Eternal Snow

126/武術大会 〜本戦 初日その3〜

 

 

 

会場に響くアナウンスが、次試合が始まることを告げる。

自然と沸き起こる歓声、第一試合があまりにも拍子抜けだったからこそ

この試合にかかる期待も大きい。

 

 

 

 「こりゃ折原達に感謝だな。俺達が映えるぜ」

 

 

 

住井は満足そうに頷くと、自身の得物であるアームナイフと

投擲ナイフが懐にあることをしっかりと確認し、腕を回す。

それに合わせたように、北川は『ファルシオン』と名付られた西洋風の片手剣を握り、

空を一閃。手首の動きを確認するかのように更に二度、三度と振って、頷く。

 

 

 

 「どうよ?」

 

 

 「おう、悪くねぇ。調子は上向き……いい感じだ」

 

 

 「いけそうか?」

 

 

 「聞くな。解ってんだろ?」

 

 

 

住井と北川がお互いを見合い、にやりと笑う。

その笑みを形容するならば、戦の前の高揚、か。

 

 

 

 「作戦とかどうする?」

 

 

 

念の為、という注釈を表情に貼り付け、中崎が問う。

応じたのは住井。無問題だ、と胸を張る。

 

 

 

 「北川と俺で連勝をもぎ取る。後は任せた!」

 

 

 「それ作戦って言わねえっ!」

 

 

 

中崎の渾身の突っ込みに同調する者は一人も居らず、待機時間が終了を告げた。

椅子に腰を下ろしていた南と南森が立ち上がり、さぁ行くぞと促し合う。

おう、と従う北川と住井……そして無視される中崎。

 

 

 

 「え? 俺何も変なこと言ってないぞ!? 常識しか聞いてないよなぁっ!?」

 

 

 

スルーされる意味が判んねぇよっ!? と叫ぶも意味はなし。

 

 

 


 

 

 

会場入りする【K・S・M・N】のメンバー達と、対戦相手となる風見学園の一チーム。

呼応するように会場の雰囲気は上方へと修正される。

電光掲示板にデカデカと映し出された互いのメンバー情報を総ずると、

どちらも選手のランク平均はB2前後。実況担当らしいどこかの生徒がマイクを通し、

「互角の試合が見られるだろう」と期待感を呷る。

 

 

 

 「ランクが同じ……ねぇ? “だから何?”ってのが俺の感想だよな」

 

 

 

一人だけ、皆の居る場所へと向かわなかった浩平が呟く。

何故か売っていた『長森牛乳』を喉に流し込みながら、人気の無い暗がりに佇む。

 

 

 

 「……何の洒落だよ、おい」

 

 

 

手の中の紙コップに一言突っ込みを入れる浩平。

実況担当の生徒が放った言葉が気に食わないのか、喉を鳴らすそのペースは早い。

 

 

 

 「ランクってのは“単なる参考に過ぎない”ってこと忘れてんじゃないか?

  どいつもこいつも……。“ランク=実力”だなんて錯覚してくれて、まぁ。

  つーか、風見のランクと七星のランクって微妙にズレてなかったっけ?」

 

 

 

「あえて言うなら、馬鹿ってか?」と呟き苦笑して、手の中の紙コップを握り潰す。

ランク云々を超えた立場にあるからこそ、浩平は憤慨する。

力を持ち、力を持たぬ辛さを知るから。

弱きを救い、強きを挫く……いや、そんな大事は言わない。言わないからこそ、憤慨する。

 

 

 

 「絶対主義やら、至上主義やら……そんなに言葉遊びが好きなのかよって感じだな。

  どっちでも同じ意味だろっつの。ったく、馬鹿馬鹿しい」

 

 

 

思想が蔓延していることが気に食わない。

ランクがあろうがなかろうが、それが何だと言うのか。

ランクを持たない者に価値が無いとでも言いたいのか?

