Eternal Snow

140/“傷名ノ再開”

 

 

 

冷たくて歪んだ音がした。

世界を棄てた者が、世界に現出するという自分勝手な行為。

強く言えば、腐った精神を持つからこその愚行。

歓迎されることのない考えを持つ彼は、世界を侵していく。

“狂楽”と呼ばれた凶つなる遊戯。

対なる者が揃うために、最後のカーテンコールが叫ばれる。

現れる二つの人影は、御伽噺の魔法使いを演じるつもりなのだろうか?

……そんな見当違いな疑問を抱く程、その漆黒のローブは逸脱していた。

その姿は、現実を告げる鐘の音。

如何なる虚構も虚勢も虚実もない。事実と現実と真実を示すのみ。

 

 

 

 「全く。遅いじゃないか。今まで何やっていたのさ?」

 

 

 

狂楽開始と告げられた言葉に少なからずの悦びを感じながら、

しかしその笑みを必死に堪えるように虚勢を張る司は、ローブの二人に問い掛ける。

遊ぼうという感情と、永遠の使徒としての義務心をない交ぜにしながら。

 

 

 

 「……飯食ってた」

 

 

 

刀らしきものを握るローブの片割れ――男の声色で、そう言った。

その口調も、声色も、“彼”の記憶の中には残っていた。

記憶の中から、消えていなかった――――“彼の名前”を、識っていた。

疑心は、確信に変化しつつあり。予感は、悪寒へと移り変わって。

信じたくないのに。信じざるを得ない……青龍としての本能が、告げていた。

嘘だ!……と叫びたくて、叫べなかった。

 

 

 

 「ラーメンセット、食べてもらいました。……ぶい」

 

 

 

小さな紙片を爪弾くローブの片割れ――女の声音が、小さく主張する。

“自分”が記憶していた“彼女の声”と『同じ』――――そう、思ってしまった。

ローブに隠れて姿が見えないのに、仕草が理解できてしまった。

浮かべているであろう表情も、独特の間を生み出すその呼吸も。

間違い無いと感じてしまう己が、赦せなくて。白虎という本能が、疎ましくて。

違う!……そう主張しかねない己が、あまりに無意味であると自覚していた。

 

 

 

 「つくづく君らは好き勝手な存在だよねぇ」

 

 

 「……腹が減ったら動けないだろ」

 

 

 「くくっ、そこまで人間臭いのは君達位だよ、ホント」

 

 

 

愉快そうに。しかし“同胞”を哀れむように。司は笑う。

尤も、ローブの二人は司を“同胞”とは思っていないのだが。

 

 

 

 「司さん。まるでお二人だけがそうだと言うのは止めて下さい。

  私だってちゃんとお料理くらいします。ちゃんと練習してますから」

 

 

 

司の言葉が心外であると、頼子は主張する。

純一を満足させるため、あらゆる努力を惜しまないと自負する彼女だからこそ。

永遠に染まったこと以外は、何も変化させないと思い込む彼女だからこそ。

 

彼らが交わすのは、日常に近いような、非日常の会話。

それがどうしても許容できなかった。

永遠に属する者が現実を描くような行為が、世界への冒涜にしか感じないから。

 

だが、永遠に属しながらも互い以外を“同胞”と感じぬ彼らには関係が無い。

言葉の羅列を意に介さないローブの二人は、地上へと降り立つ。

顔を隠したまま、対峙するべき“友”と“弟”へ視線を送る。

その再会に、誰が横槍を入れられるだろう?

 

 

 

――――解るんだろ?

 

 

――――解っているんでしょう?

 

 

 

無言で、告げている。態度が、告げている。

他の誰でもない、俺へ。他の誰でもない、僕へ。

だから、認められなくて。問い掛けだけが口から零れて。

 

 

 

 「何……で?」

 

 

 

全く同時であるが故に、まるで一人であるかのように奏でられたその言葉。

戸惑いだけが露骨で。動揺だけが隠せなくて。

逢えなくても、信じていたから。

きっと何処かで笑っていると思っていたから。

神器であるならば、彼らの命も護れていると思っていたから。

“敵”だなんて、考えたことも無かったから。

 

 

 

――――現実だよ。

 

 

――――真実ですよ。

 

 

 

 「…………違う、だろ?」

 

 

 「…………嘘、でしょう?」

 

 

 

――――目を覚ませよ?

 

 

――――気付きたくないだけでしょう?

