Eternal Snow

138/“災現”

 

 

 

白銀と炎が織り成す銃声。

永遠より飛来する銃声。

銃撃と銃撃が重なり、中心で破裂する。

それは、浩平のラムダガンナーと司のヴェリオンが互いに弾丸を放った結果。

腕に伝わる反動はお互いに慣れ親しんだ感触。

 

 

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

 

 

撃たれた弾丸が穿ち合い、穿ち合った弾丸が撃たれる。

銃把を握る掌に伝う震動。互いの銃口の角度で先読みに先読みを重ねる。

常人では決して真似ができない……いや、そもそも真似をしない銃撃。

撃つタイミングが少しでも遅れれば絶命に至るかもしれぬ状況。

だが、浩平も司も臆しはしない。撃ち出す弾丸は矛であり、同時に盾。

同じ得物を持つからこそ、その戦いは読み合いとなる。

 

 

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

 

 

撃ち、撃たれ、狙い、狙われ、弾き、弾かれ。

皮肉だが銃の扱いに関して隔絶足る差は無いらしい。

向こうがやれることはこちらも出来るだろうが、

こちらがやれることは向こうも出来るのだろう。

純粋に腕の差が無いのであれば、“銃”そのものの性能の違いしか無い。

が、こうも狙いが同じでは音声認識をしている暇も無さそうだ。

状況を鑑みるに、何処で仕掛けるかで差が生まれると見た。

 

 

“BANG!”  “DAN!”

“DAN!”  “BANG!”

“BANG!”  “DAN!”

 

 

同じ銃線。永遠に属する銃使いに、浩平は純粋な感嘆を示す。

自分と銃で張り合うということに対する賞賛と云ってもいい。

虫唾が走る程許せない相手でも、認める所は認めてしまう自分が笑える。

しかし、本音も混じっていて。

 

 

 

――――舐めるな……! “お前”とは違うんだよっ!

 

 

 

司は確かに銃の腕だけならば浩平ともやり合えるのだろう。

それは十二分に理解した。こちらの銃弾も、あちらの銃弾も、互いに直撃していない。

だが、浩平にはまだ牙がある。銃に匹敵するもう一つの牙が。

そう、己が肉体こそ、真なる牙。

 

空を噛むように踏みしめ、銃弾の中に飛び込む。

“DAN!” と放たれた銃弾を避け、己の拳に炎を溜める。

トリガーを軸に銃を反転させ、簡易的なトンファーとした上で、その拳を突き入れる。

 

 

 

 「――――セァッ!」

 

 

 

放った瞬間、手の先の感触が鈍る。鈍る、というより停まる。

瞬間に発動させた停止の能力により、拳は司の寸前で制止された。

練りこんだ時間が甘く、その“停止”は単なる盾の役割で終わってしまうが。

宙に上がったままの浩平は、すかさず身を翻し蹴撃。

ローリングソバットに近いモーションより繰り出された刃は、司の側頭部を叩く。

ギリギリで衝撃を軽減したらしい司だが、殺せぬ反動を浴びてリングへと墜落する。

浩平はこの機会を逃さずラムダガンナーを構え直し、音声認識。

 

 

 

 「SET――――Gravity」

 

 

 

装填する弾種は“Gravity”――――重力波。

簡易的な斥力場を形成する結界弾。

銃底部に左手を沿え、トリガーを引く。

生じる弾丸は重力の檻。逃がすな! という意思を指先に詰め込む。

弾丸としては似遣わぬ鈍重な音の先、司という名を持つ永遠が囚われる。

落下する勢いに自らを乗せ、足先に煉獄を宿す。

 

 

 

 「ファルコン――――ダイヴッッ!」

 

 

 

檻に取り込んだ司には、逃げ場は無い。与えない。

必殺の意思によって生まれた炎は、司の腹部へと吸い込まれる。

出来るなら巫山戯たことを言い出すその顔を蹴り飛ばしたいが、

中空にて動きを抑え込んだ司の体勢からではそれが精一杯。

インパクトの瞬間に鈍重な音を響かせて、リングにそのまま着地。

轟音の先に存在する司は、これで絶命するだろうと浩平は確信する。

しかし、司とて甘くは無かった。

リングに激突すると同時、消失した重力波にこれ幸いとトリガーを引く。

最接近していた浩平のこめかみを掠り、衝撃で浩平の三半規管が揺れる。

司は追い払うように浩平を蹴り飛ばし、ゲホゲホと咽ながら立ち上がる。

束縛を受けながらも停止を発動させたことが彼の命を救った。

足の重みが内臓を通すよりも速く自らの体に“停止”を掛けることにより威力を殺す。

衝撃から何から全てを停止させることで感覚が停止し、ダメージを最小限に押さえ込む。

リングに激突した衝撃だけが身体を貫くも、それだけならば耐えられる。

焼け焦げた腹部だけが忌々しい……と不満を隠さぬ所が彼らしく。

 

