Eternal Snow

141/“因我ノ唱名”

 

 

 

祐一と一弥の宣言。それは哀しき決意の顕れ。

兄弟とも、家族とも思ってきた人が敵であったという現実。

だが、逃げることは許されない。家族であるからこそ、対峙する。

他の誰にも譲れない対立は、己が生きるために必須故。

 

祐一が口を開く。

 

 

 

 「一弥。浩平。純一。舞人。会場の皆を護り通せ」

 

 

 

風を舞わせ、外の様子を把握する。絆を奪うことを望む狂った嬌声が聴こえた。

そう、ドームを脱出しても状況はなんら変わらない。戦いが戦いを呼ぶだけのこと。

寧ろ魑魅魍魎とばかりに無数の帰還者が存在している会場外の方が危険だ。

誰が行ったかは解らなかったが、ドームの出入り口が一斉に封じられたらしい。

結局、下手に混乱した生徒を外に脱出させる方が危険である、という状況なのだろう。

ならば、絶対に負ける訳にはいかない。元よりそれ以外に選択肢もない。

 

 

 

 「交渉が効くとも思わないが、一つだけ約束しろ」

 

 

 

祐一の瞳が、黒き親友の瞳を射抜く。

敵だとは解っていても、“自分の知る国崎往人である”のなら、と。

願った所で無意味かもしれないが、云わば小さな賭けである。

 

 

 

 「何だ?」

 

 

 「お前らの狙いは俺達だろう? だったら――――」

 

 

 

祐一が最後まで言葉を紡ぐよりも早く、往人はその続きを紡ぐ。

往人とて知っている、祐一が優しい性格であることを。

何も昔とは変わらない。往人の知る祐一だからこそ、予想出来る。

だからこそ思う。何故お前は俺と共に来てくれないのか、と。

 

 

 

 「――――ああ、判った。会場の人間には手を出さない。

  俺達の望みに外れることは、何一つ許さない」

 

 

 

会場に存在する祐一と一弥以外の誰もが、その言葉に驚愕する。

彼は永遠に属する者。云わば人間の敵。世界の仇。

それ程の存在が紡ぐ言葉では無いことだけは、誰でも判る。

何を勝手なことを、と司が吼え、往人の瞳が彼の言葉を殺す。

 

 

 

 「もし俺の言葉をこいつらが侵すのなら、この手で例外なく殺す。

  元々俺達は仲間意識が強い連中じゃないからな。……それでいいだろう?」

 

 

 

往人の口から零れるのは、囁きながらも確かな音。ともすれば裏切りとなる言の葉。

しかし、美凪はその言葉に満足そうに微笑み、続きを謳う。

 

 

 

 「大丈夫ですよ。約束は守ります。会場の皆さんも、信じてくれていいですよ?

  私達は貴方達の敵ですが、無意味な殺戮をしたい訳ではありません」

 

 

 

永遠を選んだ者の慈愛。本来の永遠にはそぐわぬ感情。

永遠を選ぶことの間違いを知った上で選んだからこそ、言える。

選ばざるを得なかったから。そうするより他の逃げ場を知らなかったから。

本来ならば永遠を憎んでいるからこそ、言える言葉。

彼女は、視線の先に一弥を置き直す。

 

 

 

 「――――私の敵は、一弥さんだけです」

 

 

 

詩は止まぬ。音楽の無い即興曲は、終わらない。

 

 

 

 「誓いましょう。私達は貴方達の絆を奪うことはしません」

 

 

 

彼女にとって、他者の絆は何の意味も持たない。

単なる帰還者ならば無作為に暴れることもあっただろう。

だが、使徒は違う。自我持ちをも超える確固たる己を有する者は、己の望みに忠実。

そして美凪にとっての望みは『みちる』という少女のみ。

その望みを叶える手段が一弥の抹殺であるなら、それ以外の全てが他人事。

 

 

 

 「何より、今回はただの――――」

 

 

 

締めを紡ぐのは、美凪ではなく。

 

 

 

 「――――ご挨拶、だからね?」

 

 

 

