Eternal Snow

136/“狂襲会始”

 

 

 

まず率直に解説しよう。一弥だけが勝利した。

その一言で説明するのが最も判り易い。

もっと正確な所を言えば、まだ試合は終わっていないのだが。

 

現在四試合目。

一弥、浩平、舞人、ときて純一である。

基本的に三勝した方が勝利となるため、一弥が勝ったことで純一まで必然的に回る。

何だかんだと浩平は祐一の言いつけを守り、適当な所で敗北を選んだため舞人も倣った。

一応リーダーの祐一は最後ということになっている。

ともあれ、純一が負けさえすれば祐一が出場する必要も無くなるが。

 

 

 

 「うおっ! とぉ……っ」

 

 

 

純一は両手に指貫きのグローブを嵌めただけの軽装。

その表情はどこかやる気が無さそうであり、実際あまりやる気が無い。

理由も単純。対戦チームの四番手……実は純一の顔見知りだったのだ。

つまる所対戦チームは風見学園の生徒なのである。

更にあえて言うならことりのFCメンバーなため、その恨みは全て純一に向く。

彼女のFCに所属する者達にとって、朝倉純一は敵なのだ。

 

 

 

 「朝倉! いい加減落ちろぉっ!」

 

 

 「……別にそこまで熱くならんでも」

 

 

 

と言いつつ、かろうじてその攻撃を避ける(振りをする)純一。

初めから負けるつもりなのだが、少しくらい時間稼ぎ。

尚、行為そのものに特に意味は無い。

目の前に迫る拳を直撃寸前で弾き、足元を狙う蹴りを寸での所で飛び上がり。

攻め手に転じる時もあくまで牽制。急所を狙わず軸をずらして自ら威力を殺す。

朝倉純一は劣等生であるから、違和感を覚えられる程の動きはしない。

 

 

 

 「お前の所為で! 白河さんが!」

 

 

 「あのなぁ……ことりは関係ないだろう。そもそもことりに失礼なこと言うなよ」

 

 

 

そう言える彼は一番ことりという少女の心を癒してやれる。

本人はちっとも自覚していないが。

だがそれは何よりも対戦相手にとって腹立たしい……ぶっちゃけムカツク。

 

 

 

 「うおおおおおおっっっ!」

 

 

 

故に彼は雄叫びを上げて純一へと渾身の一撃を放つ。

彼の獲物はガンドレッド。

全身をバネにし、一点に注ぐことで相手の骨を砕くことさえ可能と自負する一撃。

真正面過ぎるので腕が立つ相手には軽く避けられるのだが、純一には負ける気なし。

受ける純一も『向こうがこんだけ真剣なら、そろそろ潮時か』と納得。

驚いた様子をわざと見せ、足の動きを硬直させる。

また、対する彼は手応えという確信を以って勝利する――――筈だった。

 

純一とて、そうされる――――筈だった。

拳を受け止め、リングを降り立ち、敗北宣言をし。

意気揚々と会場を後にし、祐一の奢りだからと食べ歩く。

そんな“どうでもいい日常”を送ろうと、決めていた。

 

 

 

――――――――だが、それは。

 

――――――――所詮、“予定”。

 

――――――――予定は未定であり。

 

――――――――未来は、否定される。

 

 

 

蠢く暗黒と。

粟立つ悪寒と。

見下ろす悪意と。

狂い始めた歯車と。

停まり始めた日常と。

加速の道を歩む現実と。

世界に定められた覚醒と。

嗤い哭き叫ぶだけの終焉と。

 

 

 

―――――それは、【必定】という銘を授けられた……絶望の欠片。

 

 

 

忘れてはならない……帰還者は“突如”現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

URUOooooooooooooooooooooooooooo―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

少年は間抜けな声を漏らした。

頭上から響いたその声に動きが停まり、彼は上を見上げる。

 

蠢くような叫びだった。狂うような叫びだった。

感謝するかのような叫びだった。渇望するかのような叫びだった。

永遠という檻から抜け出し、再びの生命を得ようとする者の叫びだった。

 

見るだけだった生徒達は、畏れると同時、“何か”を感じた。

生きている自分達が『幸福』なのだと伝えるかのような、澱んだ叫びに。

 

 

 

 「――――ご、ふっ!?」

 

 

 

次の瞬間、少年はリングから吹き飛ばされる。

あまりにも上手く吹き飛ばされたものだから、衝撃は完全に抜けてしまい

不幸中の幸いとばかりに怪我さえなかった。

驚いた様子で視野を元の位置に戻すと、

己を蹴り飛ばした状態で硬直する純一の姿があった。

 

 

――――あさ、くら……?

