も同じ。基本的な技巧が切迫しているからこそ、差が出ない。

祐一が神衣を纏い力を振るえる状態であろうと、往人が使徒としての力を使いこなそうと

所詮それは『出力』を上げるだけのことであるから、純粋な技巧の域には影響しない。

いや、本来ならば影響するのかもしれないが、この戦いに限っては寧ろ邪魔でしかない。

 

 

 

 「――――ら、あァッ!」

 

 

 

幾度目かの鍔迫り合いの後、空間を歪め展開された地面を抉る程の

剛刀を往人が放ち、受け止めた衝撃で祐一の剣先が一瞬鈍る。

本当に僅かな一瞬の隙を逃すことなく、彼は翼王を煌かせる。

一、二、三、四、五……呼気を取り込み吐き出すだけの間の中での連撃。

二撃弾かれるも、ある一刀は祐一の大腿部を裂き、ある一刀は右上腕を傷付けた。

逆に、弾ききれなかった攻撃を浴び祐一の顔に苦悶が浮かぶ。

彼の刀を握る指が僅かに震える……客観的に見て、それは確かに隙だった。

だが、その間を突くのは普通ならば無理だろう。極々僅かの震え。隙とは云えない隙。

しかし、相手はあくまで国崎往人。「速度」という力を持つ男。

往人とて頭で考えた訳ではない。ただ、幾度も刀を振るってきた経験が機を告げた。

蹴り飛ばして距離を取り、空刃を放つだけの空間を生み出す……と同時に、

剥き出しの真剣を瞬間に納刀し、納刀した瞬間に抜刀し、抜刀した瞬間に納刀する。

その一連の動作を理解出来たのは、斬撃を浴びることとなる祐一だけ。

そして。鈴の音に似た音が奏でられた直後、祐一は胸元から袈裟に沿って血を吹いた。

 

 

 

 「が、あっ……!?」

 

 

 

此処まで来て初めてまともに浴びた斬撃が

最も威力の高い空刃であったことが不運だった。

身体がくっ付いているのが不思議だと思う程に、見事に喰らった。

痛みの所為で意識が飛びそうになり、膝から力が抜けていく。

そのまま前のめりに倒れれば、往人は間違いなく刀を奪うことだろう。

喰らった瞬間に垣間見えた冷ややかな瞳は、無理やり感情を削ぎ落としていたから。

祐一の内心は歯噛みしていても、身体が付いて来ない。気持ちだけが空回る。

『くそ……っ』という悪態を零すことも出来ず、その身は重力に圧し負ける。

声にならない苦痛が漏れた。そして、痛みが訪れた。

 

 

 

 「っ!?――――……っぅ!」

 

 

 

前言撤回。祐一は圧し負けなかった。

膝が力を失うと同時に、膝に限らず祐一の全身に痺れが走った。

飛び掛けた意識が繋がった。爪先に力を込めて片足を前に出し、倒れ伏せる己が身を御す。

 

 

 

 「つぁ……がはっ!」

 

 

 

地面を踏みしめ、血によって神衣を穢しながらも……祐一は其処に立っていた。

 

 

 

 「何?」

 

 

 

その有り様を見て、思わず往人が呟く。

追撃しなかったのは、せめてもの手向けのつもりだった。

己の我侭で彼を斬ったのだから、倒れ伏してから北斗を奪えばそれでいいと思ったのだ。

そう思う程に完璧に空刃を叩き込んだ。なのに、彼はまだ倒れない。その瞳は“強い”まま。

 

微笑を浮かべたくなる程、祐一は感謝した。今、己が何故耐えられたのか解ったから。

気力で持ち直した訳ではない。“想い”で負けたくなくて頑張れた訳ではない。

全身に走ったこの痺れは、戦闘前に一弥が「臆病者」と自分に浴びせた雷撃の余波。

神衣が誤魔化していた痛みが、意識を飛ばしかけた一瞬に戻ってきたのだ。

そのおかげで空刃のダメージで麻痺した神経が目を覚まし、自分を立ち直らせてくれた。

 

 

――――お前の言う通りだったよ一弥。多分どっかで臆病風に吹かれたらしい。

 

――――助けられてばっかで……不甲斐無い兄貴で、ごめんな。

 

 

そう思えた自分に、そのきっかけをくれた一弥に、感謝した。

もしその言葉が一弥の耳に入ったなら、きっとそれ以上の感謝を送られるだろう。

往人の眼前で風を編み込み止血を済ませ、唇を噛み締めながらも嬉しそうに口を開く。

 