何を馬鹿な、と彼は嘲う。

 

浩平は知っている。ランクには何の価値も無いのだ、と。

強く在れる者が居た。戦いを学んだ自分に、闘いを教えてくれた人が居た。

何も知らなかった自分が戦いを学び、増長した自分を叩きのめした人が居た。

考えてみると不思議なものである。

自分を鍛えた人達は、どちらもランクなんて持っていなかった。

云うならば単なる一般人。しかし、未だに自分は勝てる気がしない。

 

浩平は、ランクそのものに価値を見出していない。

他の神器が少なからずランクの意味を知る傍らで、ある種唯一と言っていい程に。

それは、彼の師にあたる人達の影響なのかもしれない。

何より、強かろうが弱かろうが……救えないものもある。

浩平は、その真理を理解している。理解したくなくても、彼の記憶がそう言っている。

 

 

 

 「これも俺の我侭っちゃあ我侭、か。――――なぁ? お前なら、何て言うかな?」

 

 

 

いくら【神器】とはいえ、彼の思うことが必ず正しいということはない。

それが判っているのか、浩平は自嘲するように天を仰いだ。

誰かに問うように。その問い掛けが帰ってこないことを解っていて。

そう、絶対の正義など存在しない。

それは同時に、絶対の悪など存在しないことを示すに等しい。

……たかがランク云々で正義と悪の対立構造を語っても致し方ないことだが。

 

 

 

 「野暮ったいこと言っても始まらないか。ここは観客に徹しますかね」

 

 

 

意味もなくタバコを吸う仕草をする。勿論ただの真似であり、意味は無い。

 

 

 


 

 

 

さて、彼ら【K・S・M・N】のメンバーは、北川のランクがB1、他の四人がB2。

特に差があるわけでもなく、中堅どころとしてはまずまずの実力であろう。

ちなみに彼ら五人は揃って能力所有者ではない。

 

あえて実況は省略しよう。

第一試合は北川潤vs風見学園二年生の男子……ひとまず“男子生徒”としておく。

 

 

 

 「ふっ……見ててくれよ美坂。俺の勝利はお前に捧げるぜ」

 

 

 

誰も聞いていないのにひとりごちる北川。

これならばまだ堂々と発言した方が報われる気がするのは気のせいか。

何せどうやっても結果は見えているのだから、せめて当たって砕けろ、と。

 

 

 

無論。彼の勝利の女神であるご当人は、

 

 

 

 「は? 祐のヤツまだ戻ってないの?

  ……ったくもう! まさか怖れをなして逃げたのかしら? 

  逃げれば逃げただけ後々拙くなるってこと位、祐なら解る筈なのに」

 

 

 

北川に視線すら向けていないのである。彼女の目的はただ一人……祐一のみ。

言い方を変えればどれだけ祐一が恵まれているのか、という証明か。

どちらにせよ、哀れなのは北川に相違なく。

唯一の救いは、北川自身がそれに気付いていないことだ。

 

 

 

 「さぁ! 名前も知らない男A! この愛の伝道師、北川潤が相手になってやるぜっ!」

 

 

 「失礼なことぬかすんじゃない! 俺の名前は」

 

 

 

その発言を遮るかのように試合開始の合図が鳴る。

奏でられた音は、戦場の到来を告げ――――剣士は、舞う。

 

 

 

 「先手必勝―――ってな!」

 

 

 

音を起点に、両手で剣を握る北川が走りこむ。

走る以上、最も効果的となる剣戟は“刺突”。

“殺”には至らずとも、決して軽視出来ない剣の舞。

受ける身である男子生徒は、

 

 

 

 「名乗らせろよ!」

 

 

 

と叫ぶも、迫る戦闘中にそんな暇はない。

それが解っているのか、彼は舌打ち一つでリングを踏みしめる。

北川は突撃を掛ける勢いを止めぬまま、相手の直前で剣を持ち替える。

両手で刺突に構えたのは単なるフェイント。改めて右手で剣を握り、すかさず振りかぶる。

速度を棄て、威力に転じるために。――――先制の一撃を見舞うために。

一気に振り下ろされた西洋剣が風を切り裂く。その切っ先が、猛威を奮う。

 

 

 

 「ちぇぇぇぇぇいっ!」

 

 

 

