Eternal Snow

130/武術大会 〜本戦 二日目その2〜

 

 

 

ハイペースで試合をこなす必要がある第一回戦。

神器の関係者となる少女達の試合も当然行われなければならない。

レゼトゥワルを始めとして『神器』が見守るべき試合はまだ残っている。

これより始まる試合は【朱雀】の関係者……つまり浩平の直接の友人、

長森瑞佳、七瀬留美、里村茜、柚木詩子の四人、チーム名【アーガット】。

タイ語で【空気】という意味らしいが、何故これなのかは全くの不明である。

詩子の強い押しがあったと聞くが……果たして真偽の程は? といった具合か。

 

彼女達も名雪らに負けず劣らずの実力は持つ。

実力、気構え、基本的に必要だとされるものは充分合格点である。

しかし、彼女達に限ってはそれ以上の事項があるのを忘れてはいけない。

何よりも彼女達の強みは、それを望んだわけではないが、

浩平という少年の強さを知ってしまったという事実だろう。

 

ある種神格化された神器と言う存在。

誰よりも身近だと思っていた少年の本当の強さ。

推し量ることの出来ない、彼の内心。

 

きっと歪んでいるその心を。

支えてあげたいから、支えて欲しいから。

 

闘う浩平の姿を見てしまったから、彼女達は【甘え】を自重するしかなく。

故に、彼女達の精神は誰よりも強くなった。

何より……最も長い時間、彼を見守り続けてきた“彼女”は。

傲慢にも“彼”を支えたい……そう願い続ける彼女、は。

 

 

 


 

 

 

乾坤一擲、刃が舞う。

舞うと同時に打ち合いとなり、大きく軋んだ音をあげる円剣。

輪を描いたその切っ先は、刺突には向かない。いや、出来ない。

だがその分、円剣に勝る程防御に向いた剣も他にあるまい。

 

攻撃は最大の防御、という。

それは真実であるが、一側面でしかないのもまた真実。

真の防御は、攻撃を全て受け流し、その戦意すら飲み込むと云われる。

瑞佳にその境地を期待することは無謀であるし無駄なコト。

けれど、彼女の戦闘スタイルは極々その形に近い。

 

受ける攻撃は全て受け止め、放つ攻撃はあくまでもその力を殺ぐために。

 

偶然ではあるが、きっとそれは天恵。

刺々しく刃を光らせ、ヤマアラシのように佇む彼を包み込むために。

傷ついた心を癒す存在――――彼女の名は“長森 瑞佳”。

そう在りたいから。そうしたいから。

だからこそ、彼女は。己の持つその意思を、揺らがせない。

 

 

対する者は、そんな彼女の在り方に戸惑う。

対する者は、彼女と同じ女性であり、彼女と同じ年だった。

“年頃ならばこうである”……そんな極々当たり前の先入観があるから。

 

己を誇示する訳でもなく、己を主張する訳でもない戦い方。

戸惑ぬ筈が無い。何故そういう戦いが出来るのだろう。

飛び上がって放った点の一撃を逸らされた。

正面に繰り出した無数の点撃を逸らされた。

遠心力を利用し、打ち払うための震撃を逸らされた。

逸らされるたびに反撃に怯えるのに、何もしてこない。

彼女の出方を見るためにわざと隙を見せたというのに、それでも動いてこない。

慎重という戦略ならまだ理解出来る。

「私」の動きを完全に見切りたい、そうだというのならば解る。

 

――――でも、“この人”はそうじゃない。

 

見定めようとする視線を感じないから。

好機を探しているそぶりを見せないから。

 

それは、刃を交し合うからこそ解ること。

彼女が本質として何を抱えているのかは分からなくとも、

その戦いは、あまりに“特殊”であることだけは解る。

打たず。撃たず。討たず。傷つけず。殺めず。襲わず。

ただひたすらに護り続けて、ただひたすらに挫き続ける。

 

 

 

――――襲わぬからこそ戦意を奪い。

 

――――殺めぬからこそ暴力的で。

 