 

 

 「痛っ……! しぶといんだよ、こっの野郎っ! 大人しく今ので落ちてろ、城島」

 

 

 「くっ……その炎、目障りだよ。どうしようもない程邪魔だ。

  ああ全く人の幼馴染奪うなんて言う身の程知らずは救いが無い」

 

 

 

互いに唾を吐き出し、互いを睨む。結果としての一時中断。

吹き飛ばされたおかげで純一の傍に辿り着いた浩平は、

髪を掻き揚げるように佇まいを直し、純一に一言。

 

 

 

 「頭冷えたか? この馬鹿」

 

 

 「浩平さんには言われたくないっすよ。邪魔しないって言ったじゃないっすか。

  ……思いっきり邪魔なんですけどね。今、物凄く」

 

 

 

失った血を取り戻すかのように忙しなく呼吸を繰り返す純一の貌は

忌々しそうに浩平を見据え、吐き棄てた言葉も刺々しい。

 

 

 

 「は。……そんだけ悪態吐けるんなら大丈夫だな? 

  結界維持だけは怠んじゃねぇぞ。忘れるな。お前が復讐に狂うのは勝手だが。

  此処が何処なのか、俺達が何なのか……ってことくらいはな」

 

 

 「言われ、なくてもっ」

 

 

 

冷静でいなければならないという理性と、目的を求める本能がせめぎ合う。

どうでもいいと思いながらも、結界を張っている自分が有り難くて。

それすらも忘れてしまったら、自分はもう駄目なのかもしれないから。

 

 

 

 「いきなり無粋じゃないですか、司さん。私と純一さん……二人きりの逢瀬なのに」

 

 

 「ふん。梃子摺るキミが悪いんだ。何だかんだで

  返り討ちに遭うかもしれない所を助けてあげた……って形になるんだよ?

  お礼の一つや二つ言ったらどうなんだい? そんなことも言えない様じゃ

  愛しの恋人さんには振り向いて貰えないんじゃないの」

 

 

 「喚かないで下さい。勝手に見張って、しかも居ることに気付かれた癖に」

 

 

 「そりゃそうだ。恩着せがましかったのは僕か。ごめんごめん。

  ……じゃ、謝った所で少しばかり共同戦線と行って貰うよ?

  向こうさんは協力するっぽいし、流石に面倒でしょ?」

 

 

 「……仕方ありませんね」

 

 

 

永遠に存在する剣と銃。神器に存在する斧と銃。

血に澱んだ二つの牙と、全てを停める盾。全てを消す炎。

相克し合う対立者が、殺意を込めて対峙する。

 

炎の守護者が。己の誓いのために。告げる。

 

 

 

 「これより始まる炎と水の観劇舞台。

  演出脚本総監督を務めるは、神器【朱雀】――――“折原 浩平”」

 

 

 

謳うように。舞うように。戦うために。護るために。

 

 

 

 「崩れ落ちた永遠は、俺の紅炎に何を求める?

  生憎、“優しい子守唄”は品切れだけどな」

 

 

 

勝利を謳い、勝利を舞い、勝利のために戦い、護るために勝利する。

それが出来なくて、何故【護る】なんて“強い”言葉が言えるだろう?

失って、泣いて、何も出来ない自分を恨んで。何もさせてくれない世界を憎んで。

そうして得た今だから。そうして得た自分だから、負ける訳にはいかない。

だからこそ、己が告げる言葉は必命。

 

 

 

 「……つーかさぁ。お前ら、揃いも揃って何か勘違いしてないか?」

 

 

 

告げる言葉は真命。

 

 

 

 「永遠なんて世界を望んどいて。自分の絆まで棄てといて。

  “ヒト”であることを諦めた癖に、何様のつもりだよ?」

 

 

 

告げる言葉は絶命――――!

 

 

 

 「永遠と現実の遠距離偏愛? 巫山戯た夢見るのもいい加減にしろよ。

  現在にも未来にも、お前らの出番は何処にもねぇよ。

  脚本から溢れた役者は――――――潔く退くのが筋ってもんだろっ!」

 

 

 

己が譲れぬ意思のため、己が……神器である存在理由のために。

告げる。告げる。告げる。告げる。告げる。告げる!