呼気を漏らすのは、一撃に込める威力を逃さぬため。

“声”とは決して無意味なものではない。“気合”を入れる有効手段。

受けに回る“男子生徒”は、己の得物……両手持ちの大剣でその一撃を止める。

剣と剣がかち合って、甲高い音と僅かな火花が散る。

鋼と鋼の相克が、光に照らされて銀色に映える。

大型の武器故に細かい動きには決して向かない、通常の連撃がし辛いのは事実。

しかしその分『待ち』に徹した戦闘には滅法強い。

北川の戦闘スタイルはどちらかというと技を重視した連続攻撃タイプ。

相性としては互いに可もなく不可もなく、と評すべきであろう。

つまり、“男子生徒”が耐え切れる程度の連続攻撃しか繰り出せないなら北川は負ける。

裏を返せば、ガードすら超える連撃が可能ならば話は逆転するということだが。

 

だからこそ、対する“男子生徒”は己のすべきことを忠実に行う。

受けであるからこそ放つことの出来る技――カウンターを。

受けた剣で競り合い、浮かせた踵を地に下ろす。

足の親指に力を込め、僅か一瞬の膂力を稼ぐ。

 

 

 

 (……それで、充分だろうっ!)

 

 

 

無言で瞳を輝かせ、彼は強引に腕を振り抜く。

大槌を振り切ったかの如き大胆にして大雑把な腕の移動。

元々力で劣る武器を使う北川には、その瞬きを捌くことが出来ない。

 

 

 

 (な!? 受けられただけだってのにっ)

 

 

 

“男子生徒”は、北川の攻撃を受け止めた状態で、力任せに弾き返す。

弾くだけで充分なのだ。初撃を捌くだけで戦意は落ちる。

言ってしまえば所詮まだ一撃目。何も慌てる必要は無いのである。

弾かれた代償か、北川と“男子生徒”の距離が離れ、尚且つ体勢すら崩れる。

 

 

 

 「こぉんの馬鹿力!」

 

 

 

衝撃を吸収した右手を振り、その残留を逃すための時間稼ぎと悪態を付く北川。

一発で華麗に決着を付け、高らかに勝利を香里に捧げよう……と思っていたのだが

これはそうもいかないらしい。厄介だなぁ、と心の中で毒吐いた。

 

 

 

 「うるせぇ!」

 

 

 

そう応じた“男子生徒”の様子から、難儀な闘いになることは明白だった。

北川は軽く呼気を吐き出し、肩の力を抜く。

同じ土俵で戦おうと思えば戦えるのだが、わざわざ相手の得意分野に合わせることはない。

“待ち”で来るのなら、此方は“攻め”る。

 

一足の踏み切りで重心を移動させ、接近戦を敢行。

左手に握り直した己の剣を体の真横に伸ばすように構え、加速する。

体の形に合わせて周囲の空気が道を作る。まばたきすらせぬままに一刀。

遠心力を利用し、相手の足首すれすれを狙う。

行動範囲を制限される訳にはいかない“男子生徒”は、当然その一刀をかわす。

瞬時に後ろへと跳び、逆に己の大剣を垂直に振り下ろした。

北川は、牽制の一手から次へと繋ぐために連続攻撃の腹積もりをし、

また同時に体勢を整えていたが、垂直の剣撃の前に動きあぐねる。

しかし、一拍の間を与えては折角の覚悟が鈍るとばかりに、北川は更に歩を進める。

相手の腕が引き戻されるタイミングを見計らい、右腰の下から逆袈裟に剣を振り上げる。

踏み出した分の距離が幸いし、確かな手応えを剣に感じた……が、浅い。

頭がそう判断するよりも早く、北川は手首を切り返し、同じ軌跡で袈裟に斬る。

 

――――威力が低下しているのは解り切ったことであるから、と。

 

 

話が前後してしまうがここで一つ、大会の基本的な事項を説明しておく。

いくら試合とはいえ、万が一のことは充分に有り得ること。

故に、選手それぞれが使用する武器は、ある程度強度を落とす特殊加工を行った上で

そこで初めて試合での武器使用が認められる。

例えば剣のような“刃を持った”武器は、あらかじめその刃を

本来の威力にならぬ程度まで削いでおくのだ。

極端な話、このシステムを採用し使われる武装は

如何なる形状をしていても単なる打撃武器にしかならぬのである。

 

