Eternal Snow

137/“想イノ束縛”

 

 

 

 「純一さん、抵抗しないで下さいね?

  精一杯の愛情で、抱えきれない程の慈悲で、貴方を私のものにしますから」

 

 

 

頼子が微笑む。透き通りきった破滅の笑顔で。

純一以外の何物をも視界には入れず、何物も純一には及ばないと。

屈折しきった愛情。壊れきった恋愛観。

歪み屈折し壊れているからこそ、彼女の想いは純粋で。

彼女に愛されたからこそ純一は赦せなかった。

彼女の愛情があまりにも痛くて。

 

 

 

 「――――黙れよ。俺はお前のモノじゃない。

  美咲が死んだのは認めてるさ。認められなくて泣いたとしても、

  アイツが帰って来ないのは知ってる。知りたくもないのに知らされたさ。

  何たって、美咲は俺の目の前で……お前に、殺されたんだからな。

  だからこそ、頼子にだけは靡かねぇよ。お前と俺の道は、あの時に切れた。

  頼子が美咲を殺した、あの日に」

 

 

 

会場の生徒達の背中を走る恐怖。

その恐怖の発生源は、永遠より降り立った彼女に類するものであり。

――――『朝倉純一』という『最弱』と謳われた少年に起因するもの。

 

狂い、泣いて、饒舌に語った。

会場に響き渡る声で、彼は己が抱える過去を語る。

壊れて。苦しくて。叫んだからこそ……そこに一切の虚実が無くて。

純一は語ろうと思って語った訳ではない。ただ、辛かったから。

赦せない仇がそこにいて。遭いたかった敵がそこにいたから。

だから、殺したかった。周りに何を言われようが、構わなかった。

 

しかし、自らの紅黒に匹敵するかのような紅黒を視界に入れて、僅かに頭が冷えた。

ダン、と左足を踏み鳴らし、水の壁をリングに張る。

周囲を巻き込む訳にはいかない。例え私怨だとしても、音夢や皆を危険には晒せない。

手遅れであるような気はしていたが、例え怯えられたとしても。

それでも、護れないのだけは……嫌だった。

純一が張った水の膜に呼応して、リングの結界が発動する。

 

純一の意識を冷やした紅黒の剣――――銘を【レグロス】。

剣を握った頼子の傷は、瞬く間に癒えていく。

 

 

 

 「応急処置でしかないですが、まぁ血を流して戦うよりはマシですよね」

 

 

 

そう呟いて。

僅かに哀しそうな笑顔を見せて。

 

 

 

 「ねぇ、純一さん? 切れた、なんて。そんな寂しいこと、言わないで下さい。

  切れてなんていませんよ? だって、こうしてまた逢えたじゃないですか。

  何も手遅れじゃないんです。私が居て、貴方がいて……“永遠”があるんですから。

  私と純一さんだけの“永遠”を――――手に入れましょう?」

 

 

 

微笑むその姿が、恐怖を呼んだ。

綺麗に微笑んだからこそ、恐怖を生んだ。

会話の端々に存在する独占的な愛情。歪みきった恋慕。

そしてその異質さが、彼女の本質を物語る。

姿がかつてのソレと何も変わらないことに気付くべきだった。

帰還者である筈ならば、少なからず異形と化していることを忘れていた。

それだけ自分がオカシクなっていたことを理解した。冷静でなかったことに辟易した。

だが、己が見間違うことが無い程、彼女は『鷺澤 頼子』として存在していた。

それは、つまり――――。

 

 

 

 「頼子」

 

 

 「はい?」

 

 

 

純一の言葉に、頼子は反応を返す。

例えどんな言葉であろうと、頼子が純一の一挙一足を逃すことは無く。

 

 

 

 「――――永遠の使徒、だったのか」

 

 

 

かつて、そう名乗った男と対峙したことがある。

仲間達が相対した事実がある。人でありながらにして帰還者足り得る者。

帰還者でありながら人であるモノ。ヒト在らざる人。

 

少女は、意外そうな表情を浮かべて――――頷いた。

 

 

 

 「あら? ご存知なんですか? はい、そうですよ。

  帰還者を超越した帰還者、ヒト在らざる人。

  故に、永遠の使徒――――【隷求者】――――“鷺澤 頼子”」

 

 

 

名乗った彼女は、自我を超えた自我を持ち、人を超えたヒトと化して。

名乗ったその称号は……音だけ聞けば『霊柩車』。

巫山戯ていると思った。霊柩車?……アイツを殺したことを揶揄しているのか! と。

 

 

 

 「純一さんのためだけに自らの全てを『隷』属させて、

  純一さんを『求』める『者』……それが、私です。

  使徒としての力があれば、純一さんと永遠を求めることが出来ますからね」

 

 

 

そう言って彼を見る彼女の瞳は、思慕に染まり。

情愛に頬を上気させ、其処に存在していた。

 

 

 

 「でも、びっくりです。それを知っているのは一部の人だけでしょう?