 

 

 

 「……はっ。言ってくれるじゃないか……朱雀っ!」

 

 

 「いくらでも言うさ。俺は永遠を憎んでるからな。

  そもそも俺は、永遠をこの手で壊すために……この道を選んだんだ。

  青龍と出逢って、白虎と出逢って、玄武と出逢って、大蛇と出逢って、確信した。

  永遠とヒトは相容れない。相容れないのに合わせようとするから、駄目になる」

 

 

 

駄目になってしまった恋人が居たから。救えなかった恋人が居たから。

ずっと苦しみ続けていたのに、最後に笑ってくれた人がいるから……。

意思を込めて、一本一本指を折り畳む。

 

 

 

 「木々の安らぎの中で大地を踏みしめ。火炎より生まれる流水は揺らぎ。

  金剛なる輝きは鋼の如し。――――我が五行に……散れ」

 

 

 

視線の先に存在するのは、護るべき者を奪う者。

共同という姿勢は取るつもりでも、己の狙いは司。

もう一人の使徒は純一が対するべき相手であり、向かう相手ではない。

 

 

 

 「縮地、陣!」

 

 

 

飛び込んだ先の司の顔面に目掛けて拳を抜く。

銃使いである彼の拳は、銃を宿さずとも弾丸となる。

右、左、の流れのままに連撃。そう、折原浩平の技は銃だけではない。

本質的に彼を朱雀足らしめる理由は、その体術。

五行説に基づく拳闘の型。技の属性は木、火、土、金、水。

一手目は地による加速。属性は土。

極めた拳を揺らがせぬままに司の肉体を狙う。

拳は弾丸であり、弾丸を超える大砲であり、大砲を超える爆炎であり、爆炎を超える拳。

“拳を握る”という動作は銃弾の装填と同一。

“拳を引く”という動作は撃鉄を起こすことと同一。

“自身の瞳”を照門や照星代わりとし、“銃把”を握るように拳を固め――――“撃つ”!

 

 

 

 「火靭――――裂っ!」

 

 

 

属性は、火。

第二関節までで作る独自の拳構えより繰り出す、攻撃用の拳撃。

鋼を貫くつもりで、その弾丸を撃ち放つ。

心の臓を貫くつもりで牙を剥き、肺腑を砕くつもりで大砲を撃つ。

両の拳を手段と代え、撃ち、撃ち、撃ち、撃ち、撃ち続ける。

応じる司は……寸前で停止、或いは防御、或いは我武者羅な拳を振るうことで凌ぐ。

だが、その程度のことで凌ぎきれる訳が無い。いや、凌がせる訳にはいかない。

“停止”によって直撃を止められた腕には拘らず、

単なる鉛の棒だと思い込んで無造作に振る。

回復すれば拳を握り、“弾丸”を装填し、殴り撃つ。

早く、一歩早く、一歩早ければ二歩早く……そう課すように攻撃の手を休めない。

拳の連携から浴びせ蹴りへと繋ぎ、再びの火靭……キャンセル、セット――!

 

 

 

 「SET――――Burst!!」

 

 

 

火靭の直撃を拳に感じた後、ラムダガンナーの弾種を変更し……叩き込む。

間髪入れずに輝くのは一条の閃光。線は着弾し、爆炎へと変貌する。

拳を当てるとほぼ同時……つまり、可能な限りでの至近距離で銃を放ったことで、

撃ち放った浩平自身も、その反動を受け体が仰け反る。

慣れた感触であることは事実だが、消しきれない隙。

 

 

 

攻撃を浴びる一方であった司とて、それまでの拳が致命傷で無い以上その隙を逃さない。

己の得物を構え、乱雑に、強引に、力技を叩き込む。

 

 

 

 「いい加減にしろよ!」

 

 

 

穿たれた銃弾は、乱射としか言い表し様が無く。

反動という隙を見せてしまっていた浩平には逃げ場は無く。

DAN!――――硬質的な炸弾音が響き……浩平の左肩を灼く。

“逆上”という形相が産んだ、司にとっての幸運。

起きた事象に歓喜するように。一方的に殴り続けられたことに憎悪して。

彼は、激昂する。

 

 

 

 「ああくそ! 黙れ、動くな! 喚くな! 囀るな! 僕に逆らうな! 

  僕は永遠の使徒! “停滞”……【停滞時計】っ!

  茜と詩子と共に永劫の時を求める者! 誰も彼も、邪魔をするなあぁぁぁっっ!!」

 

 

 

叫び、掲げる手に力を形成する。

集束する能力の属性は“停止”。物体の時を擬似的に停める力。

“氷上シュン”を連れ去った時、彼が振るっていたのと同じ――――永遠の力。

 

 

 

 「癇癪起こしてんじゃ……ねぇよっ!」

 

 

 

彼の発するその言葉がイチイチ苛立つ。

自分が発した言葉通り、あれでは単なる癇癪だ。

極論するならば、子供が言う我侭と大差無い。

しかし、その認識はある意味で正しいのである。

彼が永遠に堕ちた根本の理由は、“幼馴染である茜と詩子を永遠に連れて行く”こと。

その『狂った』望みを抱いたのは、精神の幼い子供時分。

そう、つまり――――彼が堕ちたのは『子供』の時なのである。

外見こそ当時よりも成長するという道を選択し、

或いは知識の面としても成長の道を選んだが……彼の本質は、紛れもなく『子供』。

だからこそ、彼の望む願いはあまりにも幼稚。その言葉も、幼稚。

だが、幼稚であるが故に純粋で、純粋であるが故に他の道を選ばず。

他の道を選ばなかったからこそ……永遠の使徒へと逝き着いた。

 

