【永遠】とは時間の概念が無い世界である。
永劫の世界であるために、時間という存在を抹消したのだ。
故に本来の形で永遠に属することが出来れば、年を重ねるという概念が無くなる。
時計は“チクタクチクタク”と時間を刻む。
奏で刻む“トキ”に意味はなくとも、無為に時は過ぎ行くもの。
だが、永遠にその感覚は存在し得ない。
時計の針を戻したところで時間が逆行するわけでもなく、
時計の針を進めたところで未来世界へと跳躍できるわけでもない。
ただ、獏然と。ただ、蒙昧と。【今】が【永遠】にあるに過ぎない。
帰還者が永遠を求めるのは、絶望の果てに心が停滞するからとも云われる。
絆を失ったことで自己の存在を世界に認識できず、世界もまたそれを見逃す。
世界という概念を観測するモノがいたとするなら。
仮に【神様】がいるのなら? 観測者がいるのなら? それはいかに残酷であろうか?
絶望した者は救われたいだけなのに。
絆を失ったから、取り戻したいだけの筈だった。
だけど神様は、残酷だった。
永遠という概念を『世界』とは違う世界に誕生させてしまい、
【帰還者】という傾いた超越者を生み出してしまった。
それはあたかも世界の滅びを神様が望んでいるようで。
だから帰還者は己の欲望と、神様の望む道を選ぶ故に、永遠を完全にしようと企む。
神の掌で踊るという【真実】。それが己の意志と錯覚する【虚実】。
真実と虚実に気付かぬ【現実】がある限り、帰還者も被害者ということか。
全ては神様の手の上。
本当に神様がいるのなら、何をさせたいのだろう?
本当に神様がいるのなら、何故希望が無いのだろう?
そんな基本的な疑問を、世界は持っていない。
人々は“戦う”ことに、永遠は“求める”ことに傾倒し過ぎているから。
被害者しかいないチェスの盤面。
勇者を渇望するのは、それが業であるためか。
永遠は被害者を求めない、正確にいえば被害者など気にするつもりがない。
欲望とはそういうものである。他者などどうでも良いのだ。
欲望のままに何かを喰らい、己以外の他を喰らい、その果てに己をも喰らう。
勇者がいないから、誰も救われない。
どうしようもない程に狂ったこの世界。愛すべき腐敗した世界。
『死』した者を取り込み、破滅した誰かを棲まわせる場所。
世界は蠢く。世界は歪む。世界は嗤う。世界は軋む。
――――“助けて”と叫んだ誰かの声は、届かなくて。
「宣戦布告?」
「ええ。先日動くことは承認して戴きましたし。往人さんもその意志があるようです。
思い立ったが吉日、という訳でもありませんが、動くのも頃合でしょう?」
ある場所で、二人の人物が会話をする。
質問をしたのはダークグレーの髪を持つ年若い少年。
回答したのは、男性。どこか空っぽな男性。
空虚であるからこそ、彼はこう呼ばれる。即ちその名は――――空名。
「まぁね。いつまでもこうして影ながら準備しているのもつまらないか。
だけどまだ準備は終わってない、それを承知の上でそう言ってるんだよね? 空名」
「無論です。私個人の願望を言わせて頂くことをお許し願えるなら。
賢者とは一度会っておりますが、零牙とは未だ。そろそろ対面したいのです。
それに何より、貴方も目的の相手にご挨拶なさっても宜しいのでは?」
「面白いことを言うじゃないか。まぁ、確かに? それもいいかもしれないな。
でも質問。僕とキミが挨拶に出向くとして……他の連中はどうなんだい?」
特に深い意味合いはない。
純粋な疑問として空名に問い掛ける少年――――朝陽。
「“停滞”“隷求者”“死法剣”“欠翼姫”……この四名はいつでも宜しいかと。
“歩兵”も使えるのですが、彼には少々お手伝いして貰いたいもので。
ああ、折角ですので“夢想夏”を連れて行くのも良いかもしれませんね?」
「ふぅん。まぁ無難な面子だね? にしても……“夢想夏”?