 

 

 「悪りぃな往人。俺には頼もしい弟が付いてんだよ!」

 

 

 

体勢を立て直した祐一は空中に階段があるかのように空を舞い、上空から刀を振る。

鞘に納めることはせずシンプルに振り下ろす。

落下の勢いを上乗せして、往人の肩を狙う。

対する往人は頭の上で翳すように構えた翼王でその斬撃を受け止める。

散り咲き響く剣音は、何度も奏でられた硬質音。

刃を弾かれて地面に足が触れ、祐一は即座に打って出た。

定石も何もあったものではない我武者羅な斬撃を繰り出す。

何も考えずに放たれるソレは、何も考えていないからこそ読めない。

先の先やら後の先、そんなものを考えられる余裕が無い。

 

往人は打たれた剣閃にその場その場の反応だけで切り結ぶ。

一合結んで二合弾く。三合絡ませ四合切り伏せる。五合六合と繰り返し、

七合八合九合……互いにどれだけ結び続けているのか解らなくなる程に刀を振るい合う。

 

 

――――斬!

 

――――斬!

 

 

交し合う中に高度な読み合いは無い。己の勘と戦闘反射に依存しきった刃の舞。

一分という時間が短く、逆に一秒という時間が長い。

時間感覚を忘れる位に腕を振り始めて幾度目、二人が全く同時に剛の斬撃を打つ。

刀に似遣わない重低音が弾け合い、祐一と往人の距離が広がった。

 

 

 

 「空刃っ!」

 

 

 

空気を取り込んでいないのだろう、掠れながらの異口同音。二重に響く同じ言霊。

本能的に斬り合っていたから、何も考えず間髪入れずに抜刀する。

浮き出た玉の汗は風に靡き、その僅かな雫を空刃が薙ぎ払う。

疾る刃は、互いの背後に存在する結界へと吸い込まれた。

 

 

 

 「つ、はぁ……はっ!」

 

 

 「ぜ……く、か……ぁっ」

 

 

 

斬り合いの中、呼吸を忘れていた。

思い出したように肺が酸素を取り込み、息切れする音が静かに響く。

神器であろうと使徒であろうと、肉体という縛りからは抜け出せないから。

つーっと頬を撫でる汗が、やけにひんやりと肌に残る。

が、硬直していても始まらない。いつ死ぬか判らない緊迫感を背負ったまま

二人は全く同じタイミングで、瞳と瞳を射抜き合った。

 

 

 

――――――空刃!

 

 

 

無音のまま唇を動かして北斗を抜き、翼王を抜く。何度目の空刃かも解らなかった。

弾き合う音は一種の共鳴音。刀が奏でた音は哀しみの萌芽か。

蒼銀と朱金の剣気が鍔迫り合い、重なり合って昇華する。

射抜く瞳はかつての親友を「敵」と見た。そう、親友という名の「宿敵」。

 

 

 

 「羅、鳴呼ぁぁぁぁぁっっ!」

 

 

 

【神器】として風を纏う者が、駆け出す。

 

 

 

 「殺ぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 

 

【永遠】として“法術”を操る者が、大地を蹴る。

それは。背中を預け合い、共に戦う筈だった『義兄弟』の狂宴。

空間を軋ませるのかと感じる程に、強く哀しい二人の叫び。

 

 

 

絶対に、忘れたりしない!――――その魂が、刃に力を与える。

必ず、取り戻してみせる!――――その慟哭が、刃を強くする。

奥底にある言葉は、【愛情】。

 

 

 

斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬!

 

 

 

二人の剣。

同じ師に学び、同じ技を覚え、同じように人を好きになった。

翼人の伴侶として共に歩むことを望み、そう信じて進んできた過去がある。

だからこそなのだろう、根底にあるその剣筋は限りなく似ていた。

 

二人の歩んできた道は、本当によく似ていたと言っていい。

空閻式という流派を体得したことも勿論だが、その生まれも酷似していた。

祐一が「相沢」――――G.A【零牙】の息子であるように、

往人もまた「国崎」――――G.A【斬鬼将】の息子。

自らの父親を師とは仰がず、母親の親友たる女性の下を訪ねたことでさえ、同じ。

彼らは全く別の人間でありながら、まるで鏡の如き道筋を辿ったと云える。

 

得た力も同じ、歩んだ経験も同じ、誰かを好きになることも同じ、失ったことさえ同じ。

異なったのは一点。現実を受け入れ前を向いたか、夢想に魅入られ歩みを停めたか。

 

 

 

斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬!

