Eternal Snow

146/殺戮と禍根

 

 

 

 「――――始めましょう。私達の殺戮を」

 

 

 「――――終わらせます。僕達の禍根を」

 

 

 

戦う義務なんてない。殺戮なんて必要ない。禍根さえもいらない。

笑いあって、思い出を語って、そして時折悲しんで……それで済む筈だった。

何故なら、かつて二人は間違いなく“姉弟”だったから。

同じ記憶を共有している、唯一無二の“きょうだい”だったから。

哀しくて、泣きたかった。悔しくて、泣きたかった。

解って欲しくて喚きたかった。気付いて欲しくて嘆きたかった。

分かり合える筈なのに。分かり合っている筈なのに。解り合えない自分達が、居た。

だからなのかもしれない。互いの言葉とは裏腹に瞼が熱いのは。一滴の涙が落ちるのは。

 

 

 


 

 

 

 「泣いて、あの子が帰ってくるんですか?」

 

 

 

紡がれた言葉は、淡々と……静かで。

彼女――美凪は一枚の紙片を指に手挟み、そこへ息を吹きかける。

すると紙片は無数に増殖し、扇のように放射を描く。

能力名称【式紙】。紙という媒体に己の力を送り込むことで

“紙”そのものを自由に操作する能力である。

所謂陰陽道的な発想に連なる力なので、決して極端に珍しい訳ではない。

ヒトガタに切り取った紙を己の使い魔代わりに使用することも出来れば、

幾十の紙を統合し強化することも出来る。紙に限り、その能力の効果範囲は広い。

彼女は紙片を編む。一枚の紙に二枚目を合わせ、三枚四枚と幾十に。

宙に浮いた幾枚もの紙片は美凪を取り巻き螺旋を描く。

そして、舞い散る花弁の如き無数の紙片は統合され強化され硬度を得て形を成す。

それは一本の大鎌。一弥が持つ形見の鎌と全く同じ大きさと形状。

ただ唯一異なるのは、一弥の大鎌が空色であるならば、美凪のソレは純白。

一切の混ざり気無い、白磁に匹敵する程純色の大鎌。

編み込み生み出したその大鎌を構え、彼女は呟く。

 

 

 

 「泣いてみちるが帰ってくるなら、泣き続けます。

  ねぇ、一弥さん? それであの子が帰ってきてくれるんですか?」

 

 

 

問いかけた所で何の意味も無い問い。

居る筈の無い少女が、戻ってくる訳が無い。

そんなこと、問いかけた美凪が一番解っている。

無駄なのだ。何をどうしたって、人としての生を終えた彼女は戻ってこない。

 

 

 

 「私達にとっての宝物だったあの子が、還って来るんですか!?」

 

 

 

言葉はやがて慟哭へと転じ、その瞳は似合わぬ憎しみを宿していた。

 

人として生きたまま、戻ってくるというのなら何でもしよう。

自分を代価にして還って来るというのならどんなことでも堪えてみせる。

腕の一本も渡そう。足なんて要らない。処女ですらどうでもいい。

自分が捧げられるモノがあって、その褒美に生きてあの子を抱き締められるなら、

私はどんなことだってしてみせる。やり遂げてみせる。

だけど、そんな夢みたいな出来事は有り得ない。

世界はいつだって優しくて、優しいからこそ残酷なのだから。

 

だからこそ、私は……永遠を選んだ。

あの世界ならば、己を代価にすることで願いが叶えられる。

どれだけ澱んでいても、どれだけ忌むべき手法でも、求める何かは手に入る。

手に入ったモノが紛い物だろうが何だろうが関係無い。唯一無二の結果があれば良い。

 

 

 

 「帰ってこないって解ってるから……選んだんですよ。

  私が選んだ道です。後悔することも、罪を感じる資格すらもありません。

  だとしても、それが全てを失って手に入れた力だから、私は縋りつくんです」

 

 

 「だから、世界の敵になるんですか」

 

 

 

下らない、とは云えない。まかり間違えば自分が至った道だ。

彼女と同じ道を選び、ともすればその隣で現実に刃向かっていただろう。

選ばざるを得なかったという感情だけは、一弥自身にも理解出来てしまうのだ。

どれだけこの現実を信じたくなくても、堕ちかけた己には解ってしまう。

 

 

 