  確かに禅さんや司さん……或いは空名さん辺りが来たこともあるそうですけど。

  普通の人が使えるような名前じゃ、ないですよね?」

 

 

 

永遠の使徒という存在を明確な意味で知っているのは、DDの上層部だけ。

その危険性を理解しているのは、最低でもG.Aの称号を持つ者。

本来なら彼如きでは知れる筈の無い事情。

 

 

 

 「……ああ。俺は普通じゃないさ。お前を、殺すために――――棄てたよ」

 

 

 

クククと喉を鳴らし、首のチョーカー……いや、リボンを触る。

純白のアクセサリー。彼にとっては宝石よりも極上の宝具。

見つめる頼子だからこそ、それが何なのか理解した。

 

 

 

 「ソレ――――まさか?」

 

 

 

ワナワナ、と震えるように。認めたくないと告げるように、彼女は純一を睨んだ。

気付かなかった。よりにもよって、そのリボンを身につけるなんて……、と。

 

 

 

 「美咲の、リボンだよ。形見になっちまったけど、な」

 

 

 

大好きだったからこそ、無くす訳にはいかなかった。

そのリボンだけが、自分を繋ぎ停める術だった。

狂った自分が、壊れた自分が、泣いた自分が……此処に在れる希望だった。

クスクスと。アハハ、と自嘲して……彼は呟く。

 

 

 

 「このリボンを遺してくれて、ありがとう。

  コレがあったから、俺が此処にこうして生きていられる。

  頼子への憎しみを忘れることなく……自分を見誤ることなく、来れた。

  それだけは、お前に――――感謝してる。本当に、ありがとうな?」

 

 

 

彼女に向ける感謝の笑みは、それまでの殺意とは一転した感情。

泣いて、涙をボロボロ流して――――その白を引き抜く。

 

 

 

 「……神器って、知ってるか?」

 

 

 

 「え?」

 

 

 

少なくとも、先ほどよりは頭が冷えていた。

狂っていることも解っているし、自分が何をしているのかも解っていた。

血迷っている訳ではないが、血迷っていた。

皆に迷惑を掛けると解っていた。

赦されることはないだろうと解っていた。

けれど――――譲れなかった。自分の想いに。過去の地獄に。

 

 

 

 

 

 

 「じゅ!―――っ………!」

 

 

 

一弥は、彼の名前を叫びそうになる自分の唇を噛み締めた。

口から垂れた僅かな血の赤が、彼らの感情を全て表していて。

背中で語る彼の想いを知るから、泣いて彼女に対峙する感情が理解出来るから。

……仲間達はもう、声を掛けようが無かった。何も言える筈が無かった。

言葉では語られなくても、その有り様が泣いていたから。

彼の苦しみを知っていた。どれだけ狂っていたかを知っていた。

 

 

――――停められない、停めたら……もう、仲間じゃない。

 

 

仇を殺す、それだけを望んだDDE……神器。

彼は、朝倉純一はそんな存在だから。だからこそ――――異常。

 

 

 

 

 

 

 「お前のためだけに……逢わせてやるよ。

  俺が頼子にくれてやる――――最後のプレゼントだ」

 

 

 

美咲の形見である白いリボンを掲げ――――祝詞を刻む。

 

 

 

 「神衣――――着装」

 

 

 

そのリボンが光を生み、純一を包み込む。

眩い輝きが彼を覆い隠し、代え難き【鎧】と生まれ変わる。

光が生まれ、溶ける……ただそれだけの一瞬の間を経て。

 

 

 

 「――――っあ」

 

 

 

感極まるかのように、何かの感情に耐えるように。

狂い暴れる己を停めず、ただ感情のままに力を解き放つ。

己の殻となる白の装束。戦闘のために誂えられた白衣。

各所に施された色は、灰のパーソナルライン。その証は、神器【玄武】。

怒りという感情が、勝手に自らの表情を隠していく。

そう、戦いのために用意された玄武の仮面。

例えそうだとしても、もはや邪魔だった。

隠すためのソレは、“奴”への視界を狭めるだけのゴミだった。

正体を明かさぬための必要策? もう、構うか。……そう思った。

顔を覆い尽くすその仮面を剥ぎ取るように、空いた左手で仮面を掴む。

剥ぎ取ったままの勢いで、一思いに踏み潰す。

バキン、と音を鳴らし……砕けた仮面が風化する。

 

 

 

 

 

 

――――其ハ神ノ器

 

――――最凶ヲ冠スル者ノ名

 

――――絶望ヲ祓ウ希望ノ刃

 

――――汝ガ名コソ『神器』也

 

 

 

 

 

 

纏う衣装は紛れも無く神衣と呼ばれる、神器の象徴。

しかし、その神衣を纏うのは――――風見学園【最弱】と喩えられた、彼。

ティシフォーネを右肩に担ぐように構え、紡ぐ。

 

 

 

 「初めまして、永遠の使徒。

  俺の名は、神器【玄武】――――“朝倉純一”。

  汝、大海に溺れて、地獄を彷徨え」

 

 

 

宣誓の後、ティシフォーネの切っ先を頼子に向け、殺意を込める。

はじめまして、と。完全なる対立を意図させて、彼は宣誓する。

一瞬だけでも狂気を殺し、名乗りを挙げる。

 

彼の名前は――――朝倉純一。

五神器が一人。水の王、玄武。

 

そう……名乗った。誰もが見守る衆人環視の中で。

良い意味でも、悪い意味でも。先日のセレモニーによって誰もが彼を知った後で。

己の側面を。己の本質を。己の正体を。

生徒ならば。いや、世の誰もが少なからず畏怖し、尊敬する存在であると……名乗った。

彼とて、忘れている訳ではない。この場に、最愛の妹がいることを。

自分が朝倉純一で居られる場を作ってくれる大切な友人がいることを。

騙してきたにも等しい真実を、こうして突きつけてしまったことを。

何より、“狂った俺自身”を――――見せてしまった。

 

