Eternal Snow

番外編/水瀬家の掟(Web拍手用)

 

 

 

――――ことり。

 

 

音が同じだからといって、初音島のことりとは無関係だ。

 

 

――――コトリ。

 

 

テーブルを伝い、リビングに響く何の変哲もない音。

 

 

――――KOTORI。

 

 

だがそれは、水瀬家の水瀬家たる所以を知る者にとって、最も忌むべきモノの音。

ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。

つぅ、と誰かの冷や汗が服へと滲んだ。

テーブルを囲むように計10人の男女が入り混じる。

だが其処に色気は一切なく、辺りを包むのは緊張感のみ。

 

中央にでん、と佇む悪魔……もとい瓶。

瓶そのものに変哲は無く、どこからどう見てもただの瓶。

添えられた一枚の紙切れに書かれた『了承♪』の文字が意味不明。

若干横道に逸れたが、瓶の中身こそ問題だ。

オレンジ色の流動物。本来ならトーストに塗ると美味しい“筈の”ジャム。

オレンジ色にしてオレンジジャムではない異端。

知る者は『オレンジ色の悪魔』やら、『邪夢』やら、とにかく一言では

表現しにくいその異端をどうにか異質なモノであるようにと表現する。

たった一つの瓶を囲み、10人の少年少女が沈黙する図はあまりにシュール。

リビングが普通の家よりも広いからこそ狭苦しさは感じないが。

尚、その10人が誰かという確認をする必要は無いだろう。

 

 

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

 

 

場を支配するのは、時を刻み続ける時計の秒針音。

 

 

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

 

 

その沈黙が既に30分も経過した頃だろうか、ようやく一人が口を開く。

家主が出かけている現時点での事実上の水瀬家代表、相沢祐一である。

 

 

 

 「みんな」

 

 

 

声に、まるで催眠術に掛かったかのように全員が彼を見た。

 

 

 

 「気持ちは、痛い程判る」

 

 

 

この日本で、この脅威に一番晒されているのは何を隠そう、此処にいる全員だ。

 

どこぞのG.A達? はっはっはっは! 甘い甘い甘すぎるっ! 

甘すぎて涙が出てくるっ! 譲れるものなら熨斗つけてくれてやりたいっ!

 

――――と、彼らは泣いて笑って絶叫するだろう。

 

 

 

 「このまま逃げたいって思ってるのも、理解している」

 

 

 

縋るような視線が祐一に集中し、彼は重く頷いた。

 

 

 

 「理解はしていても、俺達は、無力だ」

 

 

 

その言葉は皮肉にも絶望のキーとはならない。不幸だ。

目で瓶を見据え、付属されたメモを読む。読むまでも無く理解していても。

 

 

 

 「“了承”。秋子さんのこの言葉がある以上、俺達に逃げ場はない」

 

 

 

何故だろう? 根拠がないのに誰もがそれを痛感していた。

沈痛な面持ちで、口を開いた者の責任として彼は続ける。

 

 

 

 「言わんとしてるメッセージは、コイツを片付けろってことだろうな。

  勿論その手段は、食べる以外にはありえないだろうさ」

 

 

 

言いたくないフレーズを、あえて吐き出す。

食べろ。食え。喰ふ。喰らへ。バイバイ現世コンニチハ天国。

 

 

 

 「ひぃっ!」

 

 

 

悲鳴をあげたのが誰かなんて些細なことだ。誰もが心の中で泣いた。

要は口にしたか口にしなかったかの差でしかなく、誰も咎めはしない。

 

 

 

 「問いますよ? 兄さん。実行に及ぶのは非常に困難にして不本意ですが、

  食べるという行為が唯一の解決手段であるというのは理解しました。なら、問題は」

 

 

 「お前が泥を被るこたーない。みなまで言うな、弟。その先は俺が受け持ってやる。

  そう、最大の問題は――――誰が喰うか、だな」

 

 

 『……………………』

 

 

 

広がる沈黙。皆が言葉を反芻し、自己の中に飲み込んでいく。

飲み込まざるを得ないからそうするのであって、本当なら気絶したい。

実行もしていないのにもうやった気になっている。泣ける。

 

 

 

 「あたしから提案させて貰うわ。ここは男の子が犠牲になるべきじゃない?