 「はい。世界は何もしてくれないから。本当に欲しい幸せが此処には無いから。

  ですから……貴方が邪魔をするのなら、私は貴方を殺します」

 

 

 

殺したくなくても、殺すしかないのなら躊躇いはない。

みちるが泣いても、悲しんでも、仕方の無いこと。

自分の中に正当な言い分を探し出して、間違いを犯す。

瞳から伝う涙は、何に対する感情の溢れだったのだろう。

 

 

 

 「みちるのために、消えて下さい」

 

 

 

みちるのためにも、自分のためにも死ねないから。

そう思って今を生きる一弥にとって、美凪のその言葉だけは許せなかった。

 

 

 

 「……みちるのため? それは違う。そんなの、貴女自身が解ってる筈だ。

  姉さんのためでしょう? あの子を言い訳に使わないで下さい。

  みちるが望まない理由を取り繕うのだけは、許さない。

  僕が姉さんと同じ道を選ばなかったことが罪だとしても。

  僕らにとって永遠こそが正しいのだとしても、その理由だけは間違ってる」

 

 

 

どうせ言うのなら自分のためだと取り繕え。自分のためだと言い訳しろ。

間違いを犯したのはあくまで自分。その理由に彼女を使うのだけは許されない。

 

あの子が消えたその瞬間、彼女が憎しみに囚われていたのならまだ解る。

だけど、間近で救えなかった僕だからこそ知っている。

みちるは、憎しみには囚われていなかった。ただ、哀しんでいた。

最後の最後に、僕に笑顔をくれた。終わる命を理解して、僕の命を救ってくれた。

僕が大好きだった女の子を――――

 

 

 

 「貶めないで下さい。貴女の妹を汚さないで下さい。みちるを、侮辱しないで下さい」

 

 

 

あの強さを持っていた彼女を、見縊らいで欲しい。

他の誰でもないみちるの姉である貴女が、それを言うのだけは間違ってる。

 

 

 

 「……そうかも、しれませんね」

 

 

 

涙を拭って、美凪はその言葉を肯定した。

一弥が『罰してくれるのは美凪だけ』と言ったように、美凪にとってもそれは同じだった。

他の誰でもなく、自らの間違いを指摘できるのは『一弥』以外に居ない。

一弥も美凪も、罵って欲しかったのかもしれない。何故、みちるを救えなかったのか、と。

同じ思い出を抱えているから、同じ罪を抱えている。救えなかったという罪科を。

だから互いに罵り合って、互いの傷を舐め合って、互いを許し合えない。

みちるが司った翼は、片翼。対にならぬ翼は、互いを救えない。

 

 

 

 「ごめんなさい一弥さん。私のために、貴方を殺します」

 

 

 「言った筈です姉さん。――――僕は死ねない!」

 

 

 

救えないから、せめて自分を救おうと大鎌を振る。

救われたくて、白磁と蒼空が舞う。

 

 

 

 「――――はぁっ!」

 

 

 「――――ふっ!」

 

 

 

類似した軌跡を伴って、二対の大鎌が激突する。

激突し、弾け合う。弾け合って、激突する。

首を狩ろうと白磁が迫り、身を護ろうと蒼空が停まる。

刃は振り抜かれて交差し、姫は舞台を踊り出す。

罪を贖う弟を。後悔に震える愚かな弟を――――己のために殺すと決めた。

大鎌をまるで剣のように構え、右袈裟に振り抜く。

僅かな隙間を見切り、少年はその刃を躱す。

躱すと同時に空牙を引き込み、棒術の要領で柄を正面に突き出す。

刺突とは、速度に勝る技である。

たった一瞬の虚を突いて、彼女を停める。

 

 

―――その瞬間。心がぐらりと軋んだ。

 

 

その間は戸惑い、その間は躊躇い。姉と慕った人を傷つけることへの自制か。

その間は隙。その間は致命的な空白。直後、首に走る微痛。

薄い一枚の紙が、首の皮を裂いた。

届かない白磁の大鎌の代わりに、意思を込めた紙片を送り込まれたのである。

 

 

 

 「……っ!」

 

 

 「進呈、です」

 

 

 

その口癖をこうして聞く日が来るなんて思わなかった。

首筋を抑えて瞳を揺らし、彼女を見る。

その表情に変化は無く、淡々としたまま。

美凪は、其処まで堕ちているのだと気付かされた。

 

 

 

 「ぐ……貴女は!」

 

 

 

そう発したのは、矜持だったのだろうか?