 

 

対戦する彼でさえ、視界を彼に送った。

ならば、会場の視線さえもが純一に集まるのは、当然の理。

何をしている? そう思われても無理は無い。

 

 

 

帰還者は異形である。

黒々とした皮膚、神話に現れる悪魔のような姿。

人であった名残は、その姿形が人のそれに似ていること。

 

ただ、それだけ。

 

果たしていつの時代の人だったのか。

10年前か、100年前か、1000年前か。

些細なことに過ぎないけれど。

例え何年前の人間であったとしても、所詮は元人間。

今の人々への脅威であることに、変わりは無い。

帰還者は人であって人ではないから。

討つことに躊躇う者は“もう”いない。

 

 

 

降り立った帰還者はギョロリという擬音が聞こえてくるかのように

その瞳を動かし、禍々しい視線を純一に向ける。

瞬間。会場にいる人々の殆どが絶望した。彼の命はない、と。

音夢が叫び、ことりが叫び、さくらが叫び、美春が叫び、眞子が叫んだ。

此処はDDの管轄する場なのだから、誰かがすぐに来る筈だ! と縋りつく。

其処に立つ相手が純一であり、帰還者に勝てる筈がないと思っているから。

 

また、純一の体が動いたのは……単なる本能。

対戦する彼を巻き込む訳にはいかないという、本能。

反射的な行為であるから、何らかの意図は無く。

 

 

 

 「――――帰還者、か」

 

 

 

存在することが当たり前であるかのように、純一は呟いた。

周囲の視線が自分に集まっていることには気付いていた。

学園の友達が自分に向けて叫んでいるのにも気付けた。

それらに気付いて初めて自分が対戦相手を蹴り飛ばしていたことを理解した。

守ろうとしたのだろう。頭が動くよりも先に体が咄嗟に動いたのだろう。

多少目立ったことは事実であるが、起きたことは仕方ない。

次は自分が逃げれば済む。逃げるだけならどうとでもなる。

この帰還者とて見た目から自我持ちでは無いようなので、

警備役のエスペランサで充分脅威を退けられるだろう。

逆に云えば、自分が此処に立っているのは彼ら警備役の邪魔にしかなるまい。

 

純一にとって……“彼ら”にとって、帰還者との対峙は『恐怖』とはならない。

何よりも先に己自身の過去を思い出し、怒りが込み上げてくるから。

一方的な力を振るい、他者を搾取するモノ。存在そのものが人を死なせるモノ。

 

こうした永遠との対峙によって、彼は『彼女』を思い出す。己が最も憎しむ者を。

 

 

 

故に――――見逃さなかった。

この場での自分は一般学生に過ぎないけれど。

本当なら大会管理側の警備役DDEが動く事態だけれど。

或いはG.Aが動くのかもしれないけれど。

 

 

 

 「――――ああ」

 

 

 

でも、気付いたから。気付けたから。気付くことが出来たから。

その帰還者の気配が、どこか“彼女”に似ていることを。

過去から風化することのない香りが、匂いが、記憶を揺るがす。

どれほどの年月が経ったとしても、彼女の気配は誤ることがない。

自分には祐一のように気配察知力に長けている訳ではない。

長けていなくても、“彼女”に関してだけは別だ。

忘れることの出来ない『トラウマ』が、教えてくれる。

何をするべきなのかを、示してくれる。

 

 

 

 「――――嘘じゃ、ないのか」

 

 

 

愛しき人を殺めた少女を“探せ”……と。

 

本音を言えば喜んでいた。

長い年月を経て、今“此処”でその気配を悟った事実を。

記憶から薄れないから、“そうではない”と思っていた。

 

永遠を討つ存在となりながら、その実『人殺し』を望んでいた歪なる彼。

純一は他の神器とは違う。神器でありながら、永遠そのものを憎んでいない。

本能的な恐怖によって力を望んだ大蛇ではなく。

変えられぬ運命に抗い、しかし勝てなかった朱雀ではなく。

愛しき者を永遠に奪われた青龍や白虎ではない。

玄武はただ、己の欲望に従い、その結果として神器になっただけ。

彼が憎んでいるのは永遠ではなく、恋人を殺した『人間』だから。

神器と呼ばれたかった訳ではなく、力が欲しかったに過ぎない。

純一にとって『神器』の称号は、追い求めた結果として手に入っただけの副次物。

恋人を殺した仇を殺すつもりで、生きてきた。

目的を成し遂げられるのなら、殺人犯と呼ばれようが、何と罵られようが構わない。

……心の底からそう思ってきた。

 