 

 

 

告げられぬ言葉が、胸を衝いた。

嘘偽りなく己の感情を抉る態度が、否定できない事実だった。

 

 

 

 「――――往人ぉッ!」

 

 

 「――――美凪姉さんッ!」

 

 

 

堪えられぬ、絶叫が響く。

友の名を。姉の名を。認めないからこそ認めて。

会場の全ての視線が、二人の兄弟に注がれた。

 

 

“それでいい”……ローブの下で微笑し、纏う衣を捨てる。

道は分かたれたのだから、これでいい。こうであることを、望んだのだから。

 

 

灰色がかった銀色の髪、目つきが悪いと表現されてしまうようなつり上がった目。

祐一よりも幾分か背は高く、長身。

黙っていれば美形と言われる程度に顔は整っているだろう。

朱色の鞘を携えた翼人の伴侶。青年の名前は、“国崎 往人”

 

黒き長髪。しかしどこか灰色がかり、砂が星光に照らされ輝くかの様。

その髪を纏める青いリボンは、一弥が普段身につけているソレとよく似ていた。

端正な顔立ちと表記して間違いは無く、醸し出す雰囲気は清楚と評するより他無く。

人によっては、彼女を神秘的と表現するかもしれない。

白き紙片を指に手挟むのは、翼人在らざる翼人。少女の名前は、“遠野 美凪”

 

 

 

――――顔を晒すその瞬間まで、否定していた。

 

 

――――その可能性以外には在り得ないと知っていても、嘘を信じていた。

 

 

――――無意味だと、気付いていても。

 

 

 

その姿は、昔とほとんど変わっていない。

彼が知る時よりも多少の変化はしているらしいが、見間違う筈のない親友の姿。

彼が知る時よりも多少の成長はしているらしいが、見間違う訳のない姉の姿。

 

名を呼ばれた。ならば応えよう。

今度は無言ではなく、自身の口で。

現実と永遠の対立を。希望と絶望の、差を。

分かたれた“俺とお前”を。分かたれた“私と貴方”を。

 

 

 

 「久し振りだな。祐一」

 

 

 

まるで、ただの再会であるかのように。

 

 

 

 「お元気でしたか? 一弥さん」

 

 

 

二人はそれぞれの逢うべき人へと声を掛ける。

あの頃とは違う視点で。違う立場で。

 

 

 

――――おい観鈴! ったく……祐一、神奈! 勝手に先行くな!

 

 

 

笑っていた、俺達が。

じわじわと、侵食されて。消えていく。

 

 

 

――――みちる? もう、一弥さんもですか?…………ふふ。では、私も。

 

 

 

眠っていた、僕達が。

ガラガラと、音を立てて。壊れていく。

 

 

 

 

 

――――あの日の慟哭が、この日を呼んだ。

 

 

 

 

 

喉の奥から搾り出すような声で、祐一が訊ねた。

もう、否定できなくて。友が、永遠に在ると。

 

 

 

 「どうして……お前が“其処”にいるんだよ?」

 

 

 

“其処”――――永遠を暗喩しているのは言うまでも無く。

 

 

 

声を震わせて、苦しみ続ける心で、一弥は問うた。

もう、誤魔化せなくて。姉が、永遠に在ると。

 

 

 

 「何故……貴女が“望む”んですか?」

 

 

 

“望む”――――堕落を比喩しているのは語るまでも無く。

 

 

 

何を今更……とは思わなかった。その問いは、当然だった。

だから、回答する。もはや、答える迄もないことを。

告げる必要がないから、告げる必要があるのだと。

 

 

 

 「祐一。お前なら、解るだろう?」

 

 

 「解らねぇよ! 解りたくもねぇよっ!」

 

 

 

――――嘘だ。解っている。

 

 

 

 「一弥さん。貴方なら……気付いているでしょう?」

 

 

 「気付けませんよ! 気付きたくなんてないですよぉっ!」

 

 

 

――――嘘だ。気付いている。

 

 

 

彼が解っているのを知っていて。彼が気付いているのを知っていて。

ただ、現実を突きつける。永遠という、現実を。

 

 

 

 「簡単なこと……だろ?」

 

 

 

そう、何も難しくない。単純なこと。

 

 

 

 「簡単なこと……でしょう?」

 

 

 

そう、何も難しくない。明快なこと。

 

 

 

 「“あの時”にお前は首を横に振った」

 

