冷たくて歪んだ音がした。
世界を棄てた者が、世界に現出するという自分勝手な行為。
強く言えば、腐った精神を持つからこその愚行。
歓迎されることのない考えを持つ彼は、世界を侵していく。
“狂楽”と呼ばれた凶つなる遊戯。
対なる者が揃うために、最後のカーテンコールが叫ばれる。
現れる二つの人影は、御伽噺の魔法使いを演じるつもりなのだろうか?
……そんな見当違いな疑問を抱く程、その漆黒のローブは逸脱していた。
その姿は、現実を告げる鐘の音。
如何なる虚構も虚勢も虚実もない。事実と現実と真実を示すのみ。
「全く。遅いじゃないか。今まで何やっていたのさ?」
狂楽開始と告げられた言葉に少なからずの悦びを感じながら、
しかしその笑みを必死に堪えるように虚勢を張る司は、ローブの二人に問い掛ける。
遊ぼうという感情と、永遠の使徒としての義務心をない交ぜにしながら。
「……飯食ってた」
刀らしきものを握るローブの片割れ――男の声色で、そう言った。
その口調も、声色も、“彼”の記憶の中には残っていた。
記憶の中から、消えていなかった――――“彼の名前”を、識っていた。
疑心は、確信に変化しつつあり。予感は、悪寒へと移り変わって。
信じたくないのに。信じざるを得ない……青龍としての本能が、告げていた。
嘘だ!……と叫びたくて、叫べなかった。
「ラーメンセット、食べてもらいました。……ぶい」
小さな紙片を爪弾くローブの片割れ――女の声音が、小さく主張する。
“自分”が記憶していた“彼女の声”と『同じ』――――そう、思ってしまった。
ローブに隠れて姿が見えないのに、仕草が理解できてしまった。
浮かべているであろう表情も、独特の間を生み出すその呼吸も。
間違い無いと感じてしまう己が、赦せなくて。白虎という本能が、疎ましくて。
違う!……そう主張しかねない己が、あまりに無意味であると自覚していた。
「つくづく君らは好き勝手な存在だよねぇ」
「……腹が減ったら動けないだろ」
「くくっ、そこまで人間臭いのは君達位だよ、ホント」
愉快そうに。しかし“同胞”を哀れむように。司は笑う。
尤も、ローブの二人は司を“同胞”とは思っていないのだが。
「司さん。まるでお二人だけがそうだと言うのは止めて下さい。
私だってちゃんとお料理くらいします。ちゃんと練習してますから」
司の言葉が心外であると、頼子は主張する。
純一を満足させるため、あらゆる努力を惜しまないと自負する彼女だからこそ。
永遠に染まったこと以外は、何も変化させないと思い込む彼女だからこそ。
彼らが交わすのは、日常に近いような、非日常の会話。
それがどうしても許容できなかった。
永遠に属する者が現実を描くような行為が、世界への冒涜にしか感じないから。
だが、永遠に属しながらも互い以外を“同胞”と感じぬ彼らには関係が無い。
言葉の羅列を意に介さないローブの二人は、地上へと降り立つ。
顔を隠したまま、対峙するべき“友”と“弟”へ視線を送る。
その再会に、誰が横槍を入れられるだろう?
――――解るんだろ?
――――解っているんでしょう?
無言で、告げている。態度が、告げている。
他の誰でもない、俺へ。他の誰でもない、僕へ。
だから、認められなくて。問い掛けだけが口から零れて。
「何……で?」
全く同時であるが故に、まるで一人であるかのように奏でられたその言葉。
戸惑いだけが露骨で。動揺だけが隠せなくて。
逢えなくても、信じていたから。
きっと何処かで笑っていると思っていたから。
神器であるならば、彼らの命も護れていると思っていたから。
“敵”だなんて、考えたことも無かったから。
――――現実だよ。
――――真実ですよ。
「…………違う、だろ?」
「…………嘘、でしょう?」
――――目を覚ませよ?
――――気付きたくないだけでしょう?