一弥の中にある僅かな意地か、もしくは甘えか。

ただ、応じるべき美凪は静かに口を突く。

 

 

 

 「終わりと言ったつもりも、言うつもりもありません」

 

 

 

姫と謳われた少女は、弟だった少年に告げる。冷たくて、無表情。

元々表情の読み辛い所のある人だったが、その中に殺意が混じるとこうも変わるのか。

 

 

 

 「――――踊って下さい」

 

 

 

その言葉に、慈悲なんて無かった。

白き大鎌が永遠を纏い、牙を剥く。

白の殺意が破滅を宿し、斬死の刑を執行する。

斬獲を担う暴虐の牙。彼女には似合わぬ白亜と白磁の煌き。

 

 

 

 「が――――ぁっ!?」

 

 

 

叫ぶのは、痛みが呼ぶモノではなくて。

それにも勝る哀しみが、口を開かせた。

 

 

 

 「……」

 

 

 

嗤う訳でもなく、微笑む訳でもなく。

その目に映る感情は、何も無く。

曝け出した殺意が静かに脈動し、刃に宿る。

白の大鎌が、冷厳な美を纏う。

斬る快楽と、堕ちる快感とが合成され、一弥の身より血がしぶく。

 

 

 

 「あぁぁぁぁっ!」

 

 

 

一方的にやられる訳にはいかないと歯を軋ませ、一弥は鎌を振る。

攻撃を逸らし、いなし、潰し、殺し、屠る。

躊躇するつもりが無くても手は震え、僅かに目測がずれる。

 

――――斬。

 

まただ。また、僅かに急所を捉えない。

腕に血は滲ませた。足の肉を抉り取った。が、それらの全てが浅い。

 

 

 

 「……やる気があるんですか?」

 

 

 

対する美凪がそう呟く程、彼は“らしく”無かった。

いや、その優しさとて一弥らしさではあるのだが……相手が悪い。

結果、被るダメージは一弥の方が多く、

美凪は涼しい顔……とまではいかずとも軽いことに代わりは無かった。

 

斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。

斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。

幾度も幾度も蒼空は舞い、幾度も幾度も白磁が舞う。

舞う都度に刃は紅を宿し、舞う都度に互いの体に傷が増える。

傷付き、傷付けられて、互いの想いを知り得ていく。

 

血は、赤く紅く朱く映え渡り、白に混じる。

白の鎌と、白の服とが紅を交えて斑を描く。

殺意を宿した刃に血が滲み、絵画的な美しさすら魅せる。

美しさを彩る二人の男女は、まるで踊っているかのよう。

但し、片や痛みの中で。片や憤りを胸に秘めて。

 

 

 

 「この程度の力しか持たない貴方のために、あの子は死んだんですか?」

 

 

 

少年の腕が裂かれ、大腿部からは出血。

額を切ったのだろうか? 拭いきれない紅い液体が溢れ、彼の片目を不自由にする。

そんな姿を晒す弟のために、妹が犠牲になったのかと姉は憤る。

 

 

 

 「それは……っ」

 

 

 

何かを言い返せる訳も無かった。

自分が代わりになるべきだったという後悔は今もある。

彼が、彼女が脳裏に描くものは――――白の翼。

 

美凪は、そこで再び感情を顕わにした。

自分の言葉に言い返せないその姿は、強さの欠片も眠っていない。

「死ねない」と言ったのは夢幻なのか。一瞬とは言え自分を言い負かせたのは虚言か。

そんな貴方のために……みちるが――――――っ!

 

 

 

 「あの子は……死ぬべきじゃなかった」

 

 

 

なら、この手で死なせてあげよう。それが、せめてもの慈悲だと思うから。

殺したいという感情に嘘は無い。許せないという言葉に偽りは無い。

なら、他の誰でもない。姉である私が私のために、そしてあの子のために……っ!

 

 

 

 「おやすみなさい……良い夢を」

 

 

 

――――ごめんなさい。貴方を殺すという罪は、私が背負います。

妹を取り戻すために弟を犠牲にする……それが間違っていること位、解ってるから。

 

語りかける言葉は優しく。死を歌う少女は死を躍らせるために微笑みを浮かべる。

死装束は白。その色は己の大鎌が代わるから……彼に与えられる色は赤。

己の血で。贖えなかったその罪を。今、此処で――――!