 

――――それを理解している北川は、二度の攻撃を加えたのだ。

 

 

剣を握る腕を素早く引き戻し、刺突に構え、放つ。

相手の右肩先目掛けて放たれた点の一撃は、

 

 

 

 「舐めんなぁっ!」

 

 

 

その切っ先が肩へと吸い込まれるよりも前に、“男子生徒”が掴み取り、停まる。

刃を不完全とはいえ削いでいる以上、掴んだ所で大事には至らない。

これもまた、武器の状態を理解しているからこその防御策。

同時に“彼”は払う動作で大剣を振り抜き、北川の脇腹を強打させる。

掴んでいた手を離すことで、勢いのままに北川は吹き飛ばされた。

吹き飛ばされながらせり上がって来た嘔吐感を堪えて、彼はリングに膝を付く。

脇腹に手を当てるのは単なる気休めに過ぎないが、荒れた呼吸を落ち着ける機会。

本来はここで動くのが妥当なのかもしれないが、今の一撃は地味に重い。

相手もそれは同じ。北川にとっては、先程の二度の袈裟斬りが功を奏した形となる。

互いにとってその“呼吸を取り戻す”という間は、まさしく僥倖だったのである。

 

仕切り直し、と北川が立ち上がり腰を据え、“男子生徒”が大剣を構え直す。

そのまま“男子生徒”は剣を後ろに引き、体勢を低く構える。

 

 

 

 (……おいおい待てって。あの大剣で走り込む気かよ?)

 

 

 

北川が幾分かの驚愕を浮かべて、僅かに額に汗を垂らす。

その構えは、一般に剣士が加速をかけて攻撃をする時に多く使われる。

即ち……突進による大打撃。普通の剣ならまだしも、相手の得物は大剣である。

威力の程は更に増すことは間違い無い。

北川がやろうと見せかけた技をあえて使用することで、挑発の役目も果たす。

判断する余裕を与える気がないのか、一拍の間を挟み、力を蓄えたまま突撃を開始。

その刃は北川を倒そうと牙を向く。手にした剣の大きさに見合わぬ速度を保って。

ただそれだけでも修練の度合いは予測付くが……。

 

 

 

 (黙って喰らう義理はねぇ、ってなぁっ!)

 

 

 

無策に受けた所で、力では少なからず相手が上だ。

手数で勝るのならば、力で競い合う必要は無い。そう判断して踵を浮かす。

咄嗟に避けることを選択した以上、彼の思考は正常であると判断出来るが、

即座に動いては意味がない。何故か?……その答えは簡単だ。

突進してくるということはつまり、相手の動きに合わせて移動出来るのである。

いくら逃げようとその逃げた先に合わせて足を運べば同じであるし

跳び上がってかわそうとしても無駄だ。その場を踏みしめて跳び上がるよりも

走りこんで勢いをつけている側の方が加速がつき、高さを出せるのは当然のこと。

突進という選択をとった場合、使い手が気にするべきなのは

単に自分のスタミナだけであって、戦略云々は二の次になってもさして影響はしない。

 

突撃してくる相手がいながらその場から動かない北川。

その姿を見て周囲がどう取るか、でその者の実力すら解ってしまうのもまた一興。

負けを認めた、と判断するか、諦めていない、と判断するかで。

 

今この瞬間に限り、追い込まれているのは間違いなく北川なのである。

だが、追い込まれているからといって勝敗が決まった、と思うようではまだ甘い。

彼は踵を浮かせた。受けではなく、フットワークに切り替えた、ということだ。

避ける、という判断にした……と言ってもいい。

仮に受け止めるとしたらよほどの力自慢でなければ不可能。

加速によって威力を増した攻撃は、並の一撃よりも重いのだから。

だからこそ、避けるのであれば……当たる瞬間にしかその機会は無い。

 

 

 

 「喰ら――――えぇっっ!」

 

 

 

己自身で風を切り裂くかのように、一筋の弾丸となって飛来する刃。

後ろ手に引いていた剣を前方に繰り出すだけで、風は弾丸を模す。

眼前に迫る刃は、触れることで痛みを引き起こすだろう。

いや、或いは触れずとも痛みを催すのだろう。どちらにせよ……皮一枚は覚悟の上。

 