告げられぬ言葉が、胸を衝いた。
嘘偽りなく己の感情を抉る態度が、否定できない事実だった。
「――――往人ぉッ!」
「――――美凪姉さんッ!」
堪えられぬ、絶叫が響く。
友の名を。姉の名を。認めないからこそ認めて。
会場の全ての視線が、二人の兄弟に注がれた。
“それでいい”……ローブの下で微笑し、纏う衣を捨てる。
道は分かたれたのだから、これでいい。こうであることを、望んだのだから。
灰色がかった銀色の髪、目つきが悪いと表現されてしまうようなつり上がった目。
祐一よりも幾分か背は高く、長身。
黙っていれば美形と言われる程度に顔は整っているだろう。
朱色の鞘を携えた翼人の伴侶。青年の名前は、“国崎 往人”
黒き長髪。しかしどこか灰色がかり、砂が星光に照らされ輝くかの様。
その髪を纏める青いリボンは、一弥が普段身につけているソレとよく似ていた。
端正な顔立ちと表記して間違いは無く、醸し出す雰囲気は清楚と評するより他無く。
人によっては、彼女を神秘的と表現するかもしれない。
白き紙片を指に手挟むのは、翼人在らざる翼人。少女の名前は、“遠野 美凪”
――――顔を晒すその瞬間まで、否定していた。
――――その可能性以外には在り得ないと知っていても、嘘を信じていた。
――――無意味だと、気付いていても。
その姿は、昔とほとんど変わっていない。
彼が知る時よりも多少の変化はしているらしいが、見間違う筈のない親友の姿。
彼が知る時よりも多少の成長はしているらしいが、見間違う訳のない姉の姿。
名を呼ばれた。ならば応えよう。
今度は無言ではなく、自身の口で。
現実と永遠の対立を。希望と絶望の、差を。
分かたれた“俺とお前”を。分かたれた“私と貴方”を。
「久し振りだな。祐一」
まるで、ただの再会であるかのように。
「お元気でしたか? 一弥さん」
二人はそれぞれの逢うべき人へと声を掛ける。
あの頃とは違う視点で。違う立場で。
――――おい観鈴! ったく……祐一、神奈! 勝手に先行くな!
笑っていた、俺達が。
じわじわと、侵食されて。消えていく。
――――みちる? もう、一弥さんもですか?…………ふふ。では、私も。
眠っていた、僕達が。
ガラガラと、音を立てて。壊れていく。
――――あの日の慟哭が、この日を呼んだ。
喉の奥から搾り出すような声で、祐一が訊ねた。
もう、否定できなくて。友が、永遠に在ると。
「どうして……お前が“其処”にいるんだよ?」
“其処”――――永遠を暗喩しているのは言うまでも無く。
声を震わせて、苦しみ続ける心で、一弥は問うた。
もう、誤魔化せなくて。姉が、永遠に在ると。
「何故……貴女が“望む”んですか?」
“望む”――――堕落を比喩しているのは語るまでも無く。
何を今更……とは思わなかった。その問いは、当然だった。
だから、回答する。もはや、答える迄もないことを。
告げる必要がないから、告げる必要があるのだと。
「祐一。お前なら、解るだろう?」
「解らねぇよ! 解りたくもねぇよっ!」
――――嘘だ。解っている。
「一弥さん。貴方なら……気付いているでしょう?」
「気付けませんよ! 気付きたくなんてないですよぉっ!」
――――嘘だ。気付いている。
彼が解っているのを知っていて。彼が気付いているのを知っていて。
ただ、現実を突きつける。永遠という、現実を。
「簡単なこと……だろ?」
そう、何も難しくない。単純なこと。
「簡単なこと……でしょう?」
そう、何も難しくない。明快なこと。
「“あの時”にお前は首を横に振った」
現実で、足掻く。単純なことだった。
「“あの時”に貴方は首を横に振った」
現実で、足掻く。明快なことだった。
「“あの時”に俺は首を縦に振った」
永遠で、足掻く。単純なことだった。
「“あの時”に私は首を縦に振った」
永遠で、足掻く。明快なことだった。
「「――――ただ、それだけのこと」」
現実を選んだか、永遠を選んだか。そんな単純明快な話。
ただ……互いの足掻く道が異なっただけ。たった、それだけ。
「例え、それが間違っていても。許されないことだと解っていても。
それでも取り戻したかった……だから、俺は。遠野は。此処にいる」
「それが解ってるのに……何でですか!?」
“神尾”を知る彼が。“遠野”である彼女が。
何故最も愚かしい行為を選択するのか。解っていても、解りたくなかった。
選びたかった道だから。選べなかった道だから。
故に。その宣告は、祐一と一弥の心を直撃する。
――――祐一! そんなことでは余が伴侶として未熟過ぎるぞ!
――――財布の中身が少ないだけで其処まで言うかっ!?
――――往人さん! 待って、待ってっ!……うう、がおっ。
――――慣れない浴衣なんか着るからだ……ついでに“がお”言うな!
――――ウチの可愛い娘をはたくんやない! 居候のどあほーっ!
――――あんたがしろって言ったんだろうがっ!? つーか黙れ酔っ払いっ!
永遠に侵された世界の中に存在した、確かな記憶だった。
――――美凪〜! おかあさん! おとうさん! 一弥〜!
