Eternal Snow

103/流れる桜は、覚悟が如く

 

 

 

音夢とことりが過ちを犯し、真琴と栞と美汐は看病にふける。

一晩経っても魘される様子にただ同情するばかり。

純一と一弥も手伝うつもりでいたが、女の子相手ではどうしようもない。

しまいには

 

 

 

 「邪魔だからどっか行ってなさい」

 

 

 

とまで言われ、仕方が無いので二人揃ってぶらつくことに。

一弥にしてみれば出歩こうにも行くアテなんてないし、

支部に行っても却ってやることが増えてしまいそうで向かう気になれない。

彼とてやらずに済むのならそれに越したことは無いと思っているのだから。

 

 

なんとなく純一の背中を追いかけているうちに、丘の上に来ていたことに気付く。

三日月の島を囲む四方の海原、映える青と対抗する桜色。

そして、友の横顔。

悲しみを湛え、慟哭を押し殺し、其処にあるだけの人形の様。

声を掛けるのも憚られ、魅入るしかなかった。

この場所が、彼にとって思い出深い場所だからこそ……何も切り出せない。

 

 

 

 「目的もなしで、ふらっと歩くだけなのにさ」

 

 

 「ん?」

 

 

 「なんとなく……ここに来ちまうんだよなぁ」

 

 

 「そっか」

 

 

 

遠く、ただ遠くを見つめるだけの純一。

底知れぬ闇を抱え、頼る者のない孤独を苛み、狂化の詩を奏でる日々を憂いて。

 

 

 

 「浸れる場所があるだけでも、幸せなんだよな」

 

 

 「そう、かもね。僕はもう、戻りたいとも思えないし」

 

 

 

過去に戻れる奇跡があるのなら、喜んでその奇跡を願うかもしれない。

生憎、神様は意地悪だから……そうはしてくれない。

血生臭い灰を被って哭き続けろ、と宿命付けられたのかもしれない。

誰がそんなことを望んだ? 誰がそうしたいと願った? 誰がこんな現実を視せた?

 

 

――――僕も、兄さんも、純一も、浩平さんも、舞人さんも……。

 

――――ただ、幸せが欲しいだけなのに。ただ、笑いたいだけなのに。

 

 

 

 「……あ、悪い。お前まで浸らせることなかったのに」

 

 

 

一弥の様子に気付いた純一が素直に詫びた。

 

 

 

 「いや、いいよ。僕も挨拶くらいしときたいからね」

 

 

 「サンキュ。つっても、ここに墓があるわけじゃないけど」

 

 

 「そんなことないと思うよ? 純一が、此処にいるんだから」

 

 

 

丘に二人、少年が佇むだけ。

色気も何もあったものではないが、桜が彩る。

散らぬ桜があるから、彼は此処を選んだ。

妹が居たからでも、故郷だからでもない。

『初音島の桜が好きだ』と言ってくれたあの言葉があるから、此処にいる。

 

 

 

 「見守ってくれてる、ってか? だといいな」

 

 

 「そうに決まってるよ。だからこそ、僕らの神衣がある」

 

 

 

一弥は左手のリボンを撫でる。

純一も首のリボンを撫でる。

他に残ってないから……縋るだけかもしれないけれど。

何度も何度も同じように女々しいと罵られるだろう。

もし今の自分達を全て見ている観測者がいれば、そう言うはずだ。

しかし、今の二人にそれ以上の価値は存在しない。

未来が欲しいわけではなく、過去を求めているだけだから。

 

好きだった、愛していた、楽しかった。

思い出が綺麗であればあるほど、欲しくて仕方ない。

思い出が素敵であればあるほど、忘れてしまうのが怖い。

繰り返す哀しみが、いつか忘却の海に消えてしまうかもしれない。

それが一番怖い、恐ろしい。

 

 

 

 「なあ一弥? 幸せって、何だ?」

 

 

 「哲学? 一般論? 個人見解? どれのことかな」

 

 

 「あ〜……強いて言うなら個人見解で。

  他のだと俺らには参考にもなりゃしねぇよ」

 

 

 「そうかもね。幸せって一口に言っても色々ある。僕らの場合は、余計にね?