――――傷つけぬからこそ他者を癒し。

 

――――討たぬからこそ攻め込まず。

 

――――撃たぬからこそ防ぎ続けて。

 

――――打たぬからこそ何もさせない。

 

 

 

眼前に迫る槍撃を、円剣の動きで流す。

足を停めず距離を取り、受けた反動は地面に逃がす。

愚直なまでに防ぎ続け、攻撃を受け流す。

既に試合が始まって10分は雄に経過している。

周りからみれば防戦一方でしかない瑞佳であるが、

まだ一撃もまともに浴びていないのもまた事実。

円剣を投じ距離を取り、踊るように舞いながら、それでも決して仕掛けはしない。

撃たれる攻撃が点であろうと線であろうと軽かろうと重かろうと関係無い。

体は正直で、腕は痺れて体は疲れ、円剣を握る手指は震えている。

そうして攻撃を受け流す瑞佳の頭は、至極冷静であった。

表情に辛さも見せず、まるで無心という言葉の通りに何も感じさせない。

相手が怯えていようが、畏れを抱いていようが関係無い。

足は動き避ける力は残っているし、触覚は消えずに指は動く。

避け続けて防ぎ続けて動き続けて錯乱させる。

 

 

 

――――わたしは、“わたし”でしかいられないけど。

 

 

――――甘えてなんて、いられないから。

 

 

 

浩平のことが好きだから、誰にも負けたくないから。

七瀬さんにも、里村さんにも、柚木さんにも、負けたくない。

 

彼が抱えた苦しみの何分の一でもいい。分かち合いたい。

今はまだ何も教えてはくれないけれど。

いつ浩平が自分を頼ってくれてもいいように、支えてあげられるように。

いや、その答えは半分しか正解していない。

“支えてあげられる”ではなく、“支えたい”のだ。

 

 

 

――――好きです。誰よりも貴方が好きです。

 

――――長森瑞佳は、折原浩平を愛しています。

 

 

 

その言葉を言いたいから、甘えられない。

刺々しいままでは、棘たる彼の傍には居られない。

護り続けていたいから、傍に居させて欲しいから。

だから攻めない。だから責めない。だから戦わない。だから闘わない。

だから……負けない。

 

想いがあるから、願いがあるから、迷わない。

それは剣へと転じ、刃へと変わる。

護る剣の切れ味は、所詮なまくらでしかない。

鞘に覆われたように力はなく、包まれた刃でしかないが。

その剣は、浩平のためだけにある。浩平の心を【守る】ためだけにある。

瑞佳はただ想いのままに……真っ直ぐな力を振るうだけ。

信じた想いに、従うだけ。

 

 

【音】を鳴らす。

【音】を武器に変える。

【音】を力となす。

 

 

 

 「行って――――――!」

 

 

 

瑞佳の持つ力は、【音】。音を具現し、音で戦う。

世界には“音”が存在する。【無音】という“音”がある。

彼女は音の塊を発生させ、互いを共鳴させる。

結果、音と音とがぶつかり合い、牙を剥く。

それは一種の爆弾。彼を護るための、彼女の剣。

音の塊を多くすればするほど、音は無数の弾丸へと変化し、狙うべきモノを穿つ。

それはあたかも絨毯爆撃のように苛烈。

 

徹底なる防御は、一掃に足る攻撃と化す。

完全なる防御は、攻撃という機会さえも打ちのめす。

 

 

音が響く。

リングに穴。

音が響く。

リングに罅。

音が響く。

リングに衝撃。

音が響く。

リングに激震。

音が響く。

リングに亀裂。

音が響く。

リングに裂傷。

音が響く。

リングが歪み。

音が響く。

リングを穿つ。

 

 

避ける隙間すらなく、観客がただ「凄い……」と溜息をつくしかないほどの攻撃。

今の今まで防戦一方であったから尚の事そのインパクトは大きかった。

戦術をいなし続け、戦意を奪い取り、戦闘を避けてきた故に。

攻撃に転じた彼女の牙は、本来の威力よりも更なる強さと化け。

瑞佳が動いた瞬間、この試合の決着はついた。

 