 

――――其即、神器の中の「異常」。

 

 

今、この時。それらの考えが単なる杞憂であったことを知った。

悪い意味でも、良い意味でも。

“記憶から消えないから、違う”という思い込みが、

“今”程、“この瞬間”程……嬉しいと思ったことはなかった。

 

記憶から消えていれば、“彼女を忘れて”笑っていたのかもしれない。

記憶から消えていれば、“今の自分”は無かったのかもしれない。

記憶から消えていれば、全てを忘れたまま……倖せに生きていられたかもしれない。

記憶から消えていないから、人だと信じてきた。

記憶から消えていないから、人では無くなったアイツを殺せる。

記憶から消えていないけれど……人で無くなったのなら、『殺す』ことが赦される。

 

 

 

 「――――そう、だった」

 

 

 

周りの視線を忘れた。隠匿している事実を忘れた。

自分のあるべきことを、するべきことを、彼が修羅である理由を。

 

 

 

――――今。この瞬間……思い出した。

 

 

 

 「……ハハ」

 

 

 

僅かに笑った。そして会場の誰もが思った。

恐怖のあまりおかしくなってしまったのか? と。

その予想はある意味で間違いではなく、実際彼は『オカシク』なった。

見守る仲間達が本能的な危機を察知し、体を動かそうとした。

しかし同時に、純一が洗練された殺意を放つ。

対峙する帰還者へではなく、後方にいる仲間達へと。

 

 

 

――――邪魔、するな。……と。

 

 

 

 「ハハハ……アッハッハッハッ!」

 

 

 

顔を手の平で隠し、隙間を抜くように声が漏れる。

笑みは、狂笑へと変わる。

 

 

 

 「あはははははははははははははははははははははははははははははははは

  はハははははははははははははははははははははははははははははははは

  ははハはははははははははははははははははははははははははははははは

  ははは歯ははははははははははははははははははははははははははははは

  はははは葉はははははははははははははははははははははははははははは

  ははははは派ははははははははははははははははははははははははははは

  はははははは覇はははははははははははははははははははははははははは

  ははははははは羽ははははははははははははははははははははははははは

  はははははははは波はははははははははははははははははははははははは

  ははははははははは端ははははははははははははははははははははははは

  はははははははははは杷はははははははははははははははははははははは

  ははははははははははは破ははははははははははははははははははははは

  はははははははははははは爬はははははははははははははははははははは

  ははははははははははははは播ははははははははははははははははははは

  はははははははははははははは把はははははははははははははははははは

  ははははははははははははははは琶ははははははははははははははははは

  はははははははははははははははは芭はははははははははははははははは

  ははははははははははははははははは頗ははははははははははははははは

  はははははははははははははははははは簸はははははははははははははは

  ははははははははははははははははははは刃ははははははははははははは

  はははははははははははははははははははは刃はははははははははははは

  ははははははははははははははははははははは刃ははははははははははは

  はははははははははははははははははははははは刃はははははははははは

  ははははははははははははははははははははははは刃ははははははははは

  はははははははははははははははははははははははは刃はははははははは

  ははははははははははははははははははははははははは刃ははははははは

  はははははははははははははははははははははははははは刃はははははは

  ははははははははははははははははははははははははははは刃ははははは

  はははははははははははははははははははははははははははは刃はははは

  ははははははははははははははははははははははははははははは刃ははは

  はははははははははははははははははははははははははははははは刃はは

  ははははははははははははははははははははははははははははははは刃は

  はははははははははははははははははははははははははははははははは刃っ!」

 

 

 

どうしようもない程の歓喜が声となった。

嬉しかった。ただ、喜ばしかった。

 

嬉しくて憂れしくて熟れしくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて憂れしくて熟れしくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて憂れしくて熟れしくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて憂れしくて熟れしくて嬉しくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて憂れしくて熟れしくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて憂れしくて熟れしくて。

 

