Eternal Snow

125/武術大会 〜本戦 初日その2〜

 

 

 

端的に言ってしまうと、問題があったのは第一試合だけである。

事実上の不戦敗と言われても仕方ないのはご愛嬌で済まされるか否か。

対戦相手の桜坂学園三年生チーム(仮にAとしておこう)からすれば侮辱でもあり、

同時にやりやすい相手でもあった。いかんともし難いとはこのことか。

 

本人達はほとんど気にしていないのだが、見守っていたそれぞれの関係者は別である。

みさおや美汐が苛立ったのがその例であるが

溜息をつく者、頭を抱える者、呆れ返る者、怒る者、残念がる者。

実に様々であるが、共通しているコトが一つ。

誰もがそれぞれを本気で心配してくれた、ということだ。

 

それだけで本来は幸せなはずが、それを明確に自覚しているのが

ほんの僅かしかいないというのはあまりにも……あまりにも気の毒な気がしてならない。

本人や、少女達にとっても。

 

 

 


 

 

 

 「何あいつら? 芸人?」

 

 

 

彼ら【D・GODS】の試合を見ていた杏が呟く。

芸人。言い得て妙であるが間違いではあるまい。

 

 

 

 「一応違うだろう。うん多分」

 

 

 

自信なさげに呟く朋也はどことなく哀愁を漂わせつつ。

彼としても予想外だったのだ。まさかああも見事に負けるとは思ってすらいなかった。

いや、彼らの対外ランクを考えれば当然ではあるのだが、

真実を知る者として納得がいかない上に面白くないのである。

 

 

 

 「朋也さんのお知り合いなんですよね?」

 

 

 「あぁ、いや。“Other”――他人だと思うぞ、うん多分」

 

 

 

有紀寧の視線を浴びながら、所なさげに瞳を彷徨わせる。

ライブ単独での評価は出来るのだが、残りについては先述の通り。

杏の毒舌も無理はないし、知り合いだからと一塊にされるのも困る。

 

 

 

 「朋也くん、その定義には無理があると思いますっ」

 

 

 

渚の一言が重かった。無理だと自覚しているからこそ余計に。

元からして彼らが変わり者に分類されるのは間違いない。

実際自分もそれを愉しんで見ていた過去があるのだが……こうして客観的に見る、と。

 

 

 

 「あいつらって岡崎の友達なんだよねっ、なんか仲良くなれそうだなっ」

 

 

 「この野郎……………殺すぞ?」

 

 

 

一瞬春原の発言に納得しそうになるが、流石にそれは彼らに悪いと反省。

第一あのトラブルメイカーズがヘタレの影響を受けて貰っては困るのである。

故なる結論――――抹殺。

 

 

 

 「なんで殺されなきゃならないんですかねぇっ!?」

 

 

 「あいつらは俺の大事な後輩なんだよ、お前に毒されて堪るか」

 

 

 

毒される以前の問題として、既に毒持ちであることは否定しない。

『うん、朋也の発言は正しい』とばかりに頷く智代と杏。

尚、るるー、と泣く春原を弁護する者は一人としていなかったのである。

 

 

 

 「岡崎の後輩? ならやっぱり僕と気が合うってことじゃないか」

 

 

 

しかし彼は気を取り直し、めげない。

 

 

 

 「何故だ?」

 

 

 

間髪いれず疑問を投げかける智代。鷹文も面白そうにそれを眺めている。

「純一先輩とね〜?」と呟く彼はただの傍観者。

 

 

 

 「だって、僕と岡崎は親友なんだぜ? 岡崎の後輩ってことは

  勿論僕の言うことも聞くってことじゃん。ふふふ……何奢ってもらおうかな〜」

 

 

 「なんでそんな結論になるのか不思議なの」

 

 

 「……もーいい。好きにしろ」

 

 

 

ことみの疑問にはあえて答えず、投げやりな口調で返す朋也。

親友云々について抗議することもやぶさかではないが、ここは一つ大人になろう。

仮にもしそれを彼らに言ったらどうなるか――――楽しみだからでもあるが。

 

 

 

 「多分死ぬな。こいつ」

 

 

 

その呟きを聞いたのは、果たして誰であったのか?