  だからこそ思うことだけど、幸せなんて案外気付かないよ」

 

 

 「【平凡な日常こそ幸せ】だって? くだらねぇ」

 

 

 

吐き捨てた言葉は本心。

どれだけの希望が未来にあっても、欲しいものはもう手に入らない。

復讐を糧に、復讐を夢に、復讐を願いに生きているから。

 

 

 

 「君は過去に囚われることを本心から望む? 僕はごめんだよ。

  悲しみも喜びも過去にはあったけど、未来にだってあるかもしれない」

 

 

 「……ならお前は、今が幸せなのか?」

 

 

 「判らない。僕だって、過去が一番満たされてた。

  ずっと、ずっとあのままで居たかった。強さなんて要らない。

  護られる弱さも要らない。ただ、みちると居たかった……今でもそう思ってる」

 

 

 「だったら俺の気持ちが判るだろ。俺の言い分が間違ってるって言うのかよ」

 

 

 

睨みつけるのは、その手段以外に表現しようのないわだかまりがあるから。

過去を求めているのは自分のため。誰のためでもない、己のため。

 

 

 

 「間違ってるなんて思わない。『僕ら』にとっては、きっと純一の答えが

  一番正しいことだと思う。ずっと一途に想っていられるって意味では

  羨ましくもあるよ……僕は、判っていても同じように出来ないから」

 

 

 「大変だよな、優等生さんは。俺は無気力人間だから変に思われないだけか。

  舞人さんが羨ましいぜ、本当」

 

 

 「だね。あの人だけが……って言ったら舞人さんは怒るだろうけど、

  今一番恵まれているのは確実だろうから」

 

 

 

桜井舞人に課せられた運命を知らないわけではない。

彼はただ一人牢獄に囚われ、苦痛を味わいながら育った。

誰にも相談できず、溜め込むしかなかった過去。

孤独の中に埋没し、手を伸ばしても手に入らない幸福は彼を苛むばかり。

相反するように、他の皆は少なくとも一度はその幸せを得ていた。

出会い、慈しみ、恋し、愛する存在に出会っていた。

訪れた結果は、確かに不幸だ。

だが、舞人だけはそれすらも出来ず、今になってようやく順番が回ってきた。

不公平だなんて言うつもりもなければ思いもしない。

それは、彼が孤独の苦しみを享受してきた代価だから。

 

 

 

 「でもね、舞人さんだけがそうじゃない。最近、判ってきたんだ」

 

 

 

自分もそうなのかもしれない、と。あの笑顔達は、癒してくれた。

兄と再会しても治せなかった苦しみを、少なからず支えてくれた。

全てを委ねた訳ではないが……捨てられない感情を、苦しみを、耐える手段をくれた。

 

 

 

 「さっきも言ったけど、幸せってのは身近にあるんだってことに」

 

 

 「くどいんだよお前。俺の幸せってのは、美咲といたあの頃だって」

 

 

 

途中で言葉を遮るように、一弥は言う。

 

 

 

 「だからだよ。僕は、今が案外嫌いじゃない…………気付き始めたから」

 

 

 「何が言いたいんだ?」

 

 

 「純一が美咲さんを拠り所にしてるように、僕もみちるを拠り所にしてる。

  どんなに望んでももう再会出来ない彼女を、勝手に縛り付けてる。

  そうしないと僕はやっていけないから。“倉田 一弥”でいられないから。

  でも、それは僕だけじゃないだろう? 純一や浩平さん、兄さんだって同じだと思う」

 

 

 

自分の魂を苦しめたくないから、他人の魂を囚らえる。

愛した人を、自らの手で苦しめているという罪。

悪いことだと叫びたくて、最低行為だと罵りたくて。

確固たる何かが手に入らなくて、囀るだけの無力な小鳥。

罵倒の言葉だけはいくらでも浮かぶのに、誰も言ってくれない。

 

手を伸ばした過去、囚われた現実、勝手に訪れる未来。

 

自分で自分を苦しめるだけの現実。

自分で自分を追い込むだけの現実。

自分で自分を傷つけるだけの現実。

 