 

 

 「……に、ぃさん?」

 

 

 

どよめきとざわめきの中、“誰か”が呟いたその言葉が、ただ一つの現実。

『純一が狂う』というこれ以上無い程の混乱の上に、更なる要素を付加させた。

 

“朝倉純一が、神器である”という“真実”を。

 

感じ慣れた視線が純一に届く。戸惑う声が聴こえた気がした。

何を言えばいいのか解らなくて、声も出せない程に動揺する皆の声が、届いた気がした。

聴こえない筈なのに聴こえる矛盾は、会場に存在する【永遠】の所為なのか。

 

 

 

 「音夢、さくら……ことり、眞子。美春――――…………ごめんな」

 

 

 

自分が自分で居られる場所を作ってくれていた人達へ。

自分に笑顔をくれていた大好きな人達へ。

届けたかった言葉は、彼女達に届いたのだろうか?

確認したかった。したかったけれど……最優先すべきことでは――――無い。

 

 

 

 「そう……ですか。神器、だったんですか」

 

 

 「……こうして顔を出したのは初めてだよ。お前相手だから、特別だ。

  ああ、それと。忘れるな――俺は、神器になりたくてなった訳じゃない。

  お前を探し求めて、自分を虐め続けて――――気付いたら、なってただけだ」

 

 

 

失って、苦しんで、仲間を得て、そうして手に入れた力だった。

そう考えれば、全てが悪かったとまでは言えないかもしれない。

だが、全ての始まりは――――失ったあの日だから、赦せる筈が無くて。

 

頼子は彼の言葉に佇まいを直し、改めて距離を取り……一礼。

 

 

 

 

 

 

 「初めまして、玄武さん。私は、永遠の使徒が一人。

  【隷求者】――――鷺澤頼子。貴方を永遠へと誘う者の名です。

  さぁ純一さん……私との永劫を、楽しみましょう?」

 

 

 「永劫は無い。此処で――――――終わらせる」

 

 

 

 

 

 

それが本当の開幕合図。

左手を翻し、力を練り上げる。

刻む祝詞は……あの日に見せた、あの名。

 

 

 

 「――――ハイドロブレイザーァァァッッッ!!」

 

 

 

間髪いれず叩き込むために刻んだ名前は、水の奔流。

鋼鉄すら容易に貫く圧倒的な水の質量。

撃ち貫けと繰り出し、その掌から水を生む。

以前、学生の前で同じ技を使った時――――彼は仮面をつけていた。

しかし、今の彼にその仮面は無く。その貌はあまりにも真剣で。

仮面で覆い隠す必要の無い、殺意と慟哭。

 

 

 

 「セァァァッ!」

 

 

 

放つ呼気。その音は少女の生むソプラノ。

彼女は、水の奔流に宿された殺意を、斬り棄てる。

レグロスという名を持つ生きた剣。血の紅が水の蒼を浸食する。

刃の線に沿い、頼子の姿が水を貫く。

だが純一とてソレくらいで驚いていられない。

威力自体はまだ抑えていたし、その結果に驚くつもりはない。

向かってくるのなら……殺す。結局は何も変わらないのだから。

水を紡いだ左手を柄に沿え、両手で握り締める。

左足に重心を掛け、待ちの一撃に徹する。

右脇から振り上げた紅黒。正面上段より振り下げられる紅黒。

 

 

――――響く音韻は、硬質。

 

 

レグロスとティシフォーネ、二つの紅黒き刃が衝撃を散らし、火花を散らす。

一合触れた。剣と斧が鍔ぜり合う。が、互いに刃は停めない。

全く同じタイミングで武装を引き合い、二合目を絡ませ合う。

一方は傷つけることだけを目的とし、一方は殺すことだけを目的とする。

同じ用途の殺傷武器を持ちながら、行おうとする目的と結果の異なり。

視線と視線が絡み合い、愛情を注ぐ少女の姿。

視線と視線が絡み合い、殺意を注ぐ少年の姿。

己の得物を振った先に相手の得物があり、相手の得物が目指す先に己の得物が存在する。

一歩だけ届かなかった先ほどとは違い、体と頭の認識は噛み合うものの、

相手が永遠の使徒としての力を出し惜しみしない以上、現状としては互角。

 

再び、硬質音。

当てた攻撃が当てようとする攻撃と衝突して、互いに届かない。

 

腕を折り畳み、最小の動きで斧を振りかぶる。

腕を、解く。ただそれだけの動きより飛ばす斬撃は重く、速い。

頼子はその華奢な体格に似合わずレグロスで受け止める。

レグロスという特殊な存在があるからこその力なのだろう。

そもそも剣なぞ碌に使えなかったただの少女だったのに。

それをどうにかさせてしまう永遠の力自体に舌打ちを零しながら

純一は己の拳を正面に突き出す。予想以上に戦えるならば、本体そのものを叩く。

浩平のように鋼を打ち抜くことはなくとも、岩程度ならば砕く代物。

そんな一撃を頼子のヤワな――――少女の体で耐えられる筈もなかった。

確実な手応えを純一の拳に与え、受けた頼子は反動に任せて後退する。

右の胸横――――肺へと貫通する拳撃をまともに浴び、一瞬とはいえ彼女の呼吸が停まる。

例え永遠の使徒であろうと、基礎的な肉体構造は人のソレと変異無いが故の答え。

いや、寧ろ気を失った。相手が純一であるが故に、油断していたのかもしれないが。

だからといって純一は構わない。イチイチ目を覚ました状態で呻かれるのも気に障る。

 

