Eternal Snow

149/“招”き“来”たるモノ

 

 

 

唱えられた各々の祝詞。

謳うその声は、きっとその瞬間だけはどんな名歌手をも越えていた筈だ。

誰かを護りたくて、自分を救いたくて、そして何かを手に入れたくて謳う詩。

 

 

 

“――――汝、我ニ従イシ者也”

 

 

 

従えたくて従えた訳ではなかったかもしれない。

なりたくてなった訳ではなかったかもしれない。

欲しくて手に入れた力じゃなかったかもしれない。

こんな力なんて、“知らない方が幸せ”だったのかもしれない。

知れない、痴れない、識れない。

けれど、その力があるからこそ成せることがある。

自分が一番望むことを成すために必要な力になる。

だから――――っ!

 

 

 

 “――――――――――――――――ァァァァッッ!”

 

 

 

五つの声が反響し、重なり合って呼応する。

何かをした訳でもないのに、彼らを捕えていた五つの空間は消滅する。

元のリングの上へと五人が降り立ち、蒼、金、紅、銀、紫の輝きもまた降臨する。

降臨した神獣……其が存在は、“顕現する”という行為だけで空間そのものを喰らい尽くす。

何かをした訳ではなくても、それを成し得るだけの力を秘めた存在。

故に最強と喩えられ、讃えられる五つの称号。

 

 

――――蒼き龍神。

 

 

 

 『俺は、逃げない。哀しみも、怒りも、悔しさも、苦しみも、受け入れる』

 

 

 

――――白き獣神。

 

 

 

 『僕は……倉田一弥は! この傷を抱えて……生きていく!』

 

 

 

――――紅の鳳凰。

 

 

 

 『俺も、奪われたさ。俺の欲しかった夢そのものを』

 

 

 

――――灰燼の甲竜。

 

 

 

 『俺を苦しめるその絆も、その縁も――――もう要らない』

 

 

 

 

――――破壊の蛇王。

 

 

 

 『俺は……遊びでやってんじゃねぇんだよっ!』

 

 

 

譲れぬ想いがある。誰にも侵されたくない何かがある。

愛情だけは譲れない。家族との記憶だけは譲れない。過去の思い出だけは譲れない。

創り上げてきた絆は譲れない。運命との争いだけは譲れない。

――――神器たる所以。神器たる証明。神器としての真の姿を、解き放つ。

 

 

 

 『……ぐ、づ……あああああああああああぁぁぁっっ!』

 

 

 

その叫びは、誰ということもなくそれぞれの口から響き渡る。

痛みが全身を駆け巡り、意識が飛びかけた。

身を抱き締め、爪を食い込ませ、己を失わぬように瞳を輝かせる。

渡してたまるか。自分自身の中にある最後の一つだけは渡さない。

 

かつて、自らの未熟さが招いた殺戮が脳裏を過ぎる。

人が死に、獣が死に、緑が死に、全てが失われたあの光景。

己を失ったら、この場の全てが同じ未来を描いてしまう。

大好きな人達が、大切な人達が、護りたい人達が、失われてしまう。

許せない。それだけは、赦せない。

長く保てないことは解っているから、迷う暇も無い。

 

 

何のために神獣を呼び寄せた?――――殺したい相手がいるから。

 

何のために神獣を降ろした?――――護るべき人を苦しめるから。

 

何のために神獣を招き寄せた?――――宿命に逆らいたいから。

 

何のために神獣を喚び起こした?――――未来を生き抜くために。

 

何のために神獣を解き放した?――――誓いを、果たすために。

 

 

崩れる感情を失わせず、狂った瞳を冷酷に徹しさせ、

彼らは“倒すべき者”へと身を向ける。

 

――――そこまでに、5秒。

 

軽く拳を握り、無造作に振り上げて各々が持つ元素の塊を振るう。

言霊もなければ祝詞も無い、ただの塊。

しかしその力は、神獣が直接振るう元素と変わらぬ故に……対する者を容易に薙ぎ払う。

 

――――追加、5秒。計10秒。

 

己の意志で、他者の意思で。意志と意思を合わせて力と為す。

突然放たれた“質を変えた元素能力”に対応できず、使徒達はダメージを負う。

しかし、放った神器達もまた反動を浴びる。

汗に混じって血が滲み、まるで涙の様に血が頬を伝う。

 

――――20秒をカウント。精々、残り10秒。

 

 

 