 

 

 「黙れぇぇぇぇぇっっっっ!」

 

 

 

他の道を知らなかった、という意味では、永遠を選んだ彼は不幸。

本質が“子供”である所為で、他人の指摘に感情を剥き出しにしてしまう。

それもまた……不幸。子供のまま成長しながら、“成長しなかった”という欠点。

 

歪であった彼が得た力は、存在そのものと同じ『停止』。

掌に己の力を収束させ、球体状に練りこむ。

 

 

 

 「……その心臓を――――停めてやるっ!」

 

 

 

創り出した球体を、浩平に向け――――放つ。狙いは宣言通りに彼の心臓。

宣言通りの箇所に迫る球体は速度こそあれ場所が解る以上、回避は可能。

わざわざ口に出す時点で彼の未熟さが見て取れる、という見方もある。

僅かに口の端を歪め、浩平はその場より飛びずさる。

 

 

 

 「馬鹿正直に狙いどころほざいてどうすんだ?……馬鹿だろお前」

 

 

 

知る者は言うだろう。「浩平に馬鹿と言われたらおしまいだ」と。

嘲るように吐き棄て、その拳を握り締める。

 

 

 

 「力ってのは、こう使うんだっ!」

 

 

 

腕に宿す紅は、単純な属性技としての最上位。

撃ち放つ煉獄は――――フレイムドラスト。

“燃やし尽くして燃やしきれ”……とばかりに炎が煌く。

感情は烈火。根底は悔しさと、怒り。護りたい誰かを失いたくない、強さ。

強さは、弱さ。弱くて、弱くて、弱いからこそ煌くのが、彼の炎。

その紅蓮に怯えると云うのなら勝手に怯えていればいい。

直撃を避けた司に、浩平は叫ぶ。

 

 

 

 「茜や詩子を、勝手に望むんじゃねぇよ!」

 

 

 

彼女達を、見てきた。

 

 

 

 「茜や詩子に、勝手な枠を嵌めてんじゃねぇよ!」

 

 

 

己自身の根底にある感情は、愛しいというソレでは無かったとしても。

 

 

 

 「アイツらを望めるのは、他の誰でもない――――アイツら自身だろうがっ!」

 

 

 

見て来たから、知っているから。

司という彼とて、知っている筈なのに。

例え一度は記憶から失われたのだとしても、幼馴染だったのなら。

浩平よりももっと知っている筈なのに。

浩平よりももっと彼女達の良い所を知っていた筈だろうに。

彼が永遠に堕ちることがなければ、或いは良き友人となっていたかもしれないのに。

何故、そんな簡単なことを選ばなかったのだろう。

何故、最も赦されない道を選んだのだろう。

赦されない道を選んだことが、許せない。

 

 

 

――――SET Energy!

 

 

 

音声認識、弾種変更。Energy……浩平の炎を直接弾丸とする機能。

Burst……を超える炎の力、ラムダガンナーの最大出力の火炎。

それが出来る武器だからこそ、彼はこの銃を信頼していた。

それを果たせる武器を作ってくれたあの人に、感謝していた。

 

 

 

 「後悔の挙句に――――――くたばれっ!」

 

 

 

赤に染まる司の視界。

彼が生む炎は、他の如何なる火炎よりも崇高にして、偉大。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「させません」

 

 

 

――――そんな炎は、闇に呑まれた。

 

 

 

 「!?」

 

 

 「ふむ。流石に見事なものです。

  私が此方に来ることになるとは思っていなかったのですが。

  司さんをみすみす死なせるわけにもいきませんし。

  ……おっと失礼。勿論頼子さんも大切ですよ?

  しかし、まさか再び同じ技が介入のきっかけになるとは思いませんでしたよ。

  賢者との“あの時”に介入なさったのは貴方でしたか――――朱雀殿」

 

 

 

その貌を覚えている。司が、現れた、あの時に、見た。

『賢者』という名が、ある過去を想起させた。月の宝珠を奪い取られたあの時を。

名は――――空名。まるで、名がその全てを示すかのような……空虚。

微笑みを浮かべながら、まるで其処にいないような錯覚。

いない筈であるのに、いるという矛盾。矛盾そのものが、矛盾。

微笑みそのものが歪なる……モノ。割れた空の先に佇む“彼”は、笑う。

 

 

 

 「では、私は少々やるべきことがありますのでね。

  メデスさん、後はお任せします。彼らのお手伝い、宜しくお願いします。

  アナタ方【夢想夏】ならば……万が一、という心配も無いでしょうし、ね?」

 

 

 

浩平の炎を押さえ込んだ空名は、再び空の狭間に消えた。

消える直前に彼が囁いた言葉が、外世界の事実を告げる。

そう。彼はただ、こう言っただけなのに。

 

 

 

 「――――さて。零牙殿、賢者殿?……続きと参りましょうか」

 