 

 

 

 「――――“踊り裂け”」

 

 

 

白磁の牙が、一弥を襲う。舞踊から繰り出される斬撃。

その一閃には隙が無い。彼女の決意がそれだけ重いから。

しかし、受ける一弥の瞳は…………死んでいない!

 

 

 

 「――――いか……ずち、よっ!」

 

 

 「!?」

 

 

 

バチィッ、と音が弾けて、踊りが停まる。

雷撃が少女を襲い、彼女の動きすらも食い止める。

その行為に歯痒い思いを抱きながら、彼女は言った。

 

 

 

 「抵抗しなければ楽になれるのに……貴方は足掻くのですね」

 

 

 「当た……り……ま、えですよ。僕には、そんな資格も……無いんですから」

 

 

 

そう、美凪の言う通りだ。自分が死ぬべきだったと解っている。

救えなかった自分が悪いなんて、そんなの言われなくても知っている。

 

 

――――だからこそ、死ねない。

 

――――何も成し遂げてない僕には、そんな資格すら無いんだから!

 

 

もし仮に彼女の言う通り屈したとしよう。

そうしたら、きっと自分は永遠に魅入られる。それは、きっと魅力的だと思う。

けれど、堕ちた先には何も残らない。堕ちた先では何も手に入らない。

堕ちた先にあるものは――――――永遠という幻想と、真実の虚無しかない。

 

 

 

 「そんな幻想に酔い痴れる程、僕は馬鹿じゃない」

 

 

 

馬鹿である以前に、愚か過ぎる。

生き延びたことそのものが、無意味になってしまう。

苦しんで耐え抜いて狂い掛けた自分が、無意味になってしまう。失った挙句の今がある。

失って、絶望して、それでも這い上がった自分を、否定してしまう。

全ての努力を。不甲斐無い自分を支えてくれた全ての人でさえ、無意味にしてしまう。

それを認める訳にはいかない……どれだけ、暖かい夢だとしても。

 

 

 

 「堕ちた先に、みちるが居るんですよ?」

 

 

 

彼女は言った。一弥を許したいから。

同じ道を選んでくれるなら、きっとそれは嬉しいことだから。

だから……もし、もしも“選んでくれる”のなら――――貴方を許してあげられる。

 

殺したい感情は嘘ではない。許せないという感情は偽りではない。

嘘でもなければ偽りでもないから……その逆もまた然り。

殺さなくて済むのなら、殺したくない。許せるのなら、許してあげたい。

だって、私達は姉弟だから。大好きな妹と、大好きな弟。

みちるが居て、私が居る、一弥さんが居る……それは、とても暖かい夢だから。

 

 

 

 「貴方がみちるを覚えているから、確かに私はあの子に逢えません。

  貴方が絆を捨てないから、望みが叶わない」

 

 

 

悲しみと怒りを瞳に映し、一弥を見つめる。

 

 

 

 「でも……もし貴方が永遠を望んでくれるのなら」

 

 

 

微かな期待を込めて、決定的な言葉を紡ぐ。

 

 

 

 「私達は、みちるに逢えるんですよ? 誰よりも愛しかった、あの子に。

  もう一度。三人で…………笑えるんですよ?」

 

 

 

美凪が居て。みちるが居て。一弥が居る。

そんな小さな“家族”の姿を、幻視した。

 

 

 

――――――その言葉は、聴かなくても判っていた。

 

 

――――――その方法が、あることには気付いていた。

 

 

――――――その手段を、あの時告げられていたなら……。

 

 

 

 「……もう、遅いんです」

 

 

 

何もかもが、もう遅い。

家族だった記憶は、薄れはしない。大好きな思い出は、無くならない。

だけど、遅い。

 

 

 

 「そんなことは無いんですよ? 一弥さん」

 

 

 

ふるふる、と彼女は首を振った。慈しむように、優しい声色で。

その暖かさに甘えることなく、彼は明かす。叶わなかった過去を。

叶えたいと思ってしまった、己の咎。あの時望んだ、事実。

 

 

 

 「あの日、あの時、もし美凪さんが……美凪姉さんが僕の傍に居たなら。

  永遠を選ぼうと、誘ってくれていたなら――――――」

 