神獣の解放状態が長い時間持つとは初めから思っていない。

降ろす時間が長引けば長引いた分だけ暴走の危険が付き纏う。

“そうなったら……?”なんてことは、考えたくも無い。

ならばどうすればいいのか? 答えは決まっている。

 

“降ろした力の全てを、ただ一撃に費やせばいい”

 

その方法なら、もし万が一に暴走したとしても力は残らない。

影響は最小限に食い止められる。誰も、巻き込ませずに済む。

 

 

 

――――たとえ、じぶんが、どうなろう、とも。

 

 

 

彼らは、哀しき者達。けれど、雄々しく、勇ましく、壮大なりて稀有なる者達。

はじまりのおわりをおわらせるために。彼らはその呪いを解き放つ。

 

 

 

 『オォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!』

 

 

 

――――慟哭。

 

 

 

 『アァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!』

 

 

 

――――咆哮。

 

 

 

風。雷。炎。水。闇。

其を宿し、其を得た神獣が、慟哭し、咆哮する。

龍神、獣神、鳳凰、甲竜、蛇神の覚醒。

紡ぐ言霊は、最も力を宿すもの。しかし最も単純な祝詞。

必要最小限の意味を与え、必要最大限の力を与える呪いの言葉。

 

 

 


 

 

 

全身を軋ませる感触に身を震わせながら、紫の髪が舞う。

桜を護るために、支えてくれる人を護り続けるために、

運命に抗うために、その者は異端なる神の獣を宿した。

名は、大蛇。四方を司る存在ではなく、四大元素を宿す訳でもない異端。

闇を宿した牙が、“全てを統べる”最強の能力と合わさり、破壊の力を紡ぐ。

 

 

 

 「“黄泉路へ至れ。混沌を導け”――――冥府タルタロスっ!」

 

 

 

言霊は踊る。

形無き“改変”に形在る“闇”を与え、闇は混沌の悪夢を描き出し、牙を剥く!

 

 

 

 

 

例え己を渡しても、一つだけ渡せない感情がある。

復讐を果たしたい。自分がどうなってもいい、どうなってもいいから殺したい。

その感情は、あまりにも醜い。いっそ醜悪であると云っても過言では無い。

そんな感情を抱くが故、最も神器に相応しからぬ銀色の髪が吼える。

名は、玄武。流転を繰り返す属性……水を宿し“北”を司る灰燼の甲竜。

水蒸気は水へと変わり、水は氷へと属性を変える。

 

 

 

 「“凍て尽け大気、世界の全てよ停止せよ。喰らえ鉄槌”――――氷山、堕とし!」

 

 

 

言霊は踊る。

精製される氷河の塊は、巨大なる槌となって暴虐を為す!

 

 

 

 

 

護れなかったから、もう同じ轍は踏まない。

所詮、それは単なる代替行為なのかもしれない。

けれど、例えそうだとしても……抱く感情は何も変わらないと信じているから。

炎は彼を主と認めた。己が翼を授けるに足る強さが、其処にあると知っていた。

紅蓮に輝く瞳に宿るのは、守護者としての決意。

名は、朱雀。あらゆる概念を灼き尽くす翼。“南”を守護する最強の炎獄。

翼は燃え上がり、其が嘴は等しく剣と変わり、爪は等しく銃弾と変わる。

 

 

 

 「“開け火の華、渦巻け灼熱。派手に散り咲け”――――獄炎っ!」

 

 

 

言霊は踊る。

紡ぎ出された炎は、蒼色を以って静かに脈動し、紅色に激しく荒れ狂い、顕現される!

 

 

 

 

 

失ったものがある。失えないものがある。

意味無き死を認めない。何も成せずには終われない。

己を赦せないから、贖罪を続ける。裁きを司る雷は、だからこそ彼を選んだ。

その優しさを護り続けるために。その強さを抱き続けるために。

金色に煌くその姿は……優しき断罪者の“優しさ”故の涙か。

名は、白虎。閃光を宿した“西”の守護獣。

虎は吼え、牙を剥く。爪は研ぎ渡り、名刀の一振りとなる。

 

 

 

 「“響け轟音、瞬け電光。出でし輝きに罪科を悟れ”――――雷閃っ!」

 

 

 

言霊は踊る。

光が疾り、力が轟く。瞬きが剣となり、響き渡って稲妻を呼ぶ!