 

 

会場を仮に脱出したとしても、その先にあるのは。

会場に存在するソレと、何も変わらぬ現実であることに……気付いてしまったのだ。

誰もが聡明であり、誰もが理解してしまったからこそ、不幸だった。

場に存在する二つの希望が、唯一の救いだった。

時刻にしてほんの僅か。そのほんの僅かという時間で、会場の雰囲気が変わる。

錯乱するものがいなかったことが奇跡だった。どうしようもない程奇跡だった。

神器という存在が居たからこそ、そうであれたのかもしれない。

 

 

 

――――クスクス、クスクス。

 

 

 

鈴が鳴るかのような、小さな笑い声。

小さな喜びに一喜する少女の、微笑。

空名が消え、その代わりとして姿を現したモノが居た。

姿形は少女と形容すべきものであり。

鮮烈に印象付いたのは、シャンパンブルーの髪。見る角度によっては銀色。

蒼い、銀色。神器である彼らは、似た色をよく知っていた。そう思う程に、鮮烈。

クスと笑う声だけに限らず、少女は鈴を持っていた。

その髪を幾らか隠す黒の帽子に装飾された、小さな鈴。

リンリン、と響く音は……黒の少女を表すかのように。

帽子も黒いが、纏う服もまた黒く。引き連れた猫のようなソレも、また黒く。

まるで、御伽噺の中に登場する小悪魔のような姿で。

彼女が持つ小さな鎌。引き連れた猫が使い魔であるというのなら、

彼女は小悪魔どころか……死神。

幼き少女であるが故、もし彼女が『見習いの死神』と名乗ったなら。

見た者誰もがその言葉に納得するかもしれない。

 

 

 

 「へえ……【夢想夏】をここで使うのかい? 

  まぁいいんじゃない、僕の邪魔をする奴には丁度いい罰になるしね」

 

 

 

現れたその姿に感心したのは、停止の力を持つ者。

少女の存在と、その力を知る彼だからこそ、罰という言葉を使用する。

浩平という敵に、幾らかの憐れみを込めて。

 

 

 

 『ク。カカカ! お嬢にメデスか! いいタイミングできやがル!

  いいぜぇ、俺に血を飲ませてくれよ! コイツ、殺すカラよ!』

 

 

 

現れたその姿に喜びの声を挙げたのは、紅黒の剣。

何らかの明確な目的の下に、血という単語を漏らす。

理由があるのだ。彼女達ならばそれが可能だという明確な理由が。

 

 

 

 「レグロス! 言った筈です、殺すのは許さないと!」

 

 

 

頼子が怒りを露にし、レグロスへの戒めの言葉を放つ。

『彼』が言う“コイツ”というのが、純一であると理解して。

 

 

 

 『……こ、言葉のアヤだっテ。ていうか別に死んダってよ。

  ソッコーで向こウに戻れば一緒なんじゃねェの?』

 

 

 「それとこれとは話が違うでしょうっ!」

 

 

 「落ち着くがいい、隷求者。目的がどうであれ、一興ではないか。

  ひとまず吸血剣の望みを叶えるのも悪くは無い。お嬢、準備はよいな?」

 

 

 「うん、勿論だよアルキメデス。だって、ボクは遊びに来たんだよ?

  何もしないでおしまい、じゃつまんないもんね〜」

 

 

 

場違いな程に幼いその声。

幼い筈なのに、彼女は其処に在った。

“こちら”側ではなく、“あちら”側に、存在していた。

それはつまり、ヒトであることを辞めた証。

それはつまり、ヒトと敵対の道を選んだ証。

 

リングの上に立つ純一と浩平は、新たに現れた帰還者に視線を向けた。

会場の視線が集まったのと同じ場所へ、二人も視線を送る。

 

 

 

 「子、ども……? ちょっと待てよ。……あんな子供が、永遠に?」

 

 

 

外見に惑わされたつもりはなかった。なかったのに、そう呟いてしまった。

純一の戸惑いは、ある意味では会場全てに共通する言葉に相違なく。

 

 

 

 「……イチイチ胸糞悪いんだよ――――っ!」

 

 

 

“子供”が永遠に居ることが浩平の神経を逆撫でする。

永遠がどれだけ醜悪なのかをそれだけでも理解する。

反応を返した二人の神器を見遣り、黒の猫は告げる。

 

 

 

 「名乗っておくとしようか。我輩は大蛇以外との面識は無い。

  何より、お嬢を紹介せねばならぬのでな。我らは互いがあってこその永遠故。

  我輩の名はアルキメデス。見ての通り、猫だ。使徒が名は【夢想夏】」

 

 

 

肩に乗っていたその黒猫――――アルキメデスが少女を促す。

にこにこ、と頷いた少女は、浩平や純一……或いは会場全てに対し、

 

 

 

 「こんにちは! ボクの名前は水夏だよ〜!」

 

 

 

物怖じすることなく、周囲がどうであろうと関係が無い……そう、言っていた。

驚愕し、或いは恐れる視線を全て無視して、彼女は微笑する。

 

 

 

 「ボクは【夢想夏】! ボクとメデスで永遠の使徒なんだよ?