だからこそ、誰かに断罪して欲しい。お前は悪だと、告げて欲しい。

僕達が、俺達が、悪魔だと詰ってくれた方がどれだけマシか。

それが出来ないから……彼らは、誰も赦してくれない罪を背負う。

 

 

 

 「でも、今の僕には……傍に居てくれる人がいる」

 

 

 「誰のことだよ」

 

 

 「それは、僕の口から言えることじゃない。

  僕のことだけど、同じことが君にも言えるはずだから……言えない」

 

 

 「意味わかんねぇし」

 

 

 「判る時が来るよ。絶対」

 

 

 

きっと与えられるだろう、という確信。

自分がそうではないか? と気付いたから。

彼だって判ってくれる時が来るはずだ。来てくれないなら……残酷過ぎる。

 

 

 

 「そこまで言えるんだったら、お前は立ち直ったのか?」

 

 

 「……まだだよ。そんな簡単に立ち直れるなら、神器になんて成ってない」

 

 

 

栄光は、自分達にとって同義ではない。

むしろ皮肉ですらある。

 

 

 

 「【復讐】。今の俺があるのは、それだけなんだよ。今更」

 

 

 

そう、今更他の事なんて知らない。

知りたくも無い、そんな暇があるなら、仇を見つけたい。

感情が暴走するほど狂おしいまでに。

美咲を殺した仇を、彼女の妹を、頼子を求めている。

何振り構わず追い求める在り方は、さながら、恋人を求める姿に似ていた。

 

 

 

 「そうだね。確かに今の純一にはそれしかないのかもしれないね?」

 

 

 「当たり前だろ? 判ってるならグダグダ言うのは止めろ―――殺すぞ?

 

 

 

ここは、純一にとって大切な場所。

思い出を穢されるような言葉は、許せない。

冗談でも何でもなく殺してしまうかもしれない。

放った殺気は一級の代物。

互角の実力がある一弥だからこそ、怯みはしない。

 

 

 

 「悪いね、僕はまだ死ぬつもりもないから。

  気に触ってたのは理解してるつもり。素直に謝るよ……でも、さ」

 

 

 「あぁ? まだ言いたいことがあるのか?」

 

 

 「――――復讐が終わったら、純一はどうなる?」

 

 

 「は?」

 

 

 

既視感デジャヴ

いつだったか、師に言われた言葉に酷似していた。

あの時、自分はどう答えただろう。

 

 

 

 「僕らの中で一番目的がはっきりしてるのが純一、君だと思う。

  美咲さんの仇を殺す―――『復讐が悪いことだ』なんて言わない。

  僕は純一の復讐に喜んで力を貸す、例えどれだけの人に憎まれようと

  恨まれようと、例え僕以外の誰もが純一を責めても、僕は最後まで味方だ。

  言葉が不足だと言うのなら――――――『白虎』の名を誓いに立てよう」

 

 

 

仲間としての宣告。唯一無二の友としての宣誓。

 

 

 

 「祐一さんに止められても、か?」

 

 

 

意地悪な質問に、一弥は動じることなく答える。

 

 

 

 「この件に関しては、例え相手が兄さんだとしても譲らない。

  少なくとも、僕は君の辛さを知ってるつもりだから……迷わない。

  それが、純一の過去を清算する唯一の手段だって判ってる」

 

 

 

そこで一旦区切り、一弥は真っ直ぐ純一を見た。

深遠に煌く翡翠色の瞳が、矢の如く、雷光の如く、彼を射抜いた。

純一は言葉を選ぶように口を噛み締め、視線を彷徨わせる。

 

 

 

 「僕はそれだけの覚悟がある。教えてもらう義理はあるはずだ」

 

 

 

何より、親友だから。共に在りたい仲間だから。

故に、問う。射抜いた視線の先には純一の瞳。

 

 

 

 「――――復讐の先に、何を求める? 復讐で染まった君は、未来に何を願う?」

 

 

 

居丈高に告げる理由は、逃げ場を与えないため。

生半可な答えは必要ではない。

 

 

 