――――うーん、僕って一応みちるの彼氏だった気がするんだけど……呼ぶの最後?
――――あはは、あのお転婆娘には一弥君しかいないから、大丈夫大丈夫。
――――ふふ、良かった。あの子の将来心配しなくて済んで。ねぇ、美凪?
――――可愛い妹を奪われた可哀想なお姉さん……萌え?
――――絶対ソレ何か間違ってますよ、美凪姉さん……。
永遠に狂わされた世界の中に存在した、確かな平和だった。
「もう、何処にも……居ないんだぞ。観鈴も……神奈も!」
悔しくて、苦しくて、今に至ったからこそ。
「ああ、この世界の何処にも居ない。だから……永遠を望む」
辛くて、耐えられなくて、今に至ったからこそ。
「逢えないんですよ、みちるには」
どれだけ後悔しても、生きている限り、再会できないから。
だから死のうとも思った。だけど、膝を屈するよりも早く、救われたから。
「それは違います。逢えるんです。永遠を望めば……また、逢えるんです。
ただ、貴方があの娘を忘れてくれないから、私はみちるを取り戻せない」
いくら望んでも、再会できない。絆が現世に残っているから。
妹が最も大切に思っていた彼が、妹のことを忘れてくれないから。
――――それは、鏡。
――――彼らは、根本を辿れば全く同じ存在。
――――相克し対立する故に、在るべき姿は互いを映す鏡。
永遠を求めたのが祐一であるなら、彼は今、其処という永遠に在っただろう。
永遠を求めなかった美凪がいるなら、彼女は今、此処という現実に在ただろう。
そう、世界が無限に存在するのであれば。
何処かにはきっと在るのだろう。国崎往人が“青龍”という世界が。
その世界では祐一が永遠の使徒で。蒼銀の刀を手に神奈を求めているのかもしれない。
そう、世界が永劫に分岐するのであれば。
何処かにはきっと在るのだろう。遠野美凪が“白虎”という世界が。
その世界では一弥が永遠の使徒で。空色の大鎌を手にみちるを望んでいるのかもしれない。
だが、それは所詮空想。今、この世界にある真実は、ただ一つだけ。
永遠と現実は対立する。
その求めが純粋であればある程に、対極となる。
互いが、正義であり、悪である。
どちらが正しかろうが、間違っていようが、関係無い。
己の望む信念が異なるだけの対称に過ぎないから。
何を犠牲にしたか、という違いがあるだけの。単純明快な、お話。
「祐一、北斗を渡せ。そうすれば俺達が戦う必要なんて、何処にも無い」
往人は言う。
「俺はあれからずっと観鈴と再会することだけを望んで生きてきた。
俺の翼王とお前の北斗、そして宝珠……それがあれば観鈴に。勿論、神奈も、だ」
再会できる。失われた彼女を、取り戻せる。
「な……? にを」
その言葉に、彼が戸惑わぬ筈がない。
「祐一、俺達は鏡だ。俺が望んだことをお前も望んだ筈だ。
俺が観鈴を愛しているように、お前は神奈を愛している。
アイツらを、求めてる筈だ。……違うなんて、言わせない。
だから力を貸せ、祐一。お前の力があれば必ず神奈はお前の元に帰ってくる」
――――――いつか願った夢。
――――――叶うはずの無い、望み。
「………………神奈、が?」
たった一言。
其処に込められた、大きすぎて辛すぎる想念。
会場のどこかで、その言葉に息を呑む者達がいた。
彼の呟きは、渇望する者のソレ。
声音の中に、恋慕の情が眠っていることを誰もが気付いていた。
気付かざるを、得なかった。
「ああ。永遠を望めば、またあの日が帰ってくる。
俺と観鈴、祐一と神奈。晴子だっている。俺達で暮らしていたあの日が」
そこで往人は朱の鞘から刃を抜く。
銘は【翼王】。朱金の刃を持つ、観鈴の護り刀。
輝くその刃に、秘めし力。
それは往人の覚悟を表していた。
祐一にとっては甘美な誘いだった。
今も神奈を忘れたわけではない。
逢えるものなら逢いたい。
愛しい人に逢えるのなら、永遠を望んでいたかもしれない。
「祐一! 俺と一緒に来い! 俺達の幸せは永遠にある」
強い言葉で。
「俺……は」
弱い言葉で。
――――――それは、ずっと願っていたこと。
――――――たとえ何を犠牲にしても、叶えたいと願うこと。
――――――それは、間違いなくて。
――――――だから、想う。
「―――――――――俺は、望まない」
確固たる、言葉で。
――――――――永遠なんて、いらない――――――――