 

 

 「ティシフォーネェェェッ!」

 

 

 

己の牙に命ずる。血を啜り――――屠れ、と。

声無き声が、もう一つの自我持つ刃が……主の命令に従う。

柄を握る手の色が一瞬だけ青白く染まる。

反比例するかのように紅黒の刃が赤く鮮明に染まる。

それは正しく血の色。

もし吸血鬼なるモノが居たとして、血の味を区別出来るというのなら判っただろう。

刃に込められた血の味は――――純一のソレであることを。

紅なる輝きを増した牙を、純一は振るう。

刃の軌跡に対応した状態で、刃が飛ぶ。そう、紅の飛刃が頼子を襲う。

【血の斬撃】――――ティシフォーネに己の血を与え、己の血すらも攻撃手段と為す技。

水という癒しの力を持つからこそ、こうも扱える。

かつて神器としての力を得る前、ティシフォーネを得た時にはこうはいかなかった。

主として認められながらも、従者の力を引き出せない不甲斐無さ。

血の斬撃なぞ極地。悪い時は貧血で倒れたことさえあった。

その過去を思い出し、感謝する。そんな武装を提供してくれた師、蒼司に。

慟哭に応えて『己の血』すら攻撃に変えてくれる武装、ティシフォーネに。

主すらも蝕みかねない従者を扱うことに苦を感じさせない、玄武の力に。

 

 

 

だが。頼子は弱っているのに――――彼女の腕が動いた。

 

 

 

頼子が握るもう一本の紅黒、レグロスが血の斬撃を受け止める。

彼女の意図とは別の角度で己を操ることが出来るから、握る頼子の腕を操った。

【隷求者】の相棒、レグロス。その在り方を顕す名は――――【吸血剣】。

 

 

 

 『ハん……血ねぇ。流石に全部は吸血できねぇが……面白ぇ』

 

 

 

声を、鳴らす。声帯器官なぞ存在していなくても、喋ったのは間違いなくその剣。

紅黒の剣が盾となり、頼子という使徒の危険を削ぐ。

彼女自体は昏睡したかのように気絶し、瞳は閉じられているが、体が人形のように動く。

タネは単純。レグロスの意思によって仮初に彼女の肉体を動かしているだけ。

所詮帰還者。何をしてきても今更驚かない純一は現状を認識し、言葉を放つ。

 

 

 

 「てめ……。やっぱ、“同じ”か」

 

 

 

単なる偶然であると判っていても、まるで誂えたかのような同じ紅黒。

その紅が血によるものであることを、ティシフォーネの主だからこそ理解する。

己の牙が己の血による契約で結び付いた従者ならば、あの剣とて似たようなものか。

 

 

 

 『あァ。俺の名はレグロス……【吸血剣】のレグロスだ。

  こんなナリだが生きてるぜぇ? まさか俺らの敵である神器サマなんぞに

  俺と同じような武器使ってる変わりモンがいるたー思わなかったケどなァ。

  あンのキャラ被り野郎――――【刺死舞】辺りが喜びそうな話だゼ。

  ああ、忘れてた。今はもうダメだったか……クキャキャキャキャ』

 

 

 

気分を害するだけの煩わしい笑い声に、純一は嘲る。

 

 

 

 「ハッ。頼子には相応しい武器だな、お前は。……根っから腐ってやがる」

 

 

 『褒め言葉あんがト。――――聞いてるぜ? コイツが何をやったカ。

  こう、姉貴を包丁でブス……っと、だったんだロ? 

  ああ、呑みてぇなぁ、頼子の姉貴の血。ああ、別にお前のでもいいぜ?

  さっきのアレ、なかなかオツだったしナ』

 

 

 「――――黙ってろ」

 

 

 『おーこわ』

 

 

 

クケケ、と喉を鳴らすようにレグロスは吼え――――決定的な言葉を紡ぐ。

 

 

 

 『自分の血を呑まれんのは嫌か? まー判らねぇでもねぇケド。

  アぁ、そうだ。だったらこうしよーぜ? お前、妹とかいねェ?

  居るんだったらてめぇを永遠に連れてった後にでも殺しにいくからヨ。

  俺としちゃー弟より妹、ってのが助かるんだワ。女の血って美味いシ。

  んで、どうよ? もし妹だってなら、頼子も喜んで殺すだろうしナァ。

  ……ああ、ちげぇか。頼子は当然お前の事情知ってるんだろうし。

  コイツを叩き起こせば済む話だったヨな――――』

 

 

 

そんな音が、遠く、聴こえて。

 

 

 


 

 

 

――――“あの日、あの時”を思い出す。

 

 

目の前で崩れた、命の灯火。

美咲を殺した少女――――頼子の手に握られていたのは、何の変哲もない包丁。

少女は、吹き出す血を浴びながら微笑んで。

 

 

 

 『あなたは私だけのものです』

 

 

 

そのとき、純一の何かが壊れた。

あの時包丁を握っていた少女は、今この時剣を握っていて。

 

 

――――“同じ事を、させる”?

 

 

 


 

 

 

 「――――……な、んだ、と?」

 

 

 

純一が、呆然とした様子を浮かべて声を漏らす。

 

 

 

今、何て言った?――――“イモウト”?

誰を? 何すると言った?――――“殺す”?

――――“音夢”を……“殺す”?