 

 

 

 

 

譲れない想いがある。果たしたい約束がある。

未来を創り出すために、やり遂げなければならない誓いがある。

自らをどれだけ傷付けても、誰かを救えるのなら厭わない。

強く、故に哀しいその在り方。故に、天空を舞う風は彼を護る。

哀しみで孤独にはさせない。何があろうと、傍に居よう……その在り方が、愛しいから。

名は、青龍。“東”を守護せし龍神は、万物を切り裂く風の担い手。

龍は叫ぶ。全ての風を従えて、全ての風を牙と為し、王者の如く突き進む。

 

 

 

 「“疾き、荒れ、暴れ、吹き荒べ。螺旋よ逆巻け風車の如く”――――大嵐っ!」

 

 

 

言霊は踊る。

蒼き波紋を宿した大気の刃が、等しく総てを斬り結ぶ!

 

 

 

 


 

 

 

 

蒼穹の波動、白雷の波動、紅蓮の波動、氷河の波動、混沌の波動。

波動は神獣の姿を形取り、己を御し、己が認めた主の願いのままに荒れ狂う。

 

 

 

――――油断、慢心。

 

彼が浩平に対して抱いていたのは、子供らしい「侮り」だった。

 

 

 

 「な――――に!?」

 

 

 

だからこそ、驚愕の声が漏れる。

タカを括っていたのだ。自分は新たな力を得た。

浩平が何やら姿を多少変えたが、その程度でどうにかなる訳が無いと思っていた。

自己が絶対であると思い込んでいた彼だからこそ、その紅蓮は恐怖の対象と化す。

肌を粟立てる程の熱量。一直線に己へと突き進んでくる巨大な炎の塊。

回避を選択しようとして諦めた。範囲が広過ぎるのだ。

瞬間、司は手を翳し、『停止』の力を発動させた。

如何なる物体も、停めさえすれば――――――!

 

 

 

 「ぎ――――っ!? が、ああああああああああ!?」

 

 

 

ジュ、という音を司は聴いた。

肉が焼け焦げるような音だった。その音は、己の皮膚から響いていた。

突き出した掌が熱い……いや、その熱さは一瞬。即座に感覚が失われる。

理解が付いてこない。何が起きている? 停止は? 停まる筈の炎は!?

 

答えは単純。炎は停まらなかったのである。

停止という名の壁は、神獣の力そのものを引き出し放つ炎には紙でしかない。

司の能力は確かに発動した。

だが、浩平の……いや、朱雀の炎は【停止】という力そのものを灼き尽くしたのである。

火は手を伝い、炎は腕を這いずり回り、身体へと引火する。

 

 

 

 「ひぎぃ!?」

 

 

 

意味も持たない絶叫が、彼の唇から零れ落ちる。

右半身が炎によって侵食され、彼は咄嗟に左手を己が胸に当てていた。

意識すらも、定まらぬまま。

 

 

 

 

 

――――予想外。

 

彼女の「言葉にならなかった感情」を単語にするなら、その言葉こそが相応しい。

つい先ほどまで完全に自分が上手に居たのだ。

動きを止め、口付けを交わし、拒絶の言葉を浴びる。

けれど、そんなことはどうでも良かった。

彼を永遠に連れて行けさえすれば、どんなことも「過ぎたこと」と笑えるから。

 

その予定が、狂った。

彼が何かを呟く。呟いたことによって気配の濃度が劇的に上昇した。

ただそれだけのことなのに、自分は衝撃を浴び……空間すら吹き飛ばされたのである。

そんな力が彼にあるとは思っていなかった。彼が自分に牙を剥くと思いたくなかった。

 

 

冷気が、私を包む。私は思わず自分を抱き締めた。

鳥肌? いえ、違う……この寒さは、恐怖の所為?

自然と私は純一さんを見ていた。睨みつけている彼の瞳は――――怖かった。

私へ。他の誰でもない私へ、殺意を向けている。

私だけを見ていた。その行為はは嬉しいことな筈なのに、悲しい、そう思う。

 

私には、何故笑いかけてくれないのだろう? 姉さんには、笑っていたのに。

そんなことを考えている場合じゃないと解っているけど、思考はやまない。

レグロスが何か喚いているけれど、頭に入ってこない。純一さんの姿しか見えない。

綺麗な銀色。透き通った銀時計のような、綺麗な綺麗な銀の灯り。

その瞳に射竦められて、私は正直な所、劣情を抱いていたのだろうと思う。

冷たくて、孤独で、寂しくて、だからこそ――――穢れを知らない、有り様に。

そうでなければ、抵抗した筈だから。そう……私は、抵抗しなかったのだ。

この瞳にどうにかされるなら、それはきっと甘美だと思った。

無意識の内に抱き締めて欲しくて、私は両腕を純一さんへと伸ばしていた。

 