 

 

もしそうだったら……僕は、永遠に堕ちていた。

手に入らない願いを望んで、禁忌を選んだだろう。

 

 

 

 「――――僕は、帰還者に成り果てていた」

 

 

 

懺悔するつもりはない。ただの事実を事実と認めただけのこと。

思い出したくも無い過去を、自ら暴き立てただけのこと。

 

 

 

 「だったら、今からでも遅くはありません。

  私だって……出来ることなら一弥さんを殺したくない」

 

 

 

殺さずに済むのなら、殺さないでいいのなら。

また、三人で居られるのなら。私は、貴方を許せるから。

違う。許せるんじゃない……私は、許したい。もう一度、三人で笑い合いたいから。

私がヒトに戻ることだけは有り得ない。だって、みちるが居ないから。

みちるが居てくれる世界は、此処じゃないから。だからこそ、一弥さんも来て欲しい。

どれだけこの願いが間違っていても、私達にとっては正しいことだから。

 

 

 

 「遅いと言った筈です。堕ちるつもりだって……もう、ありません。

  さっきも言ったでしょう? 僕は、昔の僕じゃない。

  みちるを失ったけれど……今の僕には護りたい人達がいる。

  泣かせたくない人達がいる。傍に居させて欲しい人達がいる。

  忘れて欲しくない人達がいる。僕を、大切に想ってくれる人達がいる。

  僕が永遠に堕ちる理由は……もう無いんです」

 

 

 

弱い僕が足掻ける理由は其処にある。

僕が僕で居られる場所は、過去だけじゃない。

苦しんで、悔やんで、血に穢れた僕だとしても。

まだ未来は……消えていないから。

 

 

 

 「なら! 貴方は……っ。みちるを、棄てるのですか?」

 

 

 「違いますよ……忘れないんです。僕が僕として、僕が僕であるために。

  誰より大好きだったあの子を……みちるを忘れない。忘れる訳にはいかない。

  それしかしてあげられないから――――絶対に、忘れない」

 

 

 

忘れない、忘れるような自分は“間違っている”。

他の全てを間違えたとしても、忘れることだけは赦されない。

もし、その罪科を忘れて今を選ぶのなら、それは全て虚構。

真琴を、栞を、美汐を――――護ろうなんて言葉は言えない。

一弥を一弥として必要とする理由が現実にあるのなら。

 

タイセツなキズナを捨ててまで――――――【永遠】を望みはしない。

 

 

 

 「僕は、弱いから――――――誰かが居ないと、弱いままだから」

 

 

 「弱さを認めるのなら、求めればいいんですよ? 永劫の快楽を」

 

 

 「僕は、本当に弱くて。僕を取り巻く全ての人に頼り続けてきた。

  そんな弱い僕を……慕ってくれる彼女達に逢えて」

 

 

 

弱いからこそ、助けてくれた人達がいた。

誰かとの関わりが、救いとなった現実が其処にはあった。

 

 

 

 「永遠を望めば、その弱さはなくなります。

  あの世界にあるものは、自分の望む願望そのもの。

  そしてそれこそが、私達の幸せへと繋がるんです」

 

 

 

願望だけが包み込む快楽の世界。

望むもの全てが停滞し、未来も無いが終わりも無い。

しかし望むものの全てがあるから、“幸せ”には違いない。

暖かい夢であることだけは――――疑いようのない真実。

 

 

 

 「――――れ、よ」

 

 

 

呟く。断絶すべき音を。

小さく紡がれた怒りの言葉を。

 

 

 

 「―――――黙れ、よ」

 

 

 

だからこそ、望まない。

だからこそ、要らない。

 

 

 

 「一弥、さん?」

 

 

 「もう、黙れ。喚くなよ……永遠の使徒。

  貴女を姉と慕った過去は、僕にとっての幸せだった。

  けれど……もう。貴女と僕の道は、交わらない。

  僕は、二度と永遠に屈したりしない。屈したら、みちるを裏切ることになる。

  みちるを愛した過去は、捨てたりしない。絶対に、みちるを棄てたりしない」

 

 

 

それだけは、誓う。

どれだけ愚かであったとしても、どれだけ無様でも、その想いだけは貫く。

 

 

 

 「僕は……倉田一弥は! この傷を抱えて……生きていく!」

 