最も永遠足る者が、囁く。最も醜悪にして歪なる者。

最後の永遠が、世界を割る。世界が悲鳴を耐え切り、魔を産み落とす。

誰よりも遅く。しかし誰よりも雄大に。彼は現世へと降り立つ。

淡く銀に輝く灰色の髪。はっきりとした眦でありながら、鋭く吊り上がった視線。

どこか楽しむように。物語を俯瞰する読者のように、悠然と。

灰色の服を纏い、膝下までの長さの白いズボンを履く姿は、何処にでもいる子供のようで。

子供と云っても『青年』に差し掛かった高校生という訳ではない。

言葉通り、小学校に通っていてもおかしくなさそうな――そういう“子供”

けれどその存在の異質さは、この中にいる誰よりも濃い。

神器は知らぬ、彼が【完全なる者】であることを。

 

 

 

 「朝陽?」

 

 

 「ご苦労様、水夏。遅くなったね」

 

 

 

外見だけならばほぼ同世代――そう評してもおかしくない二人が言葉を交わす。

放つ音は何処か優しげで。逆にそう聴こえるからこそ奇異。

 

 

 

 「……邪魔する気か?」

 

 

 

往人が睨みつけるように問いかけ、少年は肩を竦める。

こうして再会した全てを台無しにする気か、と。

 

 

 

 「まさか。別にそんなつもりはないよ。ただ、皆して目的の相手に

  逢ってるっていうのに僕一人だけお預けってのはいくらなんでも酷いだろう?

  このゲームの根本は僕と空名が企画したんだから、少しくらい遊ぶ権利はあるさ。

  第一、さっき言ったろ? “狂楽開始”ってさ」

 

 

 

クスクス、と喉を鳴らす。世界を喰らった愚者は、悠然と其処に在る。

ただ、片時も笑みを絶やすことなく。

視線に宿す感情は憂いであるのか、それとも嘲りか。

ただ、目的のためだけに。嗤う。遊ぶことを、楽しみにして。

 

 

 

 「ふん」

 

 

 

往人が吐き棄てる言葉は、不服を顕わとしたもので。

絶望の果てに狂った訳ではないから。理性を残したまま至ったから。

侵してはならぬモノを理解した上で、それでも其処に在ることを選んだ彼。

だからこそ、少年の言葉はまるで侮辱のようで。

何に対して?――――そう、“己”という立場への。

睨む視線を風と流し、少年は罅割れた鈴のように、音を鳴らす。

 

 

 

 「初めまして、人間諸君。もう語るまでも無いと思うけど、僕は永遠の存在。

  永遠に属する【完全者】。名を朝陽。覚えておいてくれたら嬉しいかな。

  立場としては永遠世界の長。云わば盟主、って所かな? 

  まぁ……そんなことどうでもいいけどね?」

 

 

 

少年――【朝陽】の謳う言葉は闇に染まり、他者の介在を許すことなく。

上機嫌に喉を震わせ、仲間足る永遠の使徒に対してもそれは同じで。

隔絶とした人と永遠との差を感じ入る生徒達に、恐怖を与えないように微笑む。

しかし拭い去れぬ畏怖は、確かなものとして会場を覆っている。

 

 

 

 「ご心配なく。何度も言うようだけど、今日はただのご挨拶。

  君達を襲うつもりもないし、同胞を君達にけし掛けるつもりもない。

  会場の外には出してるけど、多分被害者は出てないんじゃないかな?

  陰陽寮……じゃなかった、確か今じゃDDって言うんだっけ? 

  そこの連中が随分頑張ってるみたいでねぇ。イマイチ芳しくないみたいなんだよ」

 

 

 

困った困った、と愉悦がてらに肩を竦め、使徒が一、【夢想夏】へと視線を送る。

 

 

 

 「という訳で悪いんだけど。水夏、メデス。会場の外に援軍に行って貰える?