 

ピキ、と腕が凍る。

腕を伸ばしたままの姿で、彼女は全身を凍て付かせていく。

純一の目にあったのは、徹頭徹尾殺意の感情。

全ての意識を明け渡そうと、その感情だけは残していた。

“死ね”という思考の中で、彼は巨大な氷の塊を構成する。

“オ、チ、ロ”――――思考が、その段階に至る。

 

 

私はこのまま終わってしまうのだと理解した。

彼に殺され、彼の記憶に焼きつくのなら、それはそれで本望なのかもしれない。

そうすれば、私は彼のモノになる。ずっと、私のことを魂に刻んでくれる。

恋人を殺した仇を、その手で殺す……そんなこと、忘れられる筈がないから。

凍り付こうとする思考の中で、私は唇に笑みを浮かべた。

最後に彼の姿を瞳に焼き付けようとして……気付いた。

 

 

 

――――“ダレカ、イル”

 

――――“ワタシダケノアノヒトノココロニ、ダレカガイル”

 

――――“アイツジャナイ……ダレ? ダレ? ダレガァッ!?”

 

 

 

 「イやああああああああアアアアアアああああああああああああああ!!」

 

 

 

本能的な“女”の直感だった。

あらゆる感情を内包した叫び声が響く。

氷が生み出そうとする衝撃すら、彼女にとっては思考の外だった。

 

 

 

 

 

――――憐みと、嫉妬。

 

自分達は彼らの様な強さを得ることが出来なかった。

現象系能力の最上位に属する“元素”能力。

人々の憧れである“神器”という存在。人類最強とも喩えられる化け物。

英雄であること、異常であること……その二つは同義となる。

だからこそ、憐憫を抱き、嫉妬の情が湧く。

強く在れるその姿が痛ましくて、ひたすらに憐れだったから。

強く在れるその姿が疎ましくて、ひたすらに嫉ましかったから。

 

だからなのかもしれない。

先ほどの攻撃よりも明らかに威力が高いであろうそれを、避けようとすら思わなかった。

大気を震わせる大いなる風。空間を裂き疾る剣。

遠大に轟き輝く偉大なる雷。空間を貫き砕く刃。

彼らが得た力を、真っ向から受け止めることに――――迷いは抱かなかった。

 

 

 

 「否定はしません。肯定もしません。貴方達が私達の在り方を認められないように、

  私達にも貴方達の在り方は認められない。鏡だからこそ、認めない。

  だからこそ――――貴方達の答えは、私達の力で阻んでみせます!」

 

 

 「選べなかった俺達を憐れむな。見縊るな。侮るな。

  俺達は、俺達の選んだこの道を――――貫き通すっ!」

 

 

 

美凪が紙片を操作し、防御膜を創り出す。往人が法術を以ってそれを支える。

防御に回す力は全力。全力以外に揮えるものは無い。

身体を蝕み続ける痛みすら一切無視し、ただ只管に否定の力を高め続ける。

ひたすらに。只管に。ひたすらに。只管に。ひたすらに。只管に。ひたすらに――――!

 

――――“法術解放”――――“封絶ノ陣”!

 

 

 

 「「ああああああああああああああああああああああああああああぁっ!!」」

 

 

 

そして彼らは、己が鏡の答えを、己の全霊を以って……その身に受け止める。

 

 

 

 

 

――――必定なる理がある。

 

勝負にもならない争いだった。

争いの結末が生と死だというのなら、彼らの争いは「始まる前」から決まっている。

それはどうしようもなく無駄なこと。どうしようもなく無意味なこと。

だからこそ彼は嘲り笑う。もがく様を俯瞰しながら、足掻く姿を傍観しながら。

防ぐにも値しない。いや、寧ろこの身に影響を与えるというのなら好きにすればいい。

どうせ意味はないのだ。ならば精々遊ぶだけのこと。結末は決まっている。

その行き着いた先に、桜と云う褒章がある。

 

ポケットに手を入れ、悠然と佇む彼の瞳に映るのは、紫色に煌く漆黒。

漆黒は【改変】という異端を手にして、“かつて”の輝きを超える。

それが“かつて”の相手と、“今”の彼との差。

そう、だからこそ面白い。だからこそ愉しいのだと声高に笑いたい。

笑みの色を濃くし、永遠の力で身を固め、迫る冥府の輝きを――――浴びる。

 