 

 

 

 「往人ォォォォォッ!!」

 

 

 

蒼銀が奏でるその叫びは、星を鳴かせて。

 

 

 

斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬!

 

 

 

 「祐一ィィィィィッ!!」

 

 

 

朱金が謳うその嘆きは、月を哭かせる。

 

 

 


 

 

 

幾度も幾度も弾かれ、その度に刃を振るい、ゴールなき回廊のように停まらない。

祐一が上段に振るえば、往人がそれをいなし、下段を斬りつける。

同じことの繰り返しの中で、金と銀、朱と蒼が交錯し、激しく踊る。

いくつもの傷を生みながら、二人の剣士が刀を振るう。

 

その光景は無為。無意味。無価値。

追い求める先にあるのは幻想で、所詮物語の一ページに過ぎないから。

だが何故だろう? 不思議と輝いていた。魅せられると言ってもいい。

映る剣閃はまさしく閃光。飛び散る火花は金色と銀色を明るく照らす。

秘めた想いも、願った未来も、求めた現実も、何もかもが……遠くて。

 

 

 

 「「っァあア嗚呼ぁアぁッ――――――!!」」

 

 

 

弾き、斬り結び、喰い殺し合う。

嫌になるほどの互角は、二人の剣戟を狂わせる。

刃は決して鈍らず、暴走しながら……正確に互いを討つ。

狂うことで内面の狂気に触れ、速度は更に増す。狂乱の斬撃が暴れ狂う。

 

しかし、暴れれば暴れる程に解ることがある。

このままでは体力ばかりが奪われて、何も成し得ない、と。

停めることも叶わなければ、奪うことも叶わない。

それは、この戦いそのものを無意味と評することと何も変わらない。

 

だから結論する。答えに帰結する。

何を起こすべきなのか。何をすれば変わるのか。祐一は、心で呟く。

 

 

 

 (……“同じ”じゃ、変わらない)

 

 

 

何処まで行っても自分達は“同じ”。

ならば、勝機は? 何を成し得れば勝てるのか? 往人は、心で呟く。

 

 

 

 (俺が掴んだ、俺だけの技)

 

 

 

――――“俺”だけの、空閻。

 

 

 

空刃は、何処まで行っても『祖の型』に過ぎない。

構えも剣筋もその速度も、基本的な部分は同一。

師ならば別だろうが、自分達の空刃では差を埋めきれない。

つまり、空刃で決着をつけることは叶わない。祖の型ではない、己だけの空閻式。

それを使わなければ『祐一』には勝てない。『往人』には勝てない。

同じ結論に至ったことを、お互いの瞳が語る。

 

空閻式抜刀術唯一の「伝承」技、名を空刃。

唯一、正統に伝承される型。幾千幾万、或いは幾億繰り返した原初の剣技。

故に、祖の型。空閻式には基礎を形作る他の剣技なぞ存在しない。

だが、存在しないからと言ってそれで終わりではない。

 

『空』を斬り裂く『閻』魔の業。

“業”とは産み出されるモノ。創り出すモノ。

存在しない業を、自らの手で『創造』する。

それこそが唯一伝承される祖の型の真意。

 

神奈を失った祐一は、苦しんで足掻いて哀しんで、業を産み創った。

観鈴を失った往人は、嘆き哀しみ磨耗し歪み軋み、業を産み創った。

故に。彼らにとって、“祖”を示す空刃以外の全てが、もはや別物。

哀切の中に開眼した祐一の奥義。慟哭の中に開眼した往人の奥義。

道を違えた以上、奥義の型は一致しない。宿命は、袂を分かつ。

 

 

 


 

 

 

 「過去が、俺を狂わせた」

 

 

 

往人の口が語り、空間を越えて会場に響く。

自覚して狂った。願いを手にするために狂った。

 

 

 

 「過去が、俺を壊していった」

 

 

 

対する祐一の口が語り、空間を震わせ会場に響く。

壊れかけた。喪失がそれまでの自分を変えてしまった。

 

 

 

 「……それでも、譲れないものがある」

 

 

 「……だからこそ、譲れないものがある」

 

 

 

二つの言葉。どちらがどの言葉を言ったのかはもう関係無い。

狂ったからこそ譲れない。壊れたからこそ譲れない。

結局の所、譲れないことに変わりないから。

 