 

 

弱い誰かの心が解るから、弱いことの強さを知っているから。

弱いから、弱さが判るから、弱いからこそ護れるものがある。

 

 

 

 「過去が許さないかもしれない。だけど、今の僕なら、耐えられる。

  耐えてみせる。そこに、僕が進むべき未来があるから」

 

 

 「保障のない先を、視えもしない未来を望む、と?」

 

 

 「ええ。それが、僕の選んだ神器みちです。だからこそ――――僕は」

 

 

 

弱い自分は捨てた、その言葉は本当の意味では嘘かもしれないけれど。

弱いままで得られたモノがあるなら、それだけは真実だから。

この言葉で、過去と、決別する。

 

 

 

 「僕は――――“姉さん”を――――殺す……!」

 

 

 

左目を覆う血を拭い、更に溢れ出る血を手につけて、その亜麻色の髪を掻き上げる。

紅色のワックスが、少年の覚悟を顕していた。

 

 

 

 「その魂に刻むがいい、永遠の使徒」

 

 

 

みちるを棄てないという真実と、姉を否定するという決別。

自身をあえて地獄へと叩き込む道。

 

 

 

 「僕は、貴女の敵だ」

 

 

 

鋭い眼光は、少女を見据え、射抜く。

紫電一閃の様の如く、眼光が刃となって少女を狙う。

奏でよう。自分達にとって何よりも神聖な言葉を。

謳おう。自分達にとって何よりも忌むべき祝詞を。

 

 

 

 「空牙は僕の下で“謳う”。――――貴女の下では“踊らない”」

 

 

 

その言葉を告げ、一弥は吼えた。

殺戮と、禍根を――――終わらせるために。

 

撃ち放つ斬撃は、刀の如き流麗さを持ち得ず、銃弾の如き刺々しさを持ち得ず、

拳の如き禍々しさを持ち得ず、斧の如き苛烈さを持ち得ず、槍の如き辛辣さを持ち得ない。

震撃と呼ぶべき一閃が与えるのは、等しき断罪。

そこに存在するのはただの「殺意」。純然純粋たる「死」の概念。

 

 

 


 

 

 

彼は、かつて二度“死んだ”。

 

一度目は、倉田という家の重圧に押し潰された時。

幼き心が壊れかけて、言葉を失ったあの頃に……間違いなく「死」を知った。

“心が終わる”ことを、死と喩えることの何が間違っているというのか。

当時の彼には、耐えられる強さがその時には無かった。

壊れたそうになった一弥を……祐一が、救ってくれた。

 

そして二度目。みちるを失って、狂い壊れた彼が居た。

あの時も、倉田一弥は間違いなく「死んだ」のである。

そしてその時も、祐一が引き摺り上げてくれた。

だからこそ。一弥が祐一を尊敬し、憧れ、感謝するのは――――当然のこと。

 

また、「死」という概念に於いて、他の四人は明確に違う。

 

祐一は確かに壊れかけた。恋人を失い、同じく永遠を選びかけた。

だが、彼は堕ちることはなく……そしてそれだけではない。一弥を救った。

どれだけ辛くても、どれだけ苦しんでも、他人を救える強さがあった。

だから、「死した」訳ではない。

 

浩平は確かに泣き叫んだ。恋人を失った時、己の無力を噛み締めた。

だが、その噛み締めた想いを永遠への怒りに転じさせた。

何より、彼には支えてくれる師が居た。同じ悲しみを背負った姉たる人が居た。

だから、どれだけ自分を虐めていたとしても「死」までは至らない。

 

純一は確かに復讐に邁進した。恋人を殺された時、その妹を恨み抜いた。

だが、狂いながらも目標が在った。『殺す』という歪みきった欲望が在った。

見守り導く師が居た。最後の最後で指針を示す人が居た。

だから、どれだけ不幸だと嘆いたとしても、彼は「死」の味を知った訳ではない。

 

舞人は確かに苦しみの中に埋もれていた。答えの見えない迷宮に囚われた。

誰よりも長い間襲われ続け、脅迫めいた強迫にその心を苛ませてきた。

だが、強く揺るがぬ背中が在った。どんな泣き言も跳ね飛ばす強さを魅せられてきた。

そして、傍に居てくれる少女達が居た。最も長く失う苦しみに

襲われ続けていた彼は、唯一何も失っていない。「死」を知らない。

 