 

 

 

頭の中の何かが、ブチリ、と音を立てて……キレ、た。

少なからず冷静になった思考が、もう一度怒りの赤に染まる。

 

 

 

 「……音夢に、手を、出す――――だと?」

 

 

 『オぉ? 何マジでいんの? そりゃイイ……何処の娘さんですかー?』

 

 

 

揶揄するような声が許せなかった。

相手が頼子であったからこそ生まれていた殺意が、その剣にも向く。

 

 

 

 「ざ…………けんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!」

 

 

 『吼えんなヨ。ほんのちょ〜っと摘み食いするダけじャん?』

 

 

 

髪を引き千切るように掻き乱し、純一はティシフォーネをリングへと振り下ろす。

轟音の後、純一の足元のリングに罅が入る。

誰が見ても、何に逆上しているのかが一目瞭然だった。

そう、「音夢を殺す」というキーワードが、その全て。

 

 

 

 「お前失せろ砕けろ黙って死んでろ!

  音夢を、殺す……? 大概しとけよクソ剣!

  血が呑みたかったら飲ませてやるよ。耐えられない程飲み干させてやるよっ!」

 

 

 

再び純一の手が青白く変わり……ティシフォーネの血の赤が強くなる。

【血の斬撃】。己の血を吸い取らせ、吸い尽くさせてあの紅黒を殺す。

吸い尽くせぬ程の血を喰らわせて、血の海で消し飛ばす。

血は水媒体であるが故に、純一との相性は良く……何よりその赤は己の血。

逆上という感情のままに、腕を振った。

 

 

 

 『二度も同じ手を喰ら…………アぁ!?』

 

 

 

本来ならば先ほどと同じ技であるため、何も動じる必要は無かった。

吸血剣の名に相応しく、撃たれた血を吸収すれば済むことだった。

が、驚きの声を挙げたことから判るように……その【血の斬撃】は、同じ技ではなく。

いや、正しく言えば同じ技なのだが、違っていた。

頼子へ、レグロスへと迫る刃の色は紅。しかし、決定的な違いは。

 

 

――――結晶の輝きを宿す、紅の斬撃。

 

 

先ほどの【血の斬撃】が血を媒体とし、明確な形を持たぬ“水”刃であったのに対し、

今放たれた【血の斬撃】は、紅色に輝く“氷”刃。

純一は自らの血に凍気を付加し、織り交ぜ、斬撃の質を変え、撃つ。

 

 

 

 『ギ!?―――――ガアアアァァッ!?』

 

 

 

それは、確かに響いた悲鳴。

同じように吸血しようと構えていたのが、レグロスの失敗だった。

先刻の攻撃が鋭い“斬撃”ならば、此度の攻撃はむしろ“打撃”に近い。

硬度という点では天と地程の差、凍結を加えたことにより吸収すら出来ない一撃。

レグロスは突如の衝撃に耐えられなかったのか、頼子の手元から吹き飛ぶ。

真上に吹き飛んだレグロスは、クルクルと回転しながらも切っ先を純一に向ける。

例え使い手である頼子から離されたとしても、

相手は永遠に染まる存在であるから、その意思は消えない。

 

 

 

 「ぐ……――――まだだ……っ」

 

 

 

頼子を殺すことが最優先であると判っていても、音夢を殺すと嘯いたあの剣を許せない。

刃を放った純一は、膝をつきながらも戦意をレグロスへと送る。

 

 

 

 「俺の妹に――――音夢に手を出してみろ。

  永遠に在ることを……この世界に在ることを後悔させてやる」

 

 

 

体から立ち昇る冷気によって、純一の視野が揺れる。

無理はない。自らの血に凍気を乗せるという行為。

それは自分の内側を凍りつかせることと同義である。

そのような暴挙をすればいくら水の元素能力の所持者と云えど、

通常時と同じく無事では済む訳もない。けれど、彼は再び血を従者に喰らわせる。

また、上空にて一旦停まったレグロスは――――純一目掛けて、舞う。

 

 

 

 「狂い吼えろ――――ティシフォーネェッ!」

 

 

 

血を吸い取った紅が、純一の手元より離れ――――上空へと舞う。

斧そのものが円のような動きを行いながら、レグロスと激突する。

紅黒と紅黒が重なり、響く硬質はまるで何かの叫び声。

血を吸わせた右手の指に力を溜め、祝詞を紡ぐ。

 

 

 

 「フローズン…………ダストォッ!」

 

 

 

氷の飛礫。無数の飛礫が弾幕となり、レグロスの動きを束縛する。

だが、それは絶命とはならず……硬質同士が弾け合う。

反動によりティシフォーネが純一の手元へと戻り……レグロスが頼子の手元へと戻る。

 

 

 

 「――――っ……。純一、さん……抵抗しないで、下さい」

 

 

 

握った意思は頼子のもの。

気を失っていた彼女は、目覚めると同時、彼の名前を呼ぶ。

何もかもが彼のためだから。何もかもが彼に基づくから。

 

だからこそ、靡かなかったのだと……解らないのか?

 

 

 

 「なぁ、頼子。何て言えば、お前は諦める?

  俺は。お前を、想ってない――――解ってるだろう!?」

 

 

 

頼子を気に掛けなかったことはあったかもしれない。

恋人を第一とし、妹の方を二の次にしたことはあっただろう。

だが、それの何が悪い? 俺は、一体、何を間違えた?

何を間違えたから――――オマエはアイツを殺したんだ?