 

 

 


 

 

 

説教を終え、ようやく会場へと戻ってきた彼ら五人。

 

 

 

 「さてと……どうするよ?」

 

 

 

一通り絞られた疲れを吐き出すように溜息を漏らし、浩平が呟く。

少なからず味わえた筈の昂揚感は何処へ消えた? と言いたくなる程疲れていた。

 

 

 

 「どうするもこうするも、戻るしかないんじゃないっすか?」

 

 

 「現実論やめようよ。似合わないから」

 

 

 

絞られる原因を作った本人が軽く苦言。

向けられた側は軽く睨みをきかせながら、

 

 

 

 「現実見定めたら普通雷撃なんてしねぇだろうが」

 

 

 

端的な一言に、一弥が言いよどむ。放った原因が原因だけに

謝るつもりは全く無いが、絞られたのは確かに痛手だった。

 

 

 

 「……まぁ、それはそれとして。

  とりあえず僕と兄さんは姉さん達の所に顔出してきます。

  今朝から一度も会ってませんから、たぶん心配してくれてると思うんで」

 

 

 「心配って云うよりキレてるって方が正しいと思うけど。

  放っといて今日が終わると後が怖いし……つー訳だ。また後で」

 

 

 

ひらひら〜と手を振りながら、浩平、純一、舞人の元を離れる一弥と祐一。

目指すは幼馴染のいる場所。しかしそれは下手をすると死地である。

その自覚があるのか、二人の足取りはどことなく重そうに見えるのだった。

そんな彼らの判断に倣う所があったのか、

 

 

 

 「……しゃあない、俺も希望と小町に会ってくるか。

  あいつらもあいつらなりに気にしてるだろうしな」

 

 

 

舞人が同調し、どこか優しげな微笑を浮かべてその場を離れる。

 

 

 

 「音夢のお小言聞くのはかったるい。普通にめんどいし隠れっかなぁ……」

 

 

 

純一も辟易とはしているのだが、その足は少女達がいるであろう方向へと動いている。

 

 

 

 「っておいおい、俺だけ残りかよ。

  今更長森達んトコ行っても面白くねぇしなぁ。みさお嫌だなぁ……。

  顔出すか止めるか……あ、そういや住井達の試合がこの後だったっけか」

 

 

 

……今の今まで話題にすら乗らなかった彼らに合掌。

 

 

 


 

 

 

さて。その“彼ら”である。

正直今の今まで殆どと言っていいほど出番の無かった“彼ら”を映そう。

 

 

 

 「相沢〜、企画自体はいいけどな。俺にも噛ませりゃいいのによ」

 

 

 

待機室のモニターを見ていた彼――北川が苦笑し、背を伸ばす。

 

 

 

 「折原らしさが出てたし、まずまずじゃないのか?

  まー。神器なんて名乗るのは流石に舐めてると思うけどな?

  俺と北川なんて神器に逢ってるから、余計そう思うぜ」

 

 

 

だろ? と隣の北川に同意を求め、彼――住井は少なからずの不満を漏らした。

起きたことそのものに文句を付けるつもりはないのだが。

 

 

 

 「北川、住井。相沢達のことよりも俺達の試合だ」

 

 

 「南の言う通りだな。特に北川は先鋒だろう、油断すんなよ」

 

 

 「あいよ」

 

 

 

『北川 潤』、浩平のクラスメートにしてクラスでの注目株と噂される一人。

『住井 護』と並んで校内の問題児とまで呼ばれるが浩平ほどではない。

彼らとチームを組んだ残りの二人は『南』と『南森』という。

下の名前まではどうでもいいことだが、彼ら四人がよくつるんでいるのは

周知の事実である。今まで出番は無かったが。

 

 

 

 「んじゃま、いっちょ本物の戦いってヤツを相沢と折原に見せてやるとしようかね」

 

 

 「ああ。この住井護、そろそろ女の子のファンが欲しくなった所だ」

 

 

 

戦友(とも)よ! とばかりに互いの拳を打ち鳴らす北川と住井。

その二人の発言がある程度本気であることを知っている南と南森は、

嘆息しつつも己の我を捨てはしない。

 

 

 

 「全部が全部住井の言う通りってわけじゃないが……まぁ、悪い意見じゃないよな?」

 

 

 「放っておいても俺はモテると思うが、お前らがそうしたいなら止めないぜ」

 

 

 

不敵な笑みを浮かべる南と南森。しかし認識が甘い。

世の中そんな思い通りになったら苦労はしないのである。

 

 

 

 「おい……俺のこと忘れてないか?」

 

 

 「んぁ? いたのか中崎」

 

 

 「ざけんな! さっきから俺のこと完全に無視しやがってっ。

  この俺を忘れるとはいい度胸だなお前ら!」

 

 

 

……失礼をした、彼らのチームは全部で五人。

北川、住井、南、中崎、南森である。

不幸にも若干名、公式に下の名前が存在しない。

 

 

 

 「まぁ落ち着けよ、ほんのジョークじゃんか」

 