――――心に秘める想いのままに。

 

 

 


 

 

 

 「瑞佳、本気ね」

 

 

 

リング下で彼女を見ていた留美が言う。

彼女の戦いは、ただ一つの信念によるもの。

 

 

 

 「ええ。きっと同じコトを考えているから、でしょうね」

 

 

 

応じた茜は、その言葉だけで留美の言いたいことを理解する。

 

 

 

 「美男子星の王子様は伊達じゃないってね〜。

  って、あたし達が言えるセリフじゃないか」

 

 

 

その王子に陶酔してしまったことを自覚する彼女達は、詩子の言葉に苦笑を漏らす。

彼女達の関係は、友達にしてチームメイト、そして恋敵。

同じ想いを抱えているから、瑞佳という少女のことを誰よりも理解している。

勝つことも解っていた。負ける筈がないと解っていた。

初めから彼女の負けなんて想定していない。

負ける訳がない……何も識らない人達になんて。

 

昨日の浩平の試合は、彼女達からしても正直みっともないと思わされた。

まともに攻撃すら当てられず、的に成り果てるだけ。

あの強さを知っているから、それがブラフであるのは聞くまでも無い。

だけど周りの皆がからかったり、けなしたり、笑うのは許せなくて。

神器だと名乗ってしまったから、余計にそう言われてしまった。

それが悔しくて、当り散らしたくて。だけど言えなくて。

浩平は昨日、彼女達は怒っているだろう……と

対外的な理由をつけて逃げたが、真実の処、それは杞憂だった。

彼が力を振るう筈がないから、振るえぬ苦痛がある筈だから。

だから何も言うつもりはなかった。

いつものように笑いかけに来てくれたら、それでよかったのに。

来てくれなかったのは、信頼されてないからだ……そう思った。

 

確かに自分達だって識らなかったら同じだったかもしれない。

でも、識っているから。浩平の分も、今は勝ちたい。

覚悟があるから、その方程式の結果は『勝利』しかない。

だからこそ勝った瑞佳の顔は、決して喜ぶソレではなかった。

当然という勝利に浮かれる程、青い心情を今は忘れたのだから。

今はただ、浩平を想う自分がいればそれで良い。

 

続くのは詩子。

しかしその過程を、描写をする必要性はあるまい。

その覚悟は瑞佳に劣るべくもない。

彼女は……いや、彼女と茜はある意味で瑞佳と留美が体験したことの上をゆく。

 

“見知らぬ帰還者”に、【永遠の使徒】に襲われた瑞佳と留美は“ただ”それだけ。

“見知らぬ『筈』の帰還者”に、“知っていた『筈』の帰還者”に

襲われたことに比べれば、味わった恐怖も、より感じた現実も、桁が違う。

 

慈悲の欠片も無い【永遠】の存在を、僅かにも理解してしまったから。

だから彼女も負けない。

 

 

――――負ける、筈がない。

 

 

結果だけを告げよう。鮮やかな手並みであった、と。

彼女の得物はナイフ。極至近距離においては、ある種最強ともとれる武器。

殺傷力が“あるようで無い”、“無いようである”、そんな矛盾した代物。

 

相手の戦意を殺すためだけに、急所と呼ばれる箇所を一度も狙わず、

それこそ狡猾な蛇のように、じわじわ、じわじわと攻める。

やがて全身から血を滲ませた相手は、自ら降伏を申し出た。

それを見た詩子は無言で頷く。

当たり前のように彼女の貌に笑みは浮かばない。

本来の詩子の性格なら、少しくらい変化があるはずなのに。

 

正確なことを言うと、少女は少しだけ怒っていた。

 

今こうして降伏を申し出た相手を、軽蔑さえしていたかもしれない。

初日の試合で浩平を笑わなかったのは本当に極々僅かの人だけ。

流石にD・GODSのメンバーの関係者は叱りこそすれ笑いはしなかった。

それを逆説的に考えれば、他のほとんどの観客生徒が失望と失笑を浮かべたのだ。

 