そう、問いたかった。道が分かれるよりも前に、訊きたかった。

 

 

 

 「諦められる訳、ないじゃないですか。何で、諦めなきゃいけないんですか。

  双子だから……いつもいつも同じ物を好んで。いつも同じ何かを望んできたんです。

  何もかも姉さんと共有してきた。だから、私だけの何かが欲しかった。

  だけど! 貴方は、姉さんを、見てたから! 私だって、居たんですよ!? 

  貴方の目の前には、私だって、居たのに! 私が先に、好きになったのに!

  貴方と初めて逢ったのは、私です。姉さんじゃなくて、私だったのに……!」

 

 

 

彼女の原初は、双子であることそのもので。

双子であるからこそ、同じモノを好んできて。好きな人まで、同じだった。

だから――――。

 

 

 

 「だから、殺したんです。私から、奪うから。

  私から、純一さんを、奪ったから。何もかも奪われる前に、停めたんです」

 

 

 

愛情が、殺意に変わった瞬間だった。

頼子とて、美咲を愛していた。たった一人の血を分けた姉を、何故愛さずに居られるか。

だけど、奪われたから。最愛の人を。許せなかった。赦したく、無かった。

“殺害による独善”という醜い感情の原点は、“愛情”という清廉な感情。

 

 

 

 「それ、だけか」

 

 

 

それだけのことで、殺したのか。

 

 

 

 「それ、だけです」

 

 

 

それだけのことで、殺したんです。

 

 

 

 「は、ハハハ。そうか……それ、だけか。それだけのことで、美咲を殺したのかよ。

  そんな理由だけで、アイツを消して、俺を“こう”したのかよ。

  つくづく俺は、道化じゃないか。お前の良い様に操られる人形じゃないか。

  く、ククク――――あはははははははははははははっ」

 

 

 

愉快だった。愉快過ぎて反吐が出た。

 

 

 

 「――――お前は――――――殺すよ」

 

 

 

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

それだけが純一の心を満たす。

殺人快楽、そんな単語が近いかもしれない。

何より頼子を殺せる事実に歓喜し、歓喜する以外に逃げ場を知らなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 『――――お前は――――――殺すよ』

 

 

 

そんな彼の声を聞きながら、彼らは歯痒い思いに震える。

握り締めた拳には爪が食い込み、血が流れ。

噛み締めた唇には歯が食い込み、血が流れ。

今この瞬間にも飛び出してしまいそうな己を何度も殺すから心は血を流し。

手を出せないことがもどかしくて、力になりたくてもなれぬ現実が口惜しく。

力があるのに手を出せない。出すことが冒涜だから。

しかし、その苦しみが最も強いのは、一弥だった。

 

 

 

 『僕は純一の復讐に喜んで力を貸す』

 

 

 

そう、言ったのに。

 

 

 

 『僕は最後まで味方だ』

 

 

 

そう、決めたのに。

 

 

 

 『僕は純一の力になる』

 

 

 

そう、誓ったのに。

何も、してやれない。何かしたいのに、力を貸せない。

邪魔するなと放った殺気に、射竦められた訳じゃないのに。

彼の決意が重いのも解っているのに、何かが枷となっていて。

バチリ、と心が鳴いて、指が軸となって僅かに発光する。

今のざわめきの中、気付く者は誰も居ないが。

 

 

 

 「一弥っ」

 

 

 

兄の声の意味が解るから、彼は己の手首を掴む。

そうでもしないと雷が暴れ狂いそうで。それをしても雷を放ってしまいそうで。

 

 

 

 「解って……ますよっ」

 

 

 

反発するように声を漏らす。

誰かに当たった所で無意味であるし、どうしようも無いのに。

くそっ……! と吐き棄てる感情は、悔しさ。

悔しいからこそ。解っていても、納得は出来ない。

 

 

 

 「お叱りは――――後で、聞きます」

 

 

 

そうしてでも、譲れないことがあるから。

呟いて、一弥は左手の蒼に手を掛ける。

親友だから。仲間だから。ただ一人で戦わせたりしない!

 

 

 

 「神―――」

 

 

 

神衣を纏う祝詞を唱えようとした瞬間。

ズガン! と遠大に響く銃撃の音が、耳に届いた。

しかも、極々至近距離から。その所為で、一弥の動きが硬直する。

唐突な音は、リングの上に立つ二人の視線さえも集めることとなり。

また同時に、会場の視線が全て一点に注がれる。

 

神器唯一の銃使い――――浩平の下に。

 

天に向かって真っ直ぐに右腕を突き上げ、その先端に銃を構える。

紅蓮を纏った独自の音声認識銃。白銀の輝きは陽に反射する。

 

 

 

 「――――とっとと出て来い。タイミング図ってんじゃねぇよ……ストーカー」

 

 

 

天に向かって、浩平が唱える。携えた名は、彼の敵。

会場に居る特定の二人が、ハッとした様子でリングの真上を見た。

その目に恐怖を宿し、少女の片割れは、似遣わぬ震えを生じさせる。

 

 

 

 「……ぅ……ぁ……つか、さ……?」

 

 

 

怯えた少女……茜の髪がざわめいた。恐怖という暗き色によって。

恐れていた、彼が――――其処に、居る。

嫌だ。遇いたくない遭いたくない逢いたくない!