 

 

 「クク……」

 

 

 

微かに声を漏らすその様は、邪に満ちた超越者の余裕か。

 

 

 

 


 

 

 

 

紡がれるのは、“音”。

 

 

、と轟き。

、と軋み。

、と弾み。

、と囀り。

、と貫き。

、と歪み。

、と煌き。

、と鳴き。

、と叫び。

、と吼え。

、と蠢き。

、と輝き。

、と欺く。

 

 

響き渡るのは、純粋無垢な“力”の塊。

光が炸裂し、収束されて“目的”のモノだけを標的とする。

喩えるならばそれは、暴虐な力。破滅をもたらす希望の光。

 

強い力は、善ともなれば悪ともなる。

それらが悪と定義される理由は至極単純なこと。

強き力を振るう者が、他者を厭わないから。

傲慢不遜悪逆非道。故に紡がれる力は悪となる。

彼らが紡ぐその力は違う、力とは希望の証。

神の器の名に相応しい、神の御遣い。

誰かのために己を犠牲にし、誰かのために誰かを救える者。

故に、彼らが持つ力は“善”として定義される。

 

視界を埋め尽くす程の発光。

“此処に居る”ということを宣言するかのような奔流。

輝き昇った光は、或いは永遠に対する人類の宣戦布告だったのかもしれない。

 

 

 

撃ち放った直後、全身が虚脱感と激痛に襲われていく。

不思議な感覚だった。感触を覚えなくなる程に力が抜けているのに、

全身の神経が剥き出しになっているかのように痛みが走る。

結末を確認するよりも先に己の意識が飛ぶ。

一瞬視界がホワイトアウトし、痛みが現実に引き戻してくる。

 

そう、強力な力は、強力であればあるだけ……諸刃の刃なのだ。

力に見合った代価として、彼らの身体は蝕まれる。

神獣とて、己が見定めた宿主を苦しめるような真似なぞしたい訳ではあるまい。

本心から望まぬことであったとしても、それが代償であるが故に、避けられない。

人の身でありながら、“神”と称されるモノを使役するという行為。

神の御遣い。神の器に成り下がる行為。

人が“人とは違う存在”を代行する……その矛盾を誤魔化すのは、自身の精神力。

だが、精神力であるならば当然限界がある。

どれだけ剛胆に身を鍛えたとしても、人体の構造上絶対に鍛えられない場所があるように。

どれだけ想いに殉じようと、脆弱な人である限り……心は磨耗する。

矛盾を誤魔化そうとすればする程に、ココロが傷付く。

今すぐにでも意識を手放し、いっそのこと深く深く眠りたい……そうも思う。

 

けれど、膝を下ろすことは出来ない。

神獣を降ろして放つその力は、云わば敵を“必滅”させて初めて安全を導き出すもの。

実際、もはや身体はほとんど言う事を聞かない。

もし、その結果が最も恐れるべきものだとするなら――――もう、手は無い。

そう解っていて、いや解っているからこそ、意識を手放せない。

 

掠れた吐息が口から零れる。

失った酸素を取り込もうと肺は伸縮を繰り返し、都度横隔膜は悲鳴をあげる。

無理やりの反動はいずれ必ず振ってくるだろうが、此処でダメになっては何の意味も無い。

逆に言えば、息が絶え絶えになる程度に抑えられているならばまだマシだった。

かつて同じ事をした時は、あっさりと意識を手放したのだから。

その程度のことが成長だと考えるのは……あまりにも情けなさ過ぎるけれど。

意識を手放しても可笑しく無い状態であるから、今の彼らには何も無かった。

髪や瞳の色は当然のように元に戻っているし、何より纏っていた筈の神衣は消え去った。

それを維持していられる程の余裕も無かったのである。

 

 

 

――――ただ、祈る。

 

――――私怨も、悔恨も、宿命も、関係無く。

 

――――ただ、祈る。

 

――――どうか、終わっていて欲しい。

 

――――これ以上、みんなを巻き込みたくない。

 

――――どうか、どうか……っ!