  勿論卑怯だって言われるのは判ってる。でも、それが一番安全よ」

 

 

 

と、香里が発言し、あゆが続く。

 

 

 

 「……祐一君と一弥君には悪いと思うけど、大丈夫だよっ!

  倒れた後はボク達が責任を持って看病してあげるから」

 

 

 

倒れるのは大前提。誰も否定出来ないし実際そうなることは容易に想像つく。

二人の提案は決して的外れという訳でもない。

被害を最小限に抑え、尚且つ甘い汁を得るという点においては最も妥当ですらある。

何より女の子達にしてみれば自分が苦しまない分最高の提案だ。

 

 

 

 「ええっ!? そんなの不公平じゃないですかっ! 

  言い分は判らなくもないですけど甘んじて受ける理由なんてありませんっ!」

 

 

 

バン、とテーブルを叩き、一弥が抗議。

勢いがあったにも関わらず、何故かジャムの入った瓶は微動だにせず。

 

 

 

 「贅沢ですよ、一弥。美汐ちゃん達が看病してくれるなら充分な報酬でしょう?」

 

 

 「それを屁理屈って言うんですよ姉さんっ! 

  重傷を負うことを前提でYESって言うと思ってるんですか!?」

 

 

 「男の子なんだから我侭言わないの、めっ!」

 

 

 「何が『めっ!』ですか! 僕は子供じゃないですっ!」

 

 

 「佐祐理から見れば充分子供です。弟はお姉ちゃんの言うことに従えばいいんです!」

 

 

 「屁理屈に屁理屈を重ねないで下さいっ! 

  第一、兄さんならまだしも姉さんの言うことに従う義理はありませんよ」

 

 

 「どういう意味ですか? 一弥」

 

 

 「どうもこうもないです。香里さんのセリフを借りるなら『言葉通り』ですね。

  家では圧倒的に男性陣の方が力無いんですから、群れて何が悪いんですか」

 

 

 

言っていて悲しいが、事実だ。

神器だとかG.Aだとか肩書きを持っている癖に、事実だ。

彼の『家』という発言が全員にすんなりと受け入れられる時点で、

水瀬家が皆にとって事実上のホームと化しているのもまた事実だ。

無意味な姉弟喧嘩。仕掛けた方も仕掛けられた方も、得るものは何もない。

 

 

 

 「一弥。少し黙れ」

 

 

 「でも!……はい、すいませんでした」

 

 

 

一瞬反論しようとしたらしいが、無言で睨まれて黙ることにした一弥。

兄を敵に回すというのは、よほどのことでない限りやりたくは無い。

自他共に認めるブラコンなのだ、兄に嫌われたら結構きつい。

 

 

 

 「祐一さん、どうするんですか? 一弥さんが言いたい事は判りますけど。

  でも、私達には嬉しい提案ですし、お姉ちゃんに賛成ですよ?」

 

 

 「だよねぇ。ていうか祐一と一弥から見ても悪い提案じゃないわよ? 

  あゆちゃんも言ったけど『くんずほぐれつラブラブ看護♪』

  年頃の男の子的には萌えるシチュエーションでしょ?」

 

 

 

意思決定権は祐一が持っていると言っても過言ではない。

どう転んだとしても祐一が下した決断が現時点での総意と扱われるだろう。

 

 

 

 「栞、舞。キミタチはオレタチを何だと思っているのカネ?」

 

 

 「兄さん落ち……! (あぅ。そういえば喋っちゃいけないんでした)」

 

 

 

年上と年下の発言に、僅かなりともコメカミをピキリ、と動かした祐一。

兄の脅威を場にいる人間の中で最もよく知る弟が、先程の兄のように諌めようとする。

が、当人に口止めされていたことに気付き、律儀に言いつけを守る姿にブラコン魂を見た。

 

 

 

 「……いや、さっきは止めたが何もずっと黙ってろなんて言ってないぞ」

 

 

 「あぅ、失礼しました」

 

 

 「兄弟仲良しなのは判ったから。で、祐? どうするの?