必殺一刀の間合いを保ち、蒼銀と朱金が鞘に眠る。

見守るしか出来ない観客と化してしまった生徒達でさえ、

あまりにもゆっくりとした動きだ、と思うほどの遅さで。

祐一は鞘を腰に運び、自然体で足を開き、基本的な抜刀の構えに入る。

往人は無造作に左手で鞘を持ち、右手で握りを掴むだけ。

互いに癖の無い単純な体勢。それだけで技を読むことは不可能。

 

 

 

 「……は。解る筈もないだろう? 俺とお前の空閻は、もう別物だ」

 

 

 「……だな。これで同じなら、堕ちなかった俺が報われない」

 

 

 

息を潜め、思考を巡らせる。

先手をとるか、後手に回って動きを見るか……先の先を読むか。

引き伸ばされた一瞬の世界。その瞬きの中で、祐一は往人の瞳を見た。

タイミング? 機会? 俺達の戦いにそんなものが必要か? と云わんばかりの視線を。

迷っても無駄。迷ってはいられない。己の道を信じるのみ――――!

 

二人は全く同時に叫ぶ。

その一瞬だけは共通の意図を持って。

 

 

 

 「「空閻式抜刀――――」」

 

 

 

空を断ち切る己が剣。

永遠斬り裂く己が刀。

現実を狂わす己が刃。

 

 

先に動いたのは、往人。

 

 

 

 「―――――斬月!」

 

 

 

其が名は、月を斬り裂く朱金の刃紋。

無造作に構えた刀を上段から抜刀し、只振り下ろすだけの一刀。

技も何も無い単純な技に見えるかもしれないが、

往人の長身で上段から抜刀を放つということは、重心が下に向く分勢いがつく。

それに併せて鞘走りを加える、普通に剣を振り下ろすソレとは威力が違う。

撃たれた剣閃は三日月を描く。故に、斬月。

 

空刃よりも長大なる剣気。空刃を根底に置き、空刃に勝るとも劣らない剣閃。

現実を棄てながらそれに至った彼は、やはり空閻式に連なる者だった。

先手を打たれた以上、今更彼の技を止められはしない。

分かたれた道が異なって、至った答えが違う。俺は俺で、アイツはアイツだから。

ならば、己は何を得たのか。それを見せるのは今を置いて他に無い!

 

 

 

 「――――弐式、巨門っ!」

 

 

 

蒼銀が冠する銘は北斗。彼が導き出した技の名は、七星を構成せし煌きの一片。

蒼銀と剣技が融合し、一つの名称を創り出す。即ち、“北斗七星”。

 

巨門が司るは「防御」の型。

祐一は構えのまま腰を大きく捻り、正面から背中が見える程に引き絞る。

斬月の剣閃が寸前に迫ったその瞬間、張り詰めた弓の弦を弾くように北斗を抜く。

横一文字の軌跡を経て、空刃に匹敵する斬撃が飛ぶ。が、技はそれで終わらない。

捻り込んだ反動を殺さず、放つと同時に踵を上げ、その場で回転する。

それによって全方位に刃が向き、初太刀の横一文字を含めて接近を赦さぬ防御技となる。

祐一は回転している最中に納刀し、再び往人の正面に向いた瞬間に次撃を放つ。

回転は二周目に突入し、祐一は再び同じタイミングで抜刀する。

連続で放たれた三条の剣閃は往人の放った剛の一刀と触れ、一本目は削ぎつつも消滅。

継いだ二本目が衝突し、力の流れを分散させるも消滅。

残った本命の三本目が疾り、斬月の剣閃と激突。そこでようやく互いの技が霧散した。

空刃という根底の中から派生して生まれた業――――“斬月”。

空刃という原本の中より派生して生まれた業――――“巨門”。

 

 

 

 「どう足掻こうが、“空刃”は俺達の中にある……ってか?」

 

 

 

往人は自嘲する。

互いという存在が真っ直ぐであろうと歪み曲がろうと、元は同じ刀だと判る所為で。

同じであるのは虚しいだけ。だから彼は揮うことを決意した。

祐一が持ち得ない力。観鈴も使えず、神奈も揮えぬ力。己の一族が有する、力。

往人が告げる言葉は、祐一にとっての絶望の引き金となる。

 

 

 

 「久々に見せてやるよ。俺の、法術を」

 

 

 

往人の瞳に力が宿り、直視した祐一の動きが鈍る。

 

 

 

 「!?」

 

 

 

往人は右手を祐一に向ける。その合図は法術を使う証。

祐一の体が鈍ったのも法術が原因で、既に避けたくとも避けられない。

 

 

 


 

 

 

――――法術。

 

彼の一族だけに宿った特殊な力。能力に酷似しながらも厳密には“能力”では無い力。

【人形遣い】としてしか使われなかった筈の法術。

 

 

 『人は俺をはぐれ人形遣いと呼ぶ! さぁ称えろ!