 

恐怖があるならそれを殺せ、本物の戦いで己を死なせぬために殺せ。

所詮これは訓練。だが訓練で出来ないことを実戦で出来るわけがない。

誰もが凡人、誰もが死を恐れるのだ。

ならば畏れる自身の心を飲み込み、一歩でも二歩でも先を行け。

強くなりたいのなら、目を閉じるな――――そうやって、自分を叱咤する。

 

 

迫り来る凶刃の切っ先が北川の肩を狙う。そう視線が告げている。

“目は口ほどに物を言う”……当たる位置が解ったのは僥倖だ、何が何でも避けてみせる。

打撃箇所を少しでも減らすため、体を半身にずらす。

ずらす瞬間のステップで相手の狙いから離れ、視野の死角へと突っ込む。

その瞬間、繰り出されていた剣戟の余波が北川の頬を薙ぐ。僅かに髪も散ったか。

だが、迷っていられないとばかりにつま先が地を噛む。

 

 

 

 「っお――――のぉっ!」

 

 

 「!?」

 

 

 

ほんの僅か、時間にしてコンマの差。その僅かな間で、北川が視界から消える。

声が洩れていても関係ない。突進してきた以上、咄嗟の方向転換なぞ出来ない筈だ。

北川の確信は的中し、余波以外の、余波ではない本命――――剣戟は空を裂くに留まる。

 

それを好機、と誰もが思った。

加速することに専念しすぎたからこそ、避けられた後は危険。

全力の突進とはは諸刃の刃であるが故に。

 

 

 

――――しかし。己の足が裏切った。

 

 

 

 「へ?……っとぉっ!?」

 

 

 

音で表すなら、ズル、ドテ、という感じだろうか。

自分でも驚いているのか、驚愕の声を携えて、北川はリングと接吻を交わす。

避けたのは良かった。薄い傷を得ながらも、反撃の機会を伺ったのは正しかった。

判断は的確だった。足は見事動き、つま先は地面をきっちりと噛んだ。

しかし……噛んで終わった。そう、彼は盛大に転んだのである。

 

会場の視線は、ただ硬直した。

硬直せざるを得なかった。そして誰かが失笑を漏らす。

程なく伝播するのだが……リングの二人には無関係である。

 

 

 

 「やっべ!?」

 

 

 

そう叫ぶと同時、立ち上がろうとした北川に、

“男子生徒”は円運動と共に繰り出した斬撃で振り返る。

地面と密着する形だった北川は、運良くその一閃を回避したが、状況の劣勢は露骨に。

仰向けになると同時、仁王立ちのように佇む対戦相手が妙に巨大に見えた。

口を開くのももどかしく、北川は背筋と腹筋運動の応用で体を一気に起こす。

 

“男子生徒”はあえて蹴りを攻撃手段として、立ち上がった北川の腹部を狙う。

所謂喧嘩の中で最も頻繁に使われる“前蹴り”という代物である。

下手に形が極まっているローキックや回し蹴りとは違い、単純な速度では最も効率が良い。

北川はその一撃を浴びるより他無く、せめて、と咄嗟に両腕で腹部をガード。

 

 

 

 「ぐっ!」

 

 

 

震脚でもあるまいが、腕を貫くかのような打撃の感触が腹を突き抜ける。

勢いを多少は削いだとはいえ完全に反動をいなすには至らず、

彼はそのままスニーカーに砂煙を巻き起こさせつつ後退。

そして距離が開くのならば、“男子生徒”の採るべき手段は――――同じ。

再び体勢を低くして剣を後方へと運び、突進。

躊躇は無い。同じ轍も踏みはしない。もう逃がしはしない、と言葉と眼差しが語る。

 

対する北川は、口に溜まった血反吐をリングに吐き棄て、口元を腕で拭う。

吹き飛ばされた所為で手元に剣は無い。取りに行こうにも相手の後方だ。

逃げ惑って回収しようとした所で追い詰められてジ・エンドか。

 

 

 