 「僕は純一の力になる。白虎の【雷】は、玄武の【水】を支えてみせる。

  だけどそれは『過去の清算が君の幸せに繋がる』、そう信じているからだ。

  もし君が復讐の先に破滅だけを望むのなら。

  復讐の先に自分の終わりを願うなら、僕は絶対に許さない。

  一人だけ終わらせて……逃げるつもりなら、いっそこの手で――――君を殺す

 

 

 

先ほどの純一に負けないほどの殺気を瞳に込め、右手に雷を宿す。

バチバチと放電する掌は黄色に輝く。

此処で殺害することすら辞さないと、雷が語る。

瞳は迷い無く純一を捉え、僅かも揺らがない。

純一は苦笑し、頭を掻いた。

 

 

 

 「お前も、蒼司さんと同じこと言うんだもんなぁ……」

 

 

 「…………」

 

 

 「先なんて知らない。未来なんて見えない。んなもん、かったるいだけだ。

  お前が証明したろ? 俺は過去を望んで、復讐を願って、狂ってんだ。

  それが終わるまで他の事なんて考えられないさ。俺は器用じゃない」

 

 

 

一弥は一歩前に出た。

 

そして――――――

 

 

 

 「歯……食い縛れ」

 

 

 

ドガッ!

 

 

 

 「――――っ!? てめぇっ」

 

 

 

雷を解いた拳を、純一の頬に叩きつけた。

突然殴られた純一が吼えるが、一弥の瞳に蹴落とされた。

既に言葉遣いはいつもの彼から遠く離れていた。

 

 

 

 「……んだよ、その目」

 

 

 「甘えるなよ。『器用じゃない』なんて言い訳で逃げるな!

  孤独に震えて、恋人を求めた? 忘れるな! 君一人が亡くしたわけじゃないっ!

  復讐相手がいるだけ、僕に言わせれば幸運だ!

  帰還者の所為でみちるを失った僕には、君と同じことさえ出来ない。

  舞人さんが羨ましいって僕は言ったけど、本当の意味では純一が羨ましい」

 

 

 

一弥は怒りを顕にしつつ、純一の胸倉を掴んだ。

決して普段の彼ならばしない、否、出来ないことだ。

 

 

 

 「逃げるな、立ち向かえよ! 復讐に染まるだけじゃなくて、未来を求めろよ!

  僕らは仲間だろ! 一緒に永遠を討とうと誓った戦友だろ!

  僕も、兄さんも、浩平さんも、舞人さんも! 五人揃ってこその神器だろうっ!

  一人で勝手に消えるな!………………皆を、信じてよ」

 

 

 

怒りが嗚咽と化し、力が抜ける。

自分でも何を言っているのか判らなかった。

派茶目茶なことを言っているのは判っていても、意味が通じていないだろう。

純一は一言も消えるだなんて発言していないし、勝手な思い込みでしかなかった。

 

 

 

 「なんて、答えれば、満足だ?」

 

 

 

純一は言う。

確かに一弥の言葉はよく判らなかった。

でも、自分を思ってくれているからこその言葉だった。

 

 

 

 「……甘えるな……そんなの、自分で……考えろ」

 

 

 「かったりぃ……。俺の親友はスパルタだな、ったく」

 

 

 

純一は胸倉を掴んでいた一弥の手を外し、一歩下がって首のリボンを弄る。

覚悟を、彼女にも聴かせなきゃいけないと思ったから。

何より、己自身の覚悟のために。

 

 

 

 「見つけてやるよ。今は、まだ……無理だけど。

  復讐の先に、笑っていられる自分を。お前を親友って胸張れる、俺自身を」

 

 

 

その時、自分の傍には誰がいるのだろう。

 

 

 

――――――美咲以外に、誰を選べるのだろう?

 

 

 

美咲以外に、自分を支えてくれる物好きがいるとは思えないけど。

孤独のまま終わるのか、そうじゃないのかは、未来の話。

だけど答えが見つけられたなら……誰もが居なくても、其処には必ず、居るはずだ。

 

 

 

 「ま。それなら……及第点、ってとこかな?」

 

 

 「偉そうに。結構痛かったんだからな。てめぇの拳」

 

 

 

『倉田 一弥』という、誰よりも信頼出来る友が。

サァ……と揺れる桜は、二人の少年を見守っていた。

 

 

 

 


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