よく云う、“死神”そのものじゃないか。ハハハ、キミも性格が悪い」
「お褒め戴いたと解釈しておきますよ朝陽さん。
ですが、実際彼らが相応しいでしょう。
放っておくと勝手に動かれてしまいますからね……特にあの二人は」
その答えに懐疑的な視線を向け、どこか他人事のように訊ねる朝陽。
「人を探してる……そう聞いた記憶があるね?」
「彼らが動くということは、つまりはそういうことなのでしょう」
「ふん……私情か。でも、僕らは私情そのものだからねぇ――いいんじゃない?」
「はい。それに“停滞”と“隷求者”すら同じですから、ね?」
どこか茶目っ気を含んだ声音の空名。
二人の名前を出すのが楽しくて仕方ない、とその声色が語っていた。
そして彼の言葉は、朝陽の嘲いを誘った。
あまりにも愉快に愉悦に浸り、彼は言葉を紡ぐ。
「ああ、うん。気に入ったよ、そのアイディア。
僕とキミと……あと何人か付いて来る、ね。それでいこうか」
「お喜び頂けて何よりです」
クス、と微笑む空名の貌は、やはりどこか歪な笑みだった。
負けず劣らず朝陽の顔も、永遠に属する者の醜悪さを持っていた。
軋む世界は永劫。歪む世界は不安定。
嗤う世界は乱れ。蠢く世界は狂いに狂う。
チクタク、チクタク。
時計が無い。時間がない。
過去もなければ未来もない。
“今”だけがある、そんな世界。
しかし、“今”しかない世界に何があろうか。
変化もなく、変革もなく、変動もなく、何も無い。
何も無いから何かを求め、何かを望むから己を棄てる。
捨てたモノが何を手にするかは、人それぞれ。
人を捨てることで何かを得るモノも居れば、何も得ぬモノさえ居る。
故に『堕ちた』と評される。人であることに堕落したから。
人であることに耐えられなくなった弱者。
弱さが強さへと変貌し、彼らは己の世界に逃げ込む。
己が求める永遠を象徴するために、望む永遠を創造するために。
チクタクチクタクと鳴らぬ時計は、神様の悪戯?
神様は何もせず、ただ笑う。
楽しそうに笑い、哀しそうに嘲い、狂ったように嗤い、嬉しそうに……嗤笑うだけ。
“永遠”はただ其処に在るだけ。
神様が見捨てた誰かを、救うために。
世界を棄てた愚か者を、虜囚と変えて。
朱が舞う。金が舞う。
一閃の光が闇を照らし、刃の波紋が使い手の顔を映す。
刀剣が鋼を解き放ち、再び眠りにつく。
硬質なる音が無音を作り、還るべき場所に戻る。
それは、鞘から解き放たれた牙を指し示し。
時の牢獄と化した世界で、男は刀を振るっていた。
その格好はどこにでもあるような黒いシャツにジーパン。
“永遠”にいるにしては随分と普通であると言われてしまいそうな姿に他ならず。
銀色とも、やや灰色といえる髪。
初見の相手を萎縮させてしまうような目つきの悪さ。
どこか刺々しい、そんな青年。
彼の手に握られた刀は、朱金の輝きを放つ刃。
黄金なる朱、蒼き銀と対極せし剣。
誰も居ないその場所で、青年は己の仮想図の中にいる敵を斬っていた。
刀を鞘に納め、裂帛を以って刃を抜く。
放たれた一閃は高速……神速の域へと昇華される。
超一流の腕でなくばその切っ先を見ることも出来ない程に洗練された技。
永遠に属しながら、その技は美しかった。
完成した美と、未完なる技とが逢い重なりゆく様。
繰り出されるのは神速と評すに足る剣戟。
一撃、二撃、三撃……それが十を超え、百を超え、千を超え、
万を超え、億の数へと到達するのに一体如何ほどの時間が経過していたのか?