 

 


 

 

 

故に。「死」を知る彼は、「死」を知るからこそ弱く――――尊いのだ。

 

その斬撃は、暴刹的で暴虐的で暴行的で暴走的で

暴食的で暴乱的で暴政的で暴勇的で暴利的で暴吏的で暴優的で

暴制的で暴嵐的で暴触的で暴操的で暴考的で暴逆的で暴殺的な

……凶暴にして狂暴なる殺戮用途の殺滅演舞。

 

永遠と呼ばれた「害悪」を討ち滅ぼすために研き磨き抜かれた斬死の一技。

死神が持つと謳われた大鎌は、この時間違いなく彼の手元に存在していた。

 

 

斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、

斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、

斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、

斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃、斬、斬撃。

 

 

「死」を識るが故の殺戮可能者――それこそが【白虎】倉田 一弥。

優しき破壊者。優しき死神。惰弱なる断罪の雷帝。

 

正しさ相沢祐一 」を理解しながら、「歪み朝倉純一」さえも併せ持つ者。

 

表裏一体の感情を備え、表裏一体の強さと弱さを彼は揮う。

そこに介在するのは極端にして極限にして極地の理論。

 

神器という「異端」――――最優を有し、最高を持ち得ぬ「最悪」。

神器という「異常」――――心を曝け出し、蒙昧なまでに狂う「蛮勇」。

神器という「独善」――――永遠という概念(そのもの)を憎む「無知」。

神器という「無能」――――己を御すが故に、想いを仮面で隠す「愚者」。

 

ならば彼は、“何”なのだろう?

 

異端大蛇でもなく異常玄武でもなく独善朱雀でもなく無能青龍でもない。

 

喩えるなら、神器という「欠陥」。

元素能力という異能。それは闇であり、水であり、炎であり、風。

 

そして、一弥は――――「死」を識るが故に「死」以外を知らぬ「死神」。

故なる異能は、滅びの雷。

 

 

決して正しいと言い切れない力を使ってでも、願うものがある。

求めるのは新しい未来。挫けぬ想いを貫くための、強さ。

具現した希望の牙は、少年の手の中に。

痛みなんて知らない。体の痛みも、残った良心の痛みも、知らない。

壊れるなら、壊れればいい。

終わった後、廃人になるのならいっそのこと構わない。

終わった後、皆を護れたという未來があるのならそれでいい。

その涙を拭えなくても、きっと誰かが支えてくれるから。

例え誰かもがいなくても、護れた真実は揺るがないなら……それで、充分だから。

 

 

 

――――――みちる、ごめんね。

 

 

――――――真琴、ごめんね。

 

 

――――――栞さん、ごめんね。

 

 

――――――美汐さん、ごめんね。

 

 

 

謝罪の言葉は、如何なる理由からか。

彼の雷が、背中を覆う。覆われた雷が、形を成す。

一弥にとっての、オモイの具現。空牙を扱うべき、正当なる後継者。

片羽の少女。その姿を想い描き、白虎の雷が翼に変わる。

己の身体よりも雄大で。己の大鎌よりも長大なる、雷光。

 

 

 

つばさ。

かたっぽのつばさ。

できそこないのつばさ。

 

 

 

光の片羽を持ち、空色の大鎌を携えた……「一弥」という名の、雷の堕天使。

 

 

 

 「…………っ!」

 

 

 

在り方に虫唾が走る。

あのつばさに怒りが込み上げる。

自分と同じ道を選ばなかった弟が許せない。

妹の形見が目の前にあることが許せない。

存在くなった妹と同じ姿が、苛立つ。

ギリ、と噛み締めた少女の口から、血が垂れる。

 

ずきり、と脳が痛む。悲鳴を上げる自分の鼓動。沸騰する血液の感触。

筋肉が脈動し、全身の神経に雷が疾る。

流れ落ちる自身の血が血溜まりとなって、熱量を奪っていく。

溢れ出る力が、空牙へと宿っていく。

 

 

――――――雷光に揺れる腕が、制裁を下すために……輝く。

 

 

 

 「ヒトを本当に幸せにするには、自分も本当に幸せにならなきゃいけない。

  永遠にその力だけは無い――――だったら、もう迷う理由なんて無いんだよっ!」





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