  “二人で一つ”っていうのはボク達だけなんだ、凄いでしょっ!」

 

 

 

彼女を一言で言い表すなら、“無邪気”だった。

敵であるとか味方であるとか、永遠であるとか人間であるとか。

そんな要素全てがどうでもいいと言うかのように。

 

 

 

 「生憎俺達人間にも二人で一対ってのは居るんだよ。

  【氷帝の双魔】――――聞いたことは無いのかもしんないけどな。

  俺達はそういう人達を知ってる。永遠にも似たようなのが居たからってどうなる?

  お前らが永遠の使徒だ、っていうなら……敵だってことに変わりは無いだろ」

 

 

 

浩平が発したその言葉は、水夏という帰還者に対しての挑発と憤慨。

何故、お前みたいな子供が“居る”のだと問い掛けたくて。

 

 

 

 「む〜……アルキメデス。ボク、あの人、嫌い」

 

 

 

彼女は、“幼い”からこそ、言動も直接的で。

 

 

 

 「うむ。お嬢に対する物言い。我輩とて見過ごす訳にもいかぬ。

  が、まずは吸血剣の願いに答えなければならぬぞ?

  我輩達は戦闘向きではない。隷求者や停滞時計の力を借りねばならない」

 

 

 「……うん、わかったよ」

 

 

 

幾分か不満そうに頷いた水夏に、アルキメデスは苦笑を零したようだった。

その外見故反応の違いを見極めることは難しいのだが。

一瞬の間を経て、黒き猫――――メデスは明らかな怒りを抱いていた。

己が相棒にして、己が護るべき少女を侮蔑した彼らに。

 

 

 

 「さて。――――その記憶、戴くとしよう」

 

 

 

彼らが持つ“夢想夏”という名。

【夏】という字は、少女――水夏を示すものであるが、

残りの二字【夢想】とは、アルキメデスの力を示すもの。

 

先程アルキメデス自身が語ったが、舞人とアルキメデスは遭遇した過去がある。

何より此処で確認したい。……覚えておられるだろうか?

メデスがその時、舞人の心を覗こうとしたことを。

結果としては彼の心に掛けられた“己も知らぬ防壁”により失敗した。

が、メデス自身にその力があることには何も変わりは無い。

本来、アルキメデスの持つ力は……水夏とセットで使うべきものなのだ。

心とは、夢想世界の反映図。心を読み取り、その者の過去を覗き見る。

過去を知り、考えを知り、己の優位を作り出す力とでも評しておこう。

記憶を覗き見る力は――――今この瞬間より、本来の姿を見せることとなる。

 

 

メデスがその黄色い眼を向けた相手は――――純一。

まるで己がよく知る“うたまる”に酷似した猫の姿に、彼は少なからず驚いていた。

率直に云うならば、あんな猫が他にもいたのか、というモノでもあるのだが。

兎も角、アルキメデスはその眼光と力によって、純一の記憶を走査する。

その隙を作るため、レグロスが動いた。

 

 

 

 『オラオラおラ! とっとと極上の血を寄越しやがれぇぇぇぇっ!』

 

 

 「な……っ! こっ……のぉっ!」

 

 

 

水夏の登場により、一時的に互いの動きが停まっていた所為で

突如の攻撃に一瞬だけ純一の反応が遅れる。

咄嗟にティシフォーネを交差させ、レグロス自身の一刀を退ける。

頼子の意思を無視し、レグロスは動く。

乱撃に乱撃を。乱撃を乱撃へと代え、乱撃へと乱撃に終始させる。

都度、純一は己の紅黒を盾、或いは矛と代えて応じる。

黒と黒の相克は、ただ、純一の動きを制限するためだけに。

また、レグロスが動くと同時、司も浩平へと向かっていった。

 

 

 

 「おっと! キミの相手は僕だろ!? 余所見してどうするの……さ!

  まぁゆっくり待っていようよ。面白いものが見られるからねっ!」

 

 

 

表情に侮蔑と哀れみを浮かべ、唇を歪め笑い、その銃弾を撃ち放つ。

ただ、浩平の“水夏”という帰還者に対しての注意を散漫させるためだけに。

 

 

 

 

 

 

――――無論。その役目は、成し遂げられた。

 

 

 

 

 

 

【夢想夏】と呼ばれる永遠の使徒が有する、力。

それは最も醜悪にして最も陰険。

それは最も魅惑的にして最も蠱惑的。

それは最も悲劇的にして最も残酷なる――――能力。

 

 

 