  あなたが決断しないと多分このまま時間経っちゃうわよ?」

 

 

 「うーん、そう言われてもなぁ」

 

 

 

はっきり言って生贄は嫌だ。例え何と言われようとも嫌なものは嫌だ。

だがそれは全員揃って同じなのだ。どうにかして

“皆が納得(妥協)する形で、自分以外の誰かを犠牲にする”手段を講じなければならない。

 

 

 

 「祐一。悩むのはしょうがないけど、早く決めないといけないよ。

  このままにしておくとそのうちお母さんが帰ってきて

  ジャムが残ってるの気付いたら、全員に無理やり食べさせると思うから」

 

 

 『………………………………』

 

 

 

痛〜〜い沈黙、あまりに想像つき過ぎて痛かった。

というより本気(と書いてマジと読む)でそうなるだろう、泣ける。

 

 

 

 「あぅ!? もしそうなったら恨むわよ祐一っ!」

 

 

 「待てぇっ!? 何故俺を恨むっ!」

 

 

 「お母さんに直接言ったら後が恐いからに決まってるでしょっ!」

 

 

 「祐一さん、貴方は自分の従兄妹を死地に追いやるつもりですか?

  もしそうなら軽蔑します。勿論一弥さんもですよ?」

 

 

 「何で僕に振るんですかっ!? 今のは兄さんの発言じゃないですかっ!」

 

 

 

祐一も一弥も起こしたリアクションが似過ぎている。

そして地味に自分の安全を確保しようとした一弥に万歳。

 

 

 

 「はぁ? 何言ってるの。そんなの当たり前じゃない。

  一弥と祐一は二人で一セットみたいなもんなのよ? お互いの責任は取らなきゃ」

 

 

 「それは誰がどう見ても理不尽でしょう? 舞姉さん」

 

 

 「ていうかそんなんいつ決まったんだ」

 

 

 

兄弟が同時に頭を抱え、同時にお互いを見る。目が悲しかった。

 

 

 

 「もう漫才どうでもいいから早く話進めなさい。本気で邪夢食べる羽目になるわよ」

 

 

 「―――――うぃ、むっしゅ」

 

 

 

凄みを利かせた香里の言葉に、敬礼で返す祐一。

素早く考えを纏め、打開策を講じる。

 

 

 

 「公平性を期すために、ポーカーで決めよう。

  ババ抜きとかでもいいんだが人数が多過ぎて大変だろ?」

 

 

 

そこは作者サイドの都合&本音だったりもする。

 

 

 

 「ポーカーですか? 中々面白いと思いますけど……それだって公平でしょうか?」

 

 

 「まぁ、年季の差はあります。正直佐祐理さんや香里は相当手強い気がするけど。

  真琴やあゆじゃ無理だと思いますし」

 

 

 「うぐぅ……祐一君すっごく酷いこと言ってる」

 

 

 「祐一。やっぱりお母さんのジャム食べる?」

 

 

 「ねぇゆ〜いち。それって名前の挙がらなかったあたしを馬鹿にしてるでしょ?

  佐祐理はよくてあたしはダメかそうかそうなのね祐一の認識ではあたしの評価なんて

  そんなもんなのねうんわかったじゃああたしの良さを体に教えてあげるわ今すぐ脱げ」

 

 

 

とか何とか言いながら襲い掛かる舞。

ガシッ! と彼女の腕を押さえ込みつつひやりと一汗。

地味に全力を解放できず、一進一退状態。

祐一の名誉のために言うと、舞も伊達に四天王ではないということか。

 

 

 

 「ぐぎぎぎぎ…………っ! ま、舞……お前相当ふざけたことほざいてないか?」

 

 

 「ぐぬぬぬぬ…………っ! ゆ、祐一こそリピドー発散させなくて、いいの……っ?」

 

 

 「仮にも17,8の娘が真顔で言うこと……ぢゃねぇ」

 

 

 「お生憎様、ここにはそんなこと気にする女の子なんて一人もいないわよ……っ!」

 

 

 

いいのか悪いのか。はっちゃけ過ぎるのはどうかと思ふけふ九重。

ラチがあかない。下手に力を入れて腕を捻る訳にもいかぬ祐一。

 

 

 

 「一弥、ヘルプッ!」

 

 

 

その声にはっと現実に戻った一弥、祐一に駆け寄り舞の腕を外す。

ここでもし仮に祐一が負ければ自分も同じ目に遭わされる。間接的な自己防衛。

 

 

 

 「サンキュ。ったく……舞、仮にも年長者だろ? 