行きたくないと言えば絶対に嘘になる。
“あの時”誘惑に負けそうだった自分を否定しない。
神奈を望んで、永遠に堕ちかけた。
「俺は神奈を失った。ああ、そうさ。あの時、俺だって永遠に堕ちかけた。
往人の言う通り、今も神奈を忘れてない。
女々しいけど、まだ愛してる。過去に囚われ続けてる。
それが永遠に繋がるって解ってても、毎日馬鹿みたいに、泣いてるよ。俺は」
誰にも気付かれぬ処で。たとえ一瞬だとしても、泣いている。
ある時は、少女の腕に抱かれて、泣いた。少女の優しさを傷つけて、泣いた。
「だけど」
彼女以上の誰かに逢うことなんて、もう出来ないかもしれない。
此処にはもう、彼女はいない。
過去と割り切れるほど器用じゃない。割り切れても、いつか綻ぶかもしれない。
だけど彼女を愛したことは真実なのだから。
「俺は神奈がいてくれたからこそ、誰かを想う大切さを知った。
誰かを護る、その強さを知った。アイツが、教えてくれた」
最も護りたいと思った彼女は、もういないけど。
それでもその想いは、自分の中にあるから。
誰かを護ろうとする想いは、生きているから。
だからこそ、今の自分がある。
「俺は、永遠を討つ」
修羅として、それだけを糧に此処にいる。
救いの手は、伸ばされている。俺を心配してくれる人が、人達が居る。
それを知っているけれど、今はまだ、求める資格が、きっと無い。
「俺が永遠に堕ちたら、神奈の教えてくれたその想いを失うだろう?
【永遠なんて無くなってしまえばいい】……それは俺も同じだから。
俺が、俺を愛してくれた神奈を否定するわけにはいかない」
――――――――だから。
それは、彼女が望むことではないのだから。
そして、約束だから。
「――――――お前と一緒には、行かない。俺は、永遠を、認めない」
―――――――それが、“あの時”から変わらない自分の答え。
「俺の名は、神器【青龍】相沢祐一。
神奈の想いがある限り……この身は永遠を斬り裂く刃」
祐一は【北斗】の名を喚ぶ。
対立を示すため。想いを曲げぬため。
手に握る記憶を揺らがせぬため、握る筈の刃を、再び、叫ぶ。
「顕現せよ――――――――【北斗】ぉっ!」
神奈の護り刀、翼人の秘宝。
蒼銀に輝く、永遠を封じる刃を。
「私は、貴方を――――許さない」
美凪が一弥に告げる。
静かな怒りを携えて。しかし隠さずに。
「――――僕は、貴女に殺されても、文句は言えません」
赦されない。自分はみちるを護れなかったのだから。
一緒に逃げようよ……そう言ったのに。結局、手遅れで。結局、救えなかった。
だから、此処で死んでもいいのかもしれない。
大好きな人達を失って。生きていることを諦めようとした。
大切な人を護れなかった己が、生きている資格なんてなかった。
愚かな自分は、消えるべきだと何度も何度も自らを呪ってきた。
もし。自分が犠牲になることで皆が蘇るのなら、どれだけ素晴らしいことだろう、と。
――――だから、此処で彼女に殺されるならば、それも悪くは無い。
「覚悟は、出来ているんですね」
「……ええ。僕を罰してくれる人がいるなら、
美凪姉さんしかいないって、ずっと思ってましたから」
消息は、不明だった。
死体は残っていなかったから。
生きているのかもしれないし、死んでいるのかもしれない。
だけど、ずっと生きていると信じてきた。
己を裁いてくれるのは、美凪しかいないと思っていたから。
だから、例え永遠に堕ちていたとしても、
ある意味ではこうして再会できたのは幸いだった。
「なら、苦しまずに殺してあげます。私の、せめてもの慈悲です。
一弥さんがいなくなれば、みちるは私の所に帰って来てくれるんですから。
その感謝を込めて。優しく、死なせてあげます」
妹が、いないのに。何故、貴方がまだ生きているの?
それが、赦せないのだ。一緒に堕ちたのなら、赦せたのに。
「私は、一弥さんを永遠に誘ったりなんてしません。
あの時に選んでくれなかった貴方を、認めない」
憎まれていた。もう、道が交わらぬと告げる程に、憎まれていた。
憎まれていて、当然だと思った。それでも、言うべきことがある。
「認められるなんて思ってません。ただ……」
「ただ?」
冥土の土産だ。遺言くらいは赦す。
そうしないと、みちるが怒る気がする。
――――もうすぐ、貴女を取り戻します。ね、みちる?