 

 「住井お前なぁ……自分がされたら嫌なことはしないのが人情だろっ」

 

 

 「悪ぃ悪ぃ。あとで飯奢るから許せ」

 

 

 「絶対だぞ! 嘘ついたら泣くからな!」

 

 

 「この年になって泣くなんて情けない宣言すんなよ……」

 

 

 

さて、誰が呟いたのかはこの場合気にすることではないだろう。

とりあえずその意見には全面的に賛成するとだけ言っておく。

さて、彼ら『脇役男子軍団』……もとい

チーム名『K・S・M・N』の五人の試合が間もなく始まる。

 

 

 


 

 

 

 「……って皆から離れたのはいいけど。マジで音夢は厄介なんだよなぁ」

 

 

 

純一が歩く傍らで、そんなことを呟く。

舞人の様な恋人という理解者がいる訳でもなく、

祐一や一弥のようにお互いを助け合うような相手もいない。

純一単独で友人達と関わらねばならない訳で……かったるぃ。

 

 

 

 「戻った瞬間、音夢に拳銃突きつけられたりして」

 

 

 

そう言って笑った。いくら何でもそれはないだろう、と。

音夢が怒るにしても、自分の行動で彼女が色々と気を揉むのはいつものことであるし

一弥に言った様に、適当に受け流すのがベストだ。

正直言って何とでもなる。それにおそらくことりは自分の味方だ。

 

 

 

 「んじゃまー。かったるく適当に頑張りますかね〜。

  ってか頑張るって具体的にどういうもんなのかなぁ、とかは思うんだけど」

 

 

 

嘯く彼の姿を見て、誰が神器であると思うだろう。

その内心に秘めた黒い感情も、その魂に刻んだ紅黒の刃も。

全ては“朝倉純一”を形作る要素であり、その全てが“朝倉純一”。

 

 

 

 「――――で。何故マジになってますか? なぁ、音夢よ」

 

 

 「黙りなさい」

 

 

 「……うい」

 

 

 

風見学園の生徒達が占める席へと足を運び、妹達の姿を見つけた純一。

「よ、おはよ」と気楽に声を掛けた瞬間、音夢に睨まれ、こめかみに銃を突きつけられた。

ゴリ、と耳元で音が響き、その独特の感触が妙に懐かしくすらあり。

 

彼女が醸し出す雰囲気に、誰もが言葉を無くす。

下手なことを言って暴発されたら目も当てられないという判断もある。

完全に目が据わった音夢は、冷たい視線を兄に向けたまま、口を開く。

 

 

 

 「判ってるんですか?」

 

 

 

その声音は、ひたすら低く。ひたすら重く。

 

 

 

 「喋っていいのか?」

 

 

 「揚げ足を取らないで下さい」

 

 

 

『あ、揚げ足って……』と傍に居た美春が呟くものの、音夢の覇気に敗北。

無理もないと純一は納得し、『気にするな』と美春へと視線を送る。

その意図が伝わったかどうかは定かではないが、ともあれ。

 

 

 

 「判ってる、って何をだ? さっきのライブ、か?」

 

 

 「兄さん。……それ以外に何があるとでも? 申し開きをどうぞ」

 

 

 

“兄さん”という発音に限り、どことなく優しそうに聴こえたのは

幻聴でないと信じたい。そう、音夢の最後の良心を信じたい。

 

 

 

 「申し開くも何も……見たまんまだっての。何怒ってんだよ?」

 

 

 「私にはあんなこと言っておいて! 自分はそれですか! ってことですっ!」

 

 

 

怒る理由は一応理解出来るのだが、『あんなことを言った』?

何か自分は言っただろうか? 全く身に覚えがない。

 

 

 

 「俺、何か音夢を怒らせるようなこと言ったっけ? てか怒ってるのって

  ライブの時に神器だって嘘ついたことじゃないのか?」

 

 

 

何度も繰り返すが、本人達からすれば全く嘘ではない。

しかしながらまさかそれを言う訳にもいかない。言ったら言ったで面白そうではあるが。

神器という肩書きは中々厄介だなぁ、と純一なりに思うのである。

自分達のことを名乗ったに過ぎないから、真実的には侮辱でも何でもないのだが

一般大衆からすればDDへの冒涜やらそういう物騒な表現になるのだろう。

彼女が怒るとすれば間違いなくそのこと……それが純一なりの理解である。

 

 

 

 「兄さん。昨日、私に何て言いましたっけ?」

 

 

 「……いくらなんでも範囲広すぎだろ」

 

 

 