  しかも七星の四天王。見本になる筈のお前が何やってんだよ」

 

 

 「別にいーでしょ、誰かに迷惑かけた訳じゃあるまいし」

 

 

 「俺に掛かる迷惑は無視かっ!?」

 

 

 「つーん」

 

 

 

拗ね始めた舞。無意味な疲れを覚える祐一。

一弥は助け舟の役目を果たすべく口を開いた。

 

 

 

 「…………このままじゃ本気で埒が空きませんね。判りました。僕から一つ案が。

  ご質問は全部言い終わってからでお願いします。宜しいですね?

  僕からは、兄さんの案と香里さんの案の折衷案を提示します。

  僕と兄さんの男子軍代表vs姉さん達女子軍代表による一対一のポーカー勝負です。

  僕らの方が負けたら、責任を持って二人で邪夢を食べます。

  逆にそちらの代表が負けたら、責任を持って八人で邪夢を食べて下さい。

  負けた場合のリスクは一人頭1/2ですから、こちらの方が負担は大きいですよね?

  そちらが負けても1/8。香里さんの発言を可能な範囲で考慮している筈です」

 

 

 「ポーカー勝負一回で決着つけるのか?」

 

 

 「命賭けですから、一回というのはやめておいた方が無難かと。

  僕個人としては、三回勝負中、二連勝した方の勝ちとしたいですね」

 

 

 

『命賭け』という点について誰一人つっこまない。

 

 

 

 「ねぇねぇ、ってことはなかなか決着付かないってこともあるんじゃないのかな?」

 

 

 「はい。もし万が一にあゆさんの言う状態に陥らないとも限りません。

  ですから、試合開始から30分経過した時点でそうだった場合は

  潔く全員で均等に配分して食べるべきだと思います。最終的には共倒れ、ですが」

 

 

 「えう〜〜〜! それじゃあ意味ないじゃないですかっ!」

 

 

 「そうでもないですよ。最善を尽くした結果の共倒れなら、秋子さんに

  無理やり食べさせられるよりは幾分も……いえ、何倍もマシでしょう?

  時間無制限にして秋子さんが帰ってきたら、絶対にトラウマに化けます」

 

 

 『………………………………』

 

 

 

全員沈黙。想像開始。想像悶絶。想像唾棄。結論賛成。

 

 

 

 「み、皆っ! 今はお母さんのことを忘れようよっ! でないと気絶しちゃうよっ!

  それはダメなんだよ、きっと大変なことになるんだよ」

 

 

 「そう、ですね。じゃあ一弥のアイディアに賛成ということで皆さんいいですか?

  それなら、こちらの代表を選出しなきゃいけません。作戦会議みたいなものですね。

  祐一さん達もどちらが出るのか決めるでしょうし、30分後に集合しましょう」

 

 

 

名雪、そして佐祐理の言葉に反対する者はおらず、

一時的とはいえリビングから全員の気配が消えるのだった。

 

 

 


 

 

 

水瀬家、祐一の部屋。

 

 

 

 「ふぅ……とりあえず話が上手く進んでよかったです」

 

 

 「どういうつもりだ? あれじゃ俺達が負けた時のデメリットがデカすぎだろ。

  そりゃまぁ正論だったし、文句は言えないけどな」

 

 

 

兄、祐一が極力平静を保ちつつ、弟、一弥に問い掛ける。

彼の精神状態を痛い程理解している一弥は、不敵に微笑んだ。

 

 

 

 「ご心配なく。我に秘策あり、ですよ。兄さん」

 

 

 「?」

 

 

 「僕が提案したのは、ポーカーで負けた時の邪夢の処理方法です。

  一言もイカサマしてはいけない、なんて言ってませんよ?」

 

 

 「ほほぅ。なかなか面白いことを言うじゃないか。でもどんなワザが出来る?

  仮にも衆人監視下だぜ? プロでもなきゃ無理じゃないか?」

 

 

 「何を今更仰るんですか。僕達だってプロですよ」

 

 

 「プロの意味が違うだろう。俺達はあくまでもDDEでしかないんだぜ?」

 

 

 「いえいえ。それでいいんですよ。この勝負に向こうが乗ってくれた時点で

  僕らの勝利は確定しました。間違いありません」

 

 

 

苛立つ訳ではないが、一弥の思惑が読めない。祐一は答えを促した。

 

 

 

 「神器『青龍』の名を冠する兄さんなら。

  そう、兄さんの動体視力なら、相手の瞳を覗くのも……簡単ですよ、ね?」

 