 

――――あたしに負けたこの人も、浩平くんを笑っていたんだ、きっと。

 

 

その予感は正しいのだが、まぁそれは置いておくとして。

折原浩平の強さも、優しさも知らないのに。

勿論自分だって全部は知らない、だけど少しだけなら知っている。

だから、怒っていた。

そんな相手に掛ける言葉なんて持っていなかった。

無言でリングを降りる彼女の気概を悟ったのはチームメイトだけである。

曲がりなりにもその根底に宿る想いが酷似しているから。

 

【アーガット】は、今この瞬間だけは他のどんなチームよりも強いと云えただろう。

心に根ざす覚悟と、成し遂げたいとする意志が段違いであるからこそ。

人の本当の強さは、その腕でもなければ才能でもない。

覚悟とそれを成し得る意志、それが本当の強さだ。

翼人と共に永遠と戦ったかつての“無力だった”人間が、その証。

“力を有した”歴史が、それを証明している。

 

 

 

 「それじゃ茜、あとよろしく〜」

 

 

 「勿論です」

 

 

 

打って変わってにこにこ笑う詩子に同じく微笑を浮かべて頷く茜。

本来、この時点で彼女達の勝利そのものは確定している。

初戦を担当した留美は、無難なまでに確実なる実力を発揮し勝利を収めている。

茜の試合そのものは単なる個人戦績の消化試合に過ぎない。

それでも彼女は手を抜くつもりはなかった。

その証として……金に近い色の光沢を放つ髪が、彼女の意思に沿うように揺らめく。

この大会で初披露する予定だった【傘】を握り締めるその指は、淡い白へと変色し。

 

 

 

 「……負けませんから」

 

 

 

彼女の瞳が語るのは、確実なる勝利。

金色に光るそのおさげが、これほど凶悪に見えることもそうあるまい。

茜の武器はその手入れが行き届いた髪。自分の髪を武器とする、実に変わった力。

そしてその手に握られたピンク色の傘も、彼女の新しい武器だった。

傘は何処にでもあるような何の変哲も無い形をしていた。

仕込み傘であるようにも見えない程、極々ありふれた傘に見える。

だが、こうして戦闘の場に持ってくる以上、ただの傘ではない。

戦闘に耐えうるために硬度を上げ、振り回しても負担にならぬように軽くした。

鉄傘という案もあるにはあったが、あれは重さが邪魔をする。

剣の様に扱える武器を求めた。攻めるための武器を望んだ。

その結果が彼女の持つ傘である。

 

何故その傘を握るのか? そんな疑問もあるだろう。

既に髪だけで充分戦えるのに、あえて武装を増やすのだから。

強いて挙げるとすれば、その理由は、“負けたくないから”。

守るための刃は、もう存在している。彼女が既に持っているから。

同じではいられない。同じことは出来ないから。

だから“戦う”ための剣となる、新たな手段を模索した。

 

リングに昇った茜は、その冷たき視線を相手に向ける。

何も持たぬ少年が其処には居て。

その拳を包むグローブだけが戦い方を主張する。

 

 

 

 「申し訳ありませんが、貴方に負けるつもりはありません」

 

 

 

相対する男子生徒、茜はその少年に向かって堂々と宣言する。

淡々と自分の言葉を紡ぎ、彼女は決定的な挑発を行う。

 

 

 

 「無抵抗でいた方がいいですよ? 今の私は、少し機嫌が悪いです」

 

 

 

浩平が来てくれなかったのが不満で。浩平が嗤われたことが不快で。

浩平が頼ってくれないのが不憫で。浩平が隣に居ないことが不安で。

 

八つ当たりだと言われるかもしれない。馬鹿馬鹿しいと言うかもしれない。

解っていて、彼女は試合に臨む。

自分とて浩平を想うという意志は誰にも負けない、負けたくない。

瑞佳にも、留美にも、詩子にも、譲らない、譲りたくない。

 