昨日といえば、会場に到着し一弥達と顔合わせをし……やらその他諸々。

自分が何を言ったかなんていちいち覚えていない。

いい加減こめかみの感触が鬱陶しくもある。

 

 

 

 「何を言ったか見当も付かないんだが、とりあえず謝る。ごめん。

  だからひとまずこの銃下ろしてくれ……流石に生きた心地がしない」

 

 

 

万が一こめかみを撃たれたら生きている自信はない。

第一、仮に生きていたとしても。自分が無事であるためには

玄武の力を解放せざるを得ないだろう。……それはそれで厄介だ。

 

 

 

 「理由も判らずに謝るんですか?」

 

 

 

未だ据わった目を純一に向ける音夢。もはや夜叉か。

その言葉に困ったように頬を掻きながら、純一が言う。

 

 

 

 「お前は理由もなく怒らないだろ? んで、音夢がそこまで腹立てる原因なんざ

  俺しか作らない。てことはやっぱ俺が悪い。だから謝った……どっか変だったか?」

 

 

 「――――っ」

 

 

 

音夢の顔が真っ赤に染まる。

純一は至極当然とばかりに言ったに過ぎないのだが、

その実、“音夢を信用している”ということに等しいからだ。

そこに自覚の有無は介在しないと言ってもいいだろう。

純一の発言に、音夢が作っていたお怒りモードはあっさり撃滅。

 

 

 

 「え、えっと、あの……その、私こそごめんなさいっ!」

 

 

 

それまでの視線の冷たさを消し去って、慌てて銃を仕舞いこむ音夢。

内心でほっとしながら、純一は再び頬を掻く。

 

 

 

 「良かった。俺、生きてた」

 

 

 

茶化すかのように言葉を紡ぎ、硬直していた皆の空気を弛緩させる。

その言葉に立つ瀬が無かった音夢だけが、未だ顔を紅くする。

「しょうがねぇなぁ」と純一は囁き、何気なく音夢の頭に手を乗せ、撫でる。

 

 

 

 「……はわっ!? に、兄さんっ!?」

 

 

 

まるで美春のような素っ頓狂な声を漏らし、更に頬を染めて音夢は俯く。

純一は殆ど無意識にそうしようと思ったのだが、こういう音夢の反応は昔から変わらない。

音夢は彼にとって大切な妹であり、護らなければならない存在だと改めて思う。

 

 

 

 (――――妹離れ、ねぇ。ったく、俺も充分シスコンだっての)

 

 

 

舞人を茶化した自分ではあるが、こういうことを自然とこなす以上人のことは言えない。

 

しかし、護りたいと思うのは音夢だけではない。願う対象は、手に届く限りの、すべて。

美咲を護れなかったからこそ、余計に。蒙昧な程、過剰に。

叶わぬ願いを追うように、周りの“全て”を護りたいと思うのだろうか?

 

その対象は、音夢であったり、或いはことりであったり、眞子であるかもしれない。

美春がその笑顔を絶やすことなく、これから先も在って欲しい、と。

自分の無意識は、そう願っているのかもしれない。

或いはかつての過去で出会った人々が、どうか今でも笑えていますように、と。

そんな未来を護れますように、と。

自分の有意識は、そう祈っているのかもしれない。

 

 

 

 (ああ――――成程。――――そういうことなのかなぁ)

 

 

 

前に一弥が言っていたことを思い出した。

 

 

 

 『今が案外嫌いじゃない』

 

 

 

そう言っていた意味が、何故か判るような気がした。

 

あの時、自分は言った。『目的を遂げるまで、他のことは視えない』と。

その考えは今も変わらない。変えたくも無い。

変えたら、それまでの自分が可哀想だから。

あの時苦しんで、泣いて、解らなくなって。失って、狂って。

そうやって――得てしまった、今が。――そう在る、今が。

 

だけど、この日常を失うのは、きっと嫌だ。

音夢がこうして紅くなる顔は見ていて面白いし、ことりが作ってくれる弁当は美味しいし、

眞子のお小言を耳にするのは悪い気分ではないし、美春の笑顔は気持ちが楽になる。

そんな日常は――――悪くない。

 

辛い過去があって、忘れたい昔が在る。

得た今があって、手にした現在が在る。

そのどちらも“朝倉純一”なのであって、否定だけは出来ないから。

 

 

 

 (回りくどいんだよ。もう少し解り易く言えっての、あんっの馬鹿)

 

 

 

救いじゃない。救われてはいない。救われたくはない。

だけど、失いたくないと思えた。なら、きっとそれで充分だ。

 

 

 