 

 

 

力が残っていないから、それしか出来なかった。

情けないと笑われても、みっともないと落胆されても、それしかなかった。

 

 

 

 

 

 

けれど――――予感がする。

手応えは、あった。勝てたという予感があった。

 

しかし――――予感がする。

手応えは、あった。勝てたという予感があった。

 

だが――――予感がする。

手応えはあっても、勝てたのかもしれなくとも、“殺せてはいない”……という直感。

 

 

 

 

 

 

その予感は限りなく救いが無く、その予感は果たして正しかったと言えよう。

神獣の力という余波が消えた先、彼らの姿は――――在った。

 

 

 

 「マジかよ……」

 

 

 

予感がしていても、どうか間違っていて欲しいという願いがあったから。

祐一は素直に呻いていた。

 

 

 

 「マジ……みたいですね」

 

 

 

意味がなくても、思わず応じてしまった一弥からも同じ呻きが漏れる。

その声に覇気はない。威厳もなければ、迫力もない。

しかし、そんな憔悴しきった彼らを見て、賞賛の言葉を放ったのは……意外にも彼だった。

浮かべていた邪笑を取り払い、感心……或いは労いの無表情を浮かべる。

 

 

 

 「……正直、君達を見くびっていたことを謝罪するよ。

  タカを括ってた。神器なんて、敵じゃない……なんてね」

 

 

 

呟くように謳い上げるのは、使徒たるモノの長、完全者こと朝陽。

彼を護っていた結界は舞人の冥府により薙ぎ倒されて跡形もなく、

その服もまた、両肩から先の布地を失っていた。

ある程度の傷はあるにせよ、朝陽だからその程度で済んだのだろう。

実際、他の面子の被害はそれ以上に露骨だったから。

 

 

 

 

 

 「腕――――僕の、腕。……ぐ、あ。が……すざ……く。朱雀スザク朱雀ぅっ!」

 

 

 

狂ったように吼え、他の誰でもなく朱雀……浩平を睨みつける司。

腕、と呟いたように、彼の右腕は消失していた。いや、焼失していた。

存在しない右腕に呆然とし、激痛に苛まれながら、瞳は憎悪に歪む。

例え失ったとしても、永遠に戻れば腕は治る、司とてそれは解っている。

あの瞬間、咄嗟に自らの左半身に停止を発動させ、

あらゆる外反応から身を乖離させた分、命は拾い上げた。

だが、そうでもしなければ己は死んでいた。何の目的も果たさぬまま死んでいた。

それは、子供であるからとかそういうことではなく、目的を為す使徒として、屈辱だった。

 

 

 

 

 

 「嘘。嘘です。嘘に決まってます。私に、私の、純一さんが……こんなこと、嘘。

  純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん

  純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん純一さん。

  嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘

  嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!」

 

 

 

それは、恐怖だった。最愛の人に牙を向けられたという恐怖。

一歩間違えれば滅びていたという恐怖。直前に垣間見たその瞳の中。

その全てが頼子を茫然自失させていた。

無事である箇所を探すのが困難な程、彼女の身は紅の色で染まっていた。

それだけの状態でありながらも、彼女はまだ生きていた。

生きて、最愛の人を拒絶しながらも見つめていた。

現実から逃避するように同じ単語をリフレインさせる。

そうでもしなければ保てなかった。体力的にも、精神的にも。ただ、それでも生きている。

だからこそ、既に何かが壊れている彼女が、その愛を捨てることはないのだろう。

 

 

 

 

 

 「……無、事……ですか……? くに、さき……さん」

 

 

 「ああ――――遠野のおかげで、な。無茶し過ぎだこの馬鹿」

 

 

 「国崎さんが……無事なら……構いませんよ?」

 

 

 「いいから黙ってろ。――――あれが、俺達の鏡の力……ってことか」

 

 

 

左腕一本を完全に失った状態の美凪が息も絶え絶えに往人の胸に背中を預け、

大きな傷を負っていない往人は憎々しげに祐一と一弥を睨みつけていた。

二つの攻撃は、受け止める瞬間に往人と美凪が展開した防御膜……【封絶ノ陣】を貫く。

最大防御を司る筈だったその盾を貫かれた以上、その身は死んでいたかもしれない。

だが、直前に美凪が往人を庇う。自らの左腕を代価に盾を強化し、耐え切ったのだ。

結果として往人も美凪も命をとりとめた、ということになるのだが……安くは無かった。

鏡が得た真っ直ぐな力が、嫉ましくて……羨ましかった。

 

 

 

 

 

 「……ああ全く。こっちは見事にこのザマだ。流石だよ神の牙。

  昔の連中もまぁ結構愉しめたけど、今とは比べられないかな? 舞人がいるし。

  つくづく君達はこのゲームを盛り上げてくれるらしいね? 有難く思うよ。

  さて空名――――そろそろ終わったかい?」

 

 

 

愉しげにしながら興味が失せたような顔付きで、朝陽は空を見上げる。

結界を構成していた純一が力を使い果たした所為で、何の壁も存在しない空を。

名指しで問い掛けた先、虚構を宿す彼の人が出現する。

 

 

 

 「……全く。私の方は不満だらけなのですよ? 致し方ないことなのでしょうが。

  ともあれ。……はい、朝陽さん。お待たせ致しました」

 

 

 「ん? ああ悪い。外でやりあってたんだっけ? 