 

 

にやり、と一弥。その言葉に虚をつかれつつ、意味を理解して祐一もにやり。

 

 

 

 「―――なぁる」

 

 

 「サマをやってもアヤをつけられなければ勝ち、ってことですね。

  それに、例え相手が誰であろうとまさか瞳を読まれているなんて思いませんよ。

  勿論僕が代表でも構いませんが、ここは兄さんにお任せします」

 

 

 「オーケイ。流石は倉田一弥、伊達に俺の弟じゃないな」

 

 

 「お褒め頂き恐悦至極、です」

 

 

 

咎めず、むしろ褒めながら満足そうに祐一が頷く。

言われてみれば必勝のパターンだ。

相手の目を見ているから不審に思われたとしても、心理戦と答えれば二の次はない。

それに何より不審に思われる程鈍い覚えもない。疾風を甘く見るなといった処か。

 

 

 

 「では、戦場へ参りましょうか」

 

 

 「ああ。約束された勝利の凱歌を聴きに、な」

 

 

 

がしり、とお互いの腕をクロスさせた後、二人は部屋を発つ。

その表情に憂いはなく、ましてや恐怖の色も無かった。

 

 

 


 

 

 

水瀬家、リビング。

 

 

 

 「トランプは、真琴の部屋にあったのを使うね。

  祐一、仕掛けがないか確認してみて」

 

 

 

名雪が差し出したトランプの束を受け取り、カードをチェックしていく。

目立った傷や折り目、順番が細工されていないかを念入りに確認する。

 

 

 

 「よし、使って問題はなさそうだな。

  こっちの代表は俺がやる。そっちは誰が出るんだ?」

 

 

 

トン、とテーブルの上にトランプを置き、祐一が背筋を伸ばして座る。

一歩前に進んだ舞が祐一の正面に座った。

 

 

 

 「代表はあたしよ。ここはやっぱり年長者が責任を持つわ」

 

 

 

ビシバシビシと視線と視線が火花を散らす。

 

 

 

 「では。準備も出来ましたのでルールを確認します。

  ゲームはポーカー。チェンジは一回で強制勝負。

  三回中二連勝した方の勝ち。二連勝するまでは勝敗が付きません。

  開始してから30分経過した段階で勝負がつかなかった場合は、

  責任を持って皆で邪夢を食べること。舞、祐一さん、いいですね?」

 

 

 「ええ。あたしはOKよ」

 

 

 「俺もOKです。カードを配って下さい」

 

 

 

シュッシュッシュッ、とカードを切る。数回のシャッフルの後、祐一と舞がワンカット。

お互いに一枚ずつ計五枚のカードが配られた。同時にストップウォッチのスイッチオン。

 

 

 

 (スペードの5、ダイヤのJ、ハートの2、10、J……ワンペアか。舞の方はっと)

 

 

 

例え相手が舞であろうと見逃すことはない。

青龍の名に恥じぬ動体視力をもって彼女の瞳を覗く。

顔色の変化と表情の歪みが無かっただけ立派である。

 

 

 

 「佐祐理、2枚変えるわ」

 

 

 

手札からハートの4とクローバーのQを場に捨てる。

受け取った二枚で彼女の手は終わり。

 

 

 

 (ダイヤの8、スペードの6、8、クローバーの8、ハートのAね。

  スリーカードか。となるとここはフラッシュ狙い……大丈夫、絶対負けねぇ)

 

 

 「佐祐理さん、俺も二枚お願いします」

 

 

 

手札からスペードの5とダイヤのJを場に捨て、新たに二枚を受け取る。

そのカードを見た瞬間、祐一の勝利が確定した。

 

 

 

 (いよしっ! ハート2&Kっ! フラッシュ完成っ!)

 

 

 「二人とも、カードのオープンをお願いします」

 

 

 

佐祐理の指示に合わせ互いの手札が場に晒される。

全員の視線が10枚のカードへと注がれた。

 

 

 

 「8のスリーカードっ!」

 

 

 「は、甘いぜ舞っ! ハートのフラッシュ!」

 

 

 「嘘ッ!? あたしの負けっ!?」

 

 

 

確認を取るまでもなく勝敗は明らか。

当然だ。相手の手札を見てから戦略を練られるのは有利なんてものでは済まない。

 

 

 

 「ふふふふふ……舞? 現実を見据えたまえ。

  この結果を素直に受け入れるのがベターだと思うがどうよ?」

 

 

 「うぐぅっ!? ゆ、祐一っ! キス1回……ううん、10回で手を打つわ! 