笑いたくて嗤いたくて嘲いたくて仕方なかった。

泣きたくて哭きたくて亡きたくて仕方なかった。

掻き毟りたい程堪らなかった。喉が枯れる程耐えられなかった。

泪が溢れる程、涙が止まぬ程、求めていた。

彼女だけを探してきた。彼女だけを追いかけてきた。

周りなんて見えてなかった。周りなんてどうでも良かった。

他の全てがモノクロだった。肌に感じる感覚が全てだった。

己の記憶に残る彼女への想いが、全てだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――“O”“O”“U”

 

 

 

 

 

 

彼が唇を動かす。

 

 

 

 「純一!」

 

 

 

彼が叫ぶ。己の耳が聴いている。

けれど、シラナイ。

 

 

 

 

 

――――“一弥”……か?

 

――――“誰か”ガ、俺を停メる声がスル。

 

――――ダレかなンてカンケイ、ナい。

 

――――ソンナコト……ドウデモイイ。

 

 

 

 

 

純一は狂笑する。ケタケタと笑い、クククと笑い、ハハハと笑い、ゲラゲラと笑う。

嘲るように嗤うのは、何に対してか。他者か。己か。或いは世界か。

 

 

純一の腕が動く……手始めに、とばかりに。

眼前の悪意を薙ぎ払うべく、腕が煌く。

ザクリ、という生々しい肉質が。

ドロリ、とした穢れきった血液が。

 

 

己の体が動いて――――腕が生えていた。

 

 

一本の腕が、腹から生えていた。

血塗れた腕が、腹を貫いていた。

純一の腕が、帰還者の体を貫通していた。

 

狂えばいい。笑えばいい。望めばいい。

堕ちればいい。消えればいい。終わればいい。

ナニカガオワッテコワレテウマレテ、ナニカガウマレテコワレテオワッテ。

 

 

 

 「ハハハ……クッ……クク…………はッハア――――!」

 

 

 

滲むような苦しみに埋もれて、得た笑みだった。

手にしてしまった感情だった。多分、狂っていた。

そんな“エガオ”を浮かべながらも……間は、一瞬。

 

 

 

ただ、“ぞぷり”……と。

 

 

 

そう、ほんの一瞬。

踏み出した瞬間を見切れた者は、一般生徒の中には一人も居ない。

鮮やか過ぎる手並みに、祐一達から声が掛かることすらない。

何故なら祐一達も、その異質さを勘付いていたから。

気付かぬ筈が無かった。完全にスイッチが入っていることが判るから。

そして彼がそうなるということは……起こり得ることが一つしかないから。

同じ傷を抱え、或いは共感した彼らに、停める術なぞあるものか。

 

渇望する苦しみを知っている。

叶わぬ過去の辛さを知っている。

恋焦がれることの深さを知っている。

故に、動けない。本能が動きたくても、理性が停める。

会場の安全はどうなっている? リングの結界は張ったのか?

いやそもそも外はどうなっている……という『他人事』ばかりが脳裏を過ぎる。

しかしそれを悪く言うのは止めて欲しい。

それを否定するならば、彼らはそもそも神器ではないから。

 

 

 

 「―――――G? GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAァァァッッ!?」

 

 

 

彼らの意識がその叫びによって再び元に戻る。

音の発生源はリングの上。純一の眼前に存在する帰還者のソレ。

純一は貫いた腕をゆっくりと引き戻し、断末魔の叫びを挙げる帰還者を冷たく睨む。

風化する灰に軽く目をやり、唾を吐き棄てる。

『帰還者』が舞い降りてきた天空を見上げ、問い掛けるように喉を鳴らす。

渇望して。期待して。怨み続けて。

 

 

 

 「高みの見物と洒落込む気じゃないよな――――頼子?」

 

 

 

天国の中心から響き渡るような怨嗟の声。理性を取り戻した悪鬼の声。

澄み切った穢れ。絶望を知るからこその傷。

悲しみを繰り返し、曲がったまま超越した者ならこんな声を出すのか?

あるいは彼のように、愛しき者を心許した者に殺されたならこうなるのか?

その声は会場に響き渡り、今までの朝倉純一という人物像を覆す。

囁くようでありながら、確固たる音として響いた純一の声。

そんな彼の腕は帰還者の血で染まり、やがて灰へと変わっていく。

 

求めていた名前が其処にはあった。

何故其処に居るかなんて理由はどうでもいい。

名を呼び、名に呼応する者が其処に居るなら、他の事情なぞどうでもいい。

 

 

 

――――よりこ?