アルキメデスの持つ夢想の力。

それは、他者の記憶を走査することにより、他者の記憶から

『特定の人物』に関する情報を統合し、集束し、結合させるもの。

だが、それだけならば精々『精神的』なゆさぶりしか掛けられない。

ただ、他者の記憶を覗き、記憶の中に存在する

特定の人物を“見る”ことしか出来ないのだから。

 

仮に。過去のあの時、舞人とメデスが相対したあの時。

メデスが行った心のリーディングが成功していたとしても、

それが即ち隔絶的な戦況有利を生むことは無かっただろう。

何故なら、そこに水夏が居なかったから。

水夏がいなければ、アルキメデスの存在なぞ無意味と言っていい。

裏を返せば、アルキメデスがいない限り水夏の本当の力は引き出せないが。

 

 

 

水夏に秘められし魔性。

能力名称を――――――【人形生成】。

何の変哲も無い、己の遊び道具としての“人形”を作るだけの力。

幼き少女が孤独より逃げるために得た、哀しき力。

だが、それは――――アルキメデスの夢想と合わさることで、真の姿を為す。

記憶を、読み取り。その情報によって、人形を、創る。

 

 

 

 

 

 

即ち――――。

 

 

 

 「おいで――――――――“美咲”」

 

 

 

 

 

 

醜悪なる、狂気たる、永遠に存在するが故の邪技。

水夏がそう呟いたその直後、彼女の前に一人の少女が現れる。

その姿は、頼子に酷似していた。違うのは、その身に纏う服装。

体に負担をかけないようなゆったりとしたワンピース。

深窓の令嬢という言葉が似合う、そんな格好。

 

 

 

 

 

夢想夏は、永遠の長に“死神”と揶揄された。

 

 

 

 『――――死神そのものじゃないか』

 

 

 

その言葉の真意は此処にある。そう、永遠という世界においても死神と評価される存在。

永遠の使徒【夢想夏】は……記憶より生まれ堕ちた“精巧なる肉人形”を創り出す。

 

 

 

 

 

 

――――――その姿に、戸惑わない訳が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 「み。……さ……き……?」

 

 

 

渇望する声だった。

戸惑いの声だった。

不毛なる声だった。

泣きながら。だが、喜ぶ声だった。

 

 

 

 「み、さき?……みさ、き? みさき?――――美咲っ!?」

 

 

 

誰より、探していた姿だった。

誰より、求めていた姿だった。

もう、逢えない筈の姿だった。

 

酷似するモノは其処にいても、同じ姿のモノはいても、彼女とは違う筈だった。

失った、殺された、居なくなった、抱き締められなくなった、彼女の姿だった。

 

 

 

 『キ! キキキキキケケケケケケケケケケケケキケキケキケキケ!

  っ――――ァああア! クキャキャカカカカカカカっ!』

 

 

 

けたたましく喚く悦びの声が、純一の渇望を薙いでいく。

紅黒の刃が狂い嘲い、肉体があったのなら腹を抱えてしまう程に大声で笑って。

不快を示す己の相棒たる少女には構わず、レグロスは感謝の意を示した。

 

 

 

 『――――アヒャ! ったくよぉサイコーだぜぇっお嬢!

  お嬢お嬢お嬢様ヨォォォォォッ! ああ全くモって感謝感激雨あらシっ!』

 

 

 「……アルキメデスさん。よりにもよってソレですか。

  他にもあったでしょう? よりにもよって、その女ですか」

 

 

 

侮蔑と怒りと、感謝と情欲。

二律を携える二体の使徒が、人形を見遣る。

 

 

 

 「そこのお兄ちゃんの記憶から見つけたんだよ。ボクのせいじゃないもん」

 

 

 「どうやらその少年……朝倉純一というらしいが。

  彼が最も愛する者、それがこの人物だった。……君の姉だな、隷求者」

 

 

 「ふん。まぁいいです。どの道――――」

 

 

 『ッタクヨ! 願ッテソッコーデ頼子の姉貴たぁツイテルゼェッ!』

 

 

 

ざくり、と音が鳴る。

ぐしゅり、と音が鳴る。

ぐちゃり、と音が鳴る。

ぶしゅり、と音が鳴る。

 

ぐちゃりぐちゃぐちゃぶしゃぶしゃびしゃり。

 

あまりに醜悪なその音は、奏でる存在が吸血剣であるが故。

 

 

 

 「――――――こうなるんですから」

 

 

 

頼子は自分と同じ顔を持つ、しかしどこか異なる人形にその黒い刃を突き刺した。

人形とは思えないほどリアルに響く肉を裂く音、あふれる血の赤。

残酷無惨な音を立て、肉体という殻を持つ人形が串刺しとなる。

 

 

 

 『ッハハハハハハハ! いいねぇいいねぇこの味! 極上だ!

  人形でこれじゃ本物はどれだけ美味かったンだろうなぁ! オイ!』

 

 

 

ジュルジュル、と己が刺した傷口より、その血を啜る紅黒の刃。

 

 

 

 「あら、そんな。聞くまでのないことです。醜くて、臭いだけでしたよ? 