歪みながらも愛しさを胸にして、唯一の機会を授けた美凪。
そんな彼女に、一弥は告げる。
「僕は、死ねません」
どれだけ己を呪っても。どれだけ諦めようと思っても。
どれだけ己を苦しめても。どれだけ犠牲になろうと思っても。
――――あの頃の“僕”とは、違うから。
「っ!」
「美凪姉さんに殺されても文句は言えません。言いません。
認められるとも、赦されるとも、思っていません。でも、死ねません」
往生際が悪い訳ではない。ただ、譲れないのだ。
想いに、屈する訳にはいかないのだ。
永遠を討つと決めたあの日を。救われた、あの日の誓いを。
みちるの笑顔を奪った永遠を、赦す訳にはいかないのだ。
「戯……言をっ!」
「僕は、あの日、終わりかけた。永遠に、堕ちそうになった。
でも、ギリギリで崩れなかった。けれど、壊れた。そして、兄さんに救われた」
この言葉に、邪魔はさせない。
今の自分は、其処から始まった。
「――――どれだけ救われたか、解りますか!? 永遠に逃げた貴女にっ!」
赦されなくてもいい。認められなくてもいい。だけど、譲らない。
「差し伸べられた手が、どれだけ嬉しかったか!
掛けられた言葉が、どれだけ厳しくて、優しかったか!」
暗闇に迷い続けた自分に、差し込んだ光だった。
依存であることは、知っている。
けれど……僕は、僕の意思で。闘う道を、選ぶ。
「僕は、兄さんと共に戦うと誓いました。
相沢祐一が永遠を討つのなら、倉田一弥もその道を選ぶ。
それが、僕に出来る唯一の恩返しだから」
そして、その道は。自分に出来るもう一つの償いの形で。
「何より……僕は、みちるの時と同じ悲しみを生む訳にはいかない。
みちるのような人を、増やす訳にはいかない。僕と同じ人を、増やさせない」
――――だから、死ねない。
「貴方にはあの娘の名前を呼ぶ資格なんて、無い」
一弥は頷いた。
悲しげに、後悔する者の瞳で。
「解ってます。僕にはそんな資格なんてきっとありません。
だけど、みちるは、僕をずっと好きでいてくれました。だから、解ります。
きっと、あの子は、泣いている。ずっと、悲しんでいる。
今の美凪姉さんは、みちるを苦しませている。あの笑顔を、曇らせてる」
その予感だけは、間違いじゃない。
優しいあの少女が、微笑んでいる訳がない。
大好きな人達が、争う姿を――――喜ぶ訳がない。
「みちるが僕にとって大切だからこそ、悲しい思いはさせたくありません。
それが僕のエゴであっても、そうだとは判っていても……見過ごせないから。
僕の全てを賭して――――貴女を止めます……“姉さん”」
――――――哀しい宣言、哀しい誓い。
無様で下らぬ『幻想』に過ぎなくて。
無駄で愚かな『夢想』に過ぎなくて。
無常で残酷な『空想』に過ぎなくて。
無情で惰弱な『妄想』に過ぎなくて。
それでも、死ねないから。
その手に握る大鎌に、誓うために。
再び、同じ言霊を紡ぐ。
「謳え――――――【空牙】ぁっ!」
一本の大鎌が、再び形を紡ぎ直す。
羽根の一片が、一弥に応える。
空色の刃。銘は【空牙】。
一弥が愛した少女、『遠野 みちる』を守護せし翼人の秘宝。
片翼の少女。“できそこない”と呼ばれた、少女の形見。
「この手に【空牙】がある限り、みちるへの想いは消えません。
僕が【僕】であるために、【倉田 一弥】であるために、みちるを忘れない」
それは彼の戒めであり、贖罪。
「詭弁です、一弥さんには永遠を選ばない程の“今”があるのに」
「だからこそ、永遠の所為で失うのは、嫌なんです。
僕には今、護りたい人達がいる。護らなきゃいけない人達がいる。
僕はもう……一人じゃない。弱い僕は、強くなったから」
昔、彼女を失ったあの頃とは違う。
その苦しみを分かち合える友がいる、護らなきゃならない少女達がいる。
代償行為と笑うがいい、でもしがみ付いてみせる。
今は……永遠を討つ事だけが贖罪だから。
覚悟を持つからこそ、一弥はその刃を構える。
「僕の名は、神器【白虎】倉田一弥。
永遠の絶望を僕は認めない……この刃は希望を与えし力」
逢いたくないヒトだから、逢いたかったヒトだから。
――――――――戦うことでしか、止められない。