 

 

 

 「……茜? 茜ぇっ!」

 

 

 

隣の彼女が怯えきり恐怖したおかげで、逆に詩子の理性は保たれた。

しかし、その恐怖の仕方が尋常ではない。

肩を揺さ振り声を掛けたが、茜の耳に入っているのだろうか。

震えて、目を虚ろに彷徨わせて、小さく何かを呟いて。

咄嗟に彼女を抱き止め、その小さな囁きを耳にする。

 

 

 

――――い、やぁ……っ! こ……う、へい……たす、けて……っ!

 

 

 

怯えて、震えて、恐怖して、惑わされて。

壊れそうになる何かを耐えて。それでも、信じていた。

自分達を護ると誓ってくれたあの人を、信じていた。

 

 

 

 「大丈夫、大丈夫だよ茜! 大丈夫だから! 浩平君は、あそこにいるから!」

 

 

 

詩子も、信じていた。信じていないと、自分がダメになりそうだったから。

そんな少女達の苦しみを他所にして。

浩平の問いに応じるように、再び空が割れた。

 

 

 

 「ストーカーとはご挨拶だね。……にしても、解っちゃったか。

  僕の気配覚えられてた? 流石ってトコかな?」

 

 

 

少年の声。

“彼女”が怯えたことが示す通りに、初めて聞いた声ではない。

其は、七星に訪れた永遠の使徒。

 

 

 

 「不意打ちするつもりもなかったし。一応この方が面白いかもね?

  えっと、確か。名前は……折原……。折原浩平……だったっけ? 

  って、どうでもいいことか。ねぇ、朱雀?

  ご推察は出来てると思うけど、僕は君を殺しに来たんだ。

  茜と詩子の目を早く覚まさせてあげなきゃいけなくてね」

 

 

 

現れた姿の特徴は、右目のモノクル。

名を、城島司。氷上シュンを連れ去った、永遠の使徒。

彼の手に握られた大口径の拳銃が、あまりにも浮いていた。

 

 

 

 「教えてあげるよ? 二人に必要なのは君じゃなくて、僕だってことを……さ。

  まぁ、そういう訳だから……早く上がってきなよ――――朱雀」

 

 

 

空に立つ少年の姿が、癇に障って。

 

 

 

 「城島ぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

相対すべき神器の一人が、吼えた。

己の名を呼ばれたこともある。護るべき友の名を呼ばれたこともある。

だが、何より吼えた理由は――――その存在。

氷上シュンが消えたキッカケを構成した、彼の敵。

発露した感情は、炎獄の怒り。

冷静であろうとした。冷酷であろうとした。

だが、無理だった。そもそも炎の資質を持つ浩平には、出来なかった。

おいでおいで、と手招く司の顔が、嘲るその表情が、悪だった。

 

茜を、詩子を、永遠へと連れて行く。

己が護るべき人を、奪い去ると宣言した。

 

 

 

――――大好きだよっ! 浩平君っ

 

 

 

もう、あの“笑顔”を奪われてはならない……そう、魂に刻んだのだ。

永遠が、彼女を奪ったから。永遠が、今の俺を創ったから。

故に、その炎は彼を選んだ。永遠を討つ一発の弾丸として。

心で詫びた。傍に居る仲間達に、独断専行を行う自分を。

しかし譲れなかった。アイツを倒せるのは、自分しかいないと判っていたから。

 

茜と詩子が怯えているような気がした。実際にその予感は正しいのだが。

怖がらせてはいけなかった。彼女達を、護りたかったから。

【朱雀】と呼ばれた。誤魔化せる筈も無いと理解していた。

アイツがいるのなら、誤魔化すことなんてどうでもよかった。

 

 

 

 「――――長森!」

 

 

 

司から視線を逸らすことなく、彼は幼馴染の名を叫んだ。

何よりも先に彼女を。呼びかけるように、たった一人の名前を紡ぐ。

ハッとした様な一拍の時を経て、瑞佳が観客席より浩平を見る。いや、既に見ていた。

観客に生じた混乱とざわめきの奥より、「はいっ!」と応じる声が聴こえた気がした。

 

 

 

 「みさおを……頼む」

 

 

 

願うことは、ただそれだけのこと。

妹は、彼の側面を知らないから。何が起きても、彼女は知らなかったから。

みさおにとっての浩平は、情けないただのダメ兄貴。

そう思わせてきた。そうして妹を護ってきたつもりだった。

失っていたかもしれない――――そんな気がする、何処かの世界の“俺”の分も。

きっと怯えるだろう。きっと畏れるだろう。

そんな彼女を護ってくれるのは、姉である瑞佳しかいないから。

 

 

 

 「――――イチイチ俺の名前を連呼するんじゃねぇよ」

 

 

 

彼の言葉によって、会場が動揺という色で統一される。

その帰還者が浩平に向かって使用した名前は、誰もが知るソレであるから。

応じた浩平が、何も否定しないから。

彼の本来の名前は一度しか呼ばれていない筈なのに、“連呼”などと言うから。

 

誰よりも妹が動揺した。それも当然だった。

浩平に頼まれた瑞佳は彼女を抱き締める。ただ、“妹”を守るために。

 

 

 

 「瑞佳、姉?……な、に、言ってるの? お兄ぃ、何、馬鹿言っちゃってるの?」

 

 

 「みさおちゃん。大丈夫だから……浩平なら、大丈夫だから。ね?」

 

 

 

恐怖を押し殺すように微笑みを浮かべ、瑞佳は己の“妹”を諭す。

自分の鼓動をみさおの耳に当て、動揺を押さえ込もうとする。

瑞佳自身の鼓動とて、安定している訳ではなかった。

けれど、知っている分……みさおよりはマシだから、護れるから。

大丈夫だと、信じている。信じさせて欲しい。

 