 (それはともかく……拙い。今からこれじゃ、音夢が嫁に行った時俺が一番泣くかも)

 

 

 

自覚してしまったのが拙かった。

花嫁の父じゃあるまいし、普通に大泣きしてはみっともないじゃないか、と。

いや、それ以前の問題として。付き合ってる男を紹介されたら何をするか解らない。

仮にも純一は神器である。彼に匹敵する者は案外多いが、勝てる者はあまり多くない。

それこそ一弥辺りが音夢と……とでもなればまぁ安心といえば安心なのだが、

どう考えても一弥の力量上やその他色々、それだけは有り得ない。

結局の所自分に匹敵する程の男を紹介されることはないだろう。

さぁ問題だ。いざその場になった場合、下手をすると……。

 

 

 

 「音夢、俺の一生の願いだ。頼む。男と付き合う時はしっかり相手を選んでくれ。

  少なくとも俺が理性を保てる程度の相手じゃないと、俺が何するか解らない」

 

 

 

地味に切実だ。シスコン極まり、などと浩平や舞人に笑われる。

 

 

 

 「――――はい!?」

 

 

 

唐突な言葉に、音夢が声を荒げる。

頭を撫でてくれるのは恥ずかしくも嬉しいのだが、いきなり何を言うのか。

時々この人は解らない。以前もいきなり涙を拭い

それを唇に当てるなどということをしていたが……今回も解らない。

 

 

 

 「いや、落ち着け音夢。真面目な話だ。

  兄として妹の幸せを願うのは当然なんだけど、

  いきなり誰かと結婚するとかそういうこと言われたら多分俺泣くし」

 

 

 

純一は頭を撫でていた手を降ろし、あくまでも真剣な声音で

 

 

 

 「うんにゃ。俺の我侭だってのは解ってるんだけどな、うん。

  彼氏と付き合うなんてのは本人の自由だし、音夢が選ぶ男なんだから

  滅多なこたーないと思うんだ。思うんだけど……頼む、察してくれ」

 

 

 

音夢は思った。何を察しろというのだこの人は、と。

自分の想い人はそんなことを嘯く彼なのに。

要するに彼にとって自分は対象外なのか。

所詮妹なのか。所詮貴方は兄でしかないのか。

音夢は憤った。どれだけ頑張っても望みが無いのか、と。

 

 

 

 「に……、の……か」

 

 

 

俯く音夢は、何かを囁く。

純一の耳には聞こえないが……他の皆は別である。

聴こえていなくても、音夢が義理の妹だと判ってしまった以上、

音夢の気持ちを考えれば同情以外の言葉が無い。

彼女が言わんとしていることはよ〜く解る。

 

 

 

 「音夢?」

 

 

 「兄さんの――――――馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

パァン、と小気味良い音が響き、純一の顔に紅葉が咲く。

あまりにも綺麗に入った所為もあり、彼の意識は一瞬で刈り取られた。

げに恐ろしきは女性の恋心か。もしくは男性の鈍感か。

 

 

 


 

 

 

 「ん? ああ、そっか。母さんが名乗ったからなぁ。

  ……桜香のフォローもしないと拙いのか。ったく、あの馬鹿母め」

 

 

 

桜坂生徒が占める座席郡の一角に足を向けながら、舞人がのたまう。

可愛い妹がいる筈の特別観覧席は離れた場所にある以上、後回しにせざるを得ない。

シスコンたる舞人としては非常に心苦しいが、まずは予定通り希望と小町に逢いに行こう。

改変を使った所為もあり、地味に体もだるいのだ。

 

 

 

 「すまぬマイシスター。恋人を優先する兄を許してくれ……っ」

 

 

 

誰も何も言っていない。一人虚空に向かって呟く彼は、ただの危ない人である。

さてともあれ。暫し歩いた舞人は己の宣言通り、二人の下へと到着する。

こちらに気付いた友人達に軽く手を挙げて挨拶を返し、一言。

 

 

 

 「何だ何だ、まるで変態でも見たような顔をして」

 

 

 

それは、あまりに的確過ぎる言葉だった。

 

 

 

 「ねぇさくっち。自分が変態だって自覚あるって解釈してもいいわよね?」

 

 

 「八重樫嬢よ一つ言おう。開口一番失礼を抜かすとは流石我が宿敵」

 

 

 

そうか宿敵だったのか、と山彦が感心した。

言われたつばさは「また始まった……」と、もはや相手にもしていない。

 

 

 

 「ちっ。何をしに来た桜井舞人。厚顔無恥にも程があるぞっ!」

 

 

 「?……何が?」

 

 