 

 

 

そんな言葉に応じるように、空が割れた。

次元を切り裂くように空間に線が入り、

漆黒の様な、暗闇のような……形容し難い色が空に浮かぶ。

世界に生まれた生命のように。産声あげる赤子のように。

 

其処から現れたのは、少女だった。

纏う服は、まるで女中が着るようなエプロンドレス。

空の闇に映える白のエプロンが、異様に印象強く。

冗談でも何でもなく、まるで“メイド”のような姿の少女が居た。

エプロン本体を除いて青色を基調としたドレスを着ているから、そう見えた。

少女が放つ気配は永遠のソレに間違い無いのに。

“有り”そうで“無い”その光景は、現実離れした異質に相違なく。










 「――――ずっと、待ってました。お逢いしたかったです……純一さん」

 

 

 

少女は、恋人に再会したかのような可憐な笑顔を見せる。

溢れ出る愛情を、注ぎ込む。その瞳は純一を見つめていて。

口が彼の名前を呼ぶ。口が彼女の名前を呼ぶ。

 

 

 

 「――――俺も、遭いたかった。ずっと、ずっと探してたよ……頼子」

 

 

 

優しげな吐息に混じるように、その名前を刻む。

“逢い”たかったと彼女は言い、“遭い”たかったと彼は言う。

片や恋慕を。片や憎悪を胸に抱いて。

互いが互いを求める姿は【比翼の鳥】にも思える程に……美しく、醜悪で。

 

 

 

 「なあ、頼子。……お前、堕ちてたんだな?」

 

 

 

純一は軽い様子で言う。

その鋭い視線は一点にのみ注がれ、少女――頼子を中心に据える。

渇望した者の瞳、恋人に再会しそれを憎むかのような、視線。

そう。実際がどうであれ、彼女は『恋人』と同じ顔を持つことは事実。

最愛の人に再会したかのような錯覚。最悪の仇に再会したという自覚。

 

 

 

 「堕ちた?……何のことですか?」

 

 

 

純一が何を言ってるのか解らない、と語るようにキョトン、とした瞳を送る。

 

 

 

 「はっ、冗談止めろよ。お前、俺のために堕ちてくれたんだろ?

  人であることを棄てて……永遠を選んでくれたんだろ?」

 

 

 

そんな表情を目の当たりとしながら、純一は高らかに笑う。

彼の笑みとてある意味では『堕ちている』のだが。

呟くようで確固と放ったその言葉は、感謝の色を秘めていた。

心の底から、感謝と歓喜に満ちていた。

永遠に染まったこと……人から堕ちたことに。

 

 

 

 「――――はい!」

 

 

 

応じた頼子の表情は、純粋なまでに満面の笑みだった。

恋焦がれる瞳で、赤く上気した頬の色を純一ただ一人に向けて。

嫌気が差す程に眩くて、嫌悪に耐えぬ程に眩しくて。

その顔が、その声が、その姿が、その存在が――――赦せなかった。

 

頼子は、感謝していた。心の底から、感謝と歓喜に満ちていた。

純一は、解ってくれていた。自分が永遠に在ることを、解ってくれた。

純一との永遠を手にするために人を棄て、世界を棄てたことを解ってくれた。

何から何まで純一のためにしたこと。純一と自分のために、永遠を望んだ。

そのために姉を殺し、純一を求め、果てに永遠へと堕ち、力と、名を得た。

彼の顔が、彼の声が、彼の姿が、彼の存在が――――愛おしかった。

 

 

 

 「純一さん。ずっと私のこと覚えていてくれたんですね?」

 

 

 

純一が覚えているのは当然だった。

永遠として堕落した時、或いは使徒と化した時、

彼女は【純一から忘れられないこと】を望んで堕ちたのだ。

絆を棄てる存在でありながら、唯一の絆に縋った帰還者だったから。

 

 

 

 「……当たり前だろ? なんで俺がお前を忘れなきゃならない。

  忘れなかったから――――頼子が永遠に堕ちてたなんて思いもしなかったさ」

 

 

 

その会話は、“異常”であることを除いたならば。

知らぬ者が見れば恋人同士のソレであると思える程に優しくて。

起きた出来事に混乱しながら、共に見守る音夢やことり達が、そう錯覚するほど。

また、純一が紡いだ言葉は、頼子が望んだ言葉に違いなくて。

 