 (こんな簡単に劣勢に立たされるなんて思ってなかったんだけどなぁ……)

 

 

 

へらっ、と僅かな苦笑を垣間見せた次の瞬間……北川の視線に力が篭る。

目の色が変わった、とでも言えば相応しいのかもしれない。

逃げるのは止めだと地面を踏みしめ、半身に構える。

そして自らを鼓舞するために、あえて叫ぶ。

 

 

 

 「美坂ぁ! 見ててくれ! 俺はお前のために、勝ぁぁつ!」

 

 

 

その決意が何より自分を強くする。要は気の持ち様なのだ。

ふざけたことを言うな、と相手の視線が語っているのが解るが、それがどうした。

突進してくるその表情は、怒りで紅く染まっている。……上々。

対する手段は先程と同じで構わない。

二度同じ手を喰らうかと嗤うのなら、それこそが勝機。

来いやぁ! と気合を入れた北川は、己の拳を握りしめる。

 

圧迫感という名を携えて、“敵”が襲い来る。

後ろに引いたままの大剣は、一見すると引き摺っているかのよう。

それが錯覚と解っていても、身体は震える。恐怖か。武者震いか。

しかし“敵”は待ってはくれない。待つ暇なんて有り得ない。

引き摺るかのような構えから、威嚇するかのように剣を前方へと運ぶ。

迫るプレッシャーと剣の煌きは、必殺の一撃を予告する。

すれ違う瞬間にこそ、勝敗が付く。

気合も何も吐かぬまま接近する気配に体が粟立つ。

 

 

 

 「終わ――――れぇぇぇぇぇっっ!」

 

 

 

引き伸ばした声と同時、剣が煌く。

先程は皮一枚をくれてやった。だがもう何もくれてはやらない。

体勢からして、北川の左肩を薙ぐ動き。

刺突ではなく斬撃へと転じ、その刃は点ではなく面を裂く。

重き刃は威力に長ける。振り降ろす一撃はリングを穿つであろう。

重力を加算することで、威力は二乗にも三乗にも跳ね上がる。

……云うまでもあるまい。それこそが勝機なのだということは。

 

重く、尚且つ引力までも背負った剣。故に刃は一方向にしか動かせない。

下ろす剣閃さえ読みきれば、避けることそのものは思う程難しくない。

避けるその方向をあえて“上”とすることで、危機は好機へと変動する。

剣が下へと降りると同時、人の体が上へと昇った。

身を翻し……そう、まるでムーンサルトの軌道を模したかの如く北川は体を捻る。

突如の動きに“男子生徒”は対応が遅れた。

自身の得物がリングへと吸い込まれ、その衝撃が手指を伝わると同時――――、

軌道を維持したまま繰り出された蹴撃が体を揺さ振る。しかし剣だけは落とさない。

 

また、『蹴刃』という鉈を振るった北川は、僅かな舌打ちを漏らす。

今の一撃で頭を叩き、行動不能にして勝利する腹積もりだったというのに。

 

叩き込んだ勢いのまま、北川の足は大地へと接する。

そのタイミングを狙ったのか、“男子生徒”は横薙ぎに剣を振った。

反撃を予期していたのは、北川の方。

接地した衝撃を反動に変え、その拳を相手の指へと突き入れる。

剣の柄を握る指は北川の拳と柄に挟まれた……想像しなくてもその痛みは理解できよう。

手指に掛かる力が弱まった所為で、彼は剣を取りこぼす。

引力によって地面へと零れ落ちる剣には目もくれず、北川は更なる拳を見舞う。

腹に左、右、左。それらを当てた瞬間に足首を捻り、身体をその動きに載せる。

円運動に合わせて体を縮み込ませ、一足で懐へと飛び込む。

剣を失った時点で、北川の採るべき手段はこれしかない。

“決めろ勝利のアッパーカァァッットォォォォ!”……というノリで拳が顎を狙う。

 