  いやっほーぅ! 国崎最高ー!…………なぁ頼むよ、突っ込んでくれ虚しいから』

 

 

 『ほ〜ら、人形劇の始まりだ。よってらっしゃいみてらっしゃい!

  糸も無ければ能力でもない、不思議な不思議な人形劇をご覧あれ〜』

 

 

 『血生臭いことは嫌いなんだよ。こうやって人形劇でガキどもを楽しませて

  金を貰って気ままに生きる。それが一番俺には向いてんのさ』

 

 

 

他人から見れば下らないことだったかもしれない。

だけど、楽しそうに笑って人形を操っていた往人。

皆がそれを茶化し、苦言を呈す。それでも其処には笑顔があった。

 

 

 

 『往人、それつまんね』

 

 

 『何ぃ、俺の素晴らしい人形芸にケチをつけんのか!』

 

 

 『往人殿。祐一の言う通り面白くないぞ? 全く、才能が無いのかのぅ』

 

 

 『ぐ……うぅっ』

 

 

 『神奈ちゃん、言い過ぎ。元気出して往人さん、わたしこれ好きだよ』

 

 

 『そうだよな観鈴! へっ、芸の何たるかも知らねぇ

  祐一や神奈に俺の芸の何が判るってんだ』

 

 

 『にはは。往人さん、ふぁいと〜!』

 

 

 『……どう思う、神奈?』

 

 

 『言うまでもあるまい。ばかっぷる、じゃな』

 

 

 『が、がお。……神奈ちゃんと祐一さんには言われたくない、かも』

 

 

 『覚えてろよお前ら。絶対俺の新ネタ人形劇で抱腹絶倒させてやらぁ』

 

 

 『まぁ笑うってことは絶対無いと思うけど。

  どっちにしたって往人一人じゃ絶対無理だ。観鈴に手伝ってもらえよ?』

 

 

 『うむうむ。その方がまだ少なからず可能性があるのぉ。

  尤も、アレが面白いという時点で姉上には期待できぬが』

 

 

 

法術は、平和的な力だった。

誰もが楽しい気持ちになれるはずの特別な力。

過去を彩る上で、欠かせない存在だった。

 

その力は、決して、暴力のためにあったのではない。

その力は、決して、人殺しのために使っては……ならないのに。

 

 

 


 

 

 

 「法術解放。空閻式抜刀――――死連星(シレンセイ)」

 

 

 

縛! 斬斬斬斬斬斬斬――――――斬!

 

 

呪縛が走る。身を固められる。法術による束縛。

痛みによる悲鳴。悲しみによる慟哭。過去の回帰による、憧憬。

 

 

――――叫びは“声”とならず、ただの“音”のまま、祐一の口から洩れる。

 

 

法術によって祐一の動きを束縛し、その隙をついての連撃。

紛れもなく、法術を利用した技。血生臭い暴力に法術を使った。

いや、それだけでは飽きたらず、永遠を穿つべき空閻の名すら与えた……悪夢。

 

 

 

 「ぐ……かはっ」

 

 

 

口から零れたのは、音と紅い液体。

内蔵がイカレタ。心がイカレタ。自分達の過去が、イカレタ。

 

往人の連撃を避ける手段がなく、全てを浴びた祐一の神衣は更なる血で赤く滲む。

攻撃の直後法術による束縛は解けたものの、ダメージは明らか。

それでも刀を取り落とすことなく、倒れもしないのは祐一の強さだった。

 

 

 

 「急所を外した覚えはないんだけどな。無意識に手心でも加えちまったか。

  ……それともお前がしぶといだけか?」

 

 

 「てめ……ゆき…………法術、を」

 

 

 

何故、使った。

何故、使えた。

何故、使うように……なった!?