 

 

 「――――愛してます、純一さん」

 

 

 

彼女の言葉は紛れも無く愛の告白であり、

 

 

 

 「――――殺してやる、頼子」

 

 

 

彼の言葉は紛れも無く憎悪の発露だった。

怒りが一点に集約し、解き放たれるのを待つかのように。

 

 

 

 「純一、駄目だ!」

 

 

 

再び叫ばれたその声は彼の親友、一弥の声。

しかし届くことは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「純一さん、まさか、まだ」

 

 

 

殺すという言葉が頼子の心を揺さぶった。

その美しい顔に初めて憎しみが映る。

愛する人の心に宿る女性が自分でないと判ったから。

 

 

 

 「美咲と同じ顔で『愛している』なんてほざくな。

  俺が愛してるのは美咲だけだ、お前なんて眼中にねぇんだよ。

  …………んなもん、今更言わなくても解ってるだろうが」

 

 

 

彼が愛していた、愛する少女をこの世から奪った相手。

頼子は美咲の双子の妹。そして彼女を殺した張本人。

 

 

 

 「まだ私を見てくれないんですか……? 貴方を愛しているのは私なのに!

  純一さんの傍にいるべきなのは私なのに? 姉さん……美咲じゃない!

  私が……頼子である私が! 貴方を愛しているのにっ!?」

 

 

 

それは愛の告白。

それは怨の証明。

 

 

 

 「勘違いするなよ? お前は『鷺澤 頼子』だろ? 『鷺澤 美咲』じゃない。

  俺が――――『朝倉 純一』が愛してるのは……一人だけだ。今も、昔も。

  俺を――――『朝倉 純一』を愛してくれたのは、『鷺澤 美咲』だ。

  『鷺澤 頼子』の双子の姉……そう、お前が! 他の誰でもないお前が!

  アイツと同じその顔で! その声で! その手で! 殺した! “美咲”だけだ!」

 

 

 

怒りと云う名の慟哭が、やがて唸るように霞んで……彼は泣いて。

 

 

 

 「――――それくらい、判ってるだろ?」

 

 

 

その言葉を、言霊と変えた。

純一の両眼から滴り落ちた涙の雫が、地面に音も無く触れる。

やがて彼は自嘲の笑みを浮かべる。

もう、あの過去が叶わないと判っているから。

 

 

 

 「くっくっくっく……あっはっはっはっはっはっはっは!

  ……ったく、最高だよ! お前が其処に居る! 俺が探し続けたお前が!

  俺が殺したいと願い続けたお前が、永遠に居る!

  ――――ああ、くそ。上手く言葉が浮かばねぇや……かったりぃな、ハハハ」

 

 

 

涙を流しながら笑う純一の姿は滑稽で、哀しい。

哀しみは一種の美となり、彼を覆う。

どれだけ崩れても、どれだけ苦しんでも……耐えてみせる。

だからこそ、もう一つの望みだけは、果たさなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ああ、心配無い……頼子のことなら、愛してやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉に反吐を吐きたくなるけれど、愛してやることは出来る。

どれほど憎くても、どれほど殺したくても、愛してやれないことは無い。

純一の言葉に頼子が喜んだとしても無理はない。

 

 

 

 「本当、ですか?……嬉しいですっ」

 

 

 

場にそぐわない程の澄んだ笑顔。

愛しいから、誰よりも純一が大切だから。

彼のその言葉を求めていたから、報われる。

例え彼が過去の女に囚われていても、自分が傍に居れば……と思うから。

さっきの言葉はただの迷いだ。そんな言葉でしか照れを隠せない、リップサービス。

“純一さんったら……もぅ”と。頼子は頬を染めて微笑む。

そんな彼女に、彼は告げる。

 

 

 

 「ああ、愛してる。どうしようもない程、愛してる」

 

 

 「――――ぁ……はぃ。……はいっ!」

 

 

 

“報われた”と喜ぶような透き通った笑みと、僅かにまなじりに浮かぶ涙の雫。

“嬉”という感情の発露に耐え切れぬ彼女の様は、皮肉にも美しく――――『彼女』の様で。

 

 

 

 

 

 

 「何の躊躇いも無く」

 

 

 

――――……やっと、やっと私の願いが、叶います。

 

 

 

 「何の慈悲も無く」

 

 

 

――――素敵ですよね? 紅く染まった、死化粧は。

 

 

 

 「殺してやれる程に」

 

 

 

――――じゅ……い……ちさ……ん。

 

 

 

 「頼子のことを――――愛してる」

 

 

 

 

 

 

あの言葉を忘れないから、彼は宣言する。

殺戮を、愛に昇華させることを。

 

 

 

 「殺してやるさ、愛してやるさ」

 

 

 

――――み……さき?…………………………美咲ぃぃぃぃっっっっっ!