せり上がる弾丸は、確実に“敵”の急所を穿つ。が、その軌道はあまりにも正直過ぎた。

北川の拳が狙った場所――インパクトポイントは顎であると解っているから、

“男子生徒”は仰け反る体を無理やり叱咤し、頭を後方に動かすスウェーでかわす。

鼻先を掠めた拳の感触は、慣性の法則に従って僅かに出遅れた前髪数本を削り取る。

しかしその流れに逆らうことなく、彼は体ごとその場を後にする。

立ち止まれば反動から回復した北川が連撃に繋ぐことが目に見えているから。

 

北川の拳は空を捉え、必勝の一手は何の手応えも与えてくれない。

完全な無防備になったが、相手が後ろに下がってくれたのは僥倖だった。

やはり攻撃は最大の防御、と北川は密かに安堵する。

また、今の一撃で勝てなかった以上、ボクシングもどきを続ける気なぞない。

体勢を立て直そうとする相手を見やり、手近の“あるもの”目掛けて足を振り下ろす。

その反動を受けて、“あるもの”――――大剣が宙を舞った。

北川は無造作にその剣を右手で掴み、逆手に握られた柄を指運一つで順手に戻す。

 

何気ない動作でありながら、対する“男子生徒”は驚愕した。

北川にはその驚愕の意味が理解出来る。

今のこの瞬間まで見せなかったのだから、それくらい無いと報われない。

一度、二度、三度、と。北川は見せ付けるように刃を振るう。

 

 

 

 「ふぅん。やっぱ流石に重いな。俺にゃー合わねぇや」

 

 

 

気の抜けた笑みを零す彼は、しかしその言葉が嘘であるかのように振舞う。

“男子生徒”は思った。重いという言葉に偽りはないだろう、と。

その重さを利用した先程のような一撃が自分の持ち味なのだから、尚の事だ。

だが、彼は己の得物を苦も無く振るっている。しかも、片手でだ。

どれだけの膂力があるというのか。あの武器は両手で持つのが基本。

確かに自分も片手で扱えるが、それにしたって力を要するのに。

戸惑いの内容が容易に想像付く北川は、あえて挑発のために口を開いた。

 

 

 

 「一応俺も力技はそれなりにイケんだぜ? まーあんま好みじゃねぇから

  普段は滅多にこういうの使わないんだけど。……元々愛着あるしな」

 

 

 

後方に転がっている自分の剣への感想を踏まえて、手の内を明かす。

北川は両利きという特技を持ち、普段はどちらかというと左腕で剣を振るう。

技を重視したり、相手との牽制には主に左。より握力の強い逆の右腕は力を重視する時。

状況に応じて闘い方を切り替える……それこそが彼のアビリティだ。

だからこそ、例え重かろうが関係無い。

「ま、それはともかく……」と注釈を付けて、北川は叫ぶ。

 

 

 

 「本物の神器に逢った北川 潤の実力、見せてやるぜぇぇっ!」

 

 

 

そう言って彼は大見得を切るが、実の所、現在会場に居る人間は

割とその多くが神器を見たという経験を持つのである。

例えば風見生徒。永遠の使徒の来襲時における神器【玄武】と【大蛇】の到来。

例えば七星生徒(一年)。帰還者の大量来襲時における全神器の集結。

 

 

 


 

 

 

モニターが北川の声を反響させ、見守る浩平が呟く。

 

 

 

 「――――要はあの時の話なんだろうけど。ぶっちゃけ、だから何よ?」

 

 

 

確かに会ったことはある。いや正確を期すならばむしろ毎日。だがしかし。

自分に逢ったからと言って、直接彼の実力が左右される筈もないのである。

浩平は、どこか呆れたように溜息を吐くのだった。

 

 

 


 

 

 

拾い上げた剣を大雑把に振る北川は、相手の動揺を誘うために素振りを続ける。

自分の得物をいい様に使われて黙っていられる筈がない、という確信で。

ある程度の頃合を見計らい、北川は目の色を変える。

相手が拳を握った。武器が使えないのなら直接、という同じ判断で。

手向け代わりに、と大剣を投げ渡すつもりは更々無い。

あらゆる状況に合わせ、最善の手段を採る。そこに騎士道精神なぞ介在しない。

けれども、向こうが覚悟を決めたのなら、付き合う程度の義理はある。

 

 

 

 「――――俺と同じ真似、出来るのかよ?」

 

 