 

 

現実で、足掻く。単純なことだった。

 

 

 

 「“あの時”に貴方は首を横に振った」

 

 

 

現実で、足掻く。明快なことだった。

 

 

 

 「“あの時”に俺は首を縦に振った」

 

 

 

永遠で、足掻く。単純なことだった。

 

 

 

 「“あの時”に私は首を縦に振った」

 

 

 

永遠で、足掻く。明快なことだった。

 

 

 

 「「――――ただ、それだけのこと」」

 

 

 

現実を選んだか、永遠を選んだか。そんな単純明快な話。

ただ……互いの足掻く道が異なっただけ。たった、それだけ。

 

 

 

 「例え、それが間違っていても。許されないことだと解っていても。

  それでも取り戻したかった……だから、俺は。遠野は。此処にいる」

 

 

 「それが解ってるのに……何でですか!?」

 

 

 

“神尾”を知る彼が。“遠野”である彼女が。

何故最も愚かしい行為を選択するのか。解っていても、解りたくなかった。

選びたかった道だから。選べなかった道だから。

故に。その宣告は、祐一と一弥の心を直撃する。

 

 

 


 

 

 

――――祐一! そんなことでは余が伴侶として未熟過ぎるぞ!

 

 

――――財布の中身が少ないだけで其処まで言うかっ!?

 

 

――――往人さん! 待って、待ってっ!……うう、がおっ。

 

 

――――慣れない浴衣なんか着るからだ……ついでに“がお”言うな!

 

 

――――ウチの可愛い娘をはたくんやない! 居候のどあほーっ!

 

 

――――あんたがしろって言ったんだろうがっ!? つーか黙れ酔っ払いっ!

 

 

 

永遠に侵された世界の中に存在した、確かな記憶だった。

 

 

 

――――美凪〜! おかあさん! おとうさん! 一弥〜!

 

 

――――うーん、僕って一応みちるの彼氏だった気がするんだけど……呼ぶの最後?

 

 

――――あはは、あのお転婆娘には一弥君しかいないから、大丈夫大丈夫。

 

 

――――ふふ、良かった。あの子の将来心配しなくて済んで。ねぇ、美凪?

 

 

――――可愛い妹を奪われた可哀想なお姉さん……萌え?

 

 

――――絶対ソレ何か間違ってますよ、美凪姉さん……。

 

 

 

永遠に狂わされた世界の中に存在した、確かな平和だった。

 

 

 


 

 

 

 「もう、何処にも……居ないんだぞ。観鈴も……神奈も!」

 

 

 

悔しくて、苦しくて、今に至ったからこそ。

 

 

 

 「ああ、この世界の何処にも居ない。だから……永遠を望む」

 

 

 

辛くて、耐えられなくて、今に至ったからこそ。

 

 

 

 「逢えないんですよ、みちるには」

 

 

 

どれだけ後悔しても、生きている限り、再会できないから。

だから死のうとも思った。だけど、膝を屈するよりも早く、救われたから。

 

 

 

 「それは違います。逢えるんです。永遠を望めば……また、逢えるんです。

  ただ、貴方があの娘を忘れてくれないから、私はみちるを取り戻せない」

 

 

 

いくら望んでも、再会できない。絆が現世に残っているから。

妹が最も大切に思っていた彼が、妹のことを忘れてくれないから。

 

 

 

――――それは、鏡。

 

――――彼らは、根本を辿れば全く同じ存在。

 

――――相克し対立する故に、在るべき姿は互いを映す鏡。

 

 

 

永遠を求めたのが祐一であるなら、彼は今、其処という永遠に在っただろう。

永遠を求めなかった美凪がいるなら、彼女は今、此処という現実に在ただろう。

 

そう、世界が無限に存在するのであれば。

何処かにはきっと在るのだろう。国崎往人が“青龍”という世界が。

その世界では祐一が永遠の使徒で。蒼銀の刀を手に神奈を求めているのかもしれない。

そう、世界が永劫に分岐するのであれば。

何処かにはきっと在るのだろう。遠野美凪が“白虎”という世界が。

その世界では一弥が永遠の使徒で。空色の大鎌を手にみちるを望んでいるのかもしれない。

だが、それは所詮空想。今、この世界にある真実は、ただ一つだけ。

 