 

 

 

 「お前だけを……見てやるさ」

 

 

 

鼓膜に響いてくるあの叫び声。

純一の目はただ復讐に染まっていた。

もう、何も見えていない。

もう、後のことなんて知らない。

 

 

 

 「――――やっと、お前を……殺してやれるんだからなぁっ!」

 

 

 

その望みだけで生きてきた。

その目的だけで此処まで来た。

傷付いて。ボロボロになって。自分を失って。

狂った中に、今を得た。ずっと、ずっと夢見てきた。

己の停まった時間を動かそうなんて大それたことは思わない。

停まろうが、動こうが、関係無いのだ。

 

停めた『アイツ』が憎らしくて。

居なくなった『アイツ』が愛おしくて。

一人遺った『俺』が……悔しいだけ。

 

 

 

 「叫び狂え――――ティシフォーネェェッ!!」

 

 

 

己の親指の腹を噛み切り、血を滲ませながら叫ぶ。

朝倉純一が使いこなす、魔装具の名を。

主の血を媒体に、従者たる魔は顕現される。

 

 

 

 『――――――――――――ァァ』

 

 

 

震えるような叫び声を、人々は聴いた。

小さく静かに鳴きながら、その刃は煌く。

 

種類は長斧……ハルバードと呼ばれる類の武器。

赤と黒に染まった、魔性の武器。

その全てが黒と紅に彩られ、刃ですら紅黒に輝く斧。

柄の先端が尖っているため、使いようによっては槍のようにも扱える。

まるで赤黒い血液のように形成された邪器。

上代蒼司が作り上げた最高傑作の一つ。

造られた鋼の段階から帰還者の血を織り交ぜ、灰を加えて。

消え去る前の肉骨を埋め込み、造られた鋼を打つ鋼にさえも穢れた血を混ぜた。

始から終に至るまでの全工程に、永遠を取り入れるという歪なる邪法。

二度と創られることのない、【永遠】そのものである魔装具。

翼人の系譜に連なる武装ではなく、元素を還元する武装ではなく。

夢の世界に封じられた武装ではなく、星の煌きに眠る武装ではなく。

永遠を以って永遠を滅ぼすためにあつらわれた――――【永遠殺し】。

 

【魔斧 ティシフォーネ】。

ギリシャ神話における復讐の女神『ティシフォネ』の名を冠した刃。

鋼に血を。鋼に灰を。鋼に骨を。鋼に肉を。

純一の願いのために。曲がりくねった彼を護るために。

苦しみもがく彼のために、あえて邪道と呼ばれた力を与えた。

 

 

 

 「快感に咽び哭くまで、殺し愛おうぜ?」

 

 

 

血の契約により顕現したティシフォーネは、純一の右手に握られる。

握られると同時、大地を、リングを、抉る……轟音が響く。

重量があるのだろう、握られたにも関わらずその勢いのままリングに穴を穿つ。

純一の有り様はだらりと両手を下げ、斧の重さに逆らうこともできないかの様で。

しかしその目はギラギラと光っていて。今までの『朝倉純一』とは違うことが明らかで。

 

 

 

 「死ね」

 

 

 

一言呟いた純一の体が、空を舞った。

彼の瞳は、純粋に濁っていた。

鋼鉄の軌跡を描き、刃が振るわれる。大振りであり、絶対的な破壊の力。

純一としては本気で振るったその力だったが、運悪く頼子の体に当たることはなかった。

しかしそれは頼子を驚かせる一撃に相違なく。

 

 

 

 「じゅ、ん……いちさん?」

 

 

 

何故自分に刃を向けるのか、と語るその声が耳障りだった。

何故自分を殺すと云うのか、と戸惑うその顔が目障りだった。

 

 

 

 「無抵抗でいたいなら好きにすればいいさ。

  俺の精一杯の愛情で、搾り出せる唯一の慈悲で、痛みもなく殺してやるよ」

 