 

 

 

 「法術は俺の力だ。俺に与えられた、力だ。使えるものは何でも利用する」

 

 

 「自分で言ってただろ!? 血生臭いのは嫌だって!……げほっ」

 

 

 

血を流し、傷の痛みに耐えて怒声をあげる祐一。

彼の言葉に、往人は冷たい目で答えた。

 

 

 

 「甘いんだよ、お前の言葉は。――――何もかも!」

 

 

 

吐き捨てるように祐一の言葉を一蹴し、往人は空刃を放った。

決別の一撃か、それとも慈悲の一刀か……もしくは、悲哀の一舞か。

 

 

 

 「くっ!」

 

 

 

祐一は必死に風を纏い、空刃の鎌鼬を避ける。

 

 

 

 「……神器? だからどうした。現にお前はこうして俺に負ける」

 

 

 

傍の地面を抉るだけの牽制ではあるが、往人は再び空刃を放つ。

祐一を傷付けたことには一切の感情を見せることなく、静かに。しかし憤りを隠さず。

 

 

 

 「所詮人間は永遠には勝てない」

 

 

 

祐一の握る蒼銀と、包み込む白衣を見て、彼は言う。

 

 

 

 「そうやって強くなったところで、何が手に入る?」

 

 

 

正道なる力だろうと邪道なる力だろうと、自分達は力を手にした。

だが、手に入れたその力が何の役に立つ? 本当に欲しいものが、手に入るのか?

神器という存在が、何を与えてくれるのだ?……そんな想いを言葉に乗せる。

 

 

 

 「俺が欲しいのは観鈴だけ。俺の望みは、観鈴に逢うことだけなんだよ。

  神器にそれが出来るのか? 人間に奇跡が起こせるのか? 

  ……なぁ、答えてくれよ祐一。お前に、俺の苦しみが癒せるのか?」

 

 

 

救われたいのだ。どれほどの咎に侵されたとしても、救われたいだけなのだ。

手段が間違っていても、間違っていることを理解していても。それしか、ワカラナイから。

もし、人でありながらもその願いが叶うのなら、何時だって永遠を棄てられる。

けれど。世界はいつだって優しくないから、この身は永遠を選んだのだ。

 

 

 

 「お前が信じるこの世界は……観鈴を、還してくれるのか?」

 

 

 

無理だと知っている。

絶望はあの日あの時味わった。

永遠は全てを奪った。

永遠は全てをくれる。

 

 

 

 「こんな馬鹿な俺でも解ってるさ、永遠が敵だってこと位。

  ああ、俺も心から永遠を憎んでる。この手で滅ぼしたい程に」

 

 

 

全ての運命が狂ったあの日。全ての原因を招いた悪は永遠以外の何物でもない。

だからこそ祐一は永遠を憎み、往人もまた永遠を恨み続ける。

 

 

 

 「だけどさ? 永遠は俺の求めるものをくれるんだよ。

  俺の乾きを、苦痛を癒してくれる。翼王と北斗が、その奇跡をくれる。

  観鈴が戻ってくるなら、俺は何でもしてみせる」

 

 

 

それでも、彼は選んだのだ。

悪しき存在に身をやつし、歪む存在となってでも叶えるべき望みがあるから。

誰もが望まない願いだとしても、誰もが忌み嫌う答えだとしても。

そんな後悔はとうに棄てた。そんな罪悪感はとうに失った。

迷ったことがあるのかさえも忘れたが、“覚悟”だけは決まっている。

泣くことを忘れる程に泣き尽くして、苦しむことを忘れる程に苦しみ抜いたのだから。

 

 

 

 「ヒトが俺を悪魔と罵るなら……罵り続ければいい」

 

 

 

――――ヒトのココロなんてくれてやる。

 

 

 

 「世界が俺を修羅と蔑むなら……蔑み続ければいい」

 

 

 

――――願いを叶える力だけが必要だから。

 

 

 

 「永遠を選んだ俺を鬼と嘲笑うなら……嗤い続ければいい」

 

 

 

――――俺の望みが届くのなら、この魂すらも捧げてみせる。

 

 

 

 「どんな言葉も。何と言われても。その全てが、俺にとって価値が無い」

 

 

 

――――全てを失った先に、喪いたくない“ソレ”があるのなら、

 

 

 

 「俺は、価値あるものなんて、何一つ持っていない」

 

 

 

――――如何なる犠牲も、厭わない。

 

 

 

 「俺が持ち得るのは」

 

 

 

――――望むものは、

 

 

 

 「そう、大切なものは」

 

 

 

――――唯、一つ。

 

 

 

 「観鈴以外に、何も、存在しない」

 

 

 

――――俺が欲しいのは……愛した少女の、温もりだけ。

 

 

 

国崎往人。

悪魔であり、修羅であり、鬼である者。

彼は渇望した者。

唯一つの得難きモノを、その手に望むだけの、咎人。

本来の主を失いながらも、その比翼を己の主として、翼持つ王者は羽ばたく。

 

 

 

 「空閻式抜刀術―――

 

 

 