永遠と現実は対立する。

その求めが純粋であればある程に、対極となる。

互いが、正義であり、悪である。

どちらが正しかろうが、間違っていようが、関係無い。

己の望む信念が異なるだけの対称に過ぎないから。

何を犠牲にしたか、という違いがあるだけの。単純明快な、お話。

 

 

 

 「祐一、北斗を渡せ。そうすれば俺達が戦う必要なんて、何処にも無い」

 

 

 

往人は言う。

 

 

 

 「俺はあれからずっと観鈴と再会することだけを望んで生きてきた。

  俺の翼王とお前の北斗、そして宝珠……それがあれば観鈴に。勿論、神奈も、だ」

 

 

 

再会できる。失われた彼女を、取り戻せる。

 

 

 

 「な……? にを」

 

 

 

その言葉に、彼が戸惑わぬ筈がない。

 

 

 

 「祐一、俺達は鏡だ。俺が望んだことをお前も望んだ筈だ。

  俺が観鈴を愛しているように、お前は神奈を愛している。

  アイツらを、求めてる筈だ。……違うなんて、言わせない。

  だから力を貸せ、祐一。お前の力があれば必ず神奈はお前の元に帰ってくる」

 

 

 

 

 

――――――いつか願った夢。

 

 

 

――――――叶うはずの無い、望み。

 

 

 

 

 

 

 「………………神奈、が?」

 

 

 

たった一言。

其処に込められた、大きすぎて辛すぎる想念。

 

会場のどこかで、その言葉に息を呑む者達がいた。

彼の呟きは、渇望する者のソレ。

声音の中に、恋慕の情が眠っていることを誰もが気付いていた。

気付かざるを、得なかった。

 

 

 

 「ああ。永遠を望めば、またあの日が帰ってくる。

  俺と観鈴、祐一と神奈。晴子だっている。俺達で暮らしていたあの日が」

 

 

 

そこで往人は朱の鞘から刃を抜く。

銘は【翼王】。朱金の刃を持つ、観鈴の護り刀。

輝くその刃に、秘めし力。

それは往人の覚悟を表していた。

 

祐一にとっては甘美な誘いだった。

今も神奈を忘れたわけではない。

逢えるものなら逢いたい。

愛しい人に逢えるのなら、永遠を望んでいたかもしれない。

 

 

 

 「祐一! 俺と一緒に来い! 俺達の幸せは永遠にある」

 

 

 

強い言葉で。

 

 

 

 「俺……は」

 

 

 

弱い言葉で。

 

 

 

 

 

――――――それは、ずっと願っていたこと。

 

 

 

 

 

――――――たとえ何を犠牲にしても、叶えたいと願うこと。

 

 

 

 

 

――――――それは、間違いなくて。

 

 

 

 

 

――――――だから、想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「―――――――――俺は、望まない」

 

 

 

確固たる、言葉で。

 

 

 

 

――――――――永遠なんて、いらない――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行きたくないと言えば絶対に嘘になる。

“あの時”誘惑に負けそうだった自分を否定しない。

神奈を望んで、永遠に堕ちかけた。

 

 

 

 「俺は神奈を失った。ああ、そうさ。あの時、俺だって永遠に堕ちかけた。

  往人の言う通り、今も神奈を忘れてない。

  女々しいけど、まだ愛してる。過去に囚われ続けてる。

  それが永遠に繋がるって解ってても、毎日馬鹿みたいに、泣いてるよ。俺は」

 

 

 

誰にも気付かれぬ処で。たとえ一瞬だとしても、泣いている。

ある時は、少女の腕に抱かれて、泣いた。少女の優しさを傷つけて、泣いた。

 

 

 

 「だけど」

 

 

 

彼女以上の誰かに逢うことなんて、もう出来ないかもしれない。

此処にはもう、彼女はいない。

過去と割り切れるほど器用じゃない。割り切れても、いつか綻ぶかもしれない。

だけど彼女を愛したことは真実なのだから。

 

 

 

 「俺は神奈がいてくれたからこそ、誰かを想う大切さを知った。

  誰かを護る、その強さを知った。アイツが、教えてくれた」

 

 

 

最も護りたいと思った彼女は、もういないけど。

それでもその想いは、自分の中にあるから。

誰かを護ろうとする想いは、生きているから。

だからこそ、今の自分がある。

 

 

 

 「俺は、永遠を討つ」

 

 

 

修羅として、それだけを糧に此処にいる。

救いの手は、伸ばされている。俺を心配してくれる人が、人達が居る。

それを知っているけれど、今はまだ、求める資格が、きっと無い。

 

 

 

 「俺が永遠に堕ちたら、神奈の教えてくれたその想いを失うだろう?