  禅や空名だけだとどうにも宜しくないからね……。それに」

 

 

 

勿体つけた様子で一拍の間を空け、

 

 

 

 「君達【夢想夏】は、生憎連中とは殆ど因果も因縁も無いみたいだしね。

  此処からのセレモニーには、はっきり言って邪魔なんだよ」

 

 

 

冷徹な瞳で、少なくとも仲間である筈の彼女達へ部外者の烙印を焼き付ける。

朝陽の言う【連中】とは言うまでもなく神器達のこと。

祐一には往人が。一弥には美凪が。浩平には司が。純一には頼子が居る。

だが。それぞれが対峙すべき因縁の中に、【夢想夏】は存在しない。

云わば最も無関係な使徒であるからこそ、足手まとい。いや、真実邪魔であった。

 

 

 

 「従ってくれるよね? アルキメデス」

 

 

 

底冷えする声色は、幼き死神の従者を射抜く。

もし異を唱えるならば、この場で存在を否定すると告げる。

言われずとも解る。使徒足る身では、【完全なる者】には逆らえない。

或いは己達以外の使徒ならば可能なのかもしれないが、生憎夢想夏にはそれ程の力が無い。

要は力が足りない以上、逆らうことは許されない。

 

 

 

 「……うむ。そうさせて頂こう。ゆくぞ、お嬢」

 

 

 「う、うん」

 

 

 「ごめんね? 水夏。その分いっぱい遊んでおいで。

  有象無象なら幾らでも使っていいからさ」

 

 

 

労わる朝陽の言葉は、何処かしらの愛情を秘めていた。

その愛情が本物であるのか、それとも何かへの代替なのかは解らないが。

直後、扉を開くように空間が歪み、死神の姿が失せていく。

神器達もあえてその行為を止めることはなかった。

自分達にとっての【夢想夏】は、まさしく死神であると理解していたから。

他力本願とはいえ、会場外に居るであろうG.Aに任せるのが最も確実だった。

相手のやり方に乗るのは上策ではないが、致し方ないと全員が割り切る。

 

待ってくれてありがとう、とでも言うように朝陽は頭を垂れる。

その表情から余裕という文字は消えることなく、声は歌う。

 

 

 

 「ようやく、始まりだ」

 

 

 

あらゆる感情を内包する音。あらゆる言葉を内包する言葉。

一の単語は無限の言霊となり、唯一絶対の宣託となって会場を揺るがせる。

 

 

 

 「世界には、因果がある」

 

 

 

呪うように。

 

 

 

 「善という因果、悪という因果。生という因果、滅という因果」

 

 

 

恨むように。

 

 

 

 「因果は消えない。終わりを告げるまで、何も終わらない。

  世界が永遠を否定するなら、永遠は世界を否定する……それもまた因果だからね?

  だから始めるんだ。因果に終わりを告げるために。全ての希望を潰えるために。

  ゆっくり、ゆっくり。遊び続けるための狂楽を、ね」

 

 

 

悼むように。

 

 

 

 「死法剣が青龍に。欠翼姫が白虎に。停滞時計が朱雀に。隷求者が玄武に。

  世界はつくづく“僕ら”が嫌いらしくてねぇ。それが世界の定めた因果らしい」

 

 

 

愉しそうに。

 

 

 

 「因果が巡るというのなら。僕は、当然」

 

 

 

其処で初めて、朝陽は彼に視線を向ける。

憎悪とも憐憫とも愛情とも友情とも思えるような慈愛と自愛の瞳を。

紫の線に縁取られた白の戦闘装束。纏う者の名は――――

 

 

 

 「――――君しかいないだろう? ねぇ、舞人」

 

 

 

――――大蛇という因果を背負った、彼。

 

 

 

 「まさか君が“神の牙”になってるなんて……つくづく僕達を縛る運命は皮肉だね。

  久し振り、舞人。まぁ尤も、君は僕のことなんて覚えていないだろうけど」

 

 

 

数年来に再会した友人に声を掛ける調子で、朝陽は言った。

言葉が返ってこようと否だろうと関係なく、ただ言いたいから言うのである。

 

 

 

 「……っ……だ、れだ、お前」

 

 

 

問いかけた舞人であるが、しかし己の言葉に矛盾を感じていた。

知らないけれど知っている。知っているけれど知らない、と【何か】が教えてくれていたから。

その反応に愉悦を交えて、対峙する完全者が笑う。

 

 

 

 「へぇ……意外に僕のこと憶えてるんじゃないか。

  一切合切忘れられてると思ったよ。“繰り返してきた”意地かい? 