往人は鞘を腰に運びつつ、通常なら膝下に当たるほどの低さまで体を深く沈める。

 

 

 

 「奥義

 

 

 

空閻式における奥義とは、己で創造し己だけが扱う、完全なる独自の業。

彼はその奥義に、最愛の人の名を宿した。

 

 

 

 「天観ル――――――鈴ノ音アマミル スズノネ)

 

 

 

清廉なる鈴が、辺りへと静かに響き渡る。

 

 

 

――――チリン。チリン。

 

 

 

音が鳴く。音が哭く。

聴こえた幻聴は、どこか優しくて、切なくて、哀しかった。

足掻いた結果に、満足しているわけじゃない。

一番欲しい微笑みは。あの笑顔は帰ってこないから。

 

主を失い主を得た朱金が二度煌く。

空間に焼き付けられた斬死の残滓。それは、紅色の十字架。

神への懺悔か。己への告解か。描く十字架は誰の嘆きか。

地面と平行になるように疾駆し、往人は祐一へと迫る。

彼の瞳の奥に己の姿を垣間見る程限りなく接近し、胴薙ぎの真一文字を“抜く”。

 

 

――――斬撃は祐一の胸を裂く。血の華が咲く。

 

 

先だっての裂傷と合わさり、その斬撃は既に歪な十字架を描いている。

が、往人の奥義は二刀一対。返し刀を真上へと斬り上げ、真の十字架を斬り描く!

痛みを感じる暇を与えることなく斬る。そんな技だった。

往人は冷めた瞳で祐一の亡骸を見遣ろうとして、首を傾げた。

 

 

 

 「思ったより手応えが軽いな。……お前、生きてるのか?」

 

 

 

完全に斬ったと思った。完全な勝利を描きだしたと思った。

しかし祐一は往人の目の前に存在し、その身は健在。瞳は往人を真っ直ぐに見ていた。

 

 

 

 「……ッ! か、はぁ……っ。かろう、じて……だ!

  二太刀目を躱せたのは、偶然だ……っ!」

 

 

 

一刀目は完全にやられた。浅かろうと浴びたことは間違い無い。

迫ってくるのは解ったから、傷を負いながらも身体は反応した。

頭で考えてそうしようとした訳ではないが、

僅かに後ろに飛びずさったことで剣閃はかろうじて浅く胸を薙ぐに留まり、

往人にとっての「必殺」を意味するであろう二刀目を視認出来た。

僅かにでも視認出来たことが、結果として幸運だった。

本当にギリギリの線で、回避に成功したのである。

しかし、その奥義を打ち破れた訳ではない。二度目は無いかもしれない。

それが判ってしまったから『偶然』だと認めてしまったのだろう。

けれど、正に言葉の通りに血反吐を吐き捨てても……祐一は刀を握っていた。

その有り様は、何故か往人にとって眩しくて。

 

 

 

 「祐一。もう一度だけ聞いてやる、北斗を渡せ」

 

 

 

非情になっている往人だが、友を殺したくないと考える心があるのかもしれない。

祐一も往人も同じ立場にいる存在だから。出来ることなら同じ道を歩んで欲しい。

 

 

 

 「……ざけんな、往人」

 

 

 

だけど、そう返されるだろうことも解っていたから。

 

 

 

 「莫迦が」

 

 

 

そんな意味の無い悪態しか浮かばなくて。

 

 

 

 「……なら。今度こそ……――――死ね」

 

 

 

その言葉を発する直前の間は、何だったのだろう?

友を殺めることへの迷いか。友がいない苦悩か。

自らが選んだ答えへの疑問か。自らが望んだ傷の痛みか。

しかし、彼は腕を揮いきる。伸ばした腕に朱金を宿して。

 

声なき声で、叫ぶ。

未来を棄てた者が、現実を拒んだモノが、抗う。

 

 

 

空閻式抜刀術――――――祖の型――――――空刃!

 

 

 

腕の一本を切り落とせば必然的に刀を取り落とす。

本当なら祐一を殺したくないが、北斗には代えられない。

 

 

 

 「誰が!」

 

 

 

祐一は反論とともに、ほうぼうの体で北斗を振るった。

鞘に収めたわけではないから、その剣の威力はしれている。

空刃の剣気に勝てる筈がない。

 

 

 

 「風よっ!」

 

 

 

祐一は刀の剣気に風を織り交ぜる方法で空刃を逸らす。

図らずも、かつて久瀬との模擬戦で彼が放った鎌鼬に酷似していた。

あの時の久瀬は、己の居合いに鎌鼬を加えることで威力をあげていた筈だが。

まさかこんな所で彼のやり方を思い出す羽目になるとは、と僅かに苦笑する。

往人はその様子を冷たい視線で捉え、言った。

 

 

 

 「粘らなければ楽になるんだぞ? それとも生き長らえたいのか?」

 

 

 「舐めんじゃねぇよ。そう簡単にくたばってたまるか。

  俺がくたばったら、どこの酔狂な奴があいつらの手綱を握るってんだよ?