 「何が? だとぉっ!? 自らの発言を振り返ってみろっ!」

 

 

 

牧島が憤りを隠さず、吼える。

舞人は言われた通りに想像を働かせるが、主にどれだ? と首を傾げた。

天才神器を誇る身故、何やら素晴らしいことを言ったのかもしれない。

 

 

 

 「そうか。牧島よ。俺の言葉に感銘を受けてしまったのか。

  ああ成る程判ったぞ。俺の歌だな? いやいやいや皆まで言わずともいい。

  しかし賞賛は要らないぞ。とある理由で言えぬがな」

 

 

 

身振り手振りで大げさにしつつも、何故か音を濁すように。

静寂を呼んだあの歌は、彼らの過去を描くもの。

それは意図せずとも、苦しみの吐露か。そうであるなら、賞賛を得る資格はない。

 

 

 

 「何だと貴様! 図に乗るのもいい加減にしたらどうだっ!

  ライブ等という非常識な真似に飽きたらず、

  更に学園の恥を晒してくれた貴様が何を言うか!」

 

 

 「貴様貴様と多いやっちゃなぁ。ふぅ。全く。心に余裕を持てぬ男は見苦しいのですよ?

  牧島こそエンターテイメントというものを理解していないのかね?

  どこぞの祐一じゃあるまいし……。いいか、よ〜く聞きたまえ。

  この大会とは云わば養成校全てが一同に会して繰り広げる“MATURI”なのだよ?

  ならば己の才能――――つまり俺の場合、この溢れるスター性を如何なく発揮し、

  会場の全てを盛り上げる。そして成功を納め、皆を笑わせることこそ役目。

  それは真理。それこそ参加者の心意気というものであろうっ!」

 

 

 

身を粉にして頑張ったというのに、駄目駄目だなぁ……と続けて、舞人はのたまう。

そこまでの信念があったのかどうかは激しく疑問であるのだが。

 

 

 

 「御託を並べて正当化する気か貴様ぁっ! 今日という今日は――――ぬぐっ!?」

 

 

 

舞人に向かって額をぶつけるかのように顔を近付ける牧島。

めんどくさそうに払おうとする舞人よりも先に、その頭をどける手があった。

 

 

 

 「はいはい一年生君は少し黙ってなさい。ここは先輩が引き受けたげるから」

 

 

 

強引に切って棄てるその声は――――舞人が学園で恐れる人の声。

即ち、アマゾネス。

 

 

 

 「あ、姐さん……。何がある故にこのようなむさっ苦しい所へ

  わざわざいらっしゃっておりますですか?」

 

 

 「よくもまぁむさ苦しいなんて言えるわねぇ。

  そりゃアンタしかいないなら解らないでもないんだけど、

  八重樫に星崎さんに雪村さん揃えといて……駄目ね桜井」

 

 

 

名を結城ひかり。

舞人内学園生徒ランキングワースト1の女傑。

その彼女は嘆息を交えて舞人と向き合う。

 

 

 

 「ぬぅ。この究極ハードボイルダーに向かってのお言葉とは思えぬですな。

  姐さん、流石に年の功と褒められる訳でもな――――ギブギブギブ!」

 

 

 「アンタは本当自爆するの好きねぇ……M?」

 

 

 

無造作にアイアンクローを極めながら、視線を舞人ではなく希望と小町に向けるひかり。

向けられた方は顔を紅くするより他無い。

 

 

 

 「ナチュラルボーンセクシャリズムっすよ姐さんっ!」

 

 

 

謎の言葉を吐いた舞人に再び目をやり、その手をはがす。

おっと、と言いながら二人に軽く詫びて、更に言葉を紡ぐ。

 

 

 

 「まぁいいわ。あたしはこれくらいで許してあげるわよ。

  一応アンタも文芸部員だからね、多少なりともお灸は据えなきゃならない訳よ。

  部長としての仕事はしたし……何より今回のメインはあたしじゃないしね〜」

 

 

 「はい? どういう意味っすか姐さん?」

 

 

 

アマゾネスの暴威に晒された彼は、首が据わっていることを確認し、訊ねる。

その回答は間もなく出た。小さくて気付かなかった影が、声をあげる。

 

 

 

 「桜井君っ!」

 

 

 「うおっ!? こ、こだま先輩!?――――居たんですか?」

 

 

 「…………どういう意味かな?」

 

 

 「いや相変わらず小さくて気付かな――――いえ何でもありませんですよ?」

 

 

 