  それとも――――反吐が出るけど、僕との友情って奴かな?」

 

 

 

言葉そのものが気持ち悪いと言いたげに表情を歪める。

舞人の言葉は音だけならば疑問であったが、朝陽は音に込めた感情に対して返答した。

また、舞人自身も身を震わせる。“奴”の口から友情なんて言葉が漏れたことに。

それだけは有り得ない、と心が叫んでいた。

 

 

 

 「うわ、我ながら最悪な気分だ。君との友情だなんてね。

  徹頭徹尾僕らは敵なのに、さ。……まぁいいや、さっきちゃんと名乗ったろ?

  人の話はちゃんと聴くように、って母親に教わらなかったのか?

  ああ……でも君の母親は“あの人間”だったっけ? じゃあ無理も無いかな」

 

 

 

ただ一人。自分が置かれた立場を知る少年は、ク、と喉を鳴らし続ける。

世界の中でただ一人。唯一孤独に全てを知る彼は、孤独であるからこそ世界を否定する。

 

 

 

 「――――僕の名前は朝陽。君の敵だよ、神の牙」

 

 

 

やはり、知っていた。聴いていた、聴いていなかったという意味ではなく。

純粋に、識っていた。記憶ではなく、魂という部分で、その名を憶えていた。

脳裏に過ぎった悪夢の記憶の回答は、此処にあるのだと感じていた。

 

 

 

 「ふん……やっぱり、憶えてくれてるんだね。忘れてても、識ってるんだね。

  ありがとう。虫唾が走るけど礼を言っておくよ。聴きたくもないだろうけど。

  ふふ、僕は今まで片時も君のことを忘れなかったからね」

 

 

 

――――舞人の瞳を見れば解る。

 

――――最低限自分に刃向かうだけの気概は、“遺して”いる。

 

――――幾度廻っても、幾度も邪魔をしてきたから。

 

――――本能が、切り捨てなかったのだろう。

 

――――桜井舞人は、朝陽の敵である、という想いだけは。

 

 

 

都度繰り返してきた挙句が、神器という最悪。

つくづく最高だ。つくづく鬱陶しい。つくづく、愉しい。

誰にもこの感情は理解できまい。誰にも解る訳がない。理解する必要も無い。

 

 

 

 「趣味悪い……ストーカーかよ、てめぇ」

 

 

 

理解できぬ言葉だったが、舞人は【何か】を理解していた。

だからこそ、奴の言葉が鬱陶しい。つくづく最悪だった。

そんな舞人の野次に、朝陽は眉を顰める。

 

 

 

 「ストーカー? よく言うよ。僕がそうなら君もまた同じだ。

  何度も何度も何度も世界を超え、その度に相対してきたんだよ僕達は。

  僕の目的を邪魔し続けて……君という存在がある所為で僕は取り戻せないんだ」

 

 

 

感情の名は憤怒。不満。或いは憤慨。

最も重く、最も因果という縛りを受ける彼の言葉は、ただ……痛い。

朝陽の発言には何の具体性も無い。ひたすらに抽象的で、何の根拠も無い。

所詮永遠たるモノの戯言……そう取るのが当然のこと。

しかし、舞人は背かない。その言葉に背く理由がない。

【何か】が――――夢が、教えてくれるから。

 

 

 

 「――――成程、な」

 

 

 

己の中の根底の部分で、理解した。

 

 

 

 「うん? どうしたの?」

 

 

 

何故、戦うのかを。

 

 

 

 「お前なんだな?――――俺の、敵は」

 

 

 

何故、永遠を討たなければならなかったのかを。

 

 

 

 「そう言ってるだろ? 君と僕は……いや、もう一人いるけど。

  僕らは道を違えた敵さ。いい加減全部思い出しなよ。でなきゃ何も始まらない」

 

 

 

“奴”を、“コイツ”を、認める訳にはいかないから。

だから、夢が応えてくれたのだ。白き雪桜をくれたのだ。

 

 

 

 「全部? はっ、んなもんいらねぇよ。もう、充分だよ。

  てめぇなんだろ? 俺が……希望と小町のことを、忘れてきた理由は」

 

 

 

それは、全てを識らぬが故に生まれた、誤解という確信。

 

 

 