 

 

 「――――浩平!」

 

 

 

――――誰よりも、貴方のことを信じているから。

 

 

 

 

 

 

 「テメェに呼ばれるために手に入れた力じゃないんだ。

  護りたい誰かを、護るために手に入れたんだ。

  だから、テメェは……潔く――――――燃え尽きろ」

 

 

 

彼を覆う闘気は、紅蓮。

煉獄の怒りに、神獣は応える。

 

 

 

 「玄武! 今すぐ結界を解け!」

 

 

 

命ずるように、叫ぶ。

彼の名ではなく、神器としての称号で。

 

 

 

 「な、何言って!……頼子は、俺がっ」

 

 

 「邪魔なんてしねぇよ。やりたきゃ勝手にやってろ。

  第一、邪魔するんだったらお前が狂いだした時にとっくにやってる。

  停めなかった理由くらい、お前の曇った目でも解るだろうが。

  俺の目的は城島だけだ。アイツは――――赦せない」

 

 

 

唾を地面に吐き捨てる浩平。

既に炎が掌から零れているのを誰もが見た。

激情は炎を顕現する。誰よりも狂おしい力を持つから。

彼を選びし炎は、無常を宿すかのように燃え盛り。

 

 

 

 「純一が“殺す”ための水なら――――俺は炎。“護る”ための、炎だ。

  守護者になることを選んだ。護れない悔しさを、知ってるから。

  アイツは、俺から……奪うから。護りたいと思う人を――――奪い去るから」

 

 

 

停められるのは、俺しかいないから。

 

 

 

 「だから――――お前の結界が邪魔なんだよっ!」

 

 

 

その拳に炎を顕現させ、浩平は一度だけ拳を結界へと叩き込む。

炎が結界を埋め尽くし……パリン、と呆気ない音を響かせる。

結果、備え付けられたリングの結界が破壊される。

安全のための結界を叩き壊す――――それが如何に観客を危険に晒すか解っていて。

だが、壊れたならもう一度張ればいい。張られたままでは、邪魔なのだ。

リングのソレも、純一が張ったソレも。

 

 

 

 「神衣――――着装」

 

 

 

右手首の黄色いバンダナを解く。第一の封印、彼の力を抑制するもの。

光は浩平を包み、白き装束を装着させていく。示す称号は、紅。

白銀の牙と、純白の殻の奥に存在する彼。七星学園【最弱】と謳われた彼。

 

 

 

 

 

 

――――其ハ神ノ器

 

――――最凶ヲ冠スル者ノ名

 

――――絶望ヲ祓ウ希望ノ刃

 

――――汝ガ名コソ『神器』也

 

 

 

 

 

 

激情が、仮面に変わる。

朱雀を模した甲殻が、彼の表情を覆い隠す。

己を誤魔化してきた仮面を鬱陶しいと感じたのは、これが初めてだった。

朱雀の甲殻を剥ぎ取って、その拳で叩き壊す。

全ては、怒りから始まった。失った悲しみが永遠への怒りと変わった時から。

己の運命は、そのレールの上に存在した。後悔は、しない。

 

 

 

 「もう一度言うぞ、結界を解け。

  そうしないって言うのなら……お前の結界ごと燃やす」

 

 

 

あの顔を見て隠匿しておく理由を失った。目の前でもう奪わせてはならないから。

佳乃を奪われ、シュンを救えず、あろうことかまた茜達を? 見過ごす理由が無い。

浩平の覇気に、純一は従う。僅かに結界を緩めて。

純一の感情が理解出来たから、皆が黙っていたように。

浩平の感情が理解出来るから、純一も同じように動いた。

悠然と結界を突き抜けるように、彼はリングへと跳び移る。

決して仲間達が動かぬように。純一と同じく殺意を向けて。

その裏に――――任せて欲しい、と願いを込めて。

 

 

 

 「僕の幼馴染を勝手に束縛しないでよ。あの二人は僕のなんだから」

 

 

 「違う。茜も詩子も……お前のじゃないんだよ。

  茜も、詩子も、誰かの所有物なんかじゃねぇんだよ!」

 

 

 

怯え、震えた彼女が、虚ろに揺れた茜が……確かな眼差しで浩平を見つめた。

 

 

 

 「ああ、悪い―――それも違うな。お前の気持ち、少しは解る。

  宣言しとくぜ?……あいつらは、俺のだ。やっと、判った。

  他人に、お前に奪われる位なら……俺が貰う。

  他の誰でも無い俺が、折原浩平が、護り続ける。

  誰にも、渡さない。俺はもう、誰かを佳乃と同じ目に遭わせたくないんだよ」

 

 

 

佳乃を護れなかったから、救えなかったから――――もう。誰かを、失わない。

彼の言葉を聴いた“彼女達”が、この非常時にありながら、頬を染めて。

 

 

 

宣言という告白を経て、浩平の銃が火を噴く。

その火は司を狙い、彼の撃った弾丸によって相殺された。

 

 

 

 「巫山戯るなよ。―――血迷うのは許してあげなくもないけどさ。

  許せる冗談と許せない冗談ってあるんだよ?

  ああもういいや……ここで死んでね――――僕達のために」

 

 

 「負け犬は黙ってろ。―――諦めた上で理解しろ。人の女に手を出すな」

 

 

 

紅を宿した純白の神衣が、空を舞う。





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