  だからこの勝負無しにしてっ!」

 

 

 「うぐぅ……ボクの真似」

 

 

 「悪いが美人のキスより勝利が欲しい」

 

 

 

舞の悪足掻きをあっさりスルーし、祐一はのたまう。あゆ無視。

なお、舞を美人と評価する程度には美的感覚はあったらしい。

 

 

 

 「え? ゆ、祐一ごめんよく聴こえなかったもうい『舞っ! 早く続けて下さいっ!』」

 

 

 

舞が一瞬虚を突かれて動揺し、もう一度同じ言葉を聞きたがったが佐祐理が止める。

一人だけ褒められようなんてそうは問屋は卸さない。一人抜け駆けは駄目なのだ。

で、二戦目は以下略。結果は語るまでも無い。

『美人美人美人……』と脳内リフレインを繰り返した舞は一戦目以上にあっさり負けた。

 

 

 

 「という訳で二連勝ぉっ! やったぜ一弥〜〜〜〜!!!!」

 

 

 「最高です、兄さん〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 

 

ひしり、と抱き合う祐一&一弥。

身の安全が保証された。感動に打ち震えて何がおかしい。

一部属性所有者の女の子にとっては多分垂涎の図。一応この場にはいない……筈だ。

誰かがチッ、と舌打ちを鳴らす――――その瞬間、風が舞った。

 

 

 

 「――――ぐはぁぁぁぁっっっっ!?!?」

 

 

 「に、兄さんっ!?」

 

 

 

祐一は口の端からオレンジ色の物体を覗かせて、その場に仰け反った。

彼の傍には香里の姿。荒く息をついているからおそらく能力【加速】を使用したのだろう。

舞った風は香里自身。チッ、という舌打ちは実を言うと彼女のものである。

テーブルに置かれたジャムの瓶を空け、隠し持っていたスプーンを用いて

大口を開けて喜びを顕にしていた祐一に、流動物と言う名の害を叩き込んだのだった。

 

香里の姿を見てその事実に気付いた一弥は訴えた。

自分達の行為はそっちのけで。

 

 

 

 「反則もいいところじゃないですか!?」

 

 

 「悪いわね一弥君。あたし達も邪夢は食べたくないのよ。

  判るでしょ?……貴方も祐の後を追いなさい」

 

 

 「へ? ね、姉……さん?」

 

 

 

姉が笑っていた。【笑顔】を貼り付けただけの表情で笑っていた。

彼女が複数に分かれる。能力【幻影】による分身。

同じ【笑顔】が一弥を取り囲む。子供だったらトラウマだ。

ぶっちゃけなくてもふつうにこわかったです、まる。

各々がオレンジ色の悪夢をスプーンに載せ……哀れな生贄、もとい一弥を陥れた。

 

 

 

 「――――かはっ」

 

 

 

以上最後の声。男子陣は、倒れた。

あえて言うなら、『駆逐艦【青龍】及び【白虎】! 敵の姦計に掛かり撃沈した模様っ!』だ。

少女達は始めからこうするつもりだった。最悪負けたら無理やり食わせる、と。

 

 

 

 「ごめんね祐一、一弥君。わたし忘れないよ……二人の犠牲を」

 

 

 「尊い犠牲あってこその結末……そんな酷なことはないでしょう」

 

 

 

とまぁ白々しい会話が続いたが、ここまでなら不幸な被害者(微妙に自業自得)が

生まれたというだけで事件は収束した……しかし真の悪夢はここからであった。

 

 

 

 『あらあら。それはちょっとひどいんじゃないかしら? みんな』

 

 

 

――――――そう、この声が水瀬家に響いてからが、本当の悪夢の到来だった。

 

 

 

 『残念だけど、そんな子達には少し食べ物の大切さを教えなきゃいけないみたいね。

  …………丁度、お友達から試作品のパンを送って貰ったところだったの』

 

 

 

後はもはや語るまい。本音を言えば語りたくない。

ただ、一言だけ残すなら――――

 

 

 

 『人を陥れれば、お前に……オレンジ色と、レインボー』

 

 

 


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