 「よく言う。勘違いしないで欲しい。それは全部君自身の責任だよ。

  忘れてる君に何を言っても無駄かもしれないけどね。

  僕は何もしていない。僕はただ“桜”を手にしようとしただけだ。

  他に目が向いたのは、君自身の選択が招いた結果さ!」

 

 

 

それは、全てを識るが故に発せられた、真実という糾弾。

たた互いにとって明らかなのは、互いが理解し合えない存在であるということ。

 

 

 

 「うるせぇよ。昔は昔、今は今だろうが!」

 

 

 

後ろめたい感情があった。全てを思い出したくても、忘れていたい感情もあった。

 

 

――――あいつは、知っている。俺が何だったのかを、知っている。

 

 

渇望する記憶が其処にあることだけは、解る。

 

 

 

 「無理しちゃって。……だからってはいそうですか、って済ませる訳にもいかない。

  僕が何を望んでいるのか。僕が何故君を恨んでいるのか、忘れられたら辛いだろ?

  昔は昔? 今は今? ああそうだね納得――――するとでも?」

 

 

 

朝陽のそれまでの言葉に余裕があったとするならば、その余裕は消えた。

歪んだ永遠に在ることを自ら証明するように、叩きつける。

 

 

 

 「――――ふざけるなよっ!」

 

 

 

感情という武器を携えて。

 

 

 

 「そんな簡単な言葉で片付けようとするな! 君が持つ記憶は僕との争いの歴史!

  何度も僕に煮え湯を飲ませて、何度も僕の邪魔をして……。

  脆弱なヒトに成り下がって、幾度のリメイク版に付き合わされて!

  しかも最後には一番必要な彼女まで奪った僕の敵がっ!」

 

 

 

舌鋒は剣となり、矛となり、槍となり。

 

 

 

 「っ!?」

 

 

 

その刃が想起させる。忘れている何かが、蠢く。

幾度も夢で見た悪夢。忘却の螺旋。

大切な、誰か。大切な、何か。

 

 

 


 

 

 

――――リメイク版だけどね。

 

 

何かに諦めきった、冷たい声。

嘲るためだけの憂いの言霊だったのだろうか?

それとも、苦しむ“僕”への同情だったのだろうか?

解らない。判らない。理解らない。

 

 

――――つけ上がるなよ、ヒトの子が!

 

 

嗜めるような、怒りの声。

振られた小枝のタクトは、絶望を謳う呪いの言霊だったのだろうか?

それとも、微かな期待に震える己への戒めだったのだろうか?

解らない。判らない。理解らない。

 

 

――――笑って……いてくださいね。

 

 

出会うことのなかった、架空の中の誰かの笑顔と、一滴の涙。

解らない。判らない。理解らない。

 

 

 


 

 

 

 「つけ上がるなよ、ヒトの子っ!

  思い出す気が無いなら好きにすればいい。どうせ性格の悪い舞人のことだ。

  僕がどうこうしなくても勝手に目覚めるんだろうしね!

  でもね、これだけは思い出して貰う。僕がお前を憎んでることだけはっ!」

 

 

 

そう叫んだ朝陽の瞳に宿るのは、舞人に対する敵意と殺意。

誰にも邪魔はさせない。……ただそれだけを願い、力を振るう。

開き、突き出したその掌に集中するのは不可視の束縛。

対象は神器に限らず、同胞たる使徒にも向けられて。

舞人と朝陽以外の全存在を認めぬ力となって現出する。

その視線が舞人と交差し、強引に鍵が開かれる。

 

 

 

 「――――ぎ!? があぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

軋む。痛む。歪む。体を蝕む何かの感触に討ち負ける。

槍を杖のように立てて己を支え、倒れ込む寸前の所で耐える。

古傷を抉られるような錯覚は、現実の痛みとなって襲ってくる。

意識を途切れさせぬように唇を噛み、握り締めた槍の感触だけを頼る。

強引過ぎる荒療治。敵たる彼が引き起こすその鍵開けは、ちっとも優しくなくて。

 

 

 

 「が……っ! ぎ、ぐ……! 希望っ!」

 

 

 

縋りつける人の名を、叫ぶ。

愛してくれる人の名を、呼ぶ。

 

 

 