  私から純一さんを奪った泥棒猫の死に目なんて。

  汚らわしい血の匂いがとれなくて本当に困りましたから。

  ねぇ……そうでしょう? “美咲姉さん”――――ふふ、あはははははっ!」

 

 

 

笑い喚く紅黒を引き抜き、彼女もまた嘲いながら“人形”の“首”を両断する。

ひらり、はらりと“人形”の“髪”が舞った。

人形に感情はなく、人形には命も無い。

ただ、血が通い、ただ、人形でありながら生命維持のような動きを為すだけ。

だから、例え斬られても壊されても犯されても何も起きない。

人形は人形でしかなく、命も無いだけのただの玩具。

 

ただ、仮に。あくまでも仮の話だが。

もし……生まれ堕ちたその人形の“本体”を、愛していたと云うのなら。

 

 

 

 

 

 

その光景は、無惨過ぎる程に残酷。

 

 

 

 

 

 

――――あははははははははははははははははははははははっ!

 

 

 

 

 

 

耳障りな少女の狂笑。

人形の首は、慣性の法則に従うように空を舞った。

羽根が生えたかのように、ふわりと舞って。ポスン、と落ちた。

“美咲”という存在を模した人形の首は、何も映していない。涙も何も流さず。

ただ、偶然。其処に落ちてきた。叫んだ彼の、空いていたというだけの、手の中に。

何も映さぬ曇った瞳は、その手の中で、黙って純一を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

――――――まるで。唯一のヒトを。純一を。求めているかのように。

 

 

 

 

 

 

耐えられる筈が無かった。どれだけ自分を虐めてきても。

どんなことでも耐えられると思っていたけれど。

例えそれがまやかしだとしても。本物じゃなかったとしても。

その光景も、手の中にある重みも、現実として見てしまった。

目の前が真っ暗になって。音が何も聴こえなくなって――――膝が、折れた。

 

 

 

 

 

 

 「――――純一っ!?」

 

 

 

リングの上に唯一存在していた親友が、叫び、駆け寄ろうとした。

が。弾丸がそれを阻害する。

 

 

 

 「――――言ったよ? 余所見しちゃ駄目だって。ねぇ朱雀!」

 

 

 「……っ!」

 

 

 

ただ足止めするだけの弾丸なら無視できた。

しかし、司の弾丸は一発一発が失命を呼ぶ牙であるから。

右手に銃を。左手に集束させた停止の力を構え、襲ってくる。

避ける合間を利用して、純一へと近付くも……その応戦は既に心を乱す要因だった。

心が乱れれば、それを覗くのも尚の事容易となる。

結果、より精巧な人形を創造することとなる。

 

純一は仇を前にしていた所為で、元々心が乱れていた。

レグロスと頼子の仲介が混じったにせよ、心の乱れが起きていたのは事実。

故に、“夢想夏”が予定していたよりも簡単に人形が創られることとなった。

尤も、メデスが心を読み取れない相手などそうはいない。舞人はあくまでも例外。

 

 

迷いを見せぬ黒き猫が、再び鎌を振り下ろす。

 

 

 

 「お嬢を侮辱したこと……後悔して戴こうか」

 

 

 「えへ。……まだまだいくからねっ♪」

 

 

 

無邪気に微笑む黒き死神が、再び残酷なる宴を開く。

 

 

 

 「さぁ――――――――――遊ぼうよ!」

 

 

 

楽しもうとする少女の幼き声は、再び力ある言葉を紡ぐ。

生まれ出で、生まれ堕ちたソレ。その人形の形式は……少女。

青みがかった色、ショートカット風に揃えられたキメ細やかな髪の毛。

大きく開かれた瞳は、彼女の快活さを覗かせるかのように。

しなやかに伸びた腕も脚も、“彼”の記憶とは違って成長していたけれど。

彼女の――――“人形”の左手首に巻かれた黄色いバンダナは、

自分がいつも身に着けているものと、何も変わらなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見間違う訳がなかった。

例え、記憶のソレと同一ではなかったとしても。

そんなことは、些細なことだった。

夢の中で、きっとこうなっているだろうと描いてきた姿だったから。

泣いていた、笑っていた、怒っていた、微笑んでいた、少女だった。

 

 

 

理解出来ない筈が無かった。

あの姿は、紛れもなく―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――――――佳……乃?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時より“成長している”という一点を除き、“彼女”と瓜二つ。

 

 

 

 「ふむ。成功のようだな。より結果に変動を与えるため、

  本来あるべき記憶よりも成長させてみたのだが」

 

 

 「えへへ。ボクとアルキメデスが失敗なんてするはずないよ」

 

 

 

場違い過ぎる明るい声と、実験に成功した科学者のような無機質な声。

その二つが、酷く耳障りだった。

 

 

 

 『…………………………』

 

 

 

目の前に存在する“人形”は、無言のままに――――其処に在る。





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