 

 

迷いなんてある筈がない。

DDEとなったのも、神器となったのも、

頼子を見つけやすくなるだろうというその想いだけ。

頼子は帰還者だった。殺したい相手は、滅ぼすべき存在だった。いかに歓喜か。

 

 

 

 「何度でも言ってやる。死ねよ、お前はぁ――――――っ!」

 

 

 

純一は神器の中で最も力に優れる。

ティシフォーネの重さは、普通の人間には扱えない。

それを自由に自分の体のように使えるのは、ティシフォーネが主と定めた彼だけ。

故に特殊。他の魔装具には在り得ない自我を持つ。

絶命を願い、紅黒き刃を横薙ぎに払う。

 

 

 

 「っ!」

 

 

 

頼子は寸前でその一撃を避けるが、純一の攻撃が止む筈も無い。

上、右、左、下、その憎しみの閃撃は停まることを知らない。

 

 

 

 「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消え失せろぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 

狂笑を宿しながら、刃を振るう。

避けた先に一歩遅れて、腕を動かす。

頭と体の動きが一致しない。もどかしい。殺せるのに届かない。

腕を真横に払う。目測がズレる。

たった薄皮一枚の距離で外す。悪態を吐く。

振った。振った。振った。振った。幾度も振った。

当たらない当たらない当たらない当たらない幾度やっても当たらない!

殺せる筈なのに。その力があるのに。一歩分だけ追い付かない。

脳髄をかち割ろうと斧を振り下ろし。腕を斬り飛ばそうと左から斬りつけ。

足を奪い取ろうと刃を掬い上げ――――その都度、攻撃が届かない。

 

 

 

 「ああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

 

届かないことが嫉ましくて、触れられないことが苛立って、彼は怒りの慟哭に浸る。

斬撃に斬撃を重ね、刺突に刺突を積み、拳に拳を合わせ、蹴刃に蹴刃を乗せる。

 

だが、足りない。

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って

振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振って振った。

 

幾度振るったか知らないが……浅く、それでいて確実に皮膚を傷つける音が、聴こえた。

たった一撃が頼子の左腕を血で汚した。報われたと思った。

攻め手を逃さず、繰り出す刃を休めはしない。

一回でも二回でも三回でも、一撃でも多く。

 

 

 

再び――――抉るような音が、響く。

 

 

 

願いが通じた。狙いはそれることなく、振り下ろしの一撃目は彼女の服を切り裂く。

瞬時に腕の膂力を全て切り返しに注ぎ込む。

何度でも叩きつけよう。足りない分の全てで追いつく。

 

 

 

――――三度、皮膚を傷つける音。

 

 

――――音を弾いた硬質的な、音。

 

 

 

純一が続けた切り返しの一撃も、確かに頼子を傷つけた。

だが、その刃が最後まで通ることはなく。

突如響いた硬質的な音に防がれる。

 

 

 

 「――――な、に?」

 

 

 

視線の先。己の紅黒と、もう一つの紅黒が在った。

 

 

 

 「な……? レグ、ロス……?」

 

 

 

純一が漏らした疑問符と同じように、頼子もまた呟く。

何かの名前を。まるでその紅黒に問い掛けるように。

 

 

 

 『黙ってやられてんじゃねぇよ。殺せよ、血を飲ませろよ』

 

 

 

“紅黒”が応じる。頼子の言葉に答えるように、音を紡ぐ。

純一が振るったティシフォーネを防いだのは、一本の剣。

色はティシフォーネと同じような紅黒。

“声”という音を紡いだのは、紅黒の剣。

 

 

 

 「純一さんは【永遠】に連れて行くんです。私と、一緒に」

 

 

 『あぁ? まぁた甘っちょろいこと言いやがる。

  ってこたー弱らせて連れて行きゃいいんだろ? なら俺を使え。

  俺があいつを切り裂いて【永遠】に連れてってやるよぉ』

 

 

 

僅かな逡巡をその瞳に浮かべて、彼女が頷く。

 

 

 

 「……解りました。但し、殺すことは許しません。純一さんは私の恋人なんですから。

  誰にも渡さない。誰にも奪わせない。私だけの、恋人なんですから」

 

 

 

頼子が、目覚めた。

 

 

 

――――現実ですよ? 待ちに待った、最高の日です。

 

 

 

純一が忘れられない、あの日と同じ表情を浮かべて。





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