いや、詮無きことである。
何故なら此処は【永遠】。時間の概念なぞ意味が無い。
問うことさえ無意味にして、無駄な労力。
何度刀を振るったか解らなくなった頃、青年はようやく朱金の刃を鞘に仕舞った。
しかしその体から滲み出る闘気は消滅することを知らぬかのように増大していく。
腰を深く落とし、刀を己の左腰に構える。
重心を左足にのみかけ、空いた右足は前方へと突き出す。
左手は鞘を支え、右手は刀の柄を握る。
刀さえ持っていなければ脚の腱を伸ばす体操のような図柄だった。
その構えは彼が修めた流派独特の構え。
唯一継承される技、基本にして最強たる技。
銘を【抜刀術】―――――彼が放つ刀の真髄たる業。
彼は静かに呟いた。
「空閻式抜刀術――――祖の型――――【空刃】」
風を薙ぎ、空間を喰らい、闇を消し去る朱金の閃光。
故に巻き起こる衝撃波。
辺りの空気を全て吸収したかのような一陣の風が吹き荒ぶ。
ここが永遠でなければ、何が無くなっていたか解らなかったろう。
刀を抜き去ったこと以外は、先ほどと全く違いの無い構えを保つ。
あの衝撃を“刀一本”でやり遂げたのだ、この青年は。
永遠を討つための業。
翼人が編み出した魔性の剣術。
“空を穿ち、断罪と希望を下す閻魔の業”――【空閻式抜刀術】。
永遠を討ち、永遠を封ずるために産まれたその業。
今は、【永遠の業】として其処にあった。
――――――――朱色の刃が、悲しみを纏う。
金色に煌く刃の軌跡、朱色に輝く波紋、それは彼女が存在していたという証。
愛した女性の面影が、刃紋に宿り……感情が揺らぐ。
「空閻式抜刀術――――――奥義――――――――【天――ル――音】!」
奥義に込めた唯一の名前。
愛した現実を、愛する想いを幻想にはさせまい、と。
己を己とするために、己が己であるための証。
蠢く世界は、孤独に。
「……ふふ。これで、準備完了ですね」
『オイオイめっずらしいじゃねぇの。随分気合入ってるじゃねえか?』
「当たり前です。やっと私の悲願が叶うんですから!
ずっと待ってたんです。ずっと、ずっと……あの日から、ずっと。
ううん、それよりも昔から。あの人に惹かれたあの日から……ずっと。
服も。髪も。メイクだって。香水だって。此処には何でもありますから。
一番綺麗な私で、ご挨拶しなきゃいけませんよね?
私が、私だけがあの人を満足させられる。
……私の全てはあの人のためだけにあるんですから」
『クックック……そりゃご苦労なこった。
でもよ、俺との契約内容も忘れるんじゃねえぞ?』
「ふふ……解ってますよ。泥棒猫は払わなきゃいけませんから。
私が赦します“――”。……思う存分、血を啜って下さいね?」
『……ヒャハッ! やっぱ最高だぜ、オメェはよぉっ!』
歪む世界は、愛執に。
「ねぇ“――”? 皆で遊びにいくってホント?」
「うむ。何やら皆で挨拶に行くと聞いた。……随分嬉しそうだな“――”?」
「うん! だって行く所って、前に言ってたあの人もいるんでしょ?」
「ふむ、覚えていたか」
「勿論。話が本当なら、今までで初めて会うタイプの人だったんでしょ?
楽しみだなあ……他にも面白い人が沢山居るって言ってたし」
「……上機嫌なのは良いことだが、“――”。
くれぐれも羽目を外し過ぎぬようにな。我らは戦闘向きではないのだから」
嗤う世界は、糸繰るように。
軋む世界――――彼らは、永遠を求めるだけの器。
動かぬ筈の時計が動き出し、世界を刻む。
動かぬ世界が動き出した以上、“刻”は戻らない。
それは異常に他ならず、時計の針は動き、鳴る。
チクタク、チクタク、チクタク。