  その様子だと変な所で横槍入れちゃったかな?」

 

 

 

彼の人の場合、外見から変化を見い出すのは困難とも言っていいのだが

朝陽にはその違いが解るのだろう。場違いな苦笑の後、朝陽は空名に呼びかける。

 

 

 

 「残りのお二人が来て下さいましたのでね。回収そのものが楽だったことは事実です。

  零牙殿や賢者殿と決着をつけられなかったのは些か不満ではありますが、ね。

  “光”は先程回収し、【箱庭】で持ち帰ったようです。

  “月”は放置のままで良いのでしょう?」

 

 

 「ふん? 成る程。アレも暇だったのかな。ま、上出来だよ。

  あの“月”は僕らにとって役に立たないからね。これで来た甲斐があった。

  よし……それじゃあ帰ろうか、皆。第一の目的は叶ったしね。

  挨拶は済んだし、どっちにしろこれ以上は戦闘出来ないし」

 

 

 

率先するように、朝陽は空間を割る。

 

 

 

 「――――朝……陽っ!」

 

 

 「無理しないの。僕らも不味いけど、君達だってそうだろう?

  舞人。今度逢うときは、せいぜいジョーカーを用意しておきなよ。

  今日も愉しかったけど、その方がもっと愉しくなるからね。

  じゃ……空名? 僕達は戻るが、軽く返礼しておいてくれ」

 

 

 「了解です、少々手荒になるかもしれませんが」

 

 

 

その返事に笑みを零し、朝陽は使徒達を連れて永遠の世界へと戻る。

消える瞬間、呪詛のような使徒達の瞳が印象に残る。

本当ならば逃がしたくない。終わらせるつもりだったのに、終わらせられなかった。

それが悔しくて、戦いの中に意味を持てなくて。

けれど同時に判っているのだ。今の自分達に抵抗する力は無いのだと。

本当にもう全身の力が入らなかった。

安心した訳でもないのに、膝からリングに崩れ落ちる。

 

 

 

 「神器の皆さん? 援軍は期待しない方が良いですよ?

  会場には将来有望な皆さんが大勢いらっしゃいますが、所詮はまだ未熟。

  例え今このように――――――」

 

 

 

誰かが攻撃を当てた。

小さな小さな弾丸を。

 

 

 

 「――――当たったところで、意味はないのです。その勇気には感嘆しますが」

 

 

 

蚊に刺されたほどにも感じていないのか、ただ空虚に笑う。

 

 

 

 「G.Aの方々は一人残らず会場外の同胞と戦っています。

  私としてはあちらでまだ戦っていたかったのですが、贅沢も言えません。

  所詮しがない使い走りですのでね。朝陽さんの命令に逆らう気もありませんし。

  つまり、貴方達は素直に返礼を受ける、ということですよ。

  なに……殺しはしませんからご安心を」

 

 

 

スタスタ、とリングの上を歩きながら、空名は感情を持たぬ瞳で言葉を放つ。

神器達が抵抗できないことは解っているから、警戒心も無い。

 

 

 

 「では、まず一人」

 

 

 

伏した浩平の腕に足を振り下ろす。

ゴキリ、という音が彼の腕から響く。

浩平が叫ぶが、掠れきって音にならない。

ついでとばかりにもう片腕の骨を叩きつけ、彼の両腕を“壊す”。

 

 

 

 「二人」

 

 

 

同じように歩き、今度は純一の肩甲骨へ足を下ろす。

関節が外れるような……しかし確かに破砕した音が響く。

空名はそのまま屈みこみ、力の入らない彼の足を折る。

今度はポキリ、と音がする。あまりにも軽く、軽いからこそ激痛を招く音だった。

 

 

 

 「が…………!?」

 

 

 

辛うじて声になったその叫び。辛うじてだからこそ、その痛みの度合いが知れる。

音夢やさくらといった彼の関係者が思わず目を背けたくなるような光景だった。

 

 

 

 「三人目」

 

 

 