 「く、クク。君の支えって奴かい?」

 

 

 

嘲る笑みは、舞人が苦しむ様を喜ぶだけの娯楽でしかなく。

 

 

 

 「だ――――まれ……っ、はぁっ……小町っ!」

 

 

 

痛みで朦朧としてくる。掻き毟っても何の効果も得られなくて。

それも当然。軋むのは己の記憶。痛むのは己の魂。

外傷なら耐えられる、心的外傷なら堪えられる。

でも、この痛みだけは誤魔化せない。みっともなくて、無様だった。

助けて欲しくて、名を呼んだ。助けてくれなくても、呼びたかった。

世界で唯一。舞人が心を許せる場所は、二人の所にしか無かったから。

 

崩れる。壊れる。心臓が忙しなく拍動する。

血が全身を駆け巡る。体中が熱を持つ。頭が、軋む。

 

 

 

 「――――舞人君っ!」

 

 

 

聴き慣れた声だった。ずっと昔から隣に居た女の子の声だった。

一度は忘れてしまった、大好きな人の声だった。

 

 

 

 『……何故あなたはヒトであることを望むのですか?』

 

 

 『そんなこと……わたしにはできません。あなたのようにはなれない』

 

 

 『好き?……わたしがあのヒトを……わたしが……ヒトを“好き”に?』

 

 

 

それは、かつて“も”大切だった“誰か”の声。

小さな小さな。かけがえの無い“何か”の声。

その子は、護りたかった大切な人達の中に居て。

夢に棲みついた記憶。螺旋となって巡り続ける誰かの顔。罪の証。

あるべき存在を逸脱し、忘却の罪にまみれた咎人。

 

融ける。解ける。全身の筋肉が弛緩し硬直する。

肺が酸素を取り込もうとし、しかし取り込めない。胸が、軋む。

 

 

 

 「――――せんぱいっ!」

 

 

 

聴き慣れた声だった。ずっと昔から後ろを追いかけてきた女の子の声だった。

一度は忘れてしまった、大好きな人の声だった。

 

 

 

 『なんのつもりだい、舞人? 僕が望むのは唯一つ、彼女を手に入れること』

 

 

 『邪魔をする気か? ふざけるなよ! ヒトに堕落した君が何を言う!』

 

 

 『絶対に消してやる……永劫の時間を掛けてでも、君をこの世界から消滅させる!』

 

 

 

その声は眼前に存在する己の敵、朝陽。

世界を巡ってきた。その都度、前に立ち塞がってきた。

時に助言を、時に絶望を、時に対立を。

最終的に分かり合うことのなかった、同胞だった存在――――倒すべき相手。

 

 

 

 「ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああ

  ああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 

己が崩れる。桜井舞人が壊れる。己が融ける。桜井舞人が解ける。

拠り所である人の声が聴こえたことだけが、己への救いだった。

そんな舞人が苦しむ様を見定めながら、朝陽はその口を開く。

 

 

 

 「ふぅん。今の君じゃ“この程度”で壊れるのか……。存外、期待外れだねぇ。

  全く、もう少し粘ってくれてもいいのにさ。ちょっと幻滅かもね。

  とはいえ、完全に壊れて貰っても困るし、今は此処までか」

 

 

 

嘲り、不快を浮かべ、その不快すらも満足げに彼は言う。

舞人にあるのは、悲しみと苦痛と、忘却と絶望。

記憶という名の時間の渦は 遠き日を崩してく。

償いに遺された物語を、孤独に踊る少年の姿。

滑稽なまでにみっともなく、純粋過ぎるほどに真っ直ぐな、咎人。

 

 

 

 「とりあえず必要最低限のことは充分解ったんだろう?

  どうだい舞人? ようやく思い出したかな、僕のことを……さ」

 

 

 

無理やりに抉ったのは、彼であるのに。

抉るような言霊が、舞人の心を穿つ。

 

 

 

 「これから始まるのはリメイク版じゃない、僕達だけのオリジナルストーリー。

  僕達はこうしてまた出逢った。僕はただ、桜を手に入れるためだけに此処に居る。

  だったら君は、桜を護る君達は……何を望むんだい?」

 

 

 

その問いかけは、酷く歪だった。





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