  残念ながら、俺以外じゃ無理なんだよ。あの馬鹿どもを纏めるのは」

 

 

 

『白虎』倉田 一弥。

『朱雀』折原 浩平。

『玄武』朝倉 純一。

『大蛇』桜井 舞人。

 

その誰もが一癖も二癖もあるメンバーであり、故に祐一以外では制御なんて出来ない。

なし崩し的にリーダーになった……という経緯が実はあるのだが、それでも、だ。

祐一は、彼らが好きだ。誰よりも信頼出来る友が、好きだった。

笑い合える仲間が有り難くて、助け合える戦友が救いだった。

故に思う。

 

 

――――俺以外の誰かがあいつらの面倒を見るなんて、想像も出来ない。

 

 

何より。俺は、永遠に屈するつもりなんて、無い。

 

 

 

 「俺は、逃げない。哀しみも、怒りも、悔しさも、苦しみも、受け入れる」

 

 

 

軋む胸も、疼き続ける心の傷も、飽きるくらい思い出した光景も。

逃げ場が無いから襲ってくる。だから、立ち向かう。

立ち向かうだけの力がある。抗うだけの覚悟がある。負けたくない想いが、在る。

 

 

 

 「忘れてないさ、神奈を失った絶望を。堕ちかけたあの一瞬を。

  終われる苦しみがあるのも、判ってる。その道が一番楽なのも、知ってる。

  永遠に憧れて、望みを叶えられるならそれも悪くないって、解ってる。

  甘美な答えを選ばない自分が馬鹿だって、気付いてる。

  神奈に逢いたい気持ちだって、嘘じゃない」

 

 

 

何度でも云おう。往人の選んだ道に憧れた。

羨ましいとすら思った。

 

 

 

 「それでも、解る。――――お前は、間違ってるよ」

 

 

 

間違っていると言い切った自分の答えが正しいかどうかなんて知らない。

知ったこっちゃない。ただ、感情が告げるのだ。アイツが間違っている、と。

そう思いながらも自らに問う。自分は神器になっただけじゃないか。

あいつの何が悪い? 永遠を望んだだけじゃないか。それの何を間違いと言うのか。

観鈴に逢いたくて、他に手段がなくて、永遠に縋った。

そんな不器用な愛情を理解出来ない程自分は馬鹿じゃない。だから、羨ましい。

羨ましいからこそ、甘美だからこそ。その選択は、間違っている。

他の誰でもない――――神奈を裏切ることになるから。

 

 

 

 「相沢祐一は間違っているのかもしれない。

  国崎往人を否定なんて出来ないかもしれない。

  だけど。俺の記憶の中にいる神奈は、ずっと叫んでるんだよ」

 

 

 

ずっと前から。ずっと昔から。生きていたあの頃から、ずっと。

 

 

 

 「『“永遠”は赦せない』――――そう言って、泣いてるんだよ」

 

 

 

目の前の彼は鏡。表裏一体の己自身。永遠に堕ちた自分。神器に至った親友。

紅き刃は蒼き刃でもあり、銀の閃光は金の閃光でもあった。

往人を赦せないという感情は、自分を赦せないという感情。それは一種の自己嫌悪。

 

 

 

 「往人、さっき人間に奇跡が起こせるか? って言ったよな?

  だったら俺が起こしてみせる。人の身で。神器として。

  永遠を終わらせる“奇跡”を叶えてみせる」

 

 

 

奇跡。其は神の所業。神でなければ起こせぬ代物。

人の身には過ぎたる蛮行。

だが、成し遂げてみせる。追い求めてみせる。

そうしなければ未来が無いのなら。

彼女が望んだ未来を、この手で掴みとろう。

 

 

 

 「だから、誓う」

 

 

 

あの笑顔を忘れない。あの記憶を棄てない。

泣き叫ぶ過去の俺を、未来へと繋げるために。

 

 

 

 「――――俺の全てを賭けて、永遠を滅ぼす。俺自身を、救ってみせる」





inserted by FC2 system