その独占欲は、“水瀬 名雪”や“月宮 あゆ”、“美坂 香里”達とは違う。

【独占】とは言葉の如く“独り占め”だから……“共有”じゃない。

至るまでの協力はしても、あくまでも恋敵だから。

ライバルだから。想いだけで敗北するのだけは赦されない。

その考えは茜に限らず、瑞佳も留美も詩子も同じな筈だ。

友達という、親友という枠を持って馴れ合うけれど。

譲らぬものは譲らない……それでいいのだと彼女達は結論する。

浩平がどんな答えを出すのかは解らないけれど、

或いは“共有”になるのかもしれないけれど。

それはそれ、これはこれ。プライドとなれば話は別。

 

瑞佳が主張するなら、“私”も主張しよう。

そう、長森さんが浩平を護ると云うのなら、私は浩平に抱かれていよう。

浩平が何も忘れないように。“司”のように【本質】を忘れないように。

あの人の腕の中で微笑んでいよう。あの人の隣で癒し続けよう。

あの人が刺々しいと云うのなら、その棘を否定しない。

“棘”に刺されても構わない。それだけの強さで抱き締められたい。

あの日、「護る」と宣言した浩平の姿は、雄々しくも弱々しくて。

まるで過去に「護れなかった」と告げているようにも見えた。

もしそれが“神器”であることと関係するというのなら、彼は苦しんでいる。

もしそうなら、神器とは浩平にとっての苦しみの象徴。

何の根拠もないけれど、彼がそれを教えてくれた訳でもないけれど、

そう思った私がいる。そう思ってしまった私がいる。

いつか私が浩平の苦しみを全て識ったとしよう。

でも、受け止められるだけの器量が“私”にあるだろうか?

 

 

――――情けないけれど。きっと、そこまでの強さはない。

 

 

だからこそ、そう思ってしまう私では“支え”にはなれないような気がする。

包み込める程の優しさは無いから、せめてその隣で寄り添いたい。

貴方に護られる私は、弱いけれど。貴方の隣にいる私は、強くなるから。

“司”という悪夢を振り払える程に、“浩平”に溺れていたい。

 

 

――――“浩平”の棘ごと愛します。だから“私”を、抱き締めて下さい。

 

 

その想いを胸に携え、彼女は戦いの場へと赴く。

己の主張を伝えるために。対象は恋敵達へ。それは単なる宣戦布告。

 

 

 


 

 

 

試合開始という言葉の最後の音が届くよりも早く、茜は駆けた。

閉じた傘をまるで剣のように構え、接近し、振り抜く。

見栄見栄の一閃はいくら駆け込んだ所で避けられる。

所詮茜は剣士ではないから、いくら剣のように使った所で“斬”の域には到達しない。

だからこの結果に残念がる必要は無い、手を停めないために手数を増やしただけだ。

故に。振り抜くと同時、【髪操作】を発動させる。

反撃として繰り出された少年の拳を、己の髪が防ぐ。

能力によって硬度を増した髪は盾となる。初撃を外した茜は、即座に傘を切り返す。

髪は刃となり、同時に別角度から皮膚を狩ろうと襲い掛かる。

武器は一つしかなくとも、今の彼女は云わば二刀流。

正確には刀ですらなく、剣ですらなくとも。

二つの“刃”を同時に扱うその様は、攻撃の意志に満ちていて。

攻めるという機会を与えず、一方的に攻める。

傘を払う。髪が舞う。二振りの“刀”が織り成す舞は、

打ち合う資格すら少年に与えず、その拳は空を切る。

 

少年は歯痒い思いに打ち震える。

その拳は鍛え上げた己が武器に他ならないから。

負けられないから、と拳を放つ。

意志の赴くままに打ち出す拳は、弾丸にも劣らない。

そう自負するからこそ、撃ち放つ。

だが。茜にとってのその拳は、あまりにも愚直すぎた。

例え一撃は重くとも、拳には重みがないとすぐに解ってしまうから。

 