小さいと言った瞬間、こだまが放つ気配が濃くなった。

単純に怒ったのである。普段は可愛いマスコットだが、こと背のことに関しては怖い。

解っているからこそからかうのだが……今はひかりも味方には付いてくれないだろう。

そんなこだまはすぅ、と息を吸い直し、

 

 

 

 「何考えてるの桜井君っ! こんなことしてどれだけ迷惑掛けるか解ってるの!?」

 

 

 

先輩として恥ずかしいよっ! と怒鳴りつける。

 

 

 

 「ああいやその、ですね? こだま先輩話を聞いて――――」

 

 

 「口答えしないのっ!」

 

 

 「――――は、はいっ!」

 

 

 

普段なら負けない。普段なら口八丁手八丁で逃げ切る。

だが今は無理だ。何故かその覇気に勝てそうもない。

 

 

 

 「歌を唄うことは悪いことじゃないよ? ストレスの発散にもなるし

  健康にもいいことだよ。楽しいし、気持ちは解るよ?

  でもね桜井君! あの自己紹介は無いと思うのっ!

  桜井君のお母さんがあのG.Aだったっていうのはびっくりだよ?

  桜井君も知らなかったみたいだけど、私達がびっくりしたってことは

  桜井君はもっと驚いたと思う。それは解るよ? でもね―――――」

 

 

 

来る――――。舞人はそう思った。だから耳を抑えた。

半分程涙目になっているこだまは胸キュンだなぁ、と舞人は更に思うのだった。

案外余裕であるこの男。

 

 

 

 「神器って名乗るのはいくら何でも酷過ぎるよーーーーーー!!」

 

 

 

その声は、咆哮となって周囲に響く。

舞人の動きやそれまでの流れを把握していた仲間達は対応出来たが

気付けなかった者達にはダメージ直撃。

音響攻撃とは言わずとも、鼓膜に多少影響したのは間違い無い。

収まった所を見計らい、舞人が口を開く。

 

 

 

 「や〜、その。こだま先輩? とりあえず落ち着いて下さい。

  その半泣き状態は色々と拙いです。

  ええそりゃもう。一部の人間に威力あり過ぎです。

  今は兎に角涙を抑えることがモアベターだと後輩は思うのですよ?」

 

 

 

何故だろうか。彼女のそういう姿を他に見せたくないと思った。

胸を衝く痛みはないが、不思議と浮かんだ独占欲に戸惑った。

冗談を踏まえた言葉だが、少なからずの本音を加えて。

 

 

 

 「落ち着きません! 桜井君が反省するまで後3時間はお説教だからねっ!」

 

 

 

うげぇ、と舞人は舌を出した。この人はやる。確実にやる。

 

 

 

 「いや、流石にそれは勘弁です里見こだま先輩。

  貴殿の可愛い後輩はそこまで忍耐ないで御座いますよ。

  ――――はっ!? おおっと忘れておりました先輩。

  不肖私め、先程我が母上が仰っていた事実を追及すると共に、

  おそらくこだま先輩と同じく驚愕したであろう

  我が可愛い妹をフォローせねばならぬのでした!

  ……くっ、お許し下さい先輩。桜井舞人、先程の言葉はともあれ。

  本音としてはこだま先輩の高尚なるお言葉を耳にし

  我が未熟な語彙を増やすための糧と為したい所ではあるのですが

  何分妹には勝てぬ情けない兄であるが故裏切れぬのですつまり我が妹は

  私めの大切なる清涼剤いっそシスコンとお笑い下さい本望故。

  ――――しかし譲れぬのです申し訳無い。逝くぞのぞこま我に続け!

  神器『大蛇』の名を騙った我には、きっと正義がある! 多分無いけど!」

 

 

 

彼は逃げた。全く意味の解らない言葉を織り成し、希望と小町を連れて、逃げた。

目指すは宣言通り妹のいる特別席。

 

 

 


 

 

 

 「せんぱい。煙に巻くのは結構です。

  しかしもう少し言葉を選ぶべきではないかと雪村は愚考するのですが」

 

 

 「そうだよ舞人君。よりにもよって」

 

 

 「仕方ないだろう。俺が言った訳じゃねぇぞ? 浩平が勝手に……」

 

 

 

非難の言葉をぶつける小町と希望に明確に言い返すものがない。

心配してくれてるだろうと思って顔を出したのに、返って来る言葉が厳しい。

と、そこで舞人は足を停め、周囲を見回す。

どうしたの? と訊ねてくる二人を無視し、隠れられる所へと移動する。

自然と追ってきた希望と小町に感謝して、彼はその場に座り込んだ。

 

 

 

 「……舞人君?」

 

 

 