うつ伏せに歯噛みする祐一を足でひっくり返し、その腹に踵を落とす。

一、二、三、と立て続けに“踵”という鈍器を落とされ、

祐一は血の混じった液体だけの吐瀉物を胃から逆流させる。

 

 

 

 「四人目」

 

 

 

転がる一弥の背中に五指を当て、無色の力を練り上げる。

練り上げた力は更なる激痛となって一弥の全身を蹂躙する。

身体の中に本来存在しない異物。元々の激痛と相まって思考が定まらない。

 

 

 

 「―――――――――ぁっ!?」

 

 

 

声を出さなければ耐えられなかった。そうした所で何も変わらなくても

そうでもしなければ“壊れる”……薄れ掛けた思考が勝手に反応を返していた。

 

 

 

 「五人」

 

 

 

空名は拳を握り、最後の一人……舞人の頭上に移動する。

空いた片方の手で伏した舞人を持ち上げ、

全身に力が入らずとも瞳をギラつかせる彼の顔面を殴りつける。

腹を殴る。鳩尾を凹ませる。唇が割れ、血を吐き出す。

返り血が空名の顔に飛沫し、空名は無造作に舞人を投げ払う。

 

そのまま彼は他の四人も蹴り飛ばす。まるでボールのように

あっさりと吹き飛ばされながら、神器達は少なくない血を更に吐き出した。

 

 

 

 「さて……この位でいいでしょうかね。こうして潰せば鬱憤も晴れるというものです。

  まぁ、あれですね。これが所謂“八つ当たり”という奴なのでしょうか?

  私はどうにもそういったことに疎いものでして。間違っていたら申し訳ありません。

  ――――では、最後の仕上げと参りますか」

 

 

 

歪な感想を口から滑らせて、空名は掌に【虚無】の力を顕在させる。

 

 

 

 「おまけという奴ですよ。朱雀殿は御覧になったことがありますよね?」

 

 

 

血に濡れた唇を拭うことも出来ず、眼前に存在する虚無の力が収束していく。

あまりにも無力だった。神獣を解放した反動が、これ程悪影響を及ぼすとは。

身体の奥から、心の奥から何かが叫んでいる。諦めるな、と。まだ戦えるだろう!? と。

そんなこと解っている。解っていても、動かせないのだ。

神経が通っていない。痛覚以外の全機能が死んでいる。

絶望はしたくなくて。この程度のことは絶望ですらなくて。

だけど、抵抗出来なくて。涙が流れそうになるほど悔しかった。

 

 

 

 「ご安心を。例えどうなろうと、大蛇殿の力なら回復できますよ」

 

 

 

空名がくつくつと嘲う。虚無の奔流。

受けし“もの”を、その部分を丸ごと消失させる空間への現象能力。

マイクロブラックホール、そう仮定すればよいだろう。

空名の背中から溢れ出る虚無は触手のように蠢く。

意志を持たぬ虚無の触手は、一弥に向いていた。

 

祐一が気付き、皆が気付く。

すぐ近くにいるのに伸ばせない腕。

救えない力に意味はないのに。

もう、護れないのは嫌なのに。

 

 

 

 「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 

 

 

錆び付いた喉が血を噴き出し、言葉とともに血が弾ける。そんなことしか出来ない。

それが出来ることが既に脅威であるのだ、ということには意識が及ばない。

 

 

 

 「残念、でした」

 

 

 

祐一の叫びに笑い、空名は冗談交じりに指を振った。

同時に、虚無の塊と触手が一弥に襲い掛かる。

 

 

 

 「――――」

 

 

 

一弥は瞳を閉じない、それだけがせめてもの抵抗。

それは、意地だった。声を出せない程に内臓は傷付いていたが、それでも音にした。

 

 

 

 「――――僕は、神……器だ!……心ま、で……折ら、れは、しない!」

 

 

 

覚悟。

『負けていても』挫けない、強い意志。

負け犬の遠吠えと誹るがいい、だが『敗けない』。

 

その姿は、無様だったろう。しかし、無様であればある程。

その姿は尊い。そして気高い。だからこそ選ばれたことを、誰が知ろう。

 

 

 

 

 

 

 

――――――そんな彼を目指して、虚無が直撃する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――光の“壁”に、直撃する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――――――――――――――――【乙女座ヴァルゴ】オォッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

――――――直前。その叫びが、その言霊が、その想いが、会場に響く。





*149話は二部仕立てですので、下部リンクより続きをどうぞ(通常のTOPページにリンクはありません)*


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