 「――――うっせぇ。借り物の武器でどうにかなると思うな」

 

 

 

二人の言葉は刺々しく。

しかし、だからこそ次の一撃が互いの勝敗を決めるという確信を与えた。

口の端を歪める笑みを浮かべ、彼らは走る。

 

リング中央に差し掛かり、北川は掬い上げの一撃を振るう。

リング中央に差し掛かり、“男子生徒”は正面への突きを繰り出す。

 

鋼同士が打ち合うような交錯音は無く、存在するのは鈍重音。

上方へと向かう大剣は空を裂いた。

胸を衝いた筈の正道の拳は、確かなる感触を腕に伝える。

勝った、と理解した瞬間、頬が笑みの形に変わる。

“男子生徒”が微笑むと全く同じタイミングで、北川も微笑んだのである。

その理由に意識を向けた時、“男子生徒”は違和感を覚えた。

胸を衝いた拳の先に、クッションがあることに気付いたのだ。

 

 

 

 「……手?」

 

 

 

そう呟いた瞬間、脳を揺さ振る衝撃と共に、彼の意識は闇に落ちた。

 

 

 

 (俺、の……?)

 

 

 

“男子生徒”が最後に思った言葉は、音として発せられることはなく。

 

 

 

 「――――ああ」

 

 

 

北川は、勝利という感慨を味わう前に、宣告する。

『この戦いが楽しかった』のだと証明するために。

しかし、“勝ち敗け”という隔絶した差が自分達の前には存在するのだ、と。

 

 

 

 「――――返しとくぜ? アンタの剣」

 

 

 

崩れていく相手を見やりながら、その言葉を続ける。

それに従うように、北川の手から離れた大剣がリングの上へと転がった。

 

 

起こった状況を箇条書きで表すとこうなる。

 

1.大剣を振り上げる。

2.正面へ繰り出される拳の軌道は読み易い。掌で受け止め、衝撃を緩和。

3.大剣を振り上げると同時、握っていた手を離す。

4.引力に従い落ちてくる大剣が“男子生徒”に直撃し、ノックダウン。

 

あまりにも単純過ぎるが、北川はやられたことをやりかえしたに過ぎない。

袈裟斬り後の刺突を手で握り止められた、という点で一つ。

大剣の一撃に引力を上乗せして利用する、という点で二つだ。

唯一賭けたのは“男子生徒”が拳で来るだろう、という読みである。

打ち合いの中、“彼”は純粋な威力で攻めることを好んできた。

“待ち”の手にしても、“突進”の手にしても、威力の高さだけは確実にあった。

つまる所、下半身を“活かした”戦い方をしているように見受けられたのだ。

腰を据えて上半身の力を最大限に扱う。だからこその威力、と。

ならば武器が無い状態で頼るのは自身の拳に相違ない、そんな勘に頼った。

少なくとも一度は蹴られた訳なので、保証が無かったのは事実である。

しかし実際、最後の一手の直前、確かに彼は拳を構えていたから……と。

 

 

 


 

 

 

 「へぇ……。危なっかしい所があった割にゃー……及第点ってトコか? 北川の奴」

 

 

 

そう呟いた浩平の言葉は、勝者への最大限の賛辞。

 

 

 


 

 

 

 「美坂〜ぁ! 俺は勝ったぜぇっ!!」

 

 

 

たった一人、勝ち鬨をあげる北川を見守る観客の視線。

拳を振り上げた彼は満ち足りた様子であったことを記す。

無論、報われることはないのだが。

 

ということで。

向けられた本人の方を、若干ではあるが覗くとしよう。

 

 

 

 「ったく……祐も一弥君も! いつまで寄り道してるつもりだったのよ!?」

 

 

 

席で一喝。こうも感情を外に漏らすのは、相手が祐一と一弥だからである。

 

 

 

 「「す、すいません……」」

 

 

 

香里の言葉に素直に謝罪する祐一と一弥。今の彼女に反抗するのは得策ではないのである。

件の少女は幼馴染二人を叱るのに夢中で、リングの上など気にもしていなかった。

憤怒を宿した女神に逆らえる者はいない。例えそれが神器であったとしても。





inserted by FC2 system