座り込むと同時、反動が来た。

やせ我慢していたつもりはない。純一が癒してくれた分、体の変調は軽かった。

しかし、二人の姿を見た所為で……気持ちが緩んだ。

屈みこむ希望と小町に縋りつくように腕を伸ばし、舞人は息を揺らめかせる。

 

 

 

 「ワリ……少しだけ、こうしててくれ。改変のフィードバック……きちまった」

 

 

 

弱くなったな、と囁く。護りたい者を自覚したから、弱くなったのかもしれない、と。

強く在れるのは、彼女達が居てくれるから。だからその分、弱くなった。

縋りつける相手が居て、抱き締めてくれる相手が居るから、救われている。

 

 

 

 「せんぱい! 大丈夫ですか?」

 

 

 「わかって……んだろ? お前らが居てくれるのが、……ち、ばん、だからさ。

  ホント、大したこたーないんだ。純一の野郎に手伝って貰ったしな。ただ――――」

 

 

 「「……ただ?」」

 

 

 

『如何にも心配してます、って声出すなよ』と内心で苦笑し、舞人は本音を漏らした。

何の嘘偽りも持たない、真実の言葉を。惰弱で情けない、弱虫の言葉を。

 

 

 

 「少しだけ――――甘えさせてくれ」

 

 

 

そう言って、体の力を抜いた。

誰にも見えない場所で、僅かな安らぎが欲しくて。

受ける二人が、否と言える筈もなく。

 

 

 


 

 

 

それから暫くの後。

会場のリングでは既に次の試合が始まっているらしいが舞人には関係ない。

希望と小町を引き連れ、目的地へと到着する。

 

 

 

 「舞人にぃ?――――良かった、来てくれて」

 

 

 「おう和人……どした、何があった?」

 

 

 

舞人の姿を見つけた和人が、心底安心したと言いたそうに其処に居たのである。

問われた和人はどうもこうもないよ……と嘆息する。

 

 

 

 「舞子おばさんが来たでしょ? それで名乗ったよね?

  そしたら桜香、僕に向かって倒れこんだまま気絶しちゃって。

  何とか声を掛けてやっと気が付いたと思ったら、

  今度は舞人にぃが神器だ、なんて嘘ついたでしょ? その所為でまた気絶して」

 

 

 

もう散々だったんだよ、と彼は小さく嘆いた。

「お疲れ……」と声を掛ける舞人は、内心で一息つく。

追及されずに済んだことに対して。

 

和人には元々、他人の嘘を見分けるという特殊技能があるが

席とリングが離れていた所為、また、あまりにもスケールが馬鹿馬鹿しい話であったため

神器という紹介が嘘ではない、という区別をつけられなかったのである。

舞人としては助かったとしか言いようが無い。

実は和人にだけは気付かれるかもしれないな、と多少なりとも警戒していたのである。

最悪彼の記憶を操作する必要があるかもしれない……そういう打算も僅かにあって、

先程まで希望と小町にフィードバックを癒して貰っていたのだから。

 

 

 

 「フォローに来て正解だったか……っておい娘さん方。

  男衆を放っておいて君らは優雅にご歓談かねっ!」

 

 

 

座席は余っているから、と舞人と共にやってきた二人はすっかり寛ぎだし。

お姉さんが来たーと喜ぶ幼き娘達は懐くのみ。

彼女達は舞人と和人の苦労を理解していないのだろうか、と。

 

 

 

 「なぁ和人よ」

 

 

 「なに? 舞人にぃ」

 

 

 

二人して顔を見合わせ、同時に溜息。

 

 

 

 「一応俺としては、だ。母さんが物凄いことを言った訳で。

  それの所為でお前らがびっくりしてるんだろうと思って。

  何かしらフォローがいるだろうなぁ、と思って来たんだ」

 

 

 「ううん。大丈夫、よ〜く解るよ。ありがとう舞人にぃ」

 

 

 「お前だけだったのか? 辛かったの」

 

 

 「二回も気絶した張本人は、回復した途端……何故か元気だったよ」

 

 

 「そっか……」

 

 

 

その理由は想像付く。気絶していたとはいえ、和人にべったりだったからだろう。

あの妹は姉達……希望と小町の影響を強く受けているので、発想が近いのである。

気を揉んだのは正しかった訳だが、救うべきは妹ではなく、弟分だったか。

哀しいが妹の母は自分の母である。自分で思って妙に納得して悔しい。

呟いた和人の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でつけ、舞人は言った。

 

 

 

 「よく頑張ったな。流石に和観さんの息子だ」

 

 

 

そんな、嬉しいのか哀しいのかよく解らない慰めを。





inserted by FC2 system