  【永遠なんて無くなってしまえばいい】……それは俺も同じだから。

  俺が、俺を愛してくれた神奈を否定するわけにはいかない」

 

 

 

 

 

――――――――だから。

 

 

 

 

 

それは、彼女が望むことではないのだから。

そして、約束だから。

 

 

 

 「――――――お前と一緒には、行かない。俺は、永遠を、認めない」

 

 

 

 

 

―――――――それが、“あの時”から変わらない自分の答え。

 

 

 

 「俺の名は、神器【青龍】相沢祐一。

  神奈の想いがある限り……この身は永遠を斬り裂く刃」

 

 

 

祐一は【北斗】の名を喚ぶ。

対立を示すため。想いを曲げぬため。

手に握る記憶を揺らがせぬため、握る筈の刃を、再び、叫ぶ。

 

 

 

 「顕現せよ――――――――【北斗】ぉっ!」

 

 

 

神奈の護り刀、翼人の秘宝。

蒼銀に輝く、永遠を封じる刃を。

 

 

 


 

 

 

 「私は、貴方を――――許さない」

 

 

 

美凪が一弥に告げる。

静かな怒りを携えて。しかし隠さずに。

 

 

 

 「――――僕は、貴女に殺されても、文句は言えません」

 

 

 

赦されない。自分はみちるを護れなかったのだから。

一緒に逃げようよ……そう言ったのに。結局、手遅れで。結局、救えなかった。

 

 

 

だから、此処で死んでもいいのかもしれない。

大好きな人達を失って。生きていることを諦めようとした。

大切な人を護れなかった己が、生きている資格なんてなかった。

愚かな自分は、消えるべきだと何度も何度も自らを呪ってきた。

もし。自分が犠牲になることで皆が蘇るのなら、どれだけ素晴らしいことだろう、と。

 

 

 

――――だから、此処で彼女に殺されるならば、それも悪くは無い。

 

 

 

 「覚悟は、出来ているんですね」

 

 

 「……ええ。僕を罰してくれる人がいるなら、

  美凪姉さんしかいないって、ずっと思ってましたから」

 

 

 

消息は、不明だった。

死体は残っていなかったから。

生きているのかもしれないし、死んでいるのかもしれない。

だけど、ずっと生きていると信じてきた。

己を裁いてくれるのは、美凪しかいないと思っていたから。

だから、例え永遠に堕ちていたとしても、

ある意味ではこうして再会できたのは幸いだった。

 

 

 

 「なら、苦しまずに殺してあげます。私の、せめてもの慈悲です。

  一弥さんがいなくなれば、みちるは私の所に帰って来てくれるんですから。

  その感謝を込めて。優しく、死なせてあげます」

 

 

 

妹が、いないのに。何故、貴方がまだ生きているの?

それが、赦せないのだ。一緒に堕ちたのなら、赦せたのに。

 

 

 

 「私は、一弥さんを永遠に誘ったりなんてしません。

  あの時に選んでくれなかった貴方を、認めない」

 

 

 

憎まれていた。もう、道が交わらぬと告げる程に、憎まれていた。

憎まれていて、当然だと思った。それでも、言うべきことがある。

 

 

 

 「認められるなんて思ってません。ただ……」

 

 

 

 「ただ?」

 

 

 

冥土の土産だ。遺言くらいは赦す。

そうしないと、みちるが怒る気がする。

 

 

 

――――もうすぐ、貴女を取り戻します。ね、みちる?

 

 

 

歪みながらも愛しさを胸にして、唯一の機会を授けた美凪。

そんな彼女に、一弥は告げる。

 

 

 

 「僕は、死ねません」

 

 

 

どれだけ己を呪っても。どれだけ諦めようと思っても。

どれだけ己を苦しめても。どれだけ犠牲になろうと思っても。

 

 

 

――――あの頃の“僕”とは、違うから。

 

 

 

 「っ!」

 

 

 「美凪姉さんに殺されても文句は言えません。言いません。

  認められるとも、赦されるとも、思っていません。でも、死ねません」

 

 

 

往生際が悪い訳ではない。ただ、譲れないのだ。

想いに、屈する訳にはいかないのだ。

永遠を討つと決めたあの日を。救われた、あの日の誓いを。

みちるの笑顔を奪った永遠を、赦す訳にはいかないのだ。

 