髪という媒体に対して能力を有する彼女は、人体的な作用に対しての理解が強い。

ニュアンスとして理解して戴きたいが、魂が通った拳とそうでない違いはすぐに解る。

彼の繰り出す拳は筋力を高めて作っただけの代物。

そんなもの、必死になれば誰でも出来る。

必要なのは“想い”だ。何を求めるかという目的だ。

 

 

――――あの炎を覚えている。あの日見た炎が語っていた。

 

 

あの炎を知るからこそ、あの嘆きを聴いたからこそ、こんな一撃に参ってられない。

愚直な拳は正面に迫る猪と何が違う。

猪突猛進な一撃は確かに重くはあるけれど、コースはただの一直線。

見えていなくとも、見えているに等しい。

 

 

 

 「……避けられないとでも思いましたか?」

 

 

 

そう嘯く余裕を見せて、彼女は大きく後退する。

チャンスを与えた訳ではない。ただ、見せ付けるためだ。

格の差を。嗤った者への制裁を。嗤わなかった者への感謝を。

茜は攻めることを選ぶ。何故なら、瑞佳は守ることを選んだから。

ライバルへの敬意と、恋敵への敵愾心。

 

 

 

 「――――行きます」

 

 

 

傘を振り上げ、髪を操る。

二つ存在する己の武器を最大限に生かす。隙間は与えない。

無数の棘と変貌した髪の針を放ち、無数の弾丸と変える。

例え一つ一つは小さな痛みに過ぎずとも、確実にダメージとして蓄積される。

避ける暇も逃げる暇も与えない。

接近すると同時、傘を横溜めに構え、円の動きで回る。

所謂ジャイアントスイングのような、遠心力を利用した大打撃。

手応えを確かめるよりも早く茜は動く。休むことなく加速する。

 

時に袈裟に振るい逆袈裟に返し上段より振り下ろし下段より振り上げる。

左から弾き飛ばし右から追い込み後ろから攻めて正面を塞ぐ。

時に子より始まり丑へと繋ぎ、寅の一撃は卯なる右の一閃に至り。

辰が逃がさず巳の角度より真上に振り払い、午と未の二撃を繰り出し

左に舞うは申からの一閃。酉の如き素早さで戌亥へと終幕しての十二撃。

時に彼女の髪は爪を模し、剣となり槍となる。

 

どれもが余さず逃さず荒れ狂わせていながらも、己は冷徹に。

覚悟なくして振るえぬ強さに相違なく。

 

攻撃は最大の防御、という。

それは一側面でしかなくても、真実であることに代わりは無い。

防御がいくら秀でていても、その防御すらも超える攻撃は必ず存在する。

真の攻撃は、防御という概念すらも砕き得る。

その境地には辿り着けなくても、彼女は攻撃を選び続ける。

 

 

――――寄り添うことを、決めたんです。

 

 

受ける攻撃を全て弾き返し、放つ攻撃はあくまでも苛烈に。戦意を殺ぐ程に。

 

似遣わぬ戦いを己に課すため、彼女はそれまでとは違う武器を取った。

刺々しく刃を光らせ、ヤマアラシのように佇む彼と共に在るために。

棘に貫かれることさえも厭わぬ存在――――彼女の名は“里村 茜”。

そう在るようにと願う。そうでなければ、選んで貰えないような気がして。

だからこそ、彼女は。己の持つその意思を、揺らがせない。

 

 

対する者は、そんな彼女の在り方に戸惑う。

対する者は、その拳が己の誇りと信じていた。

それは何の罪でもなく、愚直に突き進んだ結果の褒章。

しかし、相対する少女は……何かが違う。

 

それは己を誇示し、己を主張する戦い方。

主張し続けるために苛烈であることを選んだかのように。

戸惑ぬ筈が無い。何故そういう戦いが出来るのだろう。

男性のような屈強な身体を持つのなら解る。途切れぬ体力を持つのなら解る。

何故女性である彼女がそう攻めてこれるのかが解らなかった。

絶対に無茶であると解っているだろうに。

相対しているからこそ、肩で息をしているのも気付いている。

しかし彼女はその傘を振るう事を、その髪を振り乱すことを止めない。

 