 

 

 「戯……言をっ!」

 

 

 「僕は、あの日、終わりかけた。永遠に、堕ちそうになった。

  でも、ギリギリで崩れなかった。けれど、壊れた。そして、兄さんに救われた」

 

 

 

この言葉に、邪魔はさせない。

今の自分は、其処から始まった。

 

 

 

 「――――どれだけ救われたか、解りますか!? 永遠に逃げた貴女にっ!」

 

 

 

赦されなくてもいい。認められなくてもいい。だけど、譲らない。

 

 

 

 「差し伸べられた手が、どれだけ嬉しかったか!

  掛けられた言葉が、どれだけ厳しくて、優しかったか!」

 

 

 

暗闇に迷い続けた自分に、差し込んだ光だった。

依存であることは、知っている。

けれど……僕は、僕の意思で。闘う道を、選ぶ。

 

 

 

 「僕は、兄さんと共に戦うと誓いました。

  相沢祐一が永遠を討つのなら、倉田一弥もその道を選ぶ。

  それが、僕に出来る唯一の恩返しだから」

 

 

 

そして、その道は。自分に出来るもう一つの償いの形で。

 

 

 

 「何より……僕は、みちるの時と同じ悲しみを生む訳にはいかない。

  みちるのような人を、増やす訳にはいかない。僕と同じ人を、増やさせない」

 

 

 

――――だから、死ねない。

 

 

 

 「貴方にはあの娘の名前を呼ぶ資格なんて、無い」

 

 

 

一弥は頷いた。

悲しげに、後悔する者の瞳で。

 

 

 

 「解ってます。僕にはそんな資格なんてきっとありません。

  だけど、みちるは、僕をずっと好きでいてくれました。だから、解ります。

  きっと、あの子は、泣いている。ずっと、悲しんでいる。

  今の美凪姉さんは、みちるを苦しませている。あの笑顔を、曇らせてる」

 

 

 

その予感だけは、間違いじゃない。

優しいあの少女が、微笑んでいる訳がない。

大好きな人達が、争う姿を――――喜ぶ訳がない。

 

 

 

 「みちるが僕にとって大切だからこそ、悲しい思いはさせたくありません。

  それが僕のエゴであっても、そうだとは判っていても……見過ごせないから。

  僕の全てを賭して――――貴女を止めます……“姉さん”」

 

 

 

 

 

――――――哀しい宣言、哀しい誓い。

 

 

 

無様で下らぬ『幻想』に過ぎなくて。

無駄で愚かな『夢想』に過ぎなくて。

無常で残酷な『空想』に過ぎなくて。

無情で惰弱な『妄想』に過ぎなくて。

 

それでも、死ねないから。

その手に握る大鎌に、誓うために。

再び、同じ言霊を紡ぐ。

 

 

 

 「謳え――――――【空牙】ぁっ!」

 

 

 

一本の大鎌が、再び形を紡ぎ直す。

羽根の一片が、一弥に応える。

空色の刃。銘は【空牙】。

 

一弥が愛した少女、『遠野 みちる』を守護せし翼人の秘宝。

片翼の少女。“できそこない”と呼ばれた、少女の形見。

 

 

 

 「この手に【空牙】がある限り、みちるへの想いは消えません。

  僕が【僕】であるために、【倉田 一弥】であるために、みちるを忘れない」

 

 

 

それは彼の戒めであり、贖罪。

 

 

 

 「詭弁です、一弥さんには永遠を選ばない程の“今”があるのに」

 

 

 「だからこそ、永遠の所為で失うのは、嫌なんです。

  僕には今、護りたい人達がいる。護らなきゃいけない人達がいる。

  僕はもう……一人じゃない。弱い僕は、強くなったから」

 

 

 

昔、彼女を失ったあの頃とは違う。

その苦しみを分かち合える友がいる、護らなきゃならない少女達がいる。

代償行為と笑うがいい、でもしがみ付いてみせる。

今は……永遠を討つ事だけが贖罪だから。

覚悟を持つからこそ、一弥はその刃を構える。

 

 

 

 「僕の名は、神器【白虎】倉田一弥。

  永遠の絶望を僕は認めない……この刃は希望を与えし力」

 

 

 

逢いたくないヒトだから、逢いたかったヒトだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――戦うことでしか、止められない。





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