撃った拳は髪が防ぎ、傘に弾かれた。

繰り出した蹴りは開いた傘が応対し、髪が襲い掛かった。

一撃の威力を捨て無数の拳に転じれば、無数の髪が牙となった。

打つ手打つ手を正面から迎え撃ち、その全てを強引に打ち払ってくる。

反動がない訳がなく、少なからず痛みとてあるだろう。

性別の差で、否定し得ぬ“力”の差で恐怖してもおかしくないのに。

彼女は臆した様子も見せず、静かに淡々としながら激しく攻めて来る。

大味でありながら緻密に、大胆にして繊細なる戦術で。

「俺」がどうであろうと構わない。

降り掛かる火の粉は等しく払う……そう言っている。

在り方が違う。見ている何かが違う。求めている目的が違う。

技が伝えてくる。その瞳が伝えてくる。届かぬ拳が教唆する。

そして思ってしまう。自分では彼女に勝てないのだと。

悔しかった。情けなかった。負けてはいないのに敗けたことを認識する己自身が。

けれどプライドはある。降参だけはしたくない……そんな器の小さな矜持程度は。

 

彼は拳を握る。負けることを覚悟して。敗けたことを認めた上で。

悔しいのに、不思議と涙は出なかった。

DDという場を目指しているから、上には上がいると解っている所為かもしれない。

彼は苦笑し、少女を――――茜を正面から捉えて、告げる。

 

 

 

 「俺の敗けだ。アンタが何を視てるか知らないが、俺じゃ敵にもならないらしい」

 

 

 「私は。無抵抗で、と言いましたよ?」

 

 

 「従う訳にいかないだろ? れっきとした真剣勝負なんだ」

 

 

 

その言葉に茜は小さく微笑む。本当に綺麗な笑顔を浮かべて、

 

 

 

 「……確かに。私の方が失言でしたね。申し訳ありません」

 

 

 「いや、気にしないでくれ。アンタの方が間違いなく強い。

  どうせ負け犬の遠吠えだって。それは観客が知ってる。

  ただ、このまま降参はしたくない。最後に一手合わせてくれよ」

 

 

 

そうしなければ、終われない……と少年の瞳が語り、茜は、

 

 

 

 「嫌です」

 

 

 「っておい!?」

 

 

 「……冗談です」

 

 

 

そう言った茜に、「敵わないなぁ……」と肩を竦めて、少年は呼気を吐き出す。

弛緩した筋肉にもう一度だけ緊張を与えさせ、応じた茜も傘を構える。

 

一拍の後、駆け出したのは茜。

最初から最後まで自分の意志を貫くため、立ち止まる訳にはいかなかった。

 

 

 

――――見ていますか、浩平? 貴方の隣に……私は居てもいいですか?

 

 

 

その想いを力と変え、その願いが叶う様にと祈りを捧げ。

繰り出される拳を躱し、放たれる蹴刃を防ぎ、傘を振り抜く。

存在し得ぬ血を払うように振った後、彼女は静かに傘を差す。

それが彼女の勝利宣言であり、その瞬間に勝敗は決した。

 

 

 


 

 

 

リングの下へと戻った茜を、少女達は祝福する。

例え勝つのが当然であると思っていても、勝利そのものに価値がないとは言わない。

純粋な勝利に祝福を送るのは当然であるから、最後の勝者である茜も微笑む。

留美を見て、詩子を見て、誰よりも自分の対極であろう瑞佳に、彼女は言った。

込められた言の葉は、あらゆる飾りを捨て去って。

告げられた言の葉は、端的なまでに必要最小限で。

けれど、端的であるが故に純粋な意味となって……少女達に、恋敵に、届く。

 

 

 

 「